STEP1 秩序の守人

「混入ってレベルじゃないだろ、あの魔女め顔合わせたら真っ先にぶっ殺してやる」


 そんな恨み言をぶつくさ呟きながら、壁に掛けてあった白衣を制服の上から羽織り、自分に充てがわれた執務室から、大量の書類と共にボスのもとに向かう。

 外では冬も終わりに近づいているというのに雪が降り積もり、石壁を伝って暖房も何もない廊下に寒さをもたらす。


 ここは石畳と木組みの家でできた町、ドイツ、ブラウンフェルス。

 田舎町であるが防衛能力に長けた歴史的建造物、ブラウンフェルス城があり、観光地として大変賑わっている町だ。

 どうやったのかは知らないけど、ブラウンフェルス城の一角を、たった七人しかいない我らがNNN第三機関の本部として間借りしている。不思議なことに一度も家賃を請求されたことはない。

 そんな職場で大量の書類の山と格闘していると、内線からボスに呼び出されたので、ついでになぜか紛れ込んでいたボスに回す案件の書類を掻き集め持っていくことにしたのだが……。この時、デスク上の書類の半分以上がボスに回す案件だと気が付き、激しい頭痛と殺意に襲われた。


「アートだ、呼び出されたから来てやったよ。ボス、とりあえず要件の前に首を出しなよ、話は首だけになってから聞いてあげるから」


 所長室ボス部屋の扉を開け放つと、むわっと中の暖められた空気が飛び出てきたので思わず顔を背けてしまう。

 改めて部屋の中を覗くと、豪奢な西洋の壁紙と見事にミスマッチな青々とした畳が敷かれ、真ん中には日本伝統のダメ人間製造機こと『コタツ』が置かれ、そこには、まさにダメ人間を体現した女が和服を来て座椅子に鎮座していた。


 僕らの長はこの城にやって来てすぐに、この部屋を自分の故郷風にしたいと言って、自室を座敷に改造した上に、ここには色んな国の人間がいるのに母国語の日本語を組織の共用語にするほど日本に愛着があるらしい。


「嫌や、わざわざこっから出とうないさかい勝手にこっち来て落としいや」


 相変わらず面倒くさがりな奴、というか首を落とされるのは良いのか……。


「もう良いよ、畳が血で汚れて取り替えなきゃいけなくなるのは面倒だ」


 流石に畳の上を土足で歩く気はないので、入ってすぐのところにある下駄箱に靴を仕舞って小脇に抱えた大量の書類をドサドサっと音を鳴らしながら卓上に落とした。畳の上に日本式の正座をする。


「コタツ入らんの? 温まるで」


 飄々とした態度にキレそうになる。

 そう言ってボスは向かい側を指差すが、僕はこれを丁重に断った。


「ダメ人間になる気はないんで、それで、これ全部アンタの仕事だよ、ボスの証印ないとどうしようもないし、そっちで処理してよ」

「嫌やわぁ、そんなもん持ってこんとってよ、証印やったらアンタの机に入れといたさかい、勝手にやってぇや」

「いつの間にそんな物を……仮にもアンタは僕の上司だろ、少しは威厳を示す意味でも仕事をしたらどうだい」

「そうかっかせんとき、まったく昔はもうちょっと素直で可愛かったのに、今では可愛いのは顔と身長だけやなぁ」

「前に二度とそれを言うなって言ったよね――二度目は無い死んでくれ」


 僕は腰から短剣ナイフを抜いてボスの眉間に向かって全力で投げつけた。


「そんなこと一々気にしなや、それより肝心な用件なんやけど」


 結構なスピードで飛来するナイフを鬱陶しい蚊を叩くかのように、軽く扇子で打ち払い、何事も無かったかのように話を続けるボス。


「アート=テイル、アンタにご指名の依頼や。日本に出張やで」


 また仕事を増やすのかと思い、もう一本投げてやろうかと思って腰に伸ばしていた手が「日本」という単語を聞いて動きを止める。


「依頼主は紅葉か?」

「少なくともウチは今時直筆の手紙で依頼してくる奴をあの男以外に知らんわ」


 そう言いながらボスは懐から四つ折りにされた紙と写真を取り出し僕に中身を見せた。


「依頼内容は要人警護か、って何?『葵 日向ひなた』って自分の息子じゃないか」


 カメラに気づいていない様子の、まだ幼いと言ってもいいような天パをした、日本人にしては色白が目立つ肌をした少年がどうやら『葵 日向』らしい。


「なんや彼、アメリカに転勤になったさかい、日本に置いていく息子を信頼できる人間に任せたいらしいんよ」


 そういえば、この間出世したって報告しに来てたな。


「けど、なんでわざわざドイツにいる僕に? 信頼できる人間なら日本にもいっぱいいるだろうに、そもそも心配なら連れていけばいいのに」

「その子、どうやら体が弱いらしくてな、激しい環境の変化はまずアウトなんやって、で、今は滋賀の石山で療養中、やけどあんま良うなってへんみたいやねん」


 そこで僕は自分が羽織っている物を確認して合点がいった。


了解Einverstanden、確かにこの件は僕が適任のようだね。この子の護衛と健康管理が僕の仕事ってことで良いんだね」

「そうや、まあアンタの了承があろうとなかろうと、もう飛行機のチケットとパスポートは用意とるさかい、行くのは決まっとんやけどね」


 もう、何も言うまい。

 とりあえず手渡されたパスポートを確認すると日本のパスポートで、名前も生年月日も現住所までもが嘘っぱちのでっち上げだった。

 しかし、特に驚くことはない、これが僕たち、第三機関の普通だ。

 そもそもアート=テイルなんて名前も仮名だし、色んな国に飛ばされる僕らは頻繁にその存在を変える、名前も実年齢も国籍すらも、ここでは意味を成さない。

 今回は日本人とドイツ人のハーフという形で行くらしい、名前の欄には姓/SHIRAYUKI 名/MIKI サイン欄には偽装した僕の筆跡で『白雪 未希』と書かれていた。別に先に言ってくれてたらこのくらい自分で書くのに。

 年齢は生年月日から十五歳ということがわかる。まあ、見えないこともないけどさ。

 顔写真はいつ撮影したか写真だろうか、相変わらず覇気の無い目に長ったらしい銀灰色アッシュブロンドの髪を一つに結んでいる僕が写っている。


「期間は日向くんが成人するまでやから、七年くらいの滞在になると思うで」

「まあ、いいさ、もとより後数年すれば行く必要があったんだし、多少予定が前倒しになったと思えばいい。それに彼には借りがある、いつ返そうかって思ってたし丁度良い機会だ」


 書類を一枚一枚確認していると、医者としていくなら必要なものが一つ無い。


「肝心なこと忘れてるよボス」

「わかってるってこれやろ」


 ボスは依頼書と同じように懐から僕が望んでいるものを取り出した。


「白雪未希verの医師免許、これで向こうでちゃんと医者名乗れるで、他に必要なもんはもう用意してあるさかい」

「わかった、じゃあ出発までに支度しとくよ、とりあえず今日は戻ってデスクの上の紙束をなんとかしないと」

「何言うとん、チケット良う見いや」

「え?」


 パスポートとともに手渡された飛行機のチケットを確認する、フランクフルト空港から大阪国際空港と大きく書かれているのを確認し、順に読んでいくと……。


「あのさ、ボス、なんで日付が今日で十六時の便になってんの?」

「実は準備したんはいいんやけど今日までアンタに伝えんの忘れててん、堪忍やで」


 とっさに胸ポケットに入れてる懐中時計で現在時刻を確認すると、もう正午を指している。

 ここから空港まで車で一時間はかかるぞ!


「今すぐ帰って準備してくる! ボスのバーカ! 三時間で海外出張の支度とか何考えてるんだよ!」

「大丈夫やて、パ○ーは十秒で天空に旅立つ準備したし」

「一切れのパンとナイフとランプをカバンに詰め込んだだけだろ!」


 それにこっちは換金もしないといけないし、あと医療器具を税関通さなきゃだし、三時間どころか二時間で準備しても間に合うかわかんないぞ。

 こうしたボスのわけわからん嫌がらせは今に始まったことじゃないけど、毎度毎度いい迷惑だ。


「ったく、一時間で支度する、誰かに車を回させて」


 大慌てで準備すべく、所長室を後にしようとするとボスは僕を呼び止めた。


「日本やし危険も少ないやろうけど、あくまでも仕事ってことを忘れんときや」

「当然、なんで僕がわざわざキミの下に付いてまでNNNにいるか解って言ってるのかい? 《嘘吐きの魔女ギフト》」

「忘れてへん、っていうか、アンタ口癖かってくらい、いつも言うとるやん」


 そんなに口にしていただろうか、思い返すと、ことあるごとに言ってたような気がする。


「そうだね、全ては人々の平和と安寧のために、だから仕事でなくても困ってる人がいるなら手を差し伸べるよ」

「前言撤回やな、性格は多少捻くれたけど、アンタは何も変わってへん、《夢を描く者アート=テイル》名前のまんまやでホンマに」


 何を当然のことを、僕には初めからそれしかないのだから。


……………


「そんなアンタに、ぴったりな名前やと思うで

未希――『未だのぞみかなわず』なんてなぁ」

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