第37話 「え?今から?」

 〇二階堂紅美


「え?今から?」


『うん。』


「いいけど…」


『じゃ、今から行くから。』


「うん。気を付けてね。」



 大晦日。

 わっちゃんと空ちゃんのマンションから帰って、両親と学とチョコとでご飯を食べた。

 さあ、お風呂入って…初詣に行く支度をしようかな。

 なんて思ってると…電話が。


 電話の主は、沙都。


 ダリアで待ち合わせて、初詣に行こうって約束してたんだけど。

 いきなり…


『話があるから、今から家に行っていいかな。』


 …なんだろ。

 声、暗かった。


 落ち着かなかったけど…先にシャワーしちゃえ。と思って、急いでシャワーを浴びた。

 髪の毛を乾かしてると…



「紅美ー、沙都ちゃんよー。」


 母さんの声。


「はーい。」


 ちょうどいい。

 あたしは鏡に顔を近付けて。


「よし。」


 何がよしか分からないけど…そう言って部屋を出ようと…


「あっ…何だ。ビックリした。」


 ドアの前に、沙都がいた。


「…入っていい?」


「え?うん…」


 何となく、話って…リビングでするのかと思ったけど。

 …父さんと母さんに聞かれたらまずい話?


 ドアを大きく開けて、沙都を中に…


「…紅美ちゃん…」


 部屋に入ってすぐ、沙都はあたしを抱きしめた。


「…どうしたの?」


 沙都の顔…左の頬にあざ…

 ゆっくり触ると、沙都は少し痛そうな顔をした。


「誰かとケンカしたの?」


「…父さんに殴られた。」


「どうして…」


「…出てけって言われた。」


「え?」


 あたしは眉間にしわを寄せて沙都を見る。


 沙都のお父さんってさ…

 早乙女さんと一、二を争うぐらい…温厚な人だよ?

 希世が沙也伽を妊娠させた時は、キレて殴ったって聞いたけど…

 あたしは妊娠してないし…

 て言うか、沙都がお父さんを怒らせるような事をしたとか…

 想像つかないんだけど。



「何があったの?」


 沙都を座らせて問いかけると。


「…紅美ちゃん。」


 沙都はあたしの手を取って。


「僕と…結婚してくれない?」


「………え?」


 思いがけない…言葉。


「駄目かな…」


「…あ…えと…急過ぎて…ビックリしてる。」


 やだな…すごくドキドキしてるよ。

 だって沙都…

 目が。

 今までと違う感じ…



「…でも…出てけって言われたって…どうして?あたしと結婚したいって事と…関係してるの?」


 気になって問いかけると…


「…紅美ちゃん…僕の事、好きって言ったよね…?」


 確認された。


「うん…」


 隣に座って、沙都の目を見つめる。


 沙都…

 どうしたの?



「…DANGER…やめて、二人でアメリカ行かない?」


 沙都が小さく放った言葉が。

 あたしには…嘘に聞こえて。



「え?何言ってるの?」


 笑いながら、答えてしまった。


「もう、十分だよね?」


「…え?」


「もう…夢は叶えたよね?」


「……」


 沙都の言ってる事が、分からない。


「紅美ちゃん、バンドデビューの夢は叶えたから、もういいよね?次は…僕と結婚する事…それが夢だ、って…思っていいよね?」


「……」


 あたしは、手を握られたまま。

 呆然と…沙都を見つめた。


「…沙都…?」


 分かんない。

 沙都の言ってる事の意味が…

 分かんない。


 あたしは呆然と沙都を見つめて。

 その表情から…何か読み取ろうとしたけど。

 沙都は…


「僕…グレイスから、ソロでアメリカデビューしないかって言われて…」


 信じられない事を言った。


「……ソロデビュー…?」


「うん。」


「…ベーシストとして…?」


 違う。

 分かってる。

 シンガーとして、だ。

 カプリでの沙都を思い出すと…それは頷ける。



「…シンガーとして…」


「……」



 沙都の歌には、人を癒す力があった。

 グレイスは…それをすぐに感じ取ったんだ…。



「…僕…試してみたいんだ…自分の力が、どこまで通用するのか…」


「……」


 沙都が…

 シンガーとして…デビュー…


「…DANGER…どうするの…?」


 聞くのが怖かった。

 だけど…低い声で問いかけたあたしに。


「…抜けるしかないよね…」


 沙都は…あっさりとそう言った。



「…あたしは…?」


「だから…結婚して、一緒にアメリカに付いて来て欲しい。」


「……」



 あたし…

 DANGERを捨てられない。

 みんなを裏切れない。

 そう思って…

 海くんと、逃げる覚悟が出来なかった。


 なのに…

 沙都は、こんなにもあっさり…

 みんなを捨てようとしてるの…?



「…ノンくんと…沙也伽に…」


「…言った。」


「え…っ?」


「…ノンくんと…神さんが来て…みんなで話し合ってて…父さんに殴られた。」


「……」


 …何?

 じゃあ、沙都は…


「…いつ…そんな話が出たの…?」


 そして、いつ…決めたの?

 誰にも何も言わずに…



「…デビューライヴの夜…カプリで歌ったのを聴いたグレイスが…」


「……」


「あの夜、紅美ちゃんの部屋からの帰りに…偶然会って…」


「え…」


 確か…あの夜。

 沙都は、朝まで帰って来なかった。って…海くんが言ってた。

 …グレイスと一緒だったって事…?



「あの時は、すぐに断ったよ。だけど…僕自身の夢を持つ気はないのかって…言われて…」


「…沙都自身の夢…?」


「……」


 沙都は少し言いにくそうに。


「…紅美ちゃんのために弾く…って言うんじゃなくて…僕が…僕として…」


「……」


 …そう…か。

 沙都は、今まで…あたしのために、DANGERをしてたんだ…?


 …なんだ…


 食いしばってうつむいた。

 どう…答えたらいいの?

 沙都は、初めて…自分としての夢を持った事になる。

 それは…すごく…

 嬉しい事だよね?

 出来れば、みんなに祝ってもらいたいよね。

 だって…デビューだよ?


 ……だけど…



「…紅美ちゃん…」


 あたしの目から、ポロポロと涙がこぼれるのを見て。

 沙都は…小さく溜息をついた。


「…ごめん…困らせてるよね…僕…」


「…沙都が…夢を持ったのに…追おうとしてるのに…」


「……」


「応援したい…だけど…沙也伽とノンくんは…どうなるの…?」


「……」


「なんで…決める前に…悩んでる段階ででも…相談してくれなかったの…?」


 あたしの言葉に沙都は何度も何かを言いかけてはやめて…

 だけど結局…


「…紅美ちゃんは…僕のために…とは…思ってくれないんだね…」


 寂しそうに、そう言って…部屋を出て行った。


 * * *


「……」


「……」


「……」


 正月早々…集まった。

 あたしと、沙也伽と、ノンくん。


 ビートランドは年中無休。

 一応年末年始の挨拶はあるけど…淡泊な物だ。



 あたし達三人は、プライベートルームで…長い沈黙と、重たすぎる現実に押し潰されそうになっていた。



「…紅美。」


 沈黙を破ったのは、ノンくんだった。


「…ん?」


「沙都について、アメリカに行く気は?」


「ノンくん!!何言ってんの!?解散するつもりなの!?」


 沙也伽が泣き腫らした顔で言った。


「…二人は付き合ってんだ。結婚とか幸せとか、そういうワードが出てくるなら、バンドは二の次だろ。」


 ノンくんの言葉に、沙也伽は反論できず。

 あたしを見て、口をパクパクさせた。



「…あたしは…沙都のいないDANGERなんて…って思う…」


 正直に言った。


「紅美…」


 沙也伽は首を振りながら。


「あたし…やだよ…解散なんて…」


 そう言って、泣き始めた。


「…どうしても、脱退しなきゃいけないの?沙都、ソロをやりながらバンドもって方法はないのかな…」


 あたしが指を玩びながら言うと。


「…無理だな。グレイスが進めてるプロジェクトは、世界進出らしいから。」


 ノンくんは吐き捨てるように言った。


「…世界進出?」


「ああ。アメリカデビューどころの話じゃない。世界発信さ。沙都が夢見たって…仕方ないよな。」


「……」



 沙都の歌が、それだけ買われた…って言うのは。

 すごく、嬉しい事だ。



「…なんかさ…」


 あたしは、首を傾げて言う。


「そんなにすごい事…本当なら、みんなで万歳して喜ぶべきだよね。」


 つい…口元がほころんだ。

 沙都、すごいよ。

 ほんと…すごいよ。


「…そうだな。あいつ、世界に通用するって認められたんだからな…」


 ノンくんは、ほんのり笑いながら言った。

 だけど…


「なのに…DANGERのメンバーだからって事で…お義父さんに殴られたり勘当されたり…か…ちょっとかわいそうだよね…でも…」


 沙也伽は…そう言いながらも、涙が止まらない。


「でも…あたし…やだよ…解散なんて…」


「沙也伽。解散なんてしないよ。」


「だって…かけもちなんてできないでしょ…?それに、紅美だって…」


「…沙都と、もっとちゃんと話すから。」


 あたしは沙也伽の背中に手を当ててそう言ったけど。


「…でも、そう時間はないぜ。」


 ノンくんが溜息まじりに言った。


「え?」


「あいつ、たぶん…今週中には向こうに行くと思う。」


「えっ?今週中…?」


 そんなに…そんなに急に?


「本当なら、帰国もさせたくないぐらいだったからな…グレイスのプロジェクトは、こうしてる間にも進み続けてる。」


「……」


「…紅美、沙都に…ついてくの…?」


 沙也伽は、そう言ってあたしの手を握った。


「本当なら、おめでとうって…行きなよ…って…言ってあげるのが…親友なんだよね…?ごめん…紅美…あたし…」


「沙也伽、いいんだよ…」


 あたしは沙也伽の肩を抱き寄せる。



 …沙都。

 あたし達…

 どうすればいいんだろうね。

 どうしたら…


 一緒に居られるのかな…。



 * * *



「良かった…来てくれて。」


 沙都に電話をしても、ずっと出てくれなかった。

 何度も連絡をして、留守電とメールを繰り返して…

 夜になってようやく…事務所のプライベートルームに来てくれた。


 沙也伽とノンくんには帰ってもらって。

 あたしはずっと一人で…ギターを弾きながら、沙都を待ってた。


 待つ間…

 ずっと、色々考えた。


 これからの、あたしと沙都の事…

 バンドの事…

 そして…夢…



「…遅くなってごめん…」


 沙都は少し疲れた顔をしてた。


「どこに行ってたの?」


「…音楽屋のベースのブースで、ずっとベース弾いてた。」


「ふふっ…迷惑な客。」


「…だよね…」


「…沙都。」


 あたしは沙都を抱きしめる。

 背中に手を回して…指先にまで、気持ちをこめた。


「…プロポーズ、ありがと。すごく…ドキドキした。」


「…困らせただけじゃ…?」


「ううん。嬉しいに決まってるじゃん。」


「……」


 沙都はあたしを抱きしめて。


「紅美ちゃん…離れたくないよ…」


 あたしの額に唇を落とした。


「…色々考えたの。」


「…うん…」


「あたしも、沙都と一緒にいたい。だけど、DANGERを捨てたくもないの。」


「……」


「沙都は…もういいじゃないって思ってるかもしれないけど…あたしの夢は、デビューで終わったわけじゃないよ。これから先も…みんなでやってく事。これが、夢だよ。」


 あたしの言葉に、沙都は何か言いたそうだったけど…飲み込んだ。



「でも、沙都の新しい夢…ソロデビューなんてさ…すごいよ。グレイスが進めてるプロジェクト、世界発信なんだってね。ほんと…すごい。沙都が認められたって、誇らしい。」


「……」


「応援したいって思う。だから…沙都は…DANGERを続けられなくても…仕方ないと思う。」


「…でも…紅美ちゃんは続けるんだ?」


「あたしも沙都もいなくなったら、どうにもなんないよ。」


「……」


「活動に制限は出来ちゃうかもしれないけど…どうにか上手くやっていけないかなって思う。きっとノンくんと沙也伽は分かってくれるはずだから、何とかDANGERが存続してやっていける方法を考えながら…」


 あたしが話してる途中。

 沙都は、あたしから…ゆっくり離れた。


「…沙都?」


「…もし僕が世界ツアーに出たりして…」


「うん。」


「…それに同行するとか…そういう気はないって事?」


「……」


「僕は、紅美ちゃんと離れたくない。」


「…沙都は…あたしに、もう…歌うなって言ってる?」


 あたしは…

 沙都から目を離さなかった。

 分かって欲しかった。

 あたしの夢は終わってない事。

 ノンくんと沙也伽は仲間である事。

 DANGERを終わらせるわけにはいかない事。

 分かって…欲しい。



「沙都が世界に挑戦するのは、いい事だと思う。」


「……」


「だけど…どうしても抜けなきゃならない?」


 沙都はあたしからゆっくりと視線を外して。


「…紅美ちゃんは、僕が成功するわけないって思ってる?」


 低い声で言った。


「どうして?」


「成功しなかった時、戻ってくればいいじゃないかって…そう言ってるように聞こえるから。」


「…そうじゃないよ。」


 …ううん。

 そう…思ってる所があったのかもしれない。

 ずっとベーシストとしてやって来て。

 打ち上げの余興として…歌っただけの沙都が。

 いきなり世界へ出て…成功するわけがない。


 あたしは…

 もしかしたら、ボーカリストの意地として。

 沙都に…嫉妬していた部分があるのかもしれない。



「…そう…だね。ごめん。もしかしたら、そう思ってるのかも…」


 沙都の手を取って、正直にそう言うと。


「…誰だって…信じられないよね…僕だって、半信半疑だよ。だけど…自分にどれだけの力があるか…試したいって…生まれて初めて感じてるんだ。」


 沙都は何かを…諦めたような声で言った。


「いきなり成功するなんて、思ってないよ。だけど…チャンスをもらえるなら…それに賭けてみたいって思ったんだ。」


「…そう思ったキッカケって、何なの?」


 ノンくんに聞いた。

 沙都は最初…グレイスからの申し出を即答で断ってる、と。


「…海くんにも、ノンくんにも…」


 沙都はあたしの肩を抱き寄せて…それから、ギュッと抱きしめて。


「僕は…海くんにもノンくんにも勝てないって思ってた。」


 あたしの耳元で言った。


「勝てないって…」


「海くんは二階堂を背負ってる人で…ノンくんにはブレない夢があって、それは…僕だって。って思う反面、ノンくんの方がずっと…紅美ちゃんに近くて…」


「沙都、待ってよ。そこにあたしの気持ちは入れてくれてる?あたしの気持ちは無視したまま、沙都が勝手に…」


「そうだよ。」


「…沙都…」


「勝手に、あの二人に勝てないって苦しんでた僕がバカなんだよ。紅美ちゃんは僕を好きって言ってくれたのに。」


「…それなら…」


「だけど。だけどさ…僕だって、誰よりも誇れる何かがあるって言われたら…それに賭けたくなったんだよ。それで自信をつけて…」


「……」


「紅美ちゃんは、僕だけのものだ…って。もっと堂々と言える男になりたくて…」


「沙都…」


 どうしたら…?

 どうしたら、伝わるの?

 あたしは、沙都が好き。

 それじゃ…ダメなの?


 あたしが…

 海くんやノンくんにフラフラしてたから…

 沙都は…


 こんな気持ちを抱えてしまったんだ…。

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