STEP2 夢の描き手


「さて必要なものはこんなものかな」


 試験の数日後、僕たちは新学期に向けて必要なものを揃えるために方舟を降り、本州のショッピングモールに来ていた。

 方舟にもスーパーやコンビにはあるけど、どれも地元にあったものと代わり映えがない。そのため、折角上京してきたのだから気分転換に都会の雰囲気を味わいたいと女子二人たってのお願いを受け、ここまで脚を運ぶこととなったわけだが……。

 まるでこのことを見越していたかのように、僕のスーツケースの底から女の子向けのゆるふわした服が……いつかあの魔女とは決着をつける必要がありそうだ。


「うぅ……歩き疲れたぁ、未希ーどっかで休憩しようよ」


 僕とは対照的にボーイッシュな格好の桜は気だるげな足取りで、泣き言を言いながら僕の肩を揺らす。

 確かにショッピングモールの開店時間から入店し、もうそろそろお昼になる。

 結構歩いたものだ。


「そうだね。そろそろ待ち合わせ場所に向かおうか。それでご飯でも食べながら午後の予定を立てよう」


 昨日の夕飯後、お出かけを企画した花蓮がやや食い気味に『買うもの多いし、二手にわかれた方が良いわ』と提案し、僕と桜、花蓮と日向の二手にわかれることになった。学校側が寮に色々用意してくれているので、必要なものは多くないはずなんだけどね。

 正直に二人でデートがしたいって言えばいいのに。


「まあ、いいか、今の日向といるより桜といる方が居心地いいし」


 トリガー襲撃の日以来、日向と二人きりになると微妙な空気になる。

 あの場で僕は日向の意思を無視して彼を逃がした。それに対して色々含むところがあるようだ。

 僕自身、日向になんと言って声を掛ければいいのかがわからない。

 あの時、トリガーを留めるために残っていたのが瀧貴さんじゃなくて僕だったらなんて考えが、どうしてもぎってしまう。

 そう言えば桜もあの時あの場所にいたのに、今でも自然に僕と接してくれているな……。


「ねぇ桜、キミは僕に何か思うことはないか?」


 ふと立ち止まってそんなことを聞いてしまう。多分、日向にも面と向かってこういうことを言えたら楽なんだろうけど。これじゃあ花蓮のことをとやかく言えないな。


「え、思うこと? わたしはいつでも未希のこと大好きって思ってるよ」

「………………いや、ありがたいけど、そういうことじゃなくてね」


 どうしてこの子はあっけらかんとそんなことが言えるのか。僕も花蓮も日向も見習うべきだな。


「えーっと、それじゃあ、いつも朝起こしてくれてありがとう。とか、いつも美味しいご飯うれしいよ、とか?」


 桜は語尾のあ行を伸ばして発音するため、なんというか頭が足りてない印象を受ける、というか質問の回答もどこかIQが足りてない。

 きっとさっきの大好き発言も『ハンバーグ大好き』くらいのニュアンスだろう。

「うん、ありがとう、だけどそうじゃなくてね。あの日、僕がキミたちを逃がしたのをどう思ってるのかなーって」

「あー、そのこと」


 質問の意図がわかり、相変わらずのほんわかした垢抜けた笑顔のまま桜は答えた。


「確かにおじいちゃんが死んじゃったのは悲しいけど、それは仕方ないことだよ。日向が向かっても無駄だった。わたしの仕事は日向を守ることだから必要な判断をしたつもりだし、未希の判断も間違ってなかったと思う。まあ、おじいちゃんが負けるとは思わなかったけど、アレは結局、どんなに最善を尽くしても三人しか助からなかったんだよ」

「――――へぇ」


 思わず言葉を失うほど感服してしまう。

 桜は確かに天然モノのド天然だけど、決して頭が悪いわけじゃない。

 だから、あの時のことも冷静に分析して自分の中で折り合いをつけている。

 この子は年齢言動不相応にそういうところが成熟してしまっている。育った環境が違えば、この子はもっとまともな人生を送れたのかもしれない。もし、僕と出会わなければ。


「未希のことだから、あの場に残るのが自分だったらおじいちゃんは助かったかも、とかって思ってるだろうけど、それは違うよ。あのフードの男の人は未希なんか簡単に刻めるほどの使い手だった、むしろ未希があの場に残っていたら全滅の可能性もあったと思う」

「結構勝てる自信あったんだけどな」

「未希とは分野の違う強さだよ。未希いつも言ってるじゃん、強さには種類があってじゃんけんみたいなものだって。多分、おじいちゃんはあいこだったんだよ、それでなにか他の要素があって負けた。未希は最初から負けてるから相当の運が無いと勝てない、相性がいいのはわたしがこないだ戦ったジャージの先生じゃないかな」

「確かにね、あの男に三角の力は刺さるだろうね」


 日向や桜みたいに単純なスピードやパワーで押していくタイプは、三角のような場を制圧して相手の動きを限定する魔術使いに対して、実力を存分に発揮できなくなるためかなり相性が悪い。

 というか、姐御は葵家のことを知っていただろうから日向や桜がどのように立ち回るかある程度は予想がついていたはずだ。それなのにあえて三角をぶつけるのは一体どういう了見なのか、トップに立つ人間の考えは良くわからないな。


「未希って、一応NNNの一員なんでしょ、それなのになんで弱いの?」

「弱いって……僕は普通だよ、そりゃあ、キミや瀧貴さん、あのジャージ男とは比べ物にならないけどね」


 桜はいわゆる天才だ。

 魔術に特別秀でているわけではないが。突出しているのは肉体だ。一般的に女性の筋肉は持久力を司る赤筋が、瞬発的な力を発揮する白筋よりも量が多いとされているが、彼女の脚の筋肉はどちらも均一に且つ男性もかくやといわんばかりの筋肉量がある。それに加えて、天性の感性で感覚的に一部の魔術、例えば昨日見せた《エアスラスト》や《筋力活性》などを扱えるため、プロ顔負けの俊敏性を持っている。三年前に再会したときは流石に舌を巻いた。


「それにね桜、僕はNNNに所属しているけど、別に戦闘を専門にしているわけじゃないんだよ」

「え? NNNの人って、カチコミとか街の掃除とかいってひごーほーな人たちを追い立てる仕事なんじゃないの?」


 きょとんと首を傾げたり、「非合法」って言ってるつもりなんだろうけど、平仮名に変換されたりするところが可愛らしい。だがそれとは別に、NNN僕たちはすっごい極端な見方をされていることがわかった。


「あながち間違ってないから強く言えないけど、NNNは暴力集団じゃないよ……」


 大体、そういう雰囲気は現役時代の瀧貴さんと姐御のせいだ。

 晩年こそ無邪気な六十歳児だったけど、現役バリバリの頃は首領感が前面に出ていておっかなかったし、実際に非合法な魔術結社を両手の指じゃ足りないくらい壊滅させていたし、姐御は現在進行形で海賊や密輸船の取り締まりをしている。

 ぶっちゃけ素人が見たら商船を襲ってる海賊にしか見えないけど……。

 もっと色んな活動をしてるはずなのに、どうしてもトップ二人が強面であるがゆえに、そういう世間的に怖い部分が目立ってしまってるのは否めない。


「誤解を解いておくと、僕の仕事はね――」



「も、申し訳ありません!」



 NNNの間違ったイメージを払拭するため説明しようとしたら、なにやら少し先の方で揉め事が起きたらしい。


「おいおい、お譲ちゃん、謝ったらいいと思ってんの? 俺たちのダチが怪我したかもしれないんだぜ」

「こりゃ腕折れてるかもな。やっぱり魔術使いってのは危なっかしいねぇ」

「責任とるためにもさ、俺たちと一緒に来てくんね」


 気になって様子を見に来てみると、通路の真ん中で僕より小さい女の子が若い男三人に頭を下げていた。

 女の子は方舟の制服を着ていてネクタイの代わりに中等部を示すリボンをつけている。つまりは、魔術使いだ。


「何があったのかな?」


 桜が女の子を心配そうに見ていると、道行く人々もざわつき始めた。


「俺見てたけど、あの三人組が道幅広がって歩いてたからあの子避けきれなくてぶつかったんだぜ」

「それなのに因縁つけられて可哀想に」


 僕らは一部始終を見ていないから正確なことはわからないけど、どうやらあの三人組と接触してゴタついてるらしい。

 こういう時、魔術使いの立場は弱い。ほんの些細な接触でも相手に怪我をさせる危険があるため、彼らに非があっても彼らの言い分は100%言い掛かりとも言えなくなる。

 これは当人間の問題だし、第三者が首を出す問題じゃないけど、やり方が少々強引だ。


「丁度いい、説明するより、見てもらったほうがわかりやすい」


 僕は集まってきた人たちを手刀を斬りながら掻き分け、両者の間に微笑みながら割って入った。


「はいはい、ちょっとごめんねー」


 唐突に介入してきた僕を訝しげに見る、女の子と青年たち。

 改めて青年たちを見ると一人は髪を金髪に染めていて、一人は軟派な感じの眼鏡、そして痛そうに腕に手を当ててるのはニット帽を被ったサングラス。如何にもチンピラな雰囲気だけど、人を見かけで判断してはいけない。


「あん、なんだお前、この子の連れかなにか? お友達がピンチだから助けに入った的な?」

「それなら丁度いい、キミのお友達、ちょっと僕たちに酷いことをしたんだ。だから責任を取ってもらおうと思ってたところ。助けに来たなら一緒にセキニンとってくれるかな?」


 口調が荒く高圧的な金髪に対し、丁寧な口調ながらニヤニヤしてる眼鏡が擦り寄ってきた。


「いや、僕は彼女とは初対面だ」

「じゃあ、何、『悪い人に絡まれてる女の子かわいそう』って、正義感に駆られちゃったってわけ?」


 腕を労わってたいたニットが馬鹿にした風に笑う。


「別に俺らは悪いことなんかしてねぇぜ。コイツがぶつかってきて、こっちが怪我したんだ。俺たちはひ弱な大衆、対して向こうは凶暴な魔術使いだ、大衆同士だったら、お互いすんませんで終わったかも知れねぇけど」


 我が意を得たりといわんばかりに勝ち誇った表情を見せるニット。


「誰も、キミたちが悪いとも、彼女が悪いとも言ってないでしょ。怪我をした人がいるって聞いたから診に来たんだよ、僕、こう見えてもお医者さんなんで」


 僕は常備している医師免許を見せて、怪我をしたと訴えるニットの前に立つ。


「患部を見せてくれないか? 骨折であった場合、救急車が来るまでに当て木をして形を固定しておかないと筋肉に骨片が刺さって、最悪、腕が変形する危険がある。ほれ、早く」


 これまた常備している応急道具ファーストエイドから、必要な道具を取り出しながら、怪我人を自称する男を手招く。


「ちょっと待て、救急車だと?」

「え、呼んでないの? 駄目だよ、たかだか骨折って甘くみちゃ、しょうがないなぁ、桜、119お願い! さあ、袖捲って」

「いや、いいよ! このくらい、後で自分たちで病院行くから!」


 ニットは頑なに、僕に患部を見せることを拒み、あとの二人もそうだ、そうだと同調する。


「あのねぇ、キミたち、確かに接触事故で相手に怪我をさせてしまったこの子に責任はあるけど、責任を問う前に必要なことがあるだろ? まず被害者の救護、次に通報、そして加害者が未成年の場合、警察立会いのもと責任能力のある保護者へ連絡または連絡先の交換、そして最後に治療費と慰謝料の請求だ。示談交渉をその場で行うのは非常識だ。中立な第三者を交えた上で法律に基づいた妥当な金額を請求すべきだよ」

「事故って、そんな大げさな……」 


 金髪が顔を曇らせる。


「他に何か言い方があるのかい? 二者以上の間で偶発的に起きた損害を伴う事象を、僕は事故としか表現できないが」


 どうやら、彼らはこれだけ騒ぎ立てたくせに警察沙汰は御免らしい。


「悪かった、悪かった、こいつは怪我なんかしてない。だから通報はしないでくれ」

「そう、けど、ちゃんと事故届出しとかないと、後遺症が発症しても責任追及出来なくなるけど良いの?」

「ああ、俺たちにも事情があってね、警察とは関わり合いたくないんだ」


 眼鏡は物分りがいいらしく、金髪とニットも旗色が悪くなったことを察して、足早に去っていった。


「あ、あの、ありがとうございました」


 青年たちが立ち去り、後ろ姿を見送っていると制服の女の子が再び頭を下げていた。


「なんで頭を下げるんだい?」

「え? だって、助けて頂いたから」

「別に、僕は怪我人がいるって聞こえたからやって来ただけのお医者さんだよ。一部始終を見ていたわけじゃないから、どっちが良い悪いか、なんて判断付くわけないし」


 確かに横に広がって歩いていたという青年三人組もマナー違反だし非がある部分もある。けれども、わざとぶつかったかどうかなんて見ていても、わかるものじゃない。

 最初から見ていたという通行人の発言にも必ず主観が入る。

 彼らの格好や言葉遣いから生じる悪印象が知らず知らずのうちに入って認識が歪むため、正確性に欠ける。


「彼らの責任追及の仕方が間違っていたから口を出した部分もあるけどね。背の高い男に囲まれれば誰だって萎縮するし。そもそも、責任能力のない中学生相手に責任云々を持ち出すのもおかしな話だしね」


 まあ、彼らも一見すると大人に見えたけど、もしかしたら大学生とか未成年の可能性もあったから、こういった事故の対処の仕方を知らなかった可能性もあるけど。


「けど、互いに思いもよらない出来事だったとしても、自動車対人間の事故と同じで、魔術使い対大衆の事故の過失割合は魔術使いの方が大きい。ましてや、相手に怪我をさせてしまったとなれば、なおさら責任は重くなる」

「じゃあもし、あの人たちが本当に怪我をしていれば……」

「うん、キミは然るべき手段で彼らに責任を取らなければならなかった。正確にはキミのお父さんお母さん、保護者に当たる人が、だけどね」


 とは言っても、肩が触れる程度の接触事故なら、大きな後遺症も残らない軽い怪我で済むだろうから、誠意を込めて謝れば遺恨が残るようなことはないと思うけど。


「それって、私が、魔術使いだからですか? 私が魔術使いだから、普通の人たちなら、ちょっとしたコトでも、迷惑を掛けてしまうんですか?」


 女の子は涙を滲ませながら、僕に問う。


「そうだ。魔術使いは大衆よりも屈強だ。ゆえに、その身には常に責任が付き纏う、子供でも大人でも、男でも女でも、小さかろうと大きかろと関係ないよ」


 非情かもしれないけど、これが魔術使いの現状だ。

 人魔戦争が終わっても、NNNが出来ても、魔術使いと大衆の生れついた生き物としての差は決して変わらない。

 そして、その差は両者を分かつ絶対的な溝だ。どれだけ学校や国が平等だと謳っても、人々はその違いを肌で感じている。


「魔術使いだって理由で、こんなに生きづらいなら……魔術なんか使えない普通の人に生まれたかった……」


 感極まったのか、女の子は両手で顔を抑え泣き出してしまった。


「えっ! ちょっと、泣かないで!」

「ああーー! 未希が女の子泣かしてるぅーー! いーけないんだ!」


 泣き出した女の子を相手にオロオロしてると、今まで遠巻きに観察していた桜が現れはやし立てる。


「泣かしてないよ……多分……。とりあえず往来でこんなことしてたら迷惑だし、どこかで腰を落ち着けよう」


 泣き止まない女の子を脇に設置されているベンチまで誘導し、なんとか落ち着かせる。


「すいません、取り乱してしまいました」

「いやいや、未希は人の気持ち考えずに理屈で話すからよく人を怒らせちゃうんだ。さすがにあの言い方はないよねー」

「あそこで、気休めを言ったて仕方ないだろ。こればっかりは一生向き合わないと行けないことだからね」


 確かに無神経だったとは思う。けど、魔術使いとして生まれた以上はこの現実からは逃げられない。


「それにしたって言い方ってものがあるよー、相手は中学生の女の子なんだから、もっとボンタンアメのアレに包む様に」

「どうして、ボンタンアメが出てきてオブラートが出てこないんだ……」


 ボンタンアメはともかく、僕は日本人特有の「空気を読む」とか「察する」力が大きく欠如しているというのは、重々承知しているつもりだし、身に着けようと努力はしている。だが如何せん、そういう文化に馴染みがないから結構苦戦している。

 まあ、だからと言って、努力を放棄してしまえば永遠に身につかないので挑戦し続けるしかない。


「ごめんね、僕はどうにも歯に衣着せない言い方しか出来ないらしい。ただキミをいたずらに傷付ける意図があったわけでないことは、わかってもらいたい」

「いえ、私の方こそ、言われてみれば仕方のないことなのに泣き出して、困らせてしまいました」


 泣き止んではくれたけど、まだ女の子は暗い顔をしている。

 泣かせてしまったのは、僕の責任だしなんとかしないと。


「キミ、名前はなんていうのかな?」

「コウメです、小さいに、梅干しの梅です、古臭い名前ですよね」

「いや、とてもいい名前だ。梅は上品で高潔な花とされている。きっとキミにもそうなって欲しいという意味が込められているんじゃないかな」


 それに、丁度いい。カバンからストックしているポップキャンディーを取り出す。


「さすがに梅味は持ってなかったけど、イチゴ味があった」


 包み紙を取ると、透明な赤色をした宝石といっても過言ではない美しさの棒付きの飴が顔を出す。


形成手術Plastik――梅花Pflaume Blume


 パチン、と指を鳴らすと飴は形を変え、一輪の梅の花を咲かせる。


「あなたも魔術使いだったんですか⁉」

「ああ、実はキミの先輩なんだ」


 梅を象った飴を小梅ちゃんに渡し、重要なことを教えておく。


「確かに僕たち魔術使いは多くの責任を抱えて生きていかなきゃいけない。けど、それは釣り合いを取るためでもあるんだ。魔術が使えない代わりに緩い制限の大衆、魔術が使える代わりに少し厳しい制限の魔術使い。この力のせいで縛られているって考えるか、この位の制限でこの力が使えるなら儲けものって考えるか、キミはどっちの方が気楽だい? 僕は後者の方が断然、楽しく生きられると思うな」


 微笑みかける。すると小梅ちゃんは、俯いていた顔を上げて僕の顔を見る。


「普通じゃないって悲観するより、僕らはこんな凄いことが出来るって笑って過ごしていればいいのさ、もちろん迷惑掛けない範囲でだけど」

「フフッ、楽天家なんですね」


 ここで、小梅ちゃんが初めて笑顔を見せてくれた。


「ようやく笑ってくれたね。笑顔は何においても重要なことだ、嫌なことがあっても笑っておけば大抵忘れられる」

「へぇ、未希にしては珍しく根拠のない理屈じゃん」


 実のところ、心理学的に笑顔やポジティブシンキングというものは肉体、精神のコンディションに良い影響を及ぼす。っていう研究結果に基づいての意見だったんだけど、ここは「空気を読んで」黙っておこう。


「とまれ、問題は解決したことだし、僕らは行くよ」

「すいません、お時間を取らせてしまい」


 また小梅ちゃんは頭を下げてしまう。どうやら謝りグセが付いてしまってるらしい。


「気にしないでよ。僕も自分から首を突っ込んだんだし。それじゃあね、小梅ちゃん、新学期会えることを期待してるよ」

「バイバイ、わたしは役に立たなかったけど、学校で会ったらよろしくねー」


 桜が陽気に手を振り、僕らは小梅ちゃんと別れ、日向たちとの待ち合わせ場所に向かうことにした。


「ねぇ、未希、気付いてたの?」


 小梅ちゃんと別れて少しして、桜は声を潜めて僕に確認してきた。


「気付いた、って、小梅ちゃんが得物を忍ばせていたことに、ってこと?」

「なんだ、初めから気付いてたんだ」

「うん、これでも医者なんでね。人を診る目と聴く耳は持っているんだ。人体から聴こえるはずのない金属音が彼女から聴こえたしね」


 具体的には袖の中にクナイ、背中に小太刀サイズの刃物。


「おそらく、彼女はわざと方舟の制服を着て、ああいった、魔術使いを狙った当たり屋を釣ろうとしていたんだろう」

「そんなに大衆が嫌いなのかな」

「多分ね、けど、まだ彼女は未経験だ」

「未希……女の子の経験を勘繰るのはデリカシーに欠けるよ」

「殺人っていうのは、最初とそれ以降ではまるで違うんだ」

「せめて、ツッコミをいれてくれない?」

「下らないことを言うからだよ」


 しょうもない桜のボケをスルーして、話を続けよう。


「どんなに凶悪な思想で殺しを行おうとしても最初は筋肉が萎縮する。特に『これから』って意気込んでる時なんかはね。逆に、どんなに殺人に忌避感を持っていても二度目以降は体が慣れてリラックスした状態でいられる」


 これは決して、一度殺人を犯した人間が殺人に抵抗が無くなる。ということではなく、人間の構造上、未知の体験と既知の体験では精神状態に左右されない身体状態が生まれるという話なので勘違いしないでもらいたい。


「彼女は終始、それこそ青年らが立ち去ったあとも筋肉が強ばったままだった。理由まではわからないが、多少の引け目を抱えたまま犯行に及ぼうとしたんだと思う」


 多分、極度の緊張状態で段取りを間違えてしまって、あんな人目の多い場所で標的と接触してしまったんだろう。だから、強引にことを進めようとしたんだろう。


「それで、結局、未希の仕事って何だったのさ?」

「ええ……僕の活躍を見てもわからなかったの?」

「いえす」


 結構、わかりやすく立ち回ったつもりだったんだけどなぁ。


「争いごとの仲裁、調停、そして、未然に争いを回避するための立会、戦争被災者の救護なんかが僕の所属するNNN第三機関の仕事だよ」

「へー、なんか思ったより現実的だね。悪を裁き正義を貫くこと、とか言うもんかと」


 一体、この子はNNNにどんなイメージを抱いているんだろうか……。


「正義や悪なんて個人次第のものを基準にするわけにはいかないよ。NNNは決して万人の正義の味方ではないし」

「ふーん、難しことはよくわかんないけど、どうして未希はNNNに入ったの?」


 あまりにも突拍子のない質問に、少し面食らう。


「珍しいね、キミがそんなことを聞くなんて」

「だって、未希って普通に医者だけで暮らせそうじゃん。NNNでこの間みたいに危険を犯しながら働く意味もないと思って」


 この位の歳の子供だと、働く=生活するためって公式が真っ先にあるのか。桜はもっと純粋な子だと思ってた。


「別に食べていくために働いてるんじゃないよ、僕は。夢を叶えるために働いてるんだ」

「夢って将来の夢みたいなもの?」

「そう、どうしても叶えたい夢が僕にはあるからね。そのためにNNNが必要だったんだ」

「夢って、どんな?」

「全ての人々の平和と安寧を守ること」


 ちょっと戯けた感じで、僕はいつもの決まり文句を口にした。


「さっきと言ってること矛盾してる……」


 じとっ、とした目で睨まれてしまった。


「だから、まだ僕は夢を追っている道中なのさ、いい歳してなんだけどね」


 待ち合わせ場所のフードコートが見えてきたため、この話はここで終わりと、僕は足を早めた。


 

「わたしからしたら、未希はまだまだ子供みたいなもんだよ」

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