第41話 『ストーップ。』

 〇二階堂紅美


『ストーップ。』


 ノンくんの大声で、音が止まった。


 DANGERは沙都抜きの…三人体制で再開した。

 日本でのアルバム発売に向けて…新曲作りとその練習に追われている。



『紅美。全然やる気ねーな。』


 マイクを通してそう言われると、なんて言うか…すごくダメみたいに聞こえて。


「…そんな事ないよ。」


 あたしはマイクから離れて、小さくつぶやいた。


『あ?何だって?』


 地獄耳のノンくんが、聴こえてないはずないのに。

 意地悪だ。

 ノンくんは…意地悪だ。



『沙都がいなくなったからってフヌケになるようじゃ、残った意味ねーぞ。』


 カチン。


「もう一回最初からやって。」


 あたしはギターを担ぎ直すと、沙也伽にお願いした。


 …負けるもんか。

 ノンくんの意地悪に。

 …寂しさに。

 自分に。

 …沙都に。



「はあ~…三人になると音が薄くなるかなって思ったけど…ノンくんすごいよね…」


 二時間のスタジオの後、プライベートルームで沙也伽がのびたような顔をして言った。


 …確かに…

 ノンくんは驚くほどベースも上手くて。

 沙都が楽しそうに弾いてたそれとは違うけど…

 ダイナミックで、テクニックもある。


 ギターが一本になって、音の厚みがなくなるのを防ぐためか、ベースラインの音を増やしたり…

 あたしにも、ギターのリフ変更を提案したりした。

 あれだけ弾けるギターをあたしに任せてまでベーシストに転向したんだ…

 あたしも、頑張らなきゃ…



「…紅美。」


「ん?」


「なんかさ…あたしらって、ノンくんは何でも出来ちゃうすごい奴って思ってるとこあるじゃん?」


「うん…」


「相当…練習してるみたいだよ…ベース。」


「……」


 あたしは磨いてたギターから視線を上げて、沙也伽を見る。

 沙也伽は床より少し高めの畳スペースで仰向けになって、天井に向けて両手を上げてストレッチをしていた。



「沙都が抜けて、誰か探す?って聞いた時にさ…沙都以外のベーシストは要らないって言い張ったの、ノンくんじゃん?」


 その話は…ちさ兄にも聞いた。


『新メンバーを探せって華音に言ったら、沙都以外のベーシストは要らない。それなら俺が弾く。って言いやがった。』


 …あたしも…それには賛成だったけど…


「たぶんさ、上の人達は新メンバー探した方がいいって思ってたはずなんだよね。実際、お義父さんにもオーディションしてみたらどうだ?って言われたし…」


「…あたしも父さんに言われた。」


「でしょ?だけど、ノンくん…それを黙らせるには、自分が沙都以上…ううん、それよりもっともっと弾ければ問題ないんだよなー。って笑ってたからさ…」


「……」


「ノンくんの、本気ってやつを出してるんじゃないかな。」


「…ノンくんの本気…」


 今まで、人に合わせる事ばかりして来たノンくんは。

 本気を出せば…相当出来る人で。


「…確かにね…ノンくん、いつもあたし達より早く来て、遅くまで残ってるもんね…」


 あたしがつぶやくと。


「だからさ。」


 沙也伽は起き上って。


「あたしらも、もっと頑張ろうよ。」


 あたしの目を見て言った。


「沙都がいなくなって寂しい気持ち…分かるよ。」


「……」


「でも、あんたが残るって決めたんならさ…頑張ろうよ。」


「…そうだね。うん。頑張る。」



 だけど…


 胸の奥に、ずっと消えない小さな疼きがあって。

 それが少しずつあたしの…

 心を病ませていった。



 * * *


 渡米した沙都には、グレイスが楽曲を用意していて。

 渡米翌日からスタジオでリハが始まった沙都は、連絡も出来ないほどクタクタになって帰って来ていたらしい。


 ギターを弾きながら歌う沙都には、ベースとキーボードとドラムの3ピースバンドがバックに与えられ。

 すでに準備万端だった彼らとのリハは、過酷ではあったけど刺激でもあって…

 沙都はメキメキと力をつけていった。


 それは…

 渡米して三週間も経たない内に、無料動画サイトにupされた映像で…確認できた。



「…すげーな。」


 プライベートルームでそれを見ながら、ノンくんが唸った。


「バックバンドが全然沙都の邪魔をしてないし、コーラスも完璧…沙都の良さが引き出されてる。」


「沙都のためにツワモノを集めてたって事ね…グレイス、やるわね。」


「曲もいい。沙都の声に合ってる。」


 ノンくんと沙也伽が褒め称えてるのを。

 あたしは無言で見ていた。


 画面の中の沙都は…まるで別人のようだった。

 今まで、あたしの後をくっついて来て。

 あたしの斜め後ろでベースを弾いてた沙都とは思えないぐらい…

 堂々と歌って…

 一人のシンガーだった。



「全然連絡して来ないってお義母さんがボヤいてたけど、紅美のとこ連絡ある?」


 沙也伽があたしを振り返って言った。


「……」


「…紅美?」


「……え?」


 沙也伽の言葉を聞いてたはずなのに…

 言葉が出なかった。

 え…っと…


「連絡…ね。あー…全然ないよ。着いた日は、時差ボケが怖いってメール来たけど…」


「そっかあ…忙しいんだろうね。これだけの動画撮影するだけでも大変だったろうし。」


 沙都の動画は、もう…5本も上がってて。

 再生回数も…日に日にと言うか、時間ごとに増えていっている。


 …ねえ、沙都。

 あたしの事…考える時間って…ある?



「…紅美。」


「……」


「紅美。」


「……え?」


 ノンくんがあたしの顔を覗き込んで。


「顔色悪い。おまえ、貧血の検査行ってんのか?」


「……」


 どうしたんだろ。

 あたし…上手く言葉が出て来ないや。

 ノンくんが言ってる事に、答えようとするのに…

 じっ…と、ノンくんの顔を見てしまってる。


「…紅美?」


 さすがに沙也伽も怪しく思ったのか。

 ノンくんと沙也伽、二人して…あたしを見る。


「…検査、したよ。大丈夫。」


「……」


「……」


 二人は顔を見合わせると。


「ちょっと、あたし甘い物でも買って来るね。」


 そう言って、沙也伽が部屋を出た。

 ノンくんはあたしの隣に座ると、ついたままになってた沙都の動画を消した。


「……」


 なんで消すの?

 そう思いながら、ノンくんの顔を見ると。


「…なんでプロポーズ受けなかったんだ?」


 ノンくんはあたしの頬に右手の中指で触れて…言った。


「せめて結婚しちまえば…おまえの精神的な面も救われたんじゃねーのかよ。」


「……」


 それは…図星なのかな。

 こうやって、沙都があたしの見えない場所に行ってしまって。

 何をして、何を考えて、何を感じてるのか…

 あたしにそれが分からない事が…

 不安で仕方ないんだと思う。



 だけど…

 沙都は…



「…言えなかった…」


 小さくつぶやくと、ノンくんは溜息をつきながら…椅子をあたしの正面に向けて…抱きしめた。


「付け込んでるわけじゃなくて、とにかく…おまえの不安がなくなるためのハグだからな。」


 何のための確認なのか…そう言った。

 それが何だかおかしくて…少し笑うと。


「もっと、俺や沙也伽を頼れ。」


 久しぶりに…

 優しい声のノンくんだった。



 * * *


 紅美ちゃん、元気?

 全然連絡できなくてごめん。

 毎日クタクタになってホテルに戻って…瞬きしたら、朝になってる感じ。

 携帯を手にしたまま、床で倒れるように寝てたりしてさ。

 体にも良くないよね。


 でも、来週からは早速ツアーも始まるみたいで…本当に休む暇がないんだ。

 こんなので大丈夫かなって不安もあるけど…無理を言ってこっちに来たからには、頑張るよ。


 ツアーから帰る頃には、住む場所も決まると思うから。

 そうしたら、お互いの休みを利用して会いたいな。

 その日を楽しみにして頑張るから。

 紅美ちゃんも、体に気を付けて頑張ってね。




 一ヶ月ぶりに、沙都からメールが来た。

 添付ファイルには、少しやつれた顔の沙都。

 あたしは何度もそれを読んで。

 沙都の画像を…どれぐらい眺めてたのか…


「…紅美、大丈夫?」


 母さんに、そう声を掛けられた。


「…え?」


「もう30分もそうしてるけど、何か大変な事でもあったの?」


「……」


 あたし…30分も沙都の写真見てたの…?


「最近…顔色も悪いわね。検査の数値は良かったけど…」


 母さんは隣に座ると、あたしの髪の毛を耳にかけて。


「食欲、落ちてるわね。」


 優しい声で言ってくれた。


 母さんは…あたしが貧血で入院して以来。

 すごく、気を使ってくれる。

 …大人なのに、ダメだな、あたし。

 心配ばかりかけちゃってる。


「ごめん…心配かけて。大丈夫。」


「本当?」


「うん。沙都から…メールが来たから、読んでただけ。」


「……」


「見て。なんか…沙都、やつれてるよね。」


 あたしは母さんに沙都の写真を見せる。


「…頑張ってるのね。」


「うん…」


 その時。

 沙都の写真が、着信画面に変わった。

 突然だったから、母さんと二人で驚いて…笑った。


「あはは…ビックリしたね。」


「本当。」


 母さんは立ち上がってキッチンに行って。

 あたしは…着信の相手を見て…


 …ルミちゃん…


 電話に出た。


「もしもし。」


『紅美ちゃん?』


「うん。」


『元気にしてる?』


「うん…まあまあかな。」


『そっか。あ、見たよ。沙都坊の動画。すごいよね。』


「うん…」


 あたしと沙都が付き合ってる事は…慎太郎から、みんなに伝わったと思う。

 帰国したら、一緒に魚を食べに行くって約束してたけど…

 一人で行こうかな。


『今週、予定ギッシリ?空いてる日ない?』


「今週?」


『うん。急で悪いけどさ。旦那が新しい餌場を任せてもらって、いい魚が獲れるんだ。食べにおいでよ。』


「…そっか…いいね。新鮮な魚食べて、元気出さなくちゃ。」


 何気なくそう言うと。


『…やっぱ、元気ないのね。』


 ルミちゃんは小さく笑った。


「あ……あー…ダメだね…あたし…」


『そんな事ないよ。彼氏が遠くに行っちゃったら、誰だって寂しいし不安になるよ。』


「…ルミちゃん…」


『ね?だからさ、ナナも誘ってさ。』


「…うん。分かった。ナナちゃんにも連絡取って、予定聞いてみる。」



 嬉しかった。

 少し…音楽から離れた方がいいと思ってたし。

 あたしは早速ナナちゃんに連絡を取ると、三日後に二人とも休みが取れるって事で。


「金曜日にお邪魔します。」


 ルミちゃんに、そう連絡した。



 * * *


「久しぶりー!!」


 あたしとナナちゃんが雪道を恐る恐る歩いてると言うのに。

 ルミちゃんは、走ってやって来て。


「会いたかったー!!」


 抱きついた。


「わーっ!!危ないって!!」


「もう。これだから都会人は。」


 ルミちゃんは頬をぷうと膨らませて。


「来て来て。早速お昼食べよう。」


 これまた…あたしとナナちゃんが追い付けないスピードで歩いた。



 ルミちゃんから電話をもらった翌日、慎太郎から『沙都坊がいなくなってへこんでんじゃねーか?』ってメールが来た。


『うるさい。へこんでなんかない。』


 って送った後、すぐに。


『うそ。ちょっと…まいってる。』


 って送ってしまった。



 今日の訪問は、サプライズって事で…慎太郎には内緒にして来た。

 どんな顔するかな。



「慎太郎ー、今日はビックリなお客様よー。」


 ルミちゃんがそう言って、慎太郎の家の引き戸を開けると。

 中から、ルミちゃんの旦那さんが出て来た。


「あ、いらっしゃい。」


「こんにちは。いい魚に釣られてやって来ました。」


「あはは。どうぞどうぞ。慎太郎も元気が出るよ。」


「…?」


 何?と思って…中に入ると…


「え…」


 驚いた声を出したのは、ナナちゃんだった。


 慎太郎は…

 ベッドに横になって、眠ってる…んだけど…


 ルミちゃんを振り返ると。


「その日その日で調子が変わるからね…でも、もうすぐ起きると思うよ?」


 笑顔。


 でも…

 最後にもらった写真が、漁に出てた物だったから…

 こんなに…痩せ細った慎太郎…


「……」


「頑張ってるんだよ。慎太郎。」


 …確かに…

 告げられた余命より、もう…一年以上は…生きてる。

 だけど…

 こんな状態だったなんて…



「慎太郎がさ…みんなが頑張ってる時に、余計な心配かけたくないって。」


 ルミちゃんがそう言って、慎太郎を振り返った。


「バカでしょ。カッコつけて。でもね…ここには毎日誰かが来て、慎太郎が眠ってても賑やかに笑うの。そうしたら、慎太郎…うるせーよって起きるんだ。」


 ナナちゃんとあたしは…しばらく声を失ったままだった。

 慎太郎の姿に…ヘヴンの頃の面影はない。


「んもぉっ、イケメンでいる間に会わせてくれたら良かったのにっ。」


 ナナちゃんがそう言うと。

 慎太郎の目元がピクリと動いた気がした。



「さ、みんなで食べようよ。慎太郎の餌場で獲れた魚、美味しいんだよ?」


 ルミちゃんが台所からたくさんの料理を運んでくれて。


「ルミ、これも食べてもらえ。」


 旦那さんが、次々と新鮮な刺身を持って来てくれた。


「確実に太るわね。」


 ナナちゃんに耳打ちされて、笑った。


 あたし達三人は、慎太郎を囲んで。

 ヘヴンの話をしながら笑った。


 妊娠中のマキちゃんが、みんなの写真をアメリカの家に飾ってる事を話すと、ルミちゃんは『えー!!あたしがアメリカにいるみたいで嬉しい!!』と言って、あたしを大笑いさせた。


 しばらくすると、慎太郎が大あくびと共に目を覚まして。


「…うるせーな…」


 低い声でそう言った。


「ね?」


「ぷっ…ほんとだ。」


「…何がほんとだ…だよ。」


 ゆっくりと起き上がった慎太郎は、あたしとナナちゃんを見て。


「…ヘヴンの夢見たと思ったら…おまえらか。」


 ニッと笑った。



 料理はどれも美味しかった。

 慎太郎は時々口元を緩ませて。

 あたしの手を握ったり、ナナちゃんの手を握ったりした。


「女なら誰でもいいの?このスケコマシ。」


 ルミちゃんがそう言うと、ルミちゃんにだけ『しっしっ』って言って、みんなで笑った。


 …笑った。


 慎太郎とは…もうすぐ別れの時が来るかもしれない。

 そう分かっても…


 笑えた。


 * * *


『無事帰ったか?』


 慎太郎から、そうメールが来た。


『帰ったよ。美味しい魚と料理をありがと。あ、ルミちゃんと寿和さんにもお礼言ってね。』


『少しは元気が出たか?』


『うん。少し音楽から離れたい気分だったから…すごく救われた。ありがとう。』


『頑張らなきゃいけないのかもしれないけど、あまり無理をするな。頼れる場所に頼って、休みながら少しずつ頑張れ。』


 慎太郎…

 自分も辛いだろうに…

 あたしの事、こんなに気にかけてくれるなんて。


『うん。ありがと。充電できたし…明日からまた頑張るね。』


 何度かやりとりをして、メールは終わった。



「……」


 つい…沙都からメールが来てない事に気付く。

 ああ…気付かなきゃ良かったのに。

 メールなんて、沙都が渡米して三度しか来てないじゃない。

 来ないのが当たり前だと思えばいいのに。


 あたしは毎日…沙都からのメールを気にして、そして落ち込んでしまう。

 せっかく慎太郎達のおかげで気が紛れてたのに…

 あたし、どうかしてる…


 泣きそうになったところで…着信。

 沙都?と思って、急いで携帯を手にすると…


『もしもーし、紅美ちゃん?』


「…なんだ、曽根さんか。」


『…紅美ちゃんまでキリ化してるように思えるのは気のせいかな。』


「何ですか?」


『しかもスルーかよ…ま、いいや。』


 曽根さんはコホンと咳払いをして。


『俺、今から渡米するから。』


「………はい?」


『渡米する。沙都くんのツアーに同行する。』


「……えー…と…」


 あたしは回らない頭で色々考えた。

 曽根さんって…確か実家のお店を手伝ってるとか何とか…


「…仕事は?」


『何とかなりそうだから、親説得した。』


「…説得…」


『うん。沙都くんのマネージャーをする事にした。』


「……え?」


『向こう着いたら連絡するよ。それと、沙都くん忙しくて連絡できないだろうから、俺がしつこいぐらい近況報告するから。じゃあ、お楽しみにー。おやすみ。』


「え?え?曽根さん…」


 プツッ。


「……」


 あたしは茫然と立ち尽くして。


「あ…」


 ノンくんに電話をした。


『はい。』


「ノンくん?曽根さんから電話があって…」


『ああ…俺にもあった。』


「い…いいのかな…曽根さん、自分の生活とか…」


『いんじゃねーのか。あいつが行きたくて行くんだから。』


 ノンくんは少し…面白くなさそうだった。


 …そうだよね…

 だって、親友なわけだし…


「…ノンくんの友達なのに…」


 小さくつぶやくと。


『ほんとにな。おかげでオフに暇つぶしさせてくれる相手がいなくなった。』


 ノンくんは低い声でそう言った。


「…なんで…曽根さん…」


『沙都、正月あいつんちに泊まってたみたいでさ。』


「え?」


『何日か勘当されてたろ。あの時。それで色々話してる内に、曽根の気持ちに火が付いたんじゃねーかな。』


「…曽根さんの気持ち?」


『応援したい気持ちだよ。それが俺じゃなくて沙都だってのが頭に来るけど…まあ、仕方ない…』


「……」


『ま、あいつらの事はいい。俺らも…頑張らなきゃな。』


「…うん…」


 ノンくんには悪いけど…曽根さんが沙都についててくれると聞いて…嬉しかった。

 沙都の近況が知れる。

 その時あたしは、それは安心材料だと信じて疑わなかった。


 有名になって行く沙都に…

 不安を感じなくなる事なんて…


 ないのに。


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