第51話 「こんにちは。」

 〇二階堂紅美


「こんにちは。」


「いらっしゃいませ。」


 あたしは今日、曽根さんの実家、曽根酒店に来ている。

 お酒の見立てもいいって聞いてたから、ちょっと来てみた。


 学がDANGERに加入する時、色々心配や迷惑やお世話をかけた人達に、お酒を贈ろうかと…。

 一応あたしは学の姉だしね。



 陳列に並んだお酒を眺めると、なるほど…これは目移りする!!

 全国の銘酒と呼ばれる物がズラリ!!

 あ~!!自分のも買って帰ろう!!



「何かお悩みですか?」


 声をかけてられて振り向くと…


「あ、曽根さん…トシさんのお兄さんですか?」


 曽根さんて、本名なんだっけ。なんて思いながら。

 だけど確か家族からも『トシ』って呼ばれてるって言ってたよな。って思ってそう言うと。


「あっ!!」


 その人はあたしの顔を見て。


「DANGERの紅美さん!?」


 大きな声を出した。


「え…あ、はい…」


「うわー!!嬉しいなあ!!弟がお世話になってます!!」


 手を握られて、ブンブンと両手で握手された。


「い、いえ…あたし達の方が、お世話に…」


 ほんと、沙都についてってくれたの…すごく助かったし。


「トシの奴、すごく自慢してましたよ。アメリカからいっぱい写真送って来て、誰がどうだ誰がこうだって。」


 ちょっと意外な気がした。

 曽根さん、男性陣とは相当仲良しだったけど、あたしと沙也伽には壁を作ってる気がしてたし。


「でも…良かったんですか?アメリカに…。お店もこんなに大きいのに…大変じゃないですか?」


 確か二号店もあるって言ってたもんな。

 家族全員で曽根酒店やってるって聞いたし。


「ああ…最初はね~…本当はみんな反対したんですよ。沙都くんって子のマネージャーって言われても、家族全員ピンと来ないわけだし。」


「そうですよね…しかも国内じゃないし…」


「そ。でもねー、彼の熱意に負けたな。」


「彼の熱意?」


「桐生院くん。毎日土下座して、トシをアメリカに行かせて下さい。ってさ。実際、トシも桐生院くんに頼まれて行ったようなもんだしね。」


「……え…っ?」


 あたしは…耳を疑った。

 曽根さん…自ら志望して行ったんじゃなかったの?


 ノンくん…

 親友が沙都を選んで悔しいって言ってたクセに…



「あれ?知らなかった?あ~…じゃ、これ、内緒にしといてくれる?」


 お兄さんはそう言って、唇の前に人差し指を立てた。


「は…はい…」


 …ノンくんが…



 あたしが若干抜け殻みたいになってると。

 お兄さんはソムリエみたいな制服のエプロンを触りながら。


「桐生院くんは…沙都くんの才能をすごく信じてて、彼が安心して世界に出るためにはトシが必要なんだって。うちの両親は、そんな人の夢の話に息子を付き合わせたくないって言い張ったんだけどね…」


 小さく笑いながら言った。


「…そりゃ…そうですよね。」


「そしたら、彼は…沙都くんが売れたとして…って、うちの店に及ぶ経済効果を話し始めたんだ。」


「うわー…さすがって感じ…」


「頭のいい子だよね。実際、沙都くんがビートランドのアメリカ事務所に所属したっていう事で、ビートランドとうちの店の提携を条件に出してくれて…」


 それは…すごく美味しい話だ。

 ビートランドでは、年間にいくつものイベントがあるから…

 きっと、曽根さんの給料の何倍も儲けてしまえるわけだし…


 ノンくん…

 沙都のために、あちこちに根回ししてたんだ…


「最後は、親の方がトシを説得した形になったよ。」


 曽根さんにも…ためらいはあっただろうに…

 結局は、曽根さんも…沙都のためって言うより…ノンくんのために動いてくれたんだ。

 まあ…ノンくんも、曽根さんを信用してないと、沙都の事…頼まないよね。


 いくら親友って言っても、過去には酷い事もされてるのに。

 ノンくんって…


 お人好しだな…。


 * * *


「久しぶり。」


 今日はルミちゃんが旦那さんの仕事の都合で、一緒にこっちに来てて。

 ナナちゃんと三人で、ランチしようって事に。


「沙都坊の快進撃が止まらないわね。」


 沙都は出す曲全てがヒットして、毎日のように洋楽チャートのトップ10に名前を出している。


「慎太郎のお墓参りに来てくれた時、雰囲気変わったなあって思った。」


 ルミちゃんが、バケットを食べながら言った。


 沙都は、誕生日にもらったオフの間に、慎太郎のお墓参りに一人で行った。


「紅美ちゃんが悩むはずよね。あんなにいい男三人に言い寄られたら…あたしなんか絶対悩み過ぎて卒倒しちゃうわ。」


 ナナちゃんが大袈裟に目を白黒させて言った。


 ヘヴンでの出会いからこっち…

 ずっとあたしを心配してくれてるみんな。

 海くんとの時は…マキちゃんにもすごく迷惑と心配をかけて…

 今もアメリカにいるマキちゃんと、ずっと交流のあるナナちゃんとルミちゃん。

 ずっと…モヤモヤしてただろうな…



「沙都坊には悪いけど、あたしはずっと海さん推しだったんだよね。」


 ナナちゃんはそう言って、大皿のサラダを片付けた。


「慎太郎の葬儀の後、二人で港にいたじゃない?しっくり来てたなあ…」


「あたしと海くんは、とっくに終わってたけどね。」


「だから、ぎくしゃくじゃなくて、しっくりだったのかもだよね。」


 ルミちゃんはそう言って。


「あたしは、華音さんの人柄にベタ惚れ。紅美ちゃんが早く彼を好きな事に気付いてくれたらいいなって、ずっと思ってる。」


 あたしの目を見て笑った。


「…ノンくんの人柄?」


「…もう、バラしていいよね…って旦那と話してたんだけどさ…」


「…何?」


 ルミちゃんは首をすくめて。


「華音さんて、慎太郎が紅美ちゃん訪ねてこっちに来て入院した時、お見舞いに来たんだって。」


「…………え?」


「まあ、お見舞いって言うか、敵状視察だよね。『紅美とどういう関係だ』って来たらしいから。」


「な…」


 何なの!!


 あたしが口をパクパクさせて呆れてると。


「慎太郎、彼の事…すごく信頼してた。」


「……」


「慎太郎さ…紅美ちゃんの事、本当に…ずっと大事に想ってたんだよ。だけど自分は病気になったし…。そんな慎太郎の事、気持ちは分かる…って…慎太郎が町に帰ってから、華音さん…何度来てくれたかな。」


「…行ってたの?」


「うん。バンドのDVDとか、いっぱい持って来てくれた。アメリカに行ってる間も…すごく連絡してくれてたし…海さんとも連絡取るようにしてくれて…」


 あ。

 そう言えば、あたし達が帰国した頃、慎太郎から電話があった…って、海くん言ってたっけ…



「絶対紅美ちゃんには内緒にしてくれって言われてて…何で内緒なの?って、一度聞いた事があったんだ。」


「……」


「そしたら華音さん…」


 ルミちゃんは小さく笑って。


「ただのお節介だから、カッコ悪い。知られたくないって。」


「……」


「DANGERの三人で来てくれた時に『はじめまして』って言われた時は、慎太郎もあたしも旦那も…みんな噴き出しそうになるの我慢してたのよ?」


 あの日の事を思い出して…

 あたしの目から、ポロポロと涙がこぼれた。



 あたしがナナちゃんと美味しい魚を食べに行った。って話して…次に行く時は俺も誘ってくれって言われた。

 そんな事もあったし…って感じで、沙也伽も誘って、三人で慎太郎の町に行った。

 本当に…沙也伽とノンくんは『はじめまして』って…


 美味しい魚を食べて…

 港で、アコースティックライヴをして…

 慎太郎は、すごく…笑顔だった。

 あれが、あたしの会った…最期の慎太郎だった。



 あのライヴも。

 提案したのは…ノンくんだった。



「紅美ちゃん、絶対幸せになれるよ。」


 ナナちゃんがそう言って、あたしの涙を拭いてくれた。


「間違いないね。」


 ルミちゃんも…笑顔。


「……そうだね。」


 あたしは、泣き笑いしながら…思った。



 ノンくんて…


 本当に、お人好し。って。



 * * *


 それからも…

 あたしとノンくんは、普通にバンドメンバーとして仲が良かった。


 自分の気持ちに気付いてない…とは言いつつ。

 ノンくんは随分と居心地のいい人になった。

 あ、怒ってる。って思っても、ヤキモチなんだろうな…って笑えたり。

 酔っ払ってベタベタして来た時は、少しだけ相手して軽く引っ叩いたりしてかわした。



 沙也伽の悪阻が落ち着いて、安定期にも入って。

 お腹に差し支えがない程度のプレイが出来るようになった頃、学が加入して初めての新曲を何曲か合わせて…

 ノンくんのギターに…身震いした。

 それには学が強く感化されて。



「もー、ハンパなかった。」


 新曲を合わせた日の夕食で。

 学は、ノンくんがどれだけすごかったかを、繰り返し語った。

 それを聞いたチョコは、とても嬉しそうで。

 父さんも嬉しそうだったけど…ギタリストとしてはヤキモチもあったみたいで。


 夕食の後。


「華音はどう弾いてた?」


 って、ギターを持ってソファーに座ると。


「そこはそうじゃなくてさ。」


 学と並んで、ギターを弾いて。

 それを見た母さんは…


「チョコちゃん、ありがとね。」


 チョコの頭を撫でながら…そう言った。



 何だか…

 毎日が穏やかで楽しくて。

 幸せだなあ…って。

 思ってたんだけど。



 ピンポーン



「…誰だろ、こんな時間に。」


 あたしが玄関に出ると。

 インターホンに…見覚えのある顔が映ってる。


「…ご用件は?」


 あたしが低い声で言うと。


『あなたと話がしたいのよ。』


 向こうも、低い声。


 あたしは少し悩んで。

 様子を見に来てたチョコに。


「ちょっとあたし出てくる。」


 そう言って、携帯と財布を手にした。


「え…紅美ちゃん、今の女の人…誰?」


「ああ…ちょっとした知り合い。」


「でも…何だか…」


「大丈夫。ダリアにでも行ってお茶してくるだけだから。」


「…気を付けてね。何かあったら、連絡してね?」


「うん。ありがと。」



 あたしは靴を履いて外に出る。

 門の前に、久しぶりに見る姿があった。


 …薫さん。



 ノンくんを落ちぶれさせようと必死になって、曽根さんさえも利用した女。


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