第36話 「紅美。」

 〇二階堂紅美


「紅美。」


 帰国して迎えた大晦日。

 事務所の帰りに一人で歩いてると…声をかけられた。


「空ちゃん。」


 振り返ると、そこにいたのは空ちゃん。


「元気?」


「うん。」


「その後、貧血は?」


「大丈夫。ちゃんと平均値。」


「そ、良かった。」


 空ちゃんは何かの買い物の帰りだったのか、紙袋をたくさん持ってる。


「少し持とうか?」


「ううん。その先に車停めてるから。乗って帰る?」


「あっ、ラッキー。ありがと。」



 そんなこんなで、空ちゃんの車に乗せてもらって。

 ついでに…マンションにもお邪魔する事にした。

 何でも、空ちゃんは生まれて初めて、御節作りにチャレンジするそうで。

 今日はその買い出しに行ってたらしい。


 空ちゃんが御節作りかー。

 やっぱり奥さんは違うなあ。

 泉ちゃんよりは料理してたと思うけど、二階堂姉妹は家事より仕事のイメージの方が強い。



「ただいま。」


「お邪魔しまーす。」


 ひろーい玄関に入ると。


「おかえりー…え、紅美?」


 夕夏を抱っこした、わっちゃんが出迎えてくれた。


「わー…わっちゃんが子育てしてる…」


 当然なんだけど、何となく…見慣れない光景に小さく笑ってしまった。


「当たり前だろ?」


 当たり前には思えないけど…

 まあ、良かったよ…

 ちゃんと子育てに参加してて。



「二月からアメリカに単身赴任なの。」


 キッチンに紙袋を運びながら、空ちゃんが言った。


「えっ?誰が?」


「わっちゃん。だから、今のうちにベタベタしとかなきゃね。」


「あー行きたくなーい。」


「パパ、頑張って。」


 そっか…

 日本でも色々状況は変わってるよね…

 実際、もめてるって聞いてたDEEBEEは…

 サポートを頼むんじゃなくて…正式メンバー探しが始まりそうだ。



「…紅美、綺麗になったな。」


「え?」


 空ちゃんを手伝って食材を出してると、いきなりわっちゃんに言われた。

 …確か、海くんと付き合い始めた頃にも、そんな事言われたよな…

 …鋭い。


「誰かとどうにか始まった?」


 空ちゃんにも顔を覗き込まれた。


「始まったって言うか…」


 別に…もう言ってもいいんだよね?



 旅の二日目の夜…

 沙都はあたしを抱いて、そのまま朝まで部屋に居た。

 沙也伽は…ちゃんと男性陣がいいようにしてくれてたみたいで。

 沙都が部屋に戻った後で、沙也伽も戻って来て。



「まあ、あんたが幸せならあたしはいいけどね。」


 って、目を細くして笑った。



 あの家での最後の夜も…

 クリスマスパーティーで、沙都はあたしのそばにいて腰を抱き寄せてたし…

 もう、バレバレだよね。

 いいんだよね。



「…沙都と…付き合うって言うと…今更だけど…」


 あたしがしどろもどろに答えると。


「えっ!?」


 空ちゃんが、予想以上に驚いた。


「な…何?」


「いや…なんか、ちょっと…予想外な気もして。」


「そう…?」


「まあ、沙都なら間違いないだろ。昔から紅美にくっついて歩いてたんだ。紅美の事をよく分かってる。」


 わっちゃんがそう言って。


「うん…そうだよね。うん。ほんとだ。」


 空ちゃんは、笑顔であたしに言った。


「良かった…紅美が幸せそうで。」


「…ありがと。」


 海くんとの時…みんなに心配をかけた。


 今度は…

 沙都とは…

 ちゃんと、笑い合っていきたい。


 …結婚は…

 全然頭にないけど…

 でも、いつか。

 タイミングが来たら。


 沙都と…そうなりたいな…




 〇朝霧沙也伽


「紅美と沙都?」


「うん。」


「……」


「驚いたでしょ。」


「ああ……って、驚かねーっつーの。」


 あたしは帰国してすぐ、希世に沙都と紅美の事を話した。

 ビックリするだろうと思ったけど…

 希世は全然驚かなかった…!!

 なんでー!?

 あたし、大スクープって思ってたのに!!



「だいたい、俺、ずーっと紅美と沙都は付き合い続けてるんだと思ってたし。何、あいつら途中別れてたんだ?」


 …あ。

 そっか。

 そうだよね。

 紅美が先生と何かあったとか。

 ノンくんが参戦して、三人が紅美を奪い合ったとか。

 そんなの…誰も知らないよね…!!


 あー!!なんだ!!

 つまんなーい!!

 みんなに言っちゃえば良かったよ!!



「それより…頑張ったな、沙也伽。」


 希世は突然…真顔。


「…え?」


「アメリカデビューなんてさ…なかなかできるもんじゃないぜ?」


「……希世。」


 そうだ…

 あたし、旦那を差し置いてアメリカデビューだよ。

 しかも…

 希世のバンドは、その間に…メンバー交代を余儀なくされる事態に。



「…DEEBEE、大丈夫?」


 少し遠慮がちに問いかけると。


「平気平気。一人抜けたぐらいで潰れやしないさ。」


 希世はのんきそうに言ったけど…

 でも、辛いよね…

 ずっと、辛い時期も一緒に乗り越えてきたメンバーだもん…


「でも…少し堪えた…。」


 珍しく…希世が弱音を言った。

 あたしは希世に手を伸ばして…頭を抱き寄せる。


「…ごめんね…そんな時にあたし…向こうで青春してて。」


「…青春してたのか。」


「うん。すごく。」


「…ま、楽しかったならいいよ。帰ったらおまえには仕事の上に育児もついてくるし…」


「あたしが帰ったからって、怠けないでね。」


「もちろん。」


 とは言いながら…

 あたし達は同居してるから、普通の夫婦の子育てよりはずーーーっと楽ちん。

 だって、朝霧家…

 みんなすごく協力的だもん。



「…浮気しなかった?」


「するかよ。」


「ほんとに?」


「疑ってんのか?」


「ジャケットのポケットに、電話番号書いた紙が入ってた。」


「えっ!!」


 あたしはカマをかけただけなのに。

 希世は大きな声でそう言うと。


「あっあああああれは、違うんだ!!」


 あたしから離れて…慌ててる。


 …こいつ…

 浮気しやがったな…!?


「希世…」


「違う!!ちょっと…ちょっと付き合いで…」


「何の付き合いよ。」


「その…」


 ゴクン。

 希世は生唾を飲む音を部屋に響かせて。


「その…しゃ…社会勉強のために、行っただけで…」


 狼狽えた。


「行った?どこへ。」


「……」


「希世。」


 あたしがすごむと。


「…風俗…」


 希世は小さくつぶやいた。


「……あんたとは一生寝ない。」


「沙也伽!!悪かった!!でも聞いてくれ!俺はやめとこうって言ったんだ。だけどあいつがどうしても社会勉強のためにって言うし、おまえはアメリカだし、俺も寂しくてついって言うか、でも全然気持ち良くなくてやっぱおまえじゃないとダメだって、でも俺も男だから仕方なくその」


「うるさい。」


 希世の言葉、途中で遮る。



 本当は、そんなに腹は立ってない。

 だって、あたしも…風俗じゃあないけどさ。

 男前に囲まれて、旅したりパーティーしたり、飲んだりしてたわけだし。

 だけど、またみんなで遊びに行ったりしたいから、これは希世の弱みとして掴んでおこう♡


 希世、愛してる♡




 〇桐生院華音


「華音。」


 大晦日。

 事務所から帰った後、ばーちゃんと窓拭きをしてると、親父が険しい顔で帰って来た。


「あ?」


「おまえ…DANGERはこれから先、どうするつもりだ?」


「…は?」


 親父は…何かイラついてるのか…

 腕組みをしたかと思うと、前髪をかきあげて。


「…くそっ…」


 小さくだけど、そう言ったり…


「…千里さん、何かあったの?」


 ばーちゃんが問いかけると。


「…アメリカデビューは、間違いだったかもしれない。」


 親父はそんな事を言った。


「…間違いって何だよ。俺ら、一応課題クリアだろ?」


 雑巾片手に立ち上がって。

 少しムカついたもんだから…口調も柔らかくはなかった。

 それを少し反省しながらも親父を見据える。

 すると、親父は斜に構えて。


「おまえら…向こうで何してやがった。」


 低い声で言った。


「…何の事だよ。」


「グレイスに何か聞いたんじゃないのか?」


「は?」


「華音には言った。ってグレイスは言ってる。」


「……」


 まさか…

 おい…

 嘘だろ…


 俺は、血の気が引いて行く気がした。



「いや…聞いたけど…まさか…」


 俺が狼狽えると。

 そばにいたばーちゃんが。


「…話が見えないけど…何か大変な事があったの…?」


 親父に問いかけた。


「…DANGER、続けるなら…」


「……」


「DEEBEEみたいに、メンバー探さないとな。」


 親父はそうとだけ言って…歩いて行った。


 …嘘だろ…


「…華音…?」


「…ばーちゃん…信じられない事が起きたら…どうするもんかな。」


 俺が小さく問いかけると。


「え?…んー…確かめる…わね。」


「…そうだよな…」



 グレイスから言われたのは…

 沙都に。

 ソロデビューの話を持ちかけた。って事だった。



 その時俺は。

 何冗談を。って気持ちと…

 カプリでの沙都の歌を聴いて、イケる。と思ったグレイスを。

 デキる女だ。

 とも思った。


 だが…

 まず、沙都が受けない。

 そう思った。

 実際、グレイスが沙都に打診すると、沙都は断ったと言っていた。



 だが…

 グレイスは、諦めてなかった。


『DANGERが帰国しても、沙都はアメリカに残して欲しい』


 と、何度も言って来た。

 本人の意思次第だろ。と何度も言った。

 もちろん…沙都にはその気はなかっただろうし。

 俺も、そう信じていた。



 沙都は、俺と同じで…

 紅美の声を一番綺麗に、カッコよく響かせるために弾いている。

 自分が一番になるためじゃない。


 なのに…



「…沙都。話がある。」


 沙都に電話をした。

 電話の向こうの沙都は…


『…なんだ…ノンくん、知ってたんだ…』




 信じられない言葉を言った。




 〇朝霧沙也伽


 朝霧家のリビングには…家族全員が勢揃い。

 その上…ノンくんと神さんも来てる。


 今日は大晦日で。

 あたしは、事務所から帰った後、お義母さんと御節を作った。

 …何も知らなくて。

 だから…

 今、目の前の会話が…嘘に思えて…



「どういう事だ?」


 お義父さんが、沙都に問いかけると。


「…神さんが、話した通りだよ…」


 沙都は、小さく答えた。

 神さんが話した通りって…


『おまえ、ソロでアメリカデビューするって言ったらしいが本当か?』



 …ソロで…アメリカデビューって…


「…でも、それって…別に悪い事じゃない…よね?」


 瞬きができないな…なんて思いながら、誰にともなく問いかけると。


「…悪い事じゃないな。でも、DANGERは脱退しなくちゃならないけど。」


 神さんの言葉に、あたしは目を見開いた。


「え…っ…脱退…?」


「そういう話だったんだろ?グレイスの話は。」


「……はい。」


 脱退…

 バンド辞めて、ソロで…って事?


 そりゃ、上手かったよ?

 カプリで沙都の歌聴いて、本気で癒されたもん。

 だけど…


 アメリカでソロデビュー?

 なんで?

 …成功すると思ってんの?



「…何で勝手に決めんだよ…」


 ノンくんの低い声。

 あたしはもう…呼吸すら難しく思えた。

 だって…

 紅美は…?

 紅美は、知ってんの…?



「…ノンくん…沙也伽ちゃん、ごめん…僕…色々考えた。」


「……」


「最初は…絶対そんな気ないからって断った。だけど…ちょっと…夢を見たくなったんだ。」


「…夢って…何だよ。」


「…自分のために…頑張るって言うか…」


「……」


「グレイスに言われたんだ。バンドとしてじゃなく…ソロで…僕個人で…夢を見ないかって。」


 あたし達は…勝手に。

 この楽しい時間が続くんだと思ってた。


 永遠に。



 永遠なんて…

 存在しないのに。




 〇朝霧希世


 俺は…

 何も言葉が見つからなかった。


 弟の沙都が、自分の夢を持った。

 それは…喜ばしい事だと思う。

 だけど…さ。

 今までのは?


 DANGERとしてのデビューは、沙都の夢じゃなかったのか?

 日本でデビューして。

 事務所のイベントで、あんなにインパクトのあるステージを見せて。

 アメリカでもデビューして…

 これからだろ?


 なのに…

 その絆を築き上げたであろうDANGERを抜けてまで…

 なんで…ソロデビューなんて…



 俺達DEEBEEは、メンバー脱退を経験したばかりで。

 その衝撃とか痛みというのは…痛いほど分かる。

 沙也伽とノンくんの気持ちを察すると、迂闊に言葉を出せる気がしなかった。

 が…



「…沙都。」


 じいちゃんが、言った。


「夢を見るのはええ思う。けどな、なんでメンバーに相談せずに決めたんや?」


 それだよ。

 なんで相談もなく…



「…反対されると思って…」


 沙都の小さな声に…


 ガツッ!!


「沙都!!」


 …親父が、キレた。


「おまえ…仲間を何だと思ってんだ!!」


「あなた!!やめて!!」


 沙都は床に倒れたまま、口元の血を拭うと。


「…悪いと思うよ…」


「悪いと思う?悪いと思うならやめろ。そんな夢は見るな。」


「…悪いと思うけど…もう、決めたんだ…」


 沙都のその言葉に…親父は握ってた手を再び振り上げようとしたが…


「やめて下さい。」


 それを止めたのは…ノンくんだった。



「…ノンくん…」


 ノンくんは親父の前に立って頭を下げると。


「…俺達で…話させて下さい。」


 いつになく…力のない声で言った。


 …俺の隣にいる沙也伽は…

 親父が沙都を殴った時点で…泣いてた。



「…沙也伽。」


 肩を抱き寄せると、沙也伽は声を押し殺して泣きながら…

 俺の肩に額を当てた。


「……」


 …沙都。

 おまえ…何考えてんだよ…ほんと…



「沙也伽…話せるか?」


 ノンくんが遠慮がちに言ったが…


「…く…紅美は…?」


 沙也伽は、必死に声を絞り出して…そう言った。


「……」


「…紅美…は、どう…どうするのよ…沙都…」


 まだ、みんながいる中での沙也伽の問いかけに。

 沙都は…


「…紅美ちゃんは…」


 ノンくんの後ろで、座ったまま。


「…連れて行く。」


「……」


「……」


 沙都の言葉は。

 ノンくんの目を閉じさせて。

 沙也伽の涙を、より流させた。

 親父は、沙都に勘当を言い渡して。

 神さんは…額に手を当てて首を振った。


 …沙都。

 夢を見るのは…悪い事じゃないけどさ…


 おまえ…

 仲間を悲しませてまで…


 それを見る価値はあるのか…?

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