青い瞳と徒桜
双星たかはる
青い瞳と徒桜
「こんにちは」
「……えっ?」
振り返ると、黒い髪のしたに、異国の色の瞳。
ぎやまん、という単語が脳裏に浮かんだ。
歳のころは十代半ばといったところか。
「ずっとあなたを見ていたんです」
「……」
にこやかに言われても返答に困り、白装束の男は当惑しながら見つめ返した。
「おまえはどうしてここにいるんだ」
単刀直入に問うてみる。
友弥と名乗る少年の笑みは、やや曖昧になった。
「近所に住んでいるので。あなたもそうでしょう?」
「まあ、そんな感じだ」
古びた神社の、咲き始めの桜のしたで。
これが、ふたりの出会いだった。
友弥は今日も現れたので、暇なのか、と男は言う。
そんなところです、と答えが返った。
風がまだ少し寒い。
「あなたは寒くないんですか? ぼくはちょっと寒い……かな。ふだんはあったかいところにいるから」
「そうか」
「あの、神主さん、じゃないですよね。桜の精?」
「……ただのつまらん者だよ」
それにしては衣装に違和感があった。これはまるで……
「ぼくの目のこと、聞かないんですね」
友弥は話題を変え、見開いた目でみあげる。
「生まれたときから青いんです。瞳だけ色素が薄いんだとか。原理は海外の人とおなじですよ。日本人にもたまにいるそうです」
たまーに、と繰り返して続ける。
「じろじろ見られることに、いつまでも慣れなくて」
それはそうだろう、と男は思ってしまった。こんなに美しい瞳では、この世界は生きにくかろう。
「変わっているのはぼくのほうだから、仕方ないんですけどね」
「そんなことはない」
つい力が入ってしまった。ぎやまんの瞳は、一瞬揺らいだ。
ありがとうございます、とだけ友弥は言った。
こうして、ふたりは桜のしたで毎日会った。花は、八分咲きになっていた。
くすっと、少女のように笑う。
「ぼくたちの秘密基地みたいですね、ここ」
見まわすが、誰も詣でる者がない。今日は、と言うより、今までひとりも見たことがない。
「こんなに綺麗なのに、もったいないなぁ……」
強い風が、枝に触れていく。かすかに桜が香った気がした。ふたりは、しばらく黙って花を見ていた。
遠くでまた花火の音がする。先に明かりがやわらかく灯り、遅れて爆ぜる音がする。
神社の参道は賑わう声であふれているが、境内は静かなものだった。
そのなかで、男は慟哭していた。
夏祭りの日のことだった。
ひとり待たせていた境内で、許嫁は襲われた。
駆けつけたときにはもう、踏みにじられた花となり、絶命していた。
暴漢に襲われたあげくの死。娘を掻き抱き、男は泣いた。
自分の不注意を呪い、罪人を呪い、不在の神を呪った。
生きる気力を失った男は、自責の念に耐えられず、翌年の春、腹を切った。
許嫁を失った桜のしたで。古びた神社の桜のしたで。
そう、自死したはずだったのだ。しかし、魂までは死ねなかったのである。桜の季節になると、気づけば変わらずここにいるのだ。絶望に満ちた刻が繰り返される。永劫に。
「わたしは」
かえりたい、と男は呟く。
満開を迎えた桜は、男の胸のうちを受けるように、はちきれんばかりの花房をざわめかせた。
男のまわりの空気が、不穏に震えだす。
友弥は風に煽られ、反射的に目許を覆った。
「どうしたんですか。何かを思い出し──」
白装束をはためかせて男は言った。
「わたしはもう、これ以上は!」
現実を幾度も突きつけられて、心が擦り切れそうだった。
否、とうに擦り切れて、怨嗟の塊となっている自分を、男は判っていた。
「耐えられぬ。じきに鬼となろう。離れてくれ……」
ごうっと風が渦を巻く。
「離れてくれ、トモヤ! おまえを巻き込みたくない!」
呪わしい日々のなか、優しく接してくれたのはこの少年だけだった。
耐え難い黒い感情が体から飛び出しそうだ。
だが、友弥はそばを離れずにいた。そして叫んだ。
「あなたは悪くないんです! なにも! 落ち着いてください!」
「違う、わたしのせいなのだ。すべて!」
おなじように叫ぶ男の端正な顔には、汗がにじんでいる。
背後に影のような塊がうごめいては消える。
「早く離れろ、自我が……限界だ!」
友弥は男にしがみついて言った。
「これでは、あなたが怨霊になってしまう。大丈夫、また話をしましょう。自分の心に負けないでください。大丈夫」
「トモヤ、早く!」
「嫌です、負けないで。ぼくも頑張るから!」
男の背からは、脱皮する蝉のような形で影が出かかっている。
構わず、友弥は叫び続けた。
「本当のぼくは、近所の病院にいるんです。ずっと寝たままでいるんです! 魂だけ動けるときがあって、偶然あなたを見つけられた。ぼくは意識を取り戻せるように頑張ります。だから、あなたもつらいことに負けないでください!」
「……」
「勝手な言いぶんでしょうけど、あなたがいなくなるの、ぼくは嫌です」
「……頼むから、トモヤ……」
お互い、肩で息をしながら叫ぶ。
「許します。ぼくが、あなたを、許します!」
男は、瞼を閉じた。
物音が聞こえてくる。次第に大きく。
慌ただしい靴音や、何かを言い合う気配がある。
「──お母さん」
妹の真弥の声だ。
「お兄ちゃんが起きた!」
うまく言葉が出てこない。口からは空気がもれるばかりだ。
そうだ、ぼくは長く眠っていたから。
一気に記憶が押し寄せて、友弥は力の限り泣いた。ようやく嗚咽になるだけであったが。
嗅ぎ慣れた病院の匂いは、かれを包み込み、現実に呼び戻していく。
「おめでとう、友弥……本当に……」
息子の涙のわけを知る由もない母親は、喜びのあまりに一緒に泣いた。
「お兄ちゃん。よかったね」
兄の事情を少し感じることのできる真弥は、カーテン越しに満開の桜を思い、微笑むのだった。
20190329
KAC6用書き下ろし
青い瞳と徒桜 双星たかはる @soiboshi
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