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 三年前、僕がまだドイツにある第三機関本部で働いていた頃。欧州は北米や亜州アジアに比べると、魔術使いと大衆は上手く共生できており、軽犯罪などで駆り出されることはあっても大きな事件もない平和な環境であったため、当時はデスクワークが主な仕事だった。

 つまり、何が言いたいのかというと――。


「……現場久しぶりなんで、もう少しお手柔らかにお願いします……姐御」


 この船で見る何度目かの落陽。室内すらも茜色に染まる頃、理事長室に僕はいた。

 新学期が始まって最初の日曜日。世間では大半の人が休日を満喫しているであろうこんな日に、僕は休日の大半を費やした外回りの報告をしに来ている。

 先日の三機関会議で『黄金の環』の脅威に対し、各支部の警戒レベルの引き上げが決定。事件の舞台となったここ日本、特に要の第一機関本部である方舟は、次の標的になることも考えられるため一層の厳戒態勢が敷かれることとなった。

 防備を整えるに差し当たり、方舟周辺の調査が執り行われることとなったのだが……どういうわけか、その調査員に僕が選ばれ今しがた調査を終えて戻ってきた次第だ。

 来てすぐに報告しないといけないのだが。どうにも久々の現場入りで疲弊してしまい、入室と共に来客用の革張りソファーに倒れ込んでしまった。

 ああ、頭がガンガンする。

 最近、日向は僕が作った朝ごはんも食べずにさっさと出いっちゃうし、お弁当一緒に食べてくれないし、遅くまで学校に居残って僕らが晩ごはん食べ終わってから帰ってくるし! 露骨に避けられて気持ち的にも参ってるのに、せっかくの休日に過酷な労働を強いられて心身共にボロボロだよ……。


「だらしないぞ、それでも一機関の副官か?」

「なんで副長が、現場に出ないといけないんですかね?」


 現場に向いてないから今の立場に落ち着いてる節があるんだけど。


「お前の上司から、お前を顎で使っていいとの許可がもらえたのでな。せっかくの有能な人材だ使わないと勿体無い」

「適材適所って言葉、ご存知ですか?」

「十徳ナイフは適所が多いんだよ」

「人を万能ツール扱いですか……」


 僕の能力は万能と言えば万能だけどね……。

 『固有魔術ヴィルヘルム』、一部の魔術使いが扱える、二つとして同じものがない強力な魔術の総称だ。

 二つとして同じものがない、という点で『唯一の個性』と似ているが、あちらは「体質」であるのに対し、こちらはあくまでも複雑怪奇なだけの「魔術」である点で相違している。希少価値もあちらの方が高い。

 遠くにあるものを動かすのも、道具を使わず物体の形状を変えるのも、モノに触れずに熱を起こすのも、結局のところ物体を運動させているだけに過ぎない。

 しかし、この固有魔術というものは、物体の運動という枠組みを逸脱している。

 仕組みを突き詰めれば、大小様々の魔術が複雑に入り混じって構成された、「大規模な個人レベルの魔術」と言うべきものなのだが、それを他人が再現しようとすれば果てしない時間と魔力を要するため「最も魔法に近い魔術」とも呼ばれている。

 なぜ突然このような話をしたかと言うと、姐御が言うところの十徳ナイフにあたる僕の能力がこの固有魔術だからだ。

 『精密解析Analyse』それが僕の固有魔術の名前だ。

 五感で感じ取ったものをデータ化し、僕のもつ知識と照合し様々な情報を得ることができる。見事なまでに医者向きな能力だ。

 トリガーと対峙したときや、小梅ちゃんと出会ったときなんかにも活躍してくれた。というか、コレがないとタダの案山子より役に立たなくなる。

 僕はこの精密解析を使い、調査時間を常人より劇的に早く終わらせることができるわけだ。


「そんなことより、さっさと調査報告しろ。お前に休む暇など必要ない」

「どこかに人の心を持った上司は落ちていないだろうか……」


 鈍痛を訴える重たい頭を持ち上げ、リフレッシュするために煙草を一本咥える。

 上体は起き上がることに成功した、それでも立ち上がる気力は残っていないようなので、ソファーに腰を下ろした状態で調査報告書を読み上げることにする。


「昨日、〇九〇〇から一七〇〇にかけての方舟内の各階層の人口密集地及び本州との連絡港、そして本日、昨日と同時間帯の本州の方舟寄港地とその周辺の人口密集地の調査の結果を報告します」


 二日に渡って方舟のほぼ全体と東京湾沿岸を一人で単車に跨り駆け巡ったことになる。

 僕の愛車、S1000RRはスポーツタイプのマシンなので、シートが長距離走行に向いていない。だから、疲れる上にお尻が痛くなる……。


「方舟内部は異常なく、不審物及び不審人物は確認されませんでした。各ブロックの詳細は報告書をご覧ください」


 小さい街が甲板に乗っかっているような外観で、一見すると島のような方舟だが、実態はその名の通り船だ。当然、船内に当たる部分があり、二階層分のスペースがある。

 一部居住区やフェリー乗り場、学校の施設が上層、機関部や船としての機能を持った施設が下層に収まっている。

 そのため、甲板だけでも十分に広い上に船内も隅々までくまなく回る必要がある。しかも、下層の一部区画では単車で入れない場所もあって、気が遠くなるような作業だった。


「報告があるとするなら、下層に高速の移動手段が必要だと思いました」

「方舟の船員クルーは皆私が一声掛ければ例え下層の真反対の位置にいようとも五分で集まる屈強な者ばかりだ。そのような物はいらん、経費の無駄だ」


 船員たちの苦労が垣間見える。


「まあいいです。続いて、今日の調査の結果ですがこっちのが重要ですね。沿岸部計六ヶ所で所属、身元不明の十二人の魔術使いを確認しました。見落としはありません」


 残念ながら、その中にトリガーらしい人物は見つけられなかったが。

 とある、メディア曰く「魔術使いとは、社会に放たれた肉食獣」だそうで……要約すると「首輪でも付けておけ」ということなのだが、そんなことをすれば、当然、魔術使い側が黙っているわけないので、大衆側は言うだけに留めている。

 しかし、大衆からすれば魔術使いが不安の種であることには変わりない。なので次善の策として、この国では魔術使いに身元を証明するための腕輪型の装置『タグ』の支給、携帯を義務付けており、魔術使いは公の施設を利用する際にコレを提示しなければならない。

 タグには身元証明以外にGPS、人感センサーが備わっている。身に付けていなければすぐにアラームが鳴り、タグに記録された情報とともに専門機関に連絡が入る仕組みになっている。これは事実上、監視されているも同然ゆえに、魔術使いは皮肉を込めて『犬の首輪ドッグタグ』なんて呼んでたりもする。


 NNN管轄化の方舟や各支部ではこのタグを外すことが許可され、NNNに入れば携帯義務も免除される。

 精密解析で魔力反応を検知したのにタグから発せられるはずの信号が検知できなければその人物はNNNのメンバーか、タグに違法改造を施し携帯していないかのどちらかとなる。

 NNNならば、登録されている情報と照合すればヒット。一致しなければ後者、違法魔術使いということになる。


「その場で身元確認は?」

「この見た目で職質して、真に受ける人なんていると思います?」

「盲点だった……」


 姐御は無言で額に手を当て、手を仰ぐ。

 正直、このくらいは察しがついていて欲しかった。


「まあいい。それで、大してめずらしくもないタグの違法改造者をわざわざ報告書に書いたってことは、ただの無法者でないと判断した点があるんだな?」

「はい、写真に収めたのでコチラをご覧下さい」


 確かに、この見た目で損することも在るけど、便利なこともある。例えば、こんな風にカメラを使うときなんかは、どっからどう見ても子供にしか見えないおかげで対象に警戒されにい。

 持ってきた写真を重ならないように机に広げる。

 バストアップで撮られたこれらの老若男女は皆、自然な表情、背格好。名乗ったり、いつぞやの少女のように方舟の制服を着たりでもしなければ、きっと僕以外誰も魔術使いとは気付きはしないだろう。

 こうして見れば、大衆と魔術使いとの間に大した違いなど存在しないのに。


「ふむ、なるほど」


 姐御は僕から不審な魔術使いたちの写真を受け取り、口元に手を当て思案顔になると――


「わからん」


 ものの数秒で匙を投げた。


「少しは考えて下さい……」

「考えるのはお前の仕事だろうが。勿体振らず、端的に、わかりやすく、噛み砕いて、私でもわかるように説明しろ」

「注文が多い……」


 もしかしたら、僕は気付かぬ間に料理されているのかもしれない。

 いや、生肉食べても死ななそうだし、食べるなら料理なんてまどろっこしいことせずに首筋から食らいつくだろう。 

 そんなことより、姐御のオーダーに答えるべく僕は机に並べた写真を元に説明を始める。


「一見すると、服装、所持品、年齢、性別、身長までバラバラ、共通点らしい共通点はないように見受けられる彼らですが、ある一点だけ、共通点がありました」


 僕は姐御にもわかりやすいよう、写真に印を付けていく。


「耳か、全員福耳とか?」

「腕と一緒に目玉もどっかいったんですか? よく見て下さい」

「冗談だよ。確かによく見てみりゃ全員、耳に何か入れてるな」


 そう、彼らは皆、耳に黒い光沢を持った物体を詰めている。


「コードレスのインカムのようです。最新型で完全に耳に入れても取り出せるタイプのものですね。しかも、どれも同じメーカーの同型のものです。そして、連中はそのインカムを使って情報交換をしていたようです。会話を傍受しておきました」


 端末に保存していた音声データを再生すると、そこには彼らが『黄金の環』の構成員であること、方舟襲撃計画を予定していて近々それを決行すること、そのための下準備にこの辺りに来ていることなどの情報が入っていた。


「コレをよく見つけたな」

「見つけること自体は容易いですよ、電子機器なんてのは常に電波を発してるので解析で一発です。ですが、問題は情報の整理です」


 最初から調査する対象が定まっているなら楽なんだけど、今回みたいに不特定多数の中からなんとなく怪しい人物を探し出す。なんてボンヤリした指示の調査は頭が痛くなる。

 この場合、一度その場にいる全員を解析する必要があり、得られたデータからさらに解析を繰り返し結論を導き出す必要がある。

 精密解析は脳を酷使するためか過度に使用すると思考能力の低下や眼精疲労、激しい耳鳴りに悩まされる。


「情報処理量が多すぎて、しばらくは常時展開の簡易解析も使えないです」 

「そういえば、精密解析を使えばトリガーの正体まではいかなくとも、個別魔力波形くらいは読み取れたんじゃないか?」

「残念ながら、魔導具の反応が大き過ぎました。個人レベルの魔力反応が霞んで読み取ることができなかったんです」

「仕方ないか。まあいい、働きは十分だ。次回使うべき時が来るまで目を休ませておけ。今はこの情報から対策を練らねばな」

「いくつか情報は手に入りましたが、不明な点もいくつかあります」

「作戦決行日時に襲撃手段、その際の敵戦力、そして、襲撃の目的か……アート、お前なら、方舟ここをどう落とす?」

「目的によりますね。破壊が目的ならホワイトハウスを襲撃して反応兵器のスイッチを奪った方が早いと思います、この船バカでかいんで」


 多分、これが一番早いと思う。

 海で囲まれ周りが開けていて一見、守りに向いてないように見える方舟だが、おそらく、NNNが所有する拠点の中でここ以上に「防衛」という一点に優れた場所は無いと断言できる。


 方舟は海上に浮かんでいるので陸路は当然無いとして、ヘリや飛行機で上空からの侵入も不可能だ。

 周囲の海上には最新鋭の対空装備を満載させたイージス艦が十数隻哨戒している上に、なぜか方舟は対空モードに変形できる。最新の対空レーダーに新旧様々な対空装備がハリネズミのごとく甲板に出現し、空を制圧する。一体、空飛ぶモノにどんな恨みがあるんだか。

 なら海路、海上はどうかというと、これまた難しい。

 フェリーや輸送船が方舟と本州を繋いでいるから確かなパイプがあるわけだけど、それはどちも通行手形である渡航許可証が発行されているからだ。それ以外の船舶、艦船は一定の範囲まで近づくとアラートが鳴り、哨戒しているイージス艦に直ちに離れるよう勧告される。

 それに従わず近付こうとすれば外周部に設置されている砲門で威嚇砲撃、それでも接近するようなら、デストロイコードが執行され哨戒している対潜対水上用のイージス艦と砲門の斉射が待ち構えている。

 空も海上もどちらも無謀、潜水艦で海中から近づこうにも、イージス艦のソナーの前では大通りを金ピカのスーツを着て歩くようなものだ。

 鎌倉幕府もビックリの『攻めに難し、守りに易し』の浮かぶ要塞だ。

 だが、そんな鉄壁にも、極小の穴はある。


「乗っ取るなら、分隊から小隊の規模で潜水侵入ですかね」


 規模が大きくなればなるほど、計器の目盛りを大きくする必要上、ソナーやセンサーは一定以上の大きさがないと反応しなくなる。

 個人レベルで動ける小隊や分隊なら、ある程度の深度を一定間隔を空けて潜水しながら進めば発見されることはない。

 と言っても、成功率は低い。ソナーの検知レベルがどれほど詳細なのかは機密事項で、イージス艦の船員しか知らない。

 以前に別の仕事で発見したイージス艦の弱点だけど、すべてのイージス艦がそうとは言えない。

 むしろ姐御のことだ、アリどころかプランクトン一匹侵入を許さない仕様になっていても不思議じゃない。


「空中からでは駄目なのか? ヘリや飛行機が駄目でも、小型の飛行ユニットで行けそうじゃないか?」

「センサーじゃなくても、カメラや肉眼で見えるでしょう。それに、なにより目立ちます」


 周囲が開けているということは、隠れる場所が無いということだ、少なくとも海上には。


「侵入したら、隠密行動で艦長室ココまで来て姐御を暗殺……は出来そうにないんで、艦橋ごと爆破……でも死にそうにないし……人質をとって立て籠もり……も効果ないか」

「お前は私を何だと思ってるんだッ⁉」


 一番の問題はここの最終関門が血も涙も無い鉄人だということだ。


「少なくとも僕の力量じゃ、ある程度の希望的観測を交えてもココまで来るのが限界ですね。あと他に侵入方法があるとしたら、輸送船として許可証を取る、とか、積荷に紛れ込むとかですかね。審査が厳しいのでこれも難しい話ですが」

「最後についでみたいに言ったやつの方が現実味あるだろ。なんにせよ、ココまで来れれば大金星だろうよ」

「とは言え、どの侵入方法にもいくつか問題がありますよ」

「例えば?」

「一度に侵入できる人数が少ない。これは致命的ですね。例え乗り込んで来たのが精鋭十人だったとしても、こちらは物量で勝る上に『高々精鋭如き』とか素面で言っちゃうヤバイのが二人もいますし」

「言いそうな奴に心当たりがあるな」


 まさにその一人はアナタです、姐御。


「一番の問題は敵もそれらを理解した上で襲撃してこようと考えてることです。相当ぶっとんだ作戦がある、或いは……」

「相当な愚か者か、だな」

「あらゆるケースを考えて対策を考えなくてはいけませんね」


 あのときは奇襲を許したが、次こそは止める。

 僕に『警戒』させた、それが貴様らの間違いだぞ、『黄金の環』……!


「まったく……直近に大規模演習を控えていると言うのに、間の悪い連中だ……」


 学園では毎年、四月末に高等部の生徒による甲板部分ほぼ全てを使った実戦形式の学年別演習、通称『大規模演習』が執り行われる。

 三日間にわたり開催されるコレは、小隊行動やオペレート技術の向上を目的とし、一年生は新しい小隊の試運転、二、三年生は日頃の訓練で培ってきたものを確認する場でもある。

 上の学年から順番なので、僕らは最終日に参加する。

 この間、教師陣は艦内部と艦橋に待機となるため、甲板には生徒しかいない状況になる。いつ敵が襲ってくるとも知れない時に、それは危険過ぎる。


「とにかく、いつ奴らが動き出すかわからん以上、時間が惜しい。アート、今日中に策を講じておけ、明日には防備を万全にするぞ」

了解Einverstanden、二度は無いってこと、思い知らせてやります」


 話がまとまりお暇しようと回復しきっていない重たい腰を上げると、制服のポケットから端末の無機質なコール音が鳴る。


「おいおい、お前と私の間柄で堅いことは言いっこなしだが、こういう場ではケータイの電源を落としておくのがマナーってもんだろ。親しき仲にも礼儀ありってやつ」

「プライベート用のは切ってます。コレは緊急用のです。いつ急患が運ばれるかわからないですから」


 端末を開き、発信者を確認すると日向の番号からだった。嫌な予感がし、すぐに僕は通話状態に切り替えた。


「僕だ」

『良かった、繋がった!』


 電話に出ると、予想外の声が聞こえて来た。


「三角か、どうしてキミが?」

『普通にお前の番号にコールしても通じなかったから葵のケータイから緊急発信した。これで繋がらなかったらどうしようかと』


 状況は掴めないが、どうやら珍しく慌てているようだ。


「この際、なぜキミが日向のケータイから掛けてるかは聞かない。完結に用件だけを話せ」

『ああ、そうだった! アート、今すぐ学校の保健室に来てくれ、葵が倒れた』

「何だって⁉ すぐ行く、後でどういうことか詳しく聞かせてもらうからな!」


 三角からの返事を待たず通話を切る。


「三角からか?」

「はい、緊急事態ですので今すぐ保健室に向かいます。失礼します」


 話もほどほどに、僕は理事長を飛び出した。どうにも、日曜日はどうしても僕を休ませたがらないらしい。


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