第49話 学のDANGER就職は…

 〇二階堂紅美


 学のDANGER就職は、チョコの強い勧めがあって。

 色んな方面の説得もして。

 五月末…正式決定した。


 遊びとは言え、イギリスでパンクバンドを結成してた学は。

 そのバンドにはすでにギタリストがいたため、ベーシストへの転向を余儀なくされ。

 気が付いたら、自分が所属してるバンド以外からも声がかかるようになって。

 自主レーベルのバンド3つでベースを弾いて、CDを4枚も出している。

 …本当に遊びだったのかあ?


 学がDEEBEEを抜けた時から、音楽の道に進んで欲しいって夢を諦めきれずにいた父さんは。


「チョコ、本当にありがとう。」


 素面の時に…チョコに土下座までしてお礼を言った。

 チョコは、そんな父さんの気持ちも、もしかしたらどこかにくすぶってた学の音楽への夢にも気付いていたのか…

 ノンくんからのオファー後、すぐに…父親である早乙女さんの説得を始めていた。


 早乙女さんも音楽には寛大な心を持ってるけど、チョコの旦那ともなると…

 若干…シビアになってしまうらしい。


「店はどうする?」


「チョコとの時間がぐんと減るけど。」


「チョコが一人で店をやるのか?」


 などと…色々言った。


 が。

 ノンくんは、店の事は…すでに手を回していた。


「店は俺のばーちゃんと麗姉が手伝うって言うし、学にはDANGERで残業はさせない。」


 ノンくん…

 どれだけ学の腕前を信用してるんだ…って思ったけど。

 もうノンくんは。

 ベーシストを探すって決めた時点で。

 学が出したCDを入手して、聴いてたらしい。



 かくして…

 思いがけず、あたしの弟がDANGERに加入する事になった。

 そのニュースは、誰から伝わったのか…


「学がDANGERに入るんだって?」


 学が加入すると正式に決まった翌日。


 沙都が。

 うちの玄関に立って、そう言った。



「沙都…」


「ただいま、紅美ちゃん。」


「た…ただいまって。どうして?」


「ちょっとオフができたんだ。」


 沙都は満面の笑み。


「それに、僕…明日誕生日だし。」


 あ。

 5月30日。

 本当だ。



「海くんともノンくんともデートしたでしょ?だから僕も。」


 そう言って、沙都は屈託なく笑う。


 あたしは…

 あたしは。

 自分の気持ちにイライラしていた。


 ノンくんに…

 あたしみたいに気持ちがフラフラしてる奴は無理だって言われて。

 あたしにそう言った後、ノンくんは…おやすみって、すぐ寝た。


 何なの?

 一緒にそこで寝ようって言ったのに。

 結局、あたしを試したよね。

 あたしが試すはずだったのに…

 試された。


 ノンくんは、一度も唇を触らなかった。

 あたしの気持ちが…フラフラしてるって。

 そう思ってたんだ…


 いや…

 実際、そうだよね。

 …フラフラしてるよ…



「紅美ちゃん?」


「…え?」


「デート、いい?」


 そう言って、前髪をかきあげた沙都の左手首には…

 ノンくんがみんなに色違いで買った、お揃いのブレスレットがあった。

 それを見て、少し和んだ。



「…うん。どこ行きたい?」


 あたしが首を傾げて言うと。


「水族館行こうよ。」


 沙都は嬉しそうにそう言った。



 なんでも、空港から直にうちに来てしまった沙都は。

 それから実家に戻って。

 相変わらずの時差ボケを闘うべく、即休んだそうだ。



 そして翌日…

 あたしは約束通り、沙都と水族館でデートした。


 沙都は可愛くて優しくて。

 ツアーで回ったいろんな場所の話を聞かせてくれて。

 癒された…けど…

 泣きたくもなった。



 沙都。

 あたし、あんたの事好きだよ。

 大事だよ。

 だけど…


 この胸のつっかえは…何なのかな。



 あたしが帰国してからも、沙都は…空いてる時間には頑張ってメールをくれてた。

 それは、あたしの気持ちを満たすには十分だったようにも思う。

 …あの頃…

 沙都がこうしてくれてたら…って、少し嫌味に感じてしまう自分もいた。

 あの頃、こうしてくれてたら。

 あたしは今も…沙都と続いていたかもしれないな…なんて。



 海くんとは、もう…終わってて。

 お互いの幸せを願ってて。


 沙都とは、少しの距離を保って…あたしはファンでいればいいやって。

 ネットに出回る沙都のライヴ画像や、映像を見ては楽しんで。

 それは本当に…だんだん…

 一ファンでもいい。と言わんばかりに。



 気持ちがフラフラしてる。

 ノンくんに、そう思われてたのがショックだなんて。

 調子良過ぎ。

 本当だもん。

 仕方ないよ。


 恋はしばらくいいって、いつも言うクセに。

 そうやって、ノンくんを気にするから…そう思われちゃうんだよ。



 あたしはこの時『も』。

 まだ、気付いてなかった。



 本当は、ずっとノンくんの事…


 好きだったって事に。



 〇朝霧沙也伽


 今回も少し悪阻が酷かったあたしは。

 学が加入して盛り上がるであろう時期に…少し休みをもらった。


「沙也伽ちゃん、大丈夫?何か飲み物持ってこようか?」


 オフをもらって帰国した沙都が、希世より甲斐甲斐しく動いてくれる。


 ああ…沙都…

 あんた、絶対いい旦那になるだろうに…

 それまでの過程が残念過ぎるんだよ…



 昨日、誕生日だった沙都。

 どう考えても、無理矢理オフをもらったとしか思えない。

 先生もノンくんも、誕生日は紅美と過ごした。って言っても、食事だけっていう…お友達的なやつだけどさ。


 まあ、沙都がそれを黙認してるとは思えなかったけど。

 やっぱそうだよね。

 僕も僕もって帰ってきちゃったわけだ。



「…昨日、楽しかった?」


 げっそりしたまま問いかけると。

 沙都は小さく笑って。


「僕は楽しかったけどさ…紅美ちゃんは時々泣きそうな顔してた。」


 そう言った。


「えっ…なんで。あんた何かしたの?」


「んー…やっぱ、あの頃に何もしなかったのが…いけなかったんだよね…」


「あの頃?」


「僕が向こうでデビューしてすぐの頃。忙しくて連絡もしなかったじゃん?やっぱり…あれなのかな…って。」


「まあ…恋愛停止の原因の一つにはなったかもよね。」


 あたしだって嫌だ。

 有名になって行く彼氏が、一つも連絡よこさないなんてさ。

 そのうえSNS系には、ファンのお姉ちゃんと写った画像が次々出てくるし。



「…ノンくんと何かあったのかな…って、ちょっと思った。」


「紅美とノンくん?」


「うん。」


「なんでそう思ったの?」


「…ノンくんの話題になると、紅美ちゃん、景色を見始めてたから。」


「……」


 あたしには分からないけど。

 たぶん…沙都には分かるんだ。

 紅美が、どうした時に心ここに非ずになったり、その話題を避けてるか…って。


 ただし。

 沙都に、気持ちの余裕がある時に限り。だけどね。



「ノンくん…帰国したらすぐにでも、紅美ちゃんにアプローチすると思ってたんだけどな…」


「あー、それは難しい話ね。」


「なんで?」


「それはー…」


 それは。


 うーん…

 あたし…ノンくんに忘れろって言われたけど…

 忘れられないよ。

 誰にも言うなとも言われたけど…

 言ったら…


 あ…あたし…

 ノンくんに抱かれちゃうの…?


 …それはそれでも、ちょっと…

 ……いやいやいやいやいやいや!!

 あたし、二児の母になろうとしてるに!!

 何いきなり不倫願望なんて出してみたりする!?


 ないないないない!!

 だから…絶対言えない。



 あたしが一人で悶々と頭を抱えてると。


「沙也伽ちゃん、大丈夫?やっぱり何か飲み物持って来ようか?」


 沙都は…

 本当に、誰にでも優しい沙都だなあ。って思った。




 〇二階堂紅美


「よ。」


 待ち合わせ場所に行くと、海くんが手を上げた。


 沙都に続いて…海くんも帰国。

 二階堂は、本当に…秘密組織じゃなくなるらしい。

 だけど、日本ではやっぱりしばらく特殊な部類のまま。

 この先、海くんはアメリカと日本…どちらに拠点を置くのか、決める事になりそうだ。って…父さんに聞いた。


 それでも、堂々と警察関係の仕事だと言えることになるのは、楽なのかもしれない。



「沙都に会ったか?」


「うん。おととい。」


「あいつ、誕生日は絶対日本に帰っていたいって、かなり我儘言ったらしいぜ?」


「…そっか。」


 なのに…


 あたし、水族館デートは…

 楽しかったけど、泣きそうな顔もしてしまった。

 沙都…せっかくの誕生日だったのに。



「今日はみんな呼んであるんだ。」


「え?」


 海くんの言葉に驚いてると。


「あれっ、紅美ちゃん?」


 曽根さんがやって来た。


 そっか。

 沙都がオフって事は、曽根さんもだよね。


 続けて…


「何の会だ?」


 ノンくんがニヤニヤしながらやって来て。

 最後に…


「あれ?みんなでご飯だったんだ?」


 沙都がやって来て…

 あたしを見付けて、少し嬉しそうな顔をした。



「沙也伽は悪阻が酷いって言ってたから誘わなかった。」


「あー、それ絶対根に持たれるよ?海くん。」


「でも今の沙也伽は、飯食いに行けねーだろ。」


「うん…確かに…」


 そんな会話をしながら…あたし達は海くんが『行きたい』って言ってた『あずき』へ。

 咲華ちゃんのお気に入りのお店は、いつの間にかみんなのお気に入りになってて。


「あたしの隠れ家みたいなお店だったのに、絶対知ってる人に会うようになっちゃった。」


 って、ちょっとボヤいてた。



「おー、美味そう。」


 海くんは、目の前に登場したヒレカツ定食に満足そう。

 沙都と曽根さんも久しぶりのあずきに、悩みに悩んでカツ丼とロースカツ定食を頼んでた。

 ノンくんは海くんと同じヒレカツ定食で、あたしは天丼にした。


 みんなでビールで乾杯して。

 沙都が。


「今日、慎太郎さんのお墓参り行って来たんだ。」


 そう言って、お箸を持った。


「強行スケジュールだな。」


 ノンくんが言うと。


「あさってには、またあっち行かなくちゃだから。」


 沙都は首をすくめながらそう言った。



 それから、曽根さんのマシンガントークをBGMに食事をして。

 あたしは…時々ノンくんの口元に目をやってしまって。

 自分にウンザリしてた。



 無理だな。


 無理で結構。


 なんだろ…そんなひねくれた気持ちが、ずっとあたしのノンくんに対する態度をそっけなくさせてるような気がする。



「俺は…そろそろ動こうと思ってる。」


 お膳を下げてもらって。

 ビールを飲みながら、海くんが言った。


「動く?何をどう。」


 ノンくんが問いかけると。


「ずっと同じ状態で変わらないのは、成長も進歩もないなって思ってさ。」


 何となく…今、グサッて音があちこちから聞こえた気がした。

 もちろん…あたしの胸からも。


 海くんは、具体的にどう動くか…なんて言わなかった。

 だけど、その海くんの言葉を、みんなそれぞれ勝手に解釈したみたいで。


「…ニカ、紅美ちゃんに正式にプロポーズするんじゃないかな…」


 海くんが仕事で一足先に帰った後。

 曽根さんがそう言って。


「…僕も、そう思った。」


 沙都が同意する。


 あたしは…違うなって思う。

 海くんは、もうあたしとの事は吹っ切ってる。

 だから、あたしの事じゃない…何かに動こうとしてるんだ。



「おまえも動けよ。」


 ノンくんが沙都にそう言って。


「俺ももう帰るわ。」


 立ち上がった。


「え?キリ、帰んの?」


「おまえも帰ろうぜ。」


「えー……あ、あー…そっか。そうだよな…。久しぶりに、親友同士飲むか!!」


 曽根さんは、わざとらしくノンくんに合わせたけど…


「…ズルいね、ノンくん。」


 沙都が…ノンくんを見上げてそう言った。


「あ?」


「逃げるの?」


「なんだそれ。」


「紅美ちゃんの事から、逃げてるよね。」


 あたしの眉間にしわがよる。

 ちょ…ちょっと、何言ってんのよ…沙都。


「それに、紅美ちゃんも。」


「…えっ。」


 突然沙都に話を振られて。

 あたしの眉間のしわは、さらに深くなる。


「なんで…気付かないフリしてるのさ。」


「…何のことよ。」


「ノンくんの事、好きでしょ?」


「えっ!!」


 大声を出したのは、曽根さんだった。


「ちょっちょ…ちょっと待ってくれよ…紅美ちゃん、君…キリの事…?」


 曽根さんは動揺してるけど。

 あたしとノンくんは、表情を変えないまま。


 …眉間に、しわが入ったまま…。



「気付いてないみたいだから、教えてあげる。紅美ちゃん、一昨日のデートの時、気付いたら後振り返ってたよね。」


 沙都にそう言われて…あたしは…


「…あれは、クセみたいなものよ。」


「そうだよね。いつも後ろでノンくんが紅美ちゃんを見守ってるから、クセで振り返っちゃうんだよね。」


「な…」


 あたしは目を見開いた。

 そんな…そんな事!!


「ノンくんの事好きだけど、怖いって思ってるんじゃない?だから…楽な僕に逃げてたんだよ。」


「沙都…何言ってんの?」


「僕は小さな頃から一緒だし、何でも知ってるし、楽じゃん?だから」


 ガツッ


 沙都が続きを言おうとした時。

 突然、ノンくんが沙都を殴った。



「おまえ、紅美の本気をバカにしやがったな⁉︎」


 ノンくんがそう叫んで。


「うわわわ!!キリ!!顔はやめてく」


「おまえは黙ってろ!!」


 ガツッ


 ノンくんは、止めに入った曽根さんも殴った。


 沙都は口元の血を拭って立ち上がると。


「…よく言うよ。臆病者。」


 まるで…沙都じゃないみたいな、低い声…


「あ?誰が臆病者だ。」


「ノンくんだよ。紅美ちゃんの事好きなクセに、どうしたらいいのか分からないんだよね?女の子とちゃんと付き合った事ないから、免疫ないから、紅美ちゃんを傷付けそうで怖いんだよね。」


「何言ってやがる!!」


 ノンくんが沙都に殴りかかって。

 あたしは咄嗟に、ノンくんの腕にしがみついた。


「……」


「……」


「……」


「…やめてよ。」


 あたしがそう言うと、ノンくんは力の入ってた腕を降ろして。


「…帰る。」


 個室を出て行った。


「あー…いたたた…」


 曽根さんが殴られた頬を触りながら。


「沙都くん…言っちゃったねえ…」


 散らばったおしぼりなんかを拾い集めてる。


「…ノンくん見てると、イライラする。」


 沙都が、らしくない事を言ったな…って思ってると。


「紅美ちゃんにも。」


 沙都は、あたしの目を見て言った。


「僕を傷付けたくないからハッキリしないんだったら…その方が傷付くから。」


「沙都…」


「僕の好きな紅美ちゃんは、こんなに悩んで悩んで何かを決める紅美ちゃんじゃなかった。」


「……」


「また思いつきで?って笑っちゃうような…そんな閃きみたいなのを大事にしてる所があって…」


 沙都は、握りしめた手を震わせながら。


「…僕に気を使って、遠慮してって…そんなの紅美ちゃんじゃないよ…」


 泣きそうな顔をした。


「…あたし、本当に沙都の事好きよ。」


「……」


「だけど…さっき言われた事、そうなのかな…って思い当たる気もした。楽だから逃げてるって。」


「……」


「でも、楽だから…って言うだけじゃないの。」


 あたしは…沙都の目を見て言う。


「小さな頃から一緒で…沙都にしか分からないあたしもいて…」


 それは、本当に…

 あたし達だけにしか分からない、あたし達がいて。

 だからこそ。

 沙都は、あたしの癒しでもあった。


「悩んでしまうのは…本当に…みんなの事が好きで…」


 フラフラしてる女。

 それがあたし。

 そんな烙印をノンくんに押された。



「…一人だけ特別なんて、今決めたくない。それだけよ。」


 そうよ。


 それだけよ。



 何か動こうとしてる海くん。

 ノンくんに、思いの丈をぶちまけた沙都。


 あたしは…



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