気がつけば、僕が日本にやって来て三年の時が過ぎていた。

 楽しい時間、というものは濃密でありながらも、秒針のように早く過ぎていってしまう。

 そして、一つの区切りを迎えるまで、周りの針もゆっくりと動いていることに気が付かないのだと、僕はこの節目に気付かされたのだった。



「あのさぁ、桜、まだ待ち合わせの二十分も前なんだけど」


 ドイツと違い三月の末にもなると日本は春らしい程よい暖かさを迎えていた。

 石山寺近くに構えた、琵琶湖から大阪湾まで流れるという瀬田川を望む僕の診療所前には、日頃中学のジャージ姿の春原 桜が珍しくよそ行きの装いで着飾って、わくわく気分で飛び跳ねていた。


「だってだって、じっちゃんが珍しく外に食べ連れてってくれるんだよ! 楽しみに決まってんじゃん! うぉっ、何すんのさ」


 しっぽを振ってる犬っぽいな。

 僕はつい、近づいてくる桜の頭に背伸びしながら手を伸ばし頭をなで繰り回してしまう、すると、ただでさえ癖が強い髪がより激しく乱れる。

 なんというか桜の髪は癖が強いんだけど髪質自体は柔らかいからふわふわしていて無性に触りたくなる、どこか獣っぽさがある。


「わしゃわしゃしないでよー、ただでさえ跳ね放題で大変なんだからー」


 歳のわりに大きめサイズの少女は僕を軽々と持ち上げ、頭から引き剥がす。ああ、気持ちよかったのに残念だ。


「何やってんのよ? アンタたち」


 そんな感じで桜とじゃれてると、見慣れたナチュラルダークブラウンの長い髪の可愛い女の子と、その可愛い子を引き連れた無愛想な筋肉質の長身痩躯天パ男の凸凹コンビがやってきた。あんま他人のことも言えないけど……。


「待たせたな、花蓮の迎えに行っていたら遅くなった」


 凸凹の凸の方は年相応、見た目不相応の思春期の少年の声で僕に頭を下げた。


「女の子は準備に時間がかかるものなの! 襟付きのシャツにジャケットとジーパンだけでいい男の子と違って」


 凸凹の凹の方、七夕 花蓮はムッとした顔で大っきい方を睨む。


「昔はもっと小さくて可愛かったのに……花蓮と揃って双子見たいで微笑ましかったのに……」


 時間とは残酷なものだと、喜ぶべき子供の成長を見てしみじみ思う。

 白くか細い、『薄幸の美少年』という称号が相応しかった頃から、三年、背は僕を悠々と追い越し、肌は日に焼け、黒かった髪はビシビシに傷んで赤茶けてしまっていた。


「コイツがこうなった原因が何言ってんのよ」


 花蓮の言うとおり、僕が張り切って、この少年、葵 日向の身体の治療に乗り出したがゆえに、弱かった身体は見る影もなくなり健康な体を手にした日向は、彼の祖父により仏道修行という名の肉体改造を施されてしまったのだ。


「当時の姿のままフリーズドライにでもしておけばよかった」

「狂気じみてるな、おい」


 ニコリとも、苦い顔もせず、淡々とした口調で感情の読みにくいツッコミだった。


「はは、本気ならとっくにやってるさ、それにしても、まだ待ち合わせの二十分前だっつてんのに、君たち早いよね」


 いくら時間に忠実で、五分前行動が見に染み付いている日本人だからといっても、いささか早すぎる気がする。

 桜に関しては朝から診療所に僕の髪を結わえに来ていた。


「だって、あのお祖父様が遠方に遊びに連れて行ってくれるのよ、楽しみじゃないわけないじゃない」


 さっき桜も同じこと言ってた。

 特にそのことに異論は無いようで、相変わらず読みにくい表情ではあるが、今日と言う日を日向も楽しみにしていたようだ。

 幹事を務めた身としては、参加者が楽しみにしてくれるのは悪い気がしない。


「にしても、祖父ちゃん遅ぇな」

「いやいや、キミたちが早過ぎるんだよ、あのパワフル爺さんだって、もう歳だろうしゆっくりしたいだろうさ」


 日向がまだ十五分前だというのに、待ち合わせに来ない待ち人を、今か今かと待ちわびる。


「どうかしらね、お祖父様のことだしきっと――」


 花蓮が続きを言う前に、豪快な運転のミニバンが寺の方からやってきて僕らの目の前に急停止した。


「待たせたな! 少し準備に手間取ってしまった、はっはっはっ!」


 太陽もかくやとばかりの笑顔と、老いを感じさせない張りのある大きな声で車から降りてくる六十歳児、葵家先代当主、葵 瀧貴。

 ここにいる誰よりも今日を楽しみにしていたようで、幼心がにじみ出ている愛らしい老人であるが、かつてはNNN第二機関最強と名高い活躍を見せていたというから、時間の流れの不思議を改めて思い知らされる。


「大丈夫ですよ瀧貴さん、まだ約束の時間じゃないですし」

「そうは言ってもだな先生、我が家では常に二十から三十分くらいは余裕をもって行動しろという教えがあってだな」


 思ったよりふわっとした感じの教えだった。


「それに、出発前に一言、言っておくことがあるしな、そのためにも少し早めに集まったほうが良かろうと思ってな」


 そう言えばそうだった。僕は瀧貴さんの隣に行き、三人の中学生と向かい合う。


「三人とも高校受験お疲れ様」

「そして合格おめでとう、三人ともよく頑張ったな、お祖父ちゃんうれしいぞ!」


 そう、今日は仲良し三人組の高校合格祝いなのだ。

 この春から三人は近くの地元の県立高校に通うことになる。その高校は滋賀では上位に食い込む進学校で花蓮は学力的に問題なかったけど、日向と桜は難しかったからとにかくこの一年、僕と花蓮が協力して勉強に励み見事合格を掴み取ったわけだ。

 そこで瀧貴さん頑張った三人を労うために、今日の遠出を企画したのだ。


「当然です、私が勉強を教えたんですから、合格してもらわなければ困ります」

「へへ、ホントにありがとーねー、未希、花蓮ちゃん、おじいちゃんも今日はありがとー」

「ええい、抱きつくな桜、アンタは加減を知らないんだから」


 嬉しそうに飛びつく桜に迷惑そうにする花蓮だが、少し照れて顔を赤らめている、満更でもないらしい。


「本当にありがとうドクター、正直理数系科目は訳わからんかったけど、お前が根気よく教えてくれたからな。これからもあいつらと一緒に学校に通える」

「別に花蓮なら目標を落としてでもキミたちと一緒のとこ受けたんじゃないの、あの子もキミたちと一緒に学生生活を送りたいだろうし」

「そんなんで一緒にいれても意味ねぇよ、俺は堂々と胸張ってアイツの隣に並んでいたいだけだ……なにニヤニヤしてんだよ」

「ふふん、別にー」


 無意識なんだろうけど日向が『アイツら』じゃなくて『アイツ』って言ってしまっているのは、やっぱり花蓮に憧憬ないし慕情の気持ちがあるからなんだろう、正直に好きだからと言えない思春期してる姿は初々しいのー、と老婆心のようなものが芽生えそうになる。


「それではお前たち、車に乗りなさい。目的地は近江牛の食べ放題! 吐くほど食えよ育ち盛り共!」


 溢れ出る若さを存分に振りまいて張り切る瀧貴さん、というか牛肉食べ放題って非殺生の教えとは一体……。

 まあいいか、皆楽しそうだし、僕も今日は存分に楽しむとしよう。



 日が傾き始め窓から見える琵琶湖の水面は茜色に輝いていた。

 うっかり瀧貴さんが飲酒してしまったので、ペーパーの僕が帰り道の運転を任されてしまった。慣れない右ハンドルは疲れるけど、こうして琵琶湖が展望できるのは役得かな。

 後ろでは三人ともお腹がいっぱいになったからか寝息を立てている。


「悪いな先生、どうにも羽目を外しすぎちまった」


 助手席の瀧貴さんは、ほろ酔いの赤みがかった顔で恥ずかしそうに頭をかいて僕に謝った。


「いえ気にしないでください、ご馳走していただいたんだし、このくらいはさせてください、それにわざわざ僕まで誘ってくださってありがとうございます」

「何を言う、キミのおかげで今の日向があり、この三人が結びついた、こちらこそキミに感謝すべきだ、白雪……いや、Dr.アート」

「僕は何も。ただ彼に恩を返してるだけです。それに病気で苦しんでる人を笑顔にするのは医者の本分ですから」


 バックミラー越しに見える三人の安らかな寝顔を見るだけで、自分のしてきたことが報われた気分になる。


「彼らを見てると、ほんの少し前までこの国が混乱の最中にあったなんて信じられませんね。それゆえにもう二度とあのような社会にはさせないと、是が非でもこの安寧の日々を守りたいと改めて思います」

「そうだな。子供たちが安心して大人になり、魔術使いの名門だとかNNNだとか関係なく平和な生活を送ってくれる、それ以上の幸福があるだろうか」


 お酒が入ってるからだろうか、いつもよりしんみりとした語り口調だ。


「その幸せをちゃんと目に焼き付けるためにも、ちゃんと長生きしてくださいね。僕の望む未来の額縁にはアナタも入ってなければ――きっと僕は笑えない」

「心配せんでも向こう十年は健康でいられるわ。孫たちの笑顔がわしの活力の源だからな!」


 そう語る瀧貴さんは葵家のご隠居でも元NNN最強でもなく、ただ孫を慈しむだけのどこにでもいる老人の姿をしていた。

 僕はこんな無数にある小さな日常を、これからも守っていきたい。


 それから、瀧貴さんも気が抜けたのか目を閉じて静かに寝息を立て始めた。

 僕はカーオーディオから静かに流れるジャズをBGMに帰路を走らせた。


「花蓮起きて、着いたよ」


 すっかり日が暮れた頃に山中の寺よりも住宅地によった七夕家に無事辿り着いたため、花蓮を揺すり起こした。


「もう着いたの。ああもう肩が重い。寄りかからないでっていつも言ってるでしょ、さく……ら」


 まだ眠たいようで目を擦りながら花蓮は起き上がると、その肩に寄りかかるものを見て硬直した。


「ちょ、ちょっと、なんで日向コイツが寄りかかってるのよ」


 最初は桜が花蓮の隣に座っていたが、花蓮が寝てしまってから僕の慣れない運転のせいで酔ってしまった桜は日向に最後部の席を譲ってもらったのだ。そのため花蓮の隣には日向が座ることになり、日向も眠ってしまったことで寄り添うような形になったというわけだ。

 日向の顔が目と鼻の先にあることに気がついた花蓮は一瞬にして覚醒し、車から飛び降りた。


「日向は寝てるんだから、どうせなら少しくらいイタズラしてもバレやしないのに勿体無い」


「うっさい! 急にあ、あんな近くに顔があったら、誰だって驚くわよ、それにイタズラってなによ! 寝てるときにしたって意味な……」


 顔を真っ赤にして捲くし立てるが、終盤自分で墓穴を掘ってることに気づいた花蓮はどうにも収まりつかなくなりその場に蹲ってしまった。


「まあまあ、これでも僕は応援してるんだよ、なんとも煮え切らないキミと日向の関係を」


 見てて楽しいし、あと寺の連中とどっちが先に告白するかで賭けをしてるし。

 傍から見れば二人はどっからどうみても両思いなのに、照れからかどっちもあと一歩踏み込めていない。寺の連中と僕は二人が悶々としているのを見守るのが楽しみとなっているのだ。


「見てる分には気楽でいいでしょうけどね、私からしたら頭痛の種なのよ、家が決めた許婚ではあるけど純粋に私はアイツのことがす、好き、だ、けどなんか許婚ってのが誠実さに欠ける気するし、なんだかんだいっても従兄妹だし」

「はいはい、恋愛相談はまた今度付き合ってあげるから、立って歩きなさい。僕はこのあと酔っ払いとデカイの二人を送り届けなきゃなんだから」


 うじうじし始めてちょっと面倒くさくなってきたので、さっさと帰るよう促す。


「ああ、むかつく、アンタのこともそういう風にいじれたら気晴らしになるのに!」

「叫ばない叫ばない、もう夜だから」


 七夕宅の玄関まで花蓮が辿り着いたのを確認して僕は車に戻る。花蓮には悪いけど、僕は花蓮や日向みたいに面白い恋愛は出来ないかな。そもそも、僕はもう二度と恋をしないだろうから、いじって気晴らしは無理だろうね。

 再び車を発進させ石山寺まで走らせる、診療所と石山寺は距離なんてあってないようなものだし寺に車を置いたら僕は徒歩で診療所に帰ることになる。

 五分ほど走ると寺の門が見えてきた。県内だけどちょっとした遠出だったから少し疲れた、帰ったらすぐに寝よう、風呂は朝にでも入ればいいし。


「っ!?」


 などと考えていると突然人影が車道に飛び出してきた。慌ててブレーキを踏み込み激しいスキール音とともに、なんとかぎりぎり人影にぶつかる前に止まれた。


「だっ! 痛ぇ……なんだいきなり!?」

「もう着いたのー?」


 急ブレーキの影響で日向は前の座席に顔をぶつけ、桜はシートから転げ落ちたようだ。

 瀧貴さんは何処にもぶつかることは無かったけど衝撃で目が覚めたみたいだ。


「いや、人が飛び出してきたから急ブレーキを踏んだんだ」


 ちょっと待て、歩道には誰も歩いていなかった。つまり飛び出してきたのは寺の敷地からっていうことになる。こんな時間に寺にいるのは修行僧くらいしかいない。

 だが、車のライトに照らされた人物はとてもではないが坊主には見えない。

 お世辞にも趣味が良いとは言えない蛇を彷彿とさせる深緑の鱗柄のパーカーを着込み、フードを目深に被っているため人相まではわからないがこれまた趣味の悪いどぎつい赤色に染められた髪がフードの中からはみ出している。肩幅やぱっとみた体格から男性であることが伺える。

 そんな派手な見た目に注目していたが、よく見てみるとその手には何かが握られていた。


「日向と桜はここに残っていて。瀧貴さん」

「わかっておる、さっきから妙な胸騒ぎがする」


 車のライトをつけたまま僕と瀧貴さんは車をおり、フードの男と対峙した。


「あんた、なんで寺から飛び出してきた、参拝客って感じじゃないよな、うちの閉門は四時半だし、なにより神も仏も信じてねぇって雰囲気がにじみ出てやがる」

「飛び出してきたっていうよりかは、僕らを待っていたって感じですかね、その手に握ってるもの的に」


 フードの男がその手に握っているものは刀、それもべっとりと赤いモノが滴っている。


「元第二機関の《蒼龍》と第三機関の《不死鳥》か」


 フードの中から聞こえてきたのは、何か機械を使っているのか、ノイズ交じりの合成されたくぐもった声だった。


「その恥ずかしい二つ名はともかく、僕を知ってるのか、キミは一体何者だい?」

「確かにそれも気になるところだが、俺としちゃあ一番気になるのは、その刀に付いている血はなんだ?」


 瀧貴さんは冷静な口調とは裏腹に目の奥に滾らせている感情が見えた。


「そのような瑣末事、一々答えるまでもないだろう、それとも一々こう言えば満足か? 蒼龍、貴様の門下は皆我が刃の錆になった、と」


 フードの男は機械的な調子でありながら、挑発するような物言いで瀧貴さんの神経を逆撫でする。


「解せんな、お前一人で薊流の門下生を全員殺したってか、そういう下らん冗談は寿命を縮めるだけだぜ」

「試してみるか蒼龍、この俺の実力を」


 フード男は刀を片手正眼に構えると瀧貴さんの懐に飛び込み、突きを繰り出した。


「瀧貴さん!」

「ふんっ! 青二才がっ!」


 瀧貴さんは突き出された刃を掴み取り、そのまま自らの体に引き寄せ相手の勢いを利用し顔面を殴り飛ばした。

 男は僅かに血を撒き散らしながら大きく弧を画いて吹き飛ばされアスファルトに叩きつけられる。

 大きく飛ばされた男は叫び声を上げるでもなく、そのまま跪いて顔を抑えて無様に唸っていた、多分音の感じから今の一撃で鼻柱が折れたんだろう、可愛そうに怪我の大きさ次第では二度と元の鼻の形には戻らないだろう。


「ただの老いぼれた隠居とでも思ったか? 確かに多少現役時代に比べると老いを感じずにはいられんが、生憎、習慣とは中々抜けないものでな、現役時代と変わらぬメニューで身体を鍛えておる。タイミングが悪かったな、もっと年老いてから来ていれば楽に殺せたものを」

「それでは意味が無い、ただの老いぼれを殺すのと、今だ最強の力をまだその身に宿している貴様を殺すのとでは、その価値がまるで違う……!」


 跪いていた男は顔を上げ隠れている双眸で瀧貴さんを睨みつける。


「『タイミングが悪かった?』むしろベストタイミングだ、俺の、俺たちの力を見せ付けるのに打ってつけの相手だ」


 男は片膝をつきながら立ち上がり、改めて瀧貴さんを見据えて吼える。


「我らは『黄金の環』! 偽りの秩序を敷く太陽を喰らい、真の平和をもたらす月光なりィ!」


 そう叫ぶように男は左手の甲に刻まれた刺青と親指にはめられた象徴的な黄金の指輪を示しながら、僕にとって忘れたくても忘れられない名前を宣言した。


「黄金の環だって?」


 かつて、この国だけでなく世界中を混沌に陥れた史上最悪の魔術使いテロ集団『黄金の環』、数年前NNNによって壊滅したはずの過去の存在。

 『黄金の環』とは魔術使いこそが完成された人間であるとした魔術使い本位主義の集団で、大衆と魔術使いの融和を望む国家や国連、NNNほか魔術組織と対立。度重なるテロ行為を行い多くの死者を出したがNNNによって首謀者が討たれ、勢いを失い幹部が全員捕らえられ壊滅した。


「先達の名を騙るか、如何にも小物のすることだな」


 瀧貴さんの言うとおり、これまでも黄金の環を名乗り蜂起した連中がいた。どれも、黄金の環の思想に影響された右翼だったりネームバリューを利用しようとしたりといった小物ばかりだったけど、今回ばかりは嫌な予感がする、特にあの黄金の指輪。


「そこらの有象無象と一緒にしないでもらおう。我々こそが真にかの黄金の環の系譜を受け継ぐものなのだから」


 黄金の環を名乗る男の指輪が金色に発光する。

 僕はまさかと思い、その指輪を『解析』しようと目を見開く、そして、最悪の予想が確信に変わる。


「瀧貴さん、あの指輪、魔力反応が高過ぎて解析しきれません」

「ということは、アレは……」

「ええ、魔導具レガシーアーツです」


 『魔導具』、太古の時代の失われた技術によって作られた、自ら魔力を生み出し、術を構築する別名『生きた兵器』『魔法の化身』、世界中で確認されている魔導具の数は二十、仕組みは解明できず唯一つわかっていることは、それぞれ魔導具は個別の魔力波形があること。


「しかも、あの波形、間違いない魔導具登録No.20固体識別名『一つの指輪ザ・ワン』、黄金の環のシンボルです」

「マジかよ……」


 魔導具は現存している伝説上に存在した聖剣や魔法の道具がほとんどだが、中には正式名称がわからないものも存在する。そういった時はその魔導具のイメージに近い伝説、伝承、物語から名前を借りてくることが通例となっている。所有者死亡後に魔導具として登録されたあの指輪は正式名称がわからなかったため、ファンタジー小説『指輪物語』に登場する指輪から『一つの指輪』と名づけられた。

 『一つの指輪』は原作小説ほど万能ではないが他の魔導具が尖がってる性能のものばかりなのに対し、極めて汎用性が高く装着者の身体能力、魔術性能を底上げするといったシンプルな性能であり、これといったデメリットもない、それゆえに力が目に見えてわかりやすいため多くの人を魅了する。装着者を選ばないのも特徴の一つといえる。


「さっきの一撃はアンタが衰えていないことを確認するためだ、簡単に殺せるようならコイツの力を証明できないからな」

「つまりキミの目的は指輪の力の誇示といったところか」

「察しがいいな不死鳥、その通りだ、今からそこにいる蒼龍を討ち、我々の力を貴様らNNNに! 世界に! 知らしめる!」


 なるほど襲撃の目的はわかった。


「なら、その目的に直接的な関係のない修行僧を皆殺しにする理由はどこにあった」

「理由ならある、第二機関いやNNN全体を見ても葵家、もとい薊流は我々にとって脅威だ、だから葵家の本山を潰しておくのは道理だろう、現当主がいないのは残念だが可能性の種を潰しておくに越したことはない」


 一定の距離を保ったまま男は解せないといった様子で言葉を繋いだ。


「そんなことを聞いてどうする不死鳥、自分で言うのもなんだが、俺は大量に人を殺した。どんな理由があれどそれに違いは無い、であれば貴様はNNNとして俺を捕らえるか討伐する職務、いや義務が発生するはずだ、この問答に意味など無い」

「社会を武力で変えようとし、武力に意味を込めている人間の言葉とは思えないな。意味ならあるさ、僕の少しだけ気持ちが落ち着く、意味のない殺人ほど僕の心を蝕むものはないからね、少なくとも私怨で動くことがなくなる、キミはキミなりにの正義を持って行ったなら、僕は相反する正義をもってキミを捕らえるだけだ」

「怒りはないのか? この俺に、ここの者たちは知り合いだったのだろ」

「当然怒ってる、どんな目的があったとしても彼らを殺した事実は変わらないし殺しを肯定する気もないよ、けどそれを行動原理としてしまってはただの復讐鬼だ。怒りは効率のいい燃料くらいに構えておかないと冷静でいられなくなる。言っただろう、これは僕の気持ちの問題だって」


 アイツの話を聞く限り、第一目的は瀧貴さんの撃破、次点に葵宗家の壊滅があるらしい。


「所詮は合理主義のドイツ人、感情さえも道具とするか。まあいい、そんなことよりあんまり長い間放置していたからか、鴨がのこのこと出てきてしまったぞ」

「おい、今のはどういうことだ? 蛇野郎、寺の人間を皆殺しにしただと!?」

「日向ッ!?」


 振り向くと車で待たせていた日向と桜がいた。

 時間を掛けすぎてしまった。相手がテロリストだと判明した時点で少なくとも日向と桜だけでも避難させておくべきだった。

 いつから聞いてたかわからないけど、一番聞かれたらまずいことを聞かれてたようだ。表情こそ普段と変わらないけど、頭に血が上ってる。今にも殴りかかりかねない。

 アイツの目的に葵宗家の壊滅があるなら、直系の日向も当然標的になる。それなりに剣術の研鑽を重ねてきたとは言え、魔導具持ちに日向が太刀打ちできる訳がない。


「聞かれていたか、くくっ。ああそうだ、葵の御曹司、俺は正しき世界を作るために貴様らを皆殺しにする。無論、貴様もそこにいる貴様の祖父も殺す」


 男は日向の体質を知ってか知らずか(多分襲撃の際のリサーチで知っている可能性が高い)挑発して焚きつける。


「その前に、お前が死ね。安心しろ、これでも念仏を諳んじれる、直ぐに唱えてやるから迷わず地獄に導いてやる!」

 

 日向の顔は紅潮しはじめ、息が上がり始める。とりあえず撤退させて頭を冷さないと、あの男に殺される前にまずいことになる。


「先生、桜、日向をつれて車でこの場から脱出を」

「逃がすと思っているのか?」

「俺だって逃げる気なんざ……さらさらねぇよ」


 男は第一目標を日向に変え、先ほど瀧貴さんに向けて放った突きよりも格段に早い速度で斬り込む。それに丸腰の癖に無謀にも日向は立ち向かおうとする。


「さっきも思ったけどよ、刀握ってるくせに丸腰の相手に切りつけるって剣士としてどうなのよ」


 斬り付けられた刃は凄まじい足運びにより間に割って入った瀧貴さんの拳により阻まれ、飛び出そうとしていた日向は桜により押さえ込まれていた。


「祖父ちゃん……! 桜! 邪魔……すんな、俺が殺す! こいつを! 今ここで!」


 護衛として完璧な仕事をこなした桜に組み伏せられて、身動き取れない日向は威勢はいいが体調が悪化して消耗しているようでまともに動けなくなっている。


「丸腰な上に足元ふらつかせてる奴を止めないほうがどうかしてるって……ここはお祖父ちゃんに任せて逃げるの、わたしだって頭にきてるけど、実力が見合わないことくらいわかるよ」


 怒りで思考が単純化している日向に対し、落ち着いている桜は呆れた様子で日向を宥める。


「でかした桜、そのまま車に担ぎ込んで!」


 瀧貴さんが男の相手をしている間に桜が自身より図体のでかい日向を軽々と車に担ぎ込んだ。


「瀧貴さん、ここは僕が残ります。この時間帯なら僕でも戦えます、日向のためにせめてアナタだけでも」

「身を案じてくれてるのはありがたいが、いくら夜帯でも正直、先生じゃ瞬殺だ、時間稼ぎにもならない」


 普段は厳しくも優しい瀧貴さんも子供の命が掛かっているとなると、結構ばっさり言ってくる。

 悲しいことに落ち着いて実力を鑑みると、死ぬことは無くても五分持たせられるかどうか。


「安心してくれ先生、まだまだ未熟な孫のためにも、こんなとこで死ねん、それに一度言ってみたかったんだ、ここは俺に任せて先に行け、ってな」


 指輪の力を行使して猛攻を続ける男を裸の拳でいなしつつ、車の傍に寄せ付けないよう立ち回る瀧貴さんは流石と言える、心苦しいけど、心配はないだろう。


「すいません、どうかご健闘を」


 最後にそう告げ僕は車に乗り込むと桜に警察とNNNに通報を頼み、出来る限り人目の付く街中まで車を走らせる。


「くそっ! なんで二人も止めた! アイツは俺たちの仲間を、家族を殺したんだろ!」


 後部座席に放り込まれた日向は激しく体力を消耗しているようで、起き上がれないままでいた。


「怒りに任せて実力を見誤るな、少なくともアイツはキミより腕の立つ他の修行僧を皆殺しに出来る実力がある、ただでさえ頭に血が上って本調子じゃないキミが立ち向かったところ無様に死ぬだけだ」


 日向がこの地で療養している理由は、単に病弱であるだけでないことは、最初の診察で知った。

 葵家の源流、薊が繁栄したのは、魔術使いの名家に受け継がれる『唯一の個性レッドベリル』と呼ばれている特異体質、その一つ、『無念無想』を日向はその身に宿している。

 感情が起こす脳の活動、そのエネルギーを魔力に変換する。簡単に言えば感情の動きがそのまま力に変えることが出来る。

 日向は生まれつき無念夢想の制御が上手くできず、ほとんどの感情を魔力変換に持っていかれるため、日常生活で得られる様々な感情が希薄になるだけでなく、過剰生産される魔力により適度に放出をしないとすぐに発熱してしまう。

 生来の病弱さも相まって、ちょっとした環境の変化や人との交流で調子を崩していたため、昔は寺の一室に隔離されて療養していた。

 三年間の療養で体も丈夫になり、ある程度の制御は出来るようになってはいるけど、未だに激しい感情、特に怒りに関しては自制が効かず今回みたいにオーバーヒートしてしまうことが多い。


「何も怒るなと言ってるんじゃない、ただそれが行動の目的になってしまうのは避けて欲しい、そんなことは非生産的で合理的じゃない」

「俺は……アンタみたいにそこまで割り切れない」


 かけがえの無い家族を亡くしたばかりの少年にこのようなことを言うのは酷だろう。つい先日まで中学校に通っていた未熟な少年だというのだからなおさらだ。


「わかってる、わかってるんだよ、アイツをぶっ殺しても、何が返ってくるわけでもない、俺の手元には何も残らない。けど、どうにも熱が冷めない……!」

「一発だ。殺すのは許可しない。全く釣り合ってないけど、罪科は法が定め、法によって行使されなければならない、だから、君はそれで飲み込んでくれ」

「…………わかった」


 納得いかないといった様子だけど、不承不承ながら頷いてくれた。

 ただどうしても拭えない不安があった。確かに『一つの指輪』は強力な魔導具だ。しかし、そんなもので強化ドーピングしたところで、自力の差が埋まるほど第二機関の蒼龍は甘くない、そんなことはアイツも戦人ならわかっているはずだ。それなのに、何故アイツはあんなにも余裕を持っていたんだ。

 この不安が杞憂に終わってくれることを望みながら、僕らは七夕家に転がりこみ、事情を説明して一晩泊めてもらうことにした。

 そして、翌日早朝、NNNから石山寺の敷地内に合計十二名の斬殺死体を確認したという連絡が入った。

 十二、日向と桜を除いた石山寺で生活する人々の数と合致する。つまり第二機関元所長、そして、葵日向並びに七夕花蓮の祖父である葵瀧貴の死体も確認されたということだ。

 そして、あのフードの男はわざわざ捜査に来た警察とNNNの所員の前に現れて、「蒼龍征伐」と「黄金の環完全復活」を告げてその場を去っていったという。 

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