第50話 「紅美ちゃん…来てくれて、ありがと…」

 〇二階堂紅美


「紅美ちゃん…来てくれて、ありがと…」


 今日は、沙都から『見送りに来て』って言われたのもあって。

 あたしは、空港に来ている。


 曽根さんは、沙都と一緒の便に乗りたかったのに、グレイスから招集がかかって一足早く渡米した。



「あずきでは…ごめん。」


 沙都が小さく謝った。


「ううん。」


 あたしが首を振ると。


「それで…もう一度、ちゃんと言いたくて…」


「何?」


 沙都はあたしの手を取ると…


「紅美ちゃん。」


「ん?」


「僕と…結婚してくれない?」


 いきなり、プロポーズした。


「僕には…一生かけて、紅美ちゃんしかいないって思ってる。」


「沙都…」


 一生かけて…なんて…


「今すぐ答えて欲しい。」


「今すぐって…」


 そんなの無理だよ。

 沙都の事、大事だからこそ…即答なんて出来ない。


 あたしが戸惑ってると。


「言ってやれよ。結婚はできないって。」


 え。って思った時には、腕を掴まれて…抱き寄せられてた。

 見上げると…ノンくん。


「…また邪魔しに来た。」


 沙都が嫌な顔をする。


「おまえがしろって言ったようなもんだろ。」


「ふーん。じゃ、その気になったんだ?僕は紅美ちゃんにプロポーズしたよ。本気で…一生僕のそばにいて欲しいから。」


「……」


 沙都の言葉に、ノンくんは無言。

 あたしは…この状況が何なのか…

 よく分からないまま。


 えっと…

 ノンくん、あたしの事は無理って言ったのに…

 何でこんな事してるわけ?



「…紅美。」


 意を決したような、ノンくんの声。


「…何。」


「沙都と結婚するな。」


「…え?」


「おまえはまだ…しばらく一人でいた方がいい。」


 視界の隅っこに、カクッとなった沙都が見えたような気がした。

 あたしは…


「…ごめん、沙都。」


 沙都に向き直って言う。


「ノンくんがそう言ったからとかじゃなくて…今すぐ返事をして欲しいって言われたら…ごめんとしか言えない。」


「……」


「あたしには、まだ…やりたい事があって。沙都についてアメリカに行けないし…もしあたしを手に入れたら、また安心して音信不通になる沙都を嫌いになるのもイヤ。」


 あたしの言葉に、沙都は苦笑い。


「…沙都は居心地良くて…甘え過ぎてた。」


「…僕だって。」


 沙都は、ノンくんの手をあたしの腕から剥がすようにして離すと。


「…もし、これから紅美ちゃんが恋をして…」


 あたしを、ゆっくり抱きしめた。


「誰かと結婚して…そいつが紅美ちゃんを泣かせたら…」


 沙都の声は…本当に、癒し効果があるんだろうな…なんて。

 あたしは、その声を耳元で聞いていた。


「ほんと…許さない。いつでも僕の所に逃げておいでよ。」


「…頼もしいね。」


「幸せになってくれるのが一番だけど、僕はいつでも…紅美ちゃんの逃げ場所になるから。」


 沙都の腕。

 沙都の胸。

 昔から…変わらない。

 ううん…変わった。


 可愛い沙都は、大人になって。

 あたしが守ってたのに…あたしを守るって言うようになった。


 だけど…

 もう、お互い…

 やっと。

 今度こそ…


 卒業だね…。



 〇朝霧沙都


 ああ…

 こうやって、紅美ちゃんを抱きしめるの…

 もう最後かなあ…

 すぐそこで、約一名。

 すごくおもしろくなさそうな顔してるハンサムがいるんだけど。

 僕は、そんなの無視して紅美ちゃんを抱きしめた。


 いくじなし。

 僕の事、散々説教してたクセに。

 自分の幸せを追い求めない男って…

 何だかカッコ悪いよ。



 紅美ちゃんに、一言…

 好きだって言えばいいのに。

 ほんっと、じれったいし…イライラするし…

 腹が立つ。


 僕や海くんを立てて、結局僕らがダメになるのを待ってたんじゃない?って。

 そう思いたくなるよ。


 だけどノンくんは本当に不器用で。

 それは…

 思いがけない場所で知ることになった。


 まあ、あの面白いやつは…

 沙也伽ちゃんの悪阻防止にでも、送ろうかな。



「紅美ちゃん…」


 体を離して、紅美ちゃんを見つめる。


「…最後に…キスしていい?」


「え?」


「駄目だ。」


 すかさず、紅美ちゃんの後ろからノンくんが声をかけた。


「あはは。なんでノンくんが答えるのさ。僕は紅美ちゃんに聞いたんだよ。」


「駄目だ。」


 僕が紅美ちゃんの目を見て首をすくめると。


 チュッ。


「……」


「……」


 紅美ちゃんから…キスしてくれて…

 僕は…固まった。

 そして…

 ノンくんも固まってる。


「あ…」


「沙都、色々ありがと。ずっと応援してるからね。」


 紅美ちゃんは…

 僕の大好きな笑顔の紅美ちゃんで。

 何だか急に、泣きたくなった。


 紅美ちゃん。

 僕、ほんとに…

 紅美ちゃんの事、ずっと好きだよ。

 これからもずっと、紅美ちゃんのために…紅美ちゃんに捧げる歌を、歌っていくから。

 誰かのものになっても…ずっと、聴いてて。

 僕は、それだけで…幸せだから。


 涙目になった僕に、紅美ちゃんは優しく笑って。


「泣き虫沙都。」


 僕の頭を、わしゃわしゃと撫でた。


「…昔の話だよ…」


「今も変わんないよ。」


「……」


 ずずっと鼻水をすすって。


「…最後に…やり残した事あるんだった…」


 胸を張る。


「ん?」


 首を傾げる紅美ちゃんの肩に手を掛けて…体を避けて。


 ガツッ


 紅美ちゃんの後にいたノンくんを、力任せに殴った。


「きゃあ!!」


「うわっ!!ケンカか!?」


 周りの人達が驚いて声を上げる。


「あ、すみません。挨拶です。」


 僕はそんな事を言いながら、倒れたノンくんの腕を取って…そのまま、抱きしめた。


「……何しやがる。」


 ノンくんは居心地悪そうな顔。


「…僕の紅美ちゃんを泣かせたら、ほんっと…承知しない。」


「…知るかよ。」


「僕の事、甘く見てると…」


「見てねえよ。」


「え?」


「おまえはいつだって、俺の脅威だ。」


「……」


「頑張れよ。世界の朝霧沙都。」


 ノンくんは僕の背中をポンポンとして立ち上がると。


「紅美。」


「え?」


 紅美ちゃんの顎を持ち上げて…キスをした。


 …ああ。

 やっと…かな。




 〇二階堂紅美


「何すんのよ!!」


 バッチーン


 あたしは、力任せにノンくんを引っ叩いた。


「いって!!」


 大袈裟に痛がるノンくんの後ろで、沙都が大笑いしてる。


 な、なんでよ!!

 なんで、こんな所でいきなりキスなんか…!!



「おま…沙都には自分からしただろうが!!」


「沙都は特別だもん!!」


 そうよ。

 沙都は特別だもん。

 でも、沙都にさせたら長くなりそうだから。

 チュッってあいさつ程度に…



「俺も特別なクセに、何言ってんだ!!」


「あたしの事、気の多い女だから無理って言ってたクセに!!」


「ヤキモチに決まってんだろ!!分かれよ!!」


「……え?」


 ノンくんの言葉に途方に暮れるあたしと。

 ノンくんの後ろで、やれやれ。って顔した沙都。

 そして、ノンくんは…あくまでもポーカーフェイス。



「あ、僕もう行かなきゃ。」


 沙都はそう言って、あたしとノンくんの間に割り込んで。


「じゃあね、紅美ちゃん。体に気を付けてね。」


 沙都はそう言ってあたしを抱き寄せて、頬にキスをした。


「てめえ。」


「ノンくんも、元気でね。」


 沙都は、ノンくんも同じように抱き寄せて…頬にキスをした。


「……」


「またアメリカ来る時は連絡してね。僕、絶対スケジュール空けて待ってるから。」


 そう言った沙都は笑顔で…

 あたしは…何とも言えない気持ちになった。



 沙都。

 今度こそ、あたし達…昔の姉弟みたいなあの頃のあたし達に戻れるのかな。

 逃げ場にしてって言ってくれたけど。

 あんたはあたしの逃げ場なんかじゃないよ。

 いつだって…

 あたしの、元気の源だよ…



「沙都!!」


 あたしが手を振ると。


「またね、紅美ちゃん!!」


 沙都も大きく手を振り返した。


「またね、沙都!!」


 泣きそうになったけど、笑顔で手を振った。


 沙都が…

 あたしの笑顔が好きって言ってくれるなら。

 あたしは、ずっと笑っていたい。


 沙都が…

 これから、世界の朝霧沙都になって。

 世界中から愛されるようになっても。

 僕の紅美ちゃん。

 そう言って、笑ってくれるなら。

 …あたしも、笑ってるよ。




「…帰るか。」


 飛行機を見送りながら、ノンくんがつぶやいた。


「…うん。」


 あたしはバスだったけど、ノンくんが車で来たと言う事で…二人で駐車場に向かう。


 歩きながら…特に言葉を探さずに無言でいると。

 …手を取られた。


「…何。」


「手、繋ぎたいだけ。」


「……」


 ノンくんを見ると、ノンくんは…そっぽ向いてる。



「…あたしの事、好きなの?」


 聞いてみると。


「まあ、そうだな。」


 …何だか、煮え切らない返事。



 何だろうな…

 あたし、あまり…嬉しく感じてない。

 そもそも…周りはみんな、あたしがノンくんを好きだって言うけど…

 どうして?

 あたしの気持ちなのに、みんなには分かって、あたしに分からないってどう?

 そりゃあ…一時期は…好きかも…って思った事が…あった。


 ような気がする。



 でも、本当にそれって、壊れたい時にそばにいて。

 何かと触れてたと言うか…寂しさを埋めてくれてたから。みたいな…感覚?



 うーん…分かんない。

 気付いてないだけって言われても、誰かを好きな気持ちに気付かない事って、あんの?

 …そりゃ…

 さっきキスされた時…

 一瞬にして、思い出しちゃったよ。

 ノンくんと…寝た時の事。


 とりあえず、ノンくん…

 酔っ払って寝た時の事しか言わずにいてくれたから…

 沙也伽からも、覚えてないなんて残念だね~なんて言われたけど…


 …覚えてないどころか…

 ちょっとした事で、『愛してる』って言われた、あの…ちょっといい声を思い出したり…

 酔っ払って寝た後、今度はバスルームでしてしまった事とか…

 ノンくんの部屋でしてしまった事とか…

 思い出すと、ちょっと…眉間に力が入ってた。


 それは、嫌だから。って言うんじゃなくて…

 何なんだろ…

 …いや、ダメダメ。

 今思い出すのはやめようよ。


 …でも、手繋いでると…

 なんか…



「…ノンくん、ちゃんと女の子と付き合った事ないから、免疫ないってほんと?」


 あたしが思い出したようにそう言うと。


「…重要な事か?」


 ノンくんはあたしを見ずに、低い声で答えた。


「知りたい。」


 うん…知りたい。

 確か、曽根さんも言ってたよね…

 誘われて遊びに行く事はあっても、自分から行く事はなかったり…

 特定の彼女は作った事がない。って。



「…そうだな。ちゃんと付き合った事はないな。」


 ノンくんは、溜息交じりに言った。


「だから、おまえに『振り回されてる』って言われても、分からなかった。」


「え?」


「言ったろ?俺に振り回されて疲れたって。」


「……そうだっけ…」


「なんだ。覚えてないのか。」


 車にたどりついて。

 助手席に乗り込むと。


「紅美。」


 ノンくんは、真顔で。


「…俺は、おまえが好きだ。」


 あたしの目を見て…言った。


「だけど、おまえの気持ちを、おまえ自身がハッキリ分かるまで…」


「…分かるまで…?」


「…手は出さない。」


「……」


「…帰るぞ。」



 車がゆっくり走り出す。



 確かに…

 あたし自身が、気持ちをハッキリさせなきゃ…


 うん…


 ノンくんは…唇を触ってない。

 ずっと。



 あれ…もしかして、ガセだったんじゃ…?

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