STEP4 不死鳥


 ろくに舗装もされず、ブロックは所々ひび割れ、その隙間から雑草が生え放題になっている忘れ去られた一本道。

 もう何年も手入れされていないのか、入り口が見つからないほどに草木が生い茂り、広葉樹林に囲われているのもあって真上から見下ろしても葉で覆われて見つけにくい。

 だから、ほとんどの人々は記憶から方舟にこんな場所があることを抹消している。


 ここに特別な思い入れでもない限り。


 そんな一本道の中ほどの地点で、僕は路肩に停車させたRXに腰掛け、白衣を羽織って肌寒さをしのぎながら、ストックが心許ない煙草を咥えていた。

 何の気なしに、夜闇に移り行く空を眺めていると、入り口方面から雑草と砕けたコンクリートを合わせて踏んだ音が聞こえた。

 それを横目に捉えると、思わず煙と共にため息がこぼれ出る。


「なんとも微妙な気持ちだよ。待ち人ではないが、まるっきり期待外れでもない。例えるなら、確定演出で気持ちが高まってたのに狙いの激レアじゃないけど、持ってない激レアが来てしまったような。そんな感じ」

「それは悪かったな。その気持ちは少し分からんでもない、俺もソーシャルゲームを嗜むのでな」

「もしかしたら、同じゲームをしてるのかもね。あとでフレンド登録でもする?」

「遠慮しておこう、生憎、フレンド枠はもう埋まっているのでな」

「なんだ、残念」


 特に中身のない言葉を交わし、視線だけでなく顔も相手に向ける。


「侵入してきた敵の数は八人の魔術使いと一機のMS。その全員を僕らは捕らえた。けど、まだ残っていることがある」


 方舟にやってきてから、幾度となく顔を合わせ、とりとめもない雑談を交わした相手に敵意を向けて言葉を送る。


「連中を手引きした人物、方舟の中に初めからいた諜報員スパイの処理。アナタだったんですね、お肉屋さん、いや、元NNN第一機関方舟防衛局長、萩野ミツキ」


 空白のコンテナを用意できる人物。定期便の船長、連絡港の管理人、その他もろもろ、少しだけど確実に、これが出来る人物はいた。しかし、どれも疑いの余地は無かった。

 なぜなら、方舟で働く人々は皆、学生時代から、方舟を出なかった人たちだから。

 多くの学生は卒業後、それぞれの進路に向かって方舟から巣立つ。

 しかし、一部の僅かな学生は方舟の外に出ることを恐れ、あるいは、方舟への恩返しのため、方舟で一生を過ごすことを決める者もいる。

 そういった人々はNNNの第一機関に所属するか、他の方舟内の働き口に入る。

 方舟を一度出た人間が方舟に舞い戻り働くには厳重な身辺調査を必須としているため、そういった人間はほとんどいない。


「だから、黄金の環と接触する機会がない。危険は薄いと判断していた。それでも全員を洗った。そして、アナタが浮かんだ、ただの一度も方舟から出なかったアナタが」


 毒を仕込むなら、封をする前に入れておく。それが有効だと気づいたときには、すでに内側から食い破られていたが。

 今の今まで出てこなかったのは、ここでは一般人扱いだから、シェルターに避難していたからだろう。


「なぜ、アナタが、黄金の環の諜報員に?」


 僕の問いに、年齢不相応に老け込んだ顔が表情を変えずに答える。


「なぜ? だと、それは愚問だ。白雪ちゃん、いや、第三機関副長アート=テイル。黄金の環の理念を知らないあんたじゃないだろ。俺には初めから大衆への怒りと憎しみしかない。だから、方舟に来た。いつの日にか、あの糞以下の連中を形振り構わずぶっ殺すために」


 話しているうちに、無表情は崩れ歯茎はむき出しになり、目が釣りあがり、血管は浮き出て、顔中から怒りが姿を表しはじめた。

 僕は彼と知り合って短い。彼の中にどれほどの憎悪があって、どれほどの悲哀が潜んでいるのか、今この場で計ることは出来ない。

 ただただ、今はこのありふれた残酷に、耳を傾けるほかない。


「俺がここの学生だったころから、火種は燻っていたんだ。俺と同じように虐げられ、嘲笑われてきた奴らが、少しずつ確実に数を増やして、そして、『一つの指輪』が、小さかった火種を、猛火に変えた」


 十数年前、僕の知らない方舟の中で『黄金の環』の原型が成った。

 いや、丁度その頃か、先代『黄金の環』が暴れていた時代は。だからこそ、不満を蓄えていた多感な学生に強い影響を与えた。

 そして、何らかの手段で『一つの指輪』を入手したトリガーの旗本に当時のシンパの学生が集ったというわけか。


「俺にはむしろ、お前らNNNの考えの方が理解できない! 犬みてぇに鎖に繋がれてるくせにヘラヘラして! 挙句の果てに『アキレウスの鎧』だ!? 『世界の恒久的な平和』だ!? 冗談じゃねぇよ……冗談じゃねぇ! この怒りは、大衆の奴らを、一匹残らずぶっ殺すまでおさまらねぇんだよ! だから、あんなモンはぶっ壊す」


 感情的になった荻野の叫びは、黄金の環を、いや、魔術使いを代表したような不満の爆発だ。


「第一機関に入り防衛局に勤めていたのも、あの忌々しいアキレウスをぶっ壊す糸口を探すためだった。けど、あの鉄拳が後生大事に情報を握ってやがったから結局見つからなかった。そうと分かればNNNなんかにいる意味もない。だから、今日この日のための侵入経路を確保するために、輸送関連の地位を築いた」

「それも、徒労に終わったけどね。MSの射杭器でもない限り、アキレウスの破壊には足りない」

「それは、どうかな!」


 隙を見て、荻野は僕の脇を通り抜けようとする。


「行かせるわけないだろ」


 事前に仕掛けておいた術を作動させると、荻野の前にぶ厚い氷の壁が現れ、周囲を囲うように聳え立つ。


「こんな、氷程度!」


 スピードを落とさず、ガードを備えた拳を氷を砕くために叩きつける。だが、氷に僅かにヒビが入った程度に留まり、そして、ヒビもまた跡形も無く修復される。


「アキレウスの元へは行かせはしないさ。ここにキミが来たこと自体が、黄金の環がアキレウスを破壊するなんらかの手段を講じていることの証左だ」


 ここは、アキレウスに通じる一本道だ。ここを封鎖すれば、アキレウスへは辿り着けない。


「触媒は海水から抽出した純水。つまりはただの氷だ。だが、高密度に固められた氷はそう簡単に砕けない。それこそアキレウスを破壊するほどの威力が要るほどに」


 硬く、固く、堅い、破壊不可能な檻。


「ちっ! またお前か、アート=テイル! お前は一体なんなんだ!?」

「なに、ただの医者だよ。万能な、という言葉を足してもいい」

「そんなわけあるか! 凍結魔術など、ただの医者が必要とするわけがない。そもそも、凍結魔術を生身で扱える魔力量を有している魔術使いをただの医者に留めておくわけがない」


 歯噛みしながら睨みつけるてくる荻野、僕は彼と対峙するためにRXから降り、もはや根元しか残っていない煙草を捨て、初めて彼と正面から向き合う。


「第三機関は人員が少ないから、一人が役割をいくつも兼ねる。たしかにキミの言うとおり、僕はただの万能な医者であると同時に、別の顔も持っている」


 武器庫を操作し、僕は白衣以外の身につけているものを一新する。

 学生用の戦闘服はNNNの黒の制服になり、装身具もそれに合わせたものになる。

 そして、交換し終わり、武器庫が動作を停止したのを確認すると、腕からそれ取り外し、氷の壁の向こうに放り投げた。


「何の真似だ?」

「僕には戦う意思はない、言っただろ? 僕には医者ではない別の役割があると、それは――調停官として、争いを終わらせる役割だ」


 制服にあつらえられた第三機関を示す『天秤』の胸章を親指で指し示す。


「交わすのは言葉だ。武器は必要ない」

「非戦主義ってやつか? 随分とおめでたいな、自分が手を上げなきゃ、相手も従ってくれるってか!?」

「誰がそんな生温いことを、キミがこの中でなにをしようと勝手だ。それこそ、僕を潰すのも一つの手だ。まあ、それは単純にキミたちの一人負け、という意味合いだけどね」


 どういうことだ? と問いた気に眉根を歪めたので、それに答えるように続ける。


「凍結魔術の優位点は大気を素材に出来ること以外に、術者が倒れても素材によっては直ぐには崩壊しないというのがある。これは隣り合う氷が互いに保冷効果を生むからだ。ただの氷なら尚のこと、僕自身は脆いが日が落ちきれば気温が下がるのも加わって一晩中残る。それこそ、せっせと砕く作業に勤しむのも悪くはないが、そんなことをしている間に、包囲されてるだろうけどね」


 そして、捕獲を避けるために早急に壊すには、荻野が用意しているであろう、アキレウス破壊用の手段を用いる必要がある。

 先の会話の間に済ませた全身解析で、レッドベリルの欠片を懐に隠しもっていることが分かった。それを触媒にした大規模魔術でアキレウスの破壊を考えているのだろう。

 だが、いや、やっぱり、と言うべきか、一つしか持っていない。あくまでも予備の作戦であったからか、単に高価なレッドベリルを数用意できなかったからか、までは分からないけど。

 一つしかない切り札をここで使い切ってしまえば、本来の目的を果たせずに敗走するしかない。


「お前の言葉を俺が鵜呑みにするとでも?」

「別に試してもいいよ。僕としては和睦でもキミたちの敗北でも、どちらでも損はないからね」


 これはブラフ。余裕を見せておかなければならない。この場で行動不能にされるのは痛い、僕にはここで待っていた人物がいる。一刻も早く、その人物に会わねばならない。

 荻野の対処は手短に終わらせたい。しかし、正面からの戦闘ではまず勝ち目がない。ここは舌戦で退かせる。他に情報や利益を引き出せれば儲けモノだ。

 さあ、どう出る?


「良いだろう、お前の言葉の真偽はどうあれ、話を聞いてから、どうするか判断させてもらう」


 第一段階クリア。ここからは焦らず、手短にを念頭に進めていく。


「助かる。キミの判断が間違いではなかったことを証明するためにも、言葉を尽くさせてもらおう」

「御託はいい。それで? 争いを終わらせる、とかほざいたな。その下らん非戦主義でか」

「まさか、そんなものは弱者の戯言だ。WW2が終わって、敗戦国である日本が武力放棄して、何が変わった? 白人主義の西洋人は所詮は東洋の猿が、人間様に命じられて棒切れを捨てた程度にしか思ってなかっただろうさ。実際、米国に良いようにやられていたわけだし」

「ほう……認めるのか、武力抗戦を」

「今の時代はね、必要なら剣を取ることも止む無しだ。けど、それは今この瞬間じゃない」


 必要なことは、相手がアキレウスを破壊しないことで生まれる、相手側のメリットの提示。


「絶対防御結界『アキレウスの鎧』現在は全世界配備に向けての稼動実験と同時に、方舟の人々を守護しているNNNの象徴。キミたちがこれの破壊を望む理由は、稼動実験の延期、ないし中止を目論んでいるから。そして、もっと大きい枠組みで見れば、アキレウスが近い未来、もたらすであろう武力の意味剥奪を回避するため、だね」

「そうだ」

 破壊活動テロリズムとは、有体に言えば、物的、人的を問わず対象に物理的な損害を与えることで脅し、主張を押し通そうとする行為。

 破壊対象に損害を与えられなければ、その活動に意味が無くなる。

 もとより、アキレウスの目的はそれなのだが、言葉ではなく武力でしか意見を通せないと考えている連中からすれば迷惑極まりないことだろう。


「キミたちの考えている通り。アキレウスが配備されれば、武力は意味をなくし、キミたちの活動もまた無意味なものとなる。だが、アキレウスには本来の武力剥奪以外にも、公開されていないもう一つの役割を持っている」

「公開されてない、もう一つの役割……?」

「それは、魔術使いの待遇改善。武力、どころか怪我という概念そのものを破壊するアキレウス、それが意味することは今まで生物的強者、社会的弱者の魔術使いに大衆への反撃のチャンスを与えることにある。今まで、大衆が魔術使いを迫害してきたのは何故か? それは、人の身に有り余る強大な力を恐れていたからだ。怪我という概念が、暴力という手段が無力化されれば、魔術使いは脅威ではなくなる。大衆が魔術使いを恐れる理由がなくなるんだ」


 意図しない加害も、不意に訪れる被害も無くなる。それまで、両者の間に跨っていた深い溝が埋まる。

 公にしないわけは、魔術使いを下に見ておきたい大衆のお偉方に悟られないため。どうしても、人の上に立っている気でいる連中は、見下す相手を求めがちだから。


「アキレウスの配備が延びれば。その分、溝は深く、広くなってしまう。それこそ、今はまだ大丈夫でも、キミのように大衆から疎んじらる魔術使いを増やしてしまう結果になる可能性だってある。大衆との溝が埋まれば、キミたちが武器を取る理由は無くなるはずだ」


 戦う理由を取り除く、患部から腫瘍を切除するように。


「言いたいことは、それだけか?」


 男は拳を振るう、冷たい言葉を連ねて。

 短いが言葉は尽くした。それでも、深く潜行していた芽を取り除くには至らなかったか。


「時間の無駄だった。武器を取る理由が無くなる? 本気で言ってるのか!? 結局それは、俺たちから牙を抜いて、爪を落として、連中に飼い慣らされることとどう違う! それに、今更そんなことをしたところで、分かり合えるはずないんだよ!」


 拳に打たれて無様に地面に転がされた僕に向かって、今度は反対、左の腕で拳を振るわんと、肩を引く。


「……くっ! RX! 僕を守れ!」

『了解、形態変化モードチェンジ戦闘形態バトルモード、命令ヲ受理、マスター ノ護衛ヲ開始スル』


 傍らのRXは僕の声を認識し、単車の姿からその形を変える。

 一部のパーツは取り外され、ヒンジやレールで残ったパーツやフレームが位置を変える。一秒と待たず、変形したその姿は二本足で立つ人型、小型のMSそのものだった。

 僕がRXを切り札と呼ぶ理由、それは単独で会敵したとき用の、僕専用の前衛として使えるから。

 MS開発の副産物として出来た小型MSを移動用の単車と前衛兵士に使い分けるRX、戦闘力は小型化したがゆえに高くは無いが問題はない。


「やっぱり、隠し玉を握ってやがったか」

「僕をここで倒したところで、意味なんて無いぞ、キミは閉じ込められたままだ」

「それはどうかな、本当に倒れてもいいなら、こんなモン備えてるわけないだろ!」


 戦闘形態となったRXを相手取りながら、荻野はこちらを睨みつける。


「違うよ、RXは徹頭徹尾、僕の機動兵器だ」


 RXの頭を踏みつけ、跳躍する。

 脚力は無いが飛行魔術による補助をつけることで、高い氷の壁を飛び越えられる。

 本当は穏便に済ませたかったけど、こうなってしまえば、是非もない。


「逃がすかよ!」


 指先が壁の縁に触れかけたところで、地面に引き戻される。

 僕がしたように、荻野もRXを踏み台に跳躍したようだ。

 飛行魔術は使えないようだが、脚力が凄まじい。壁の上には到達しないが、それに迫る僕の足首を掴んで見せたのだ。


「オラァ!」


 掴んだ足首を振り回し、地面に叩き付けた。

 今日はよく地面に叩きつけられる。決して慣れはしない、肺から空気を搾り出される感覚にえづきながら、よろよろと、RXに掴まりながら立ち上がる。

 立ち上がってからも上手く肺が機能しないのか、口に手を当てひっきりなしに咳き込まされる。



「――え?」



 ようやく、肺が正常に戻ったと思った矢先、メンソールですっきりしていたはずの口の中に別の味がした。

 口から手を離すと、嵌めていた手袋にありえないはずのモノ――唾液混じりの血液が付着していた。

 大した量ではない、けど、これは……!


「アキレウスが……止まってる……!?」


 アキレウスは体内の損傷にも対応している。たとえ肺や内臓にダメージが入っても喀血することはあり得ない。

 ここはアキレウスの直近だ、アレが破壊されるようなことが、あればここまで音が聞こえるはず。


「アキレウスは破壊されていない……けど、機能は停止している……そんな……あ、ああ、あああああ!」


 今度は血ではなく、嘆き声が僕の口から吐き出されていた。

 膝を付いてしまう。

 信じたくなかった。否定したかった。そんな可能性が証明されてしまった。

 なら、仕方ない、行かなければ、何があっても、アキレウスの元まで。


「ふん、首尾は上々と、いったところか」


 荻野はつまらなさげに、鼻を鳴らす。

 交渉は決裂した。逃げの手は封じられた。そして、絶対に行かなければならない理由が出来た。なら、残された手は一つしかない。


「どうしようもない、なら……これしか手が無いなら! やるしかない。RXッ! 時間を稼げ、二秒でいい!」


 RXは黙って頷き、荻野と取っ組み合う。


「ようやく、戦う気になったか。だが、武器庫を自らの手で捨てたお前に、何が出来る!」

「舐めるなよ、黄金の環! コレでもNNN一機関の補佐官だ。ただの魔術士と思うな!」 


 胸の中心に手をかざす。

 まだ日は落ちきってない。全力は出せないが、やるしかない。

 体の奥の方から湧き上がってくる解除記号(コード)を告げる。


「青々と茂る草原、頬なぜるそよ風、老婆の言の葉から紡ぎ出されるは――《形の無い物語Oral tradition》」


 かざした手の中から、いくつもの炎を束ねたような、限りなく眩い白金の光が溢れる。


「舞台への扉の鍵を開け、童歌の世界は劇場に上がる――抜剣!」


 光は集い、その手に形を成して現出する。

 現れた柄を手に取り、胸からその《剣》を抜き取る。


「昼の幕、《暁の幻想Gestiefelt Kater 》!」


 それは、SIGよりも、僕自身よりも、大きく、重たい。白金の西洋柄の大剣。

 なぜか、僕を選んだ、分不相応な魔導具、個体識別番号No.01『形の無い物語』。物語に登場する武器でも、伝説上の神器でもなく、その名の通り、物語の名を冠した大剣。


「やっぱり、持ってんじゃねぇか。立派な隠し玉ってのをよォ!」


 RXを振り切り、僕のもとに迫る荻野。

 彼の肉体はNNNの一般的な魔術士よりも鍛え上げられていることが、服の上からでも見て取れる筋肉量から推察できる。

 武器はかえってその全力の発揮を妨げるのか徒手。NNNに属していた過去から、CQCも習得しているだろう。ゼロ距離の接近戦は体格差を鑑みるまでも無く不利。

 だったら、近づかれる前に対処する。

 飛行魔術の応用で大剣を軽量化し、なんとか自分の筋力で持ち上げられるようにし、剣先を低く構え、全身を使って広い範囲を捉えるべく薙ぎ払う。


「くっ……」


 荻野は膨大な量の魔力を内包している刃に触れることを嫌って、近付くのを止め、バックステップで距離を置いた。

 なんとか相手の進行方向を妨げることはできたけど、身体が剣に持っていかれて、追撃出来ない。


「やっぱり、難しいか……?」


 満足に扱えない魔導具、護衛程度の戦闘力しか持たないRX、日暮れを待とうにも、それまで持つだろうか?


「大した得物のようだが担い手が振り回されているようでは、無用の長物だな。ついでに、その剣も土産に持って帰るとしよう」

「RX、前衛維持、奴を僕に近づけるな!」


 先のMSとの戦闘で攻防一体の礼装、黒の手術医を喪失。そして、心理戦に持ち込むための代償に投げ捨てた武器庫。これまでの行動が、現状を苦しめている。


切除施術Resektion脚部Bein!」


 コンクリートブロックの地面に大剣を突き立て、同時に地面に手を付ける。

 大剣を浮かすのを止め、その分のリソースを使い、相手の足場を崩す。


「姑息な手だな」


 なんというバランス感覚、いやそれ以上に、胆力が並じゃない。

 崩壊した地面はRXがいる関係上、ヤツの肩幅に限定はしたとはいえ、足場が突然なくなれば、常人はバランスを崩すと同時に精神的に焦る。

 それが、荻野という男は動揺をおくびにも出さず。崩れた体勢を直す。というより、RXに掴みかかるついでに崩れた体勢を直した。といった風に、RXの肩部に両手を掛け、跳び箱のようにRXの頭上を軽々飛び越え、僕まで一直線に向かってくる。


「殺す……!」

「それは、どうかな?」


 一時凌ぎに思えるだろうが、僕の目的はそこにはない。

 荻野は僕に近づきたい、出来るだけ僕に剣を振らせないように。ポイントは相手に虚を突かせたと思わせること。

 略式だが凍結魔術の詠唱は終えている。


「な……!?」


 急速に加速した。あるいは消えたように見えただろう。

 虚を突くために最短で距離を詰めなければならないなら、荻野が取るルートは真っ直ぐしかない。

 高速移動の正体は、凍結魔術で凍らせるために窒素を圧縮した際に生じる空間の空白、それを埋めるように発生する擬似的な縮地。

 三万分の一に圧縮するんだ、小さな氷の欠片程度でも生じる空白は僕一人をスライドさせるのに十分に足る。

 まるでその場から高速で移動したように見えただろう。僕の運動性能じゃ、消えたと思わせるような速い動きは不可能だと踏んでいた。荻野は、今度こそ動揺を見せた。


「ぜぇぇい!」


 隙を見せた荻野に今度は肩の付け根から地面まで縦一文字に、大剣を振り下ろす。

 地面に突き刺さった反動で浮き上がった身体の姿勢を、柄を握った腕で制御し、大剣を支柱に膝を突いた相手に蹴りで追撃を加え、突き放す。

 腕力のない僕の攻撃も、大剣の重さを借りた一撃なら結構効いただろう。


「くっ……ん? な、何故だ!? 確かにお前の一撃は俺を切り裂いた。なのに、アキレウスが停止した今、俺は!?」


 無傷、荻野の肉体が僕の大剣による一撃を防いだ。というわけではない。であれば、あそこまで荻野が狼狽えることはないだろう。


「それが、この『形の無い物語』、いや『暁の幻想』が持つ、魔導器としての能力だよ。条件付きだが最高でこの地球全体を覆うほどの、防御結界を張ることができる。今は方舟を覆うのが精々だけどね」


 誰かを守るため、それだけのためにある象徴としての大剣。だから、軽々と振るえないように重たく、大きい。


「まさか……それは、アキレウス……⁉」

「そのモデルだよ。アキレウスはコイツの機能を人工的に再現してる。しかも、制約を設けずに、ね」


 ゆえに天才、アルベルト=ウィンジッドは、そう呼ばれるに足りることをしてるのだと、暁の幻想を振るってると嫌でも思い知らされる。


「こんなのアキレウスの中で使う意味もなかったけど、アキレウスが停止された今、これを使わなければ、無傷で確保は難しいからね」


 まあ、どちらにせよ一対一で確保は難しいけど。


「なるほど、合点がいったよ。噂が真実ならお前が必死になる理由もわかる」

「噂?」

「アート=テイル、お前、白雪篝博士とウィンジッド博士の子だな」


 彼は決め顔でそう言った。

 と付けたくなるほど、決定的事実を付けつけたような、良い顔をしていた。


「白雪、という日本での姓から、まことしやかに囁かれていたが……」

「あははははは!」

「な、なにがおかしい!」


 思わずこみ上げてきた可笑しさに、声を上げて笑ってしまった。荻野が自分の指摘が間違っていたのではないかと、慌てた様子は見た目にそぐわず可愛らしかった。写真にでも収めたいくらいだ。


「いや、違わないが。そんなにしたり顔で指摘するようなことかい? そんなの僕のプロフィールを見れば誰だって察しがつくようなことだろう? 暗黙の周知に今更、確証がついた程度を。それとも、自分だけがこの事実を看破したとでも、思ってるのかい?」


 可笑しさに声を震わせてしまう。


「殺す!」


 挑発と取られたのか、荻野は真っ赤な顔で向かってくる。

 荻野の行動が単純化したこともあってか、その後はさっきと同じようなことが続いた。

 妨害系魔術を掻い潜って僕の懐に飛び込んでくる荻野を剣で防いだり、凍結魔術の応用で躱したりして反撃、距離が空けば間にRXが入って時間を稼ぐ。

 細かい部分の変化は勿論ある。僕の回避に慣れ始めた荻野は追撃するようになったり、その兆候が見られたら左右にフェイントを入れて揺さぶったり。

 互いに絶妙な具合で決め手に欠け、膠着状態がしばらく続いた。太陽はほぼ沈み、光の残滓が空に残っているような明るい暗さ、とでも言うような空になっていた。


「ちぐはぐだな」

「何が?」


 度重なる攻防の中、互いに手を抜いているわけではないのに、気持ちの部分で余裕が出てきたのか、僕たちは手を止めることなく、言葉を交わし始めていた。


「初めは、手を抜いているのかと思った。そうではないことはこの攻防の中でわかった。確かにお前は弱い。だが、それは一流の枠組みの中でだ。ゆえにおかしいのだ。高い魔術技術、魔導具が生み出す莫大な魔力に耐えうる器、そして、洗練された観察眼。それだけ備わっておきながらも、疾駆する脚は無く、重厚な剣を扱う腕は無い。その身に蓄えられているはずの魔力の片鱗も見せない貧弱な肉体。むしろ、魔術使いなら備わっていて当然のものが欠如している。まるでお前の身体能力は――」

「大衆みたい、と言いたいんだろ?」


 無言で荻野は頷いた。


「そうだね。僕の肉体は大衆のそれと然程変わらない。僕の筋肉、外皮は魔力による自然な強化も受け付けない。それなりに鍛えているから大衆の中では最高峰の位置づけだろうけど、魔術使いの中では下の下だ。僕はその分の魔力リソースを魔術に割けるから、魔術に特化している。むしろ、そうでもしないと、他の魔術使いと渡り歩けないからね」


 魔術の申し子が、最も魔術の源たる魔力に嫌われている、っていうのはなんとも皮肉な話だな。


「ほんと、そろそろ、折れて欲しいんだけど」


 体力も大衆レベルの僕はこの連戦で疲弊しきっている。当然、今の今まで沈黙を保ち、平均的な魔術使いよりも優秀な彼の方が十分に体力が残っているだろう。

 勝負の分かれ目は、夜まで僕の体力が持つかどうか、そこに勝機を賭けるしかない。



「ふむ、予定の時間になってもアキレウスが折れないと思って来てみて見れば、またお前か、不死鳥」



 勝算を、根底から破壊する声が響いた。

 声は上空から、機械を介したようなノイズ交じりの耳障りな声。

 その声を耳にしたと同時に、僕は身体に違和感を覚えていた。


「え?」


 肩から斜めに一閃、白衣に赤いラインが走り、染め上がっていく。

 僕の意思とは無関係に身体は崩れ落ち、硬いコンクリートの上に伏せさせられていた。

 謎の襲撃は暁の幻想の制限時間を知っている……!?


「お、前は……トリガー……!?」


 気がつけば、目の前には、忌々しい深緑のパーカを身にまとった、全ての元凶トリガーがいた。


「NNNでは、俺のことをそう呼んでいるらしいな」

「どうして、方舟ここに」

「答える義理はない。それより荻野、アキレウスはどうした。プランAが失敗に終わった今、この件はお前に一任したはずだが?」

「アート=テイルに足止めを食らっていた。どうにも、この氷を破壊する手段が見つからなくてな」


 RXをいなしながら荻野が答える。


「流石は第三機関の副長というところか。魔断結界ほどではないが、これほどまでに堅牢な壁を急造できるとは。だが、所詮は氷」


 トリガーの指に嵌められた一つの指輪が黄金の輝きを放ち、僕を斬り捨てたであろう刀身に魔力を集約させ、トリガーは手を振るような所作で軽く薙いだ。


「アキレウスのような巨大なものを一度に破壊することは出来んが、この程度の壁なら、バランスが崩れるように一箇所を潰すだけで崩壊する」


 たったそれだけで、僕の氷の壁が音を立てて崩れる。四辺の壁のうち二辺を、トリガーは溶断して見せたのだ。


「この壁は荻野には不向きだった。だが、俺の前では障子戸も同然だ。行け、早急にアキレウスを破壊しろ」

「分かっている。この機械を黙らせたらすぐに行く」

「行か、せる、か」


 傷を治しながら立ち上がろうとした背を、トリガーに踏みつけられ地面に固定される。


「その治癒術が不死鳥の由縁か。この僅かな間で骨まで達した傷を、切り傷程度までに治してしまうとは、中々に恐ろしいものだ」


 まだだ! 立てなくても、この手にはまだ『形の無い物語』が握られている。

 『形の無い物語』は昼と夜で異なる能力を発揮する。昼の能力が切れた今、夜の形態にすれば、チャンスは……。


「いや、その不屈さの方が不死鳥らしいな。なお恐ろしいことだ。いい加減、その翼を毟っておかねばなッ!」

「がぁっ!」


 背を踏みながらトリガーは刀で『形の無い物語』を握った僕の手首を貫いた。

 握り締めていた柄を手放してしまう。これでは、夜帯に形態変化させられない。

 血が抜けて思考が安定しない。反撃の術を組むにも時間が掛かる、首根っこを掴まれているような状態では間に合うか分からない。


「その氷がごとき不撓不屈さはお前のような合理主義の人間モドキには勿体無い。こうも計画を遅延させられるとは……ああ、あの日、殺しておくべきだった。だが、悪あがきはここまでだ、不死鳥。お前はもう二度と羽ばくことはかなわない」


 まだ何かあるはず。そんな思いは届かない。

 冷たい氷に囲まれた、忘れらさられた一本道の真ん中で、トリガーは僕の首と胴体を切り離す。

 実にあっさりとしている。だが、人生にドラマを求めるのは違う気がする。現実はフィクションほど都合よくできてはいないんだから。

 ああ、意識が途切れる瀬戸際に、僕の名を叫ぶ声が……聞こえた気がする――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る