第28話 翌日。

 〇二階堂紅美


 翌日。

 あたしは、沙也伽と約束したし…と思って、スタジオを早めに切り上げさせてもらって病院に行った。

 貧血も、無排卵性月経も、正直…あたしはあまり大げさに捉えてなかった。

 貧血は、入院騒ぎを起こしてしまったから…反省して治療してたけど…

 婦人科系のデリケートな指摘については、女性の大半がそうなんだ。と勝手に決めつけてたかも。


 …だけど、夕べ考えた。


 あの時気付けなかった妊娠。

 知られる事なく死んでしまった、可哀想な赤ちゃん…

 あたし、たぶん…自分に排卵がないって分かった時、ちょっとホッとした。

 あたしに、子供を産む資格なんてないって言われた気がして。


 …だけど、あたしがいつまでもそんな思いを持ってたら。

 一生、海くんを傷付ける事になる。


 うん。

 ダメだよ。

 ちゃんと治療しよう。



 病院から帰ると、アパートには沙也伽だけじゃなくて…沙都とノンくんもいた。


「あれ?勢揃い?」


 あたしがみんなを見渡して言うと。


「……」


 沙也伽は…ちょっと暗い顔。


「…どうしたの?」


「紅美、座れ。」


「……」


 ノンくんに低い声で言われて、あたしは沙也伽の隣に腰を下ろす。


「病院、どうだった。」


 どうだった。と聞かれても…婦人科に行ってたんだよ!?

 そんなズバリ聞くかな!!


「貧血、まだ良くならないのか?」


 あ…貧血の方ね…


「前より数値はいいよ。」


「完全に人並みになったか?」


「それはー…ちょっとまだ安心はできないって言うか…」


 だから、食べ物と睡眠には気を付けてるつもりだけど…



「今みんなで話してたんだけど、ライヴは延期しよう。」


「……えっ…?」


 思いがけない言葉だった。


「な…なんで?」


「まず、おまえの体を一番に考えようって事になった。」


「だ…大丈夫だよ。ちゃんと薬も飲むし、病院だって通うし。」


「集中して治療して、完全になってからすればいい。」


「そんなの…あたし一人のために、延期なんて…」


「誰がそうなっても、延期だ。」


「……」


「だから自覚を持って、体調管理には気を付けろって言ってただろ。」


 ノンくんの言葉が突き刺さった。

 自分が、体調管理もできない出来損ないみたいに思えた。


 沙也伽と沙都は…ずっと無言。

 たぶん…言い返してくれたんだろうけど…

 ノンくんの言う事は正論だ。



「ライヴの最中にフラフラされちゃ、こっちも全力でやるわけにはいかない。」


 情けなくて。

 悔しくて。

 泣きそうになった。

 …けど、食いしばって我慢した。



「今からグレイスに会って話して来る。」


 ノンくんが立ち上がる。


「あたしも行く。」


 あたしがそう言うと。


「…来なくていい。」


 ノンくんはあたしを見ないまま…静かな声でそう言って、部屋を出て行った。



 〇朝霧沙都


 ノンくんが事務所に行った後、僕と沙也伽ちゃんと紅美ちゃんは、長い間無言だった。


 ライヴを楽しみにしてただけに、そこまで?って思ってしまう所もあるけど…

 でも、紅美ちゃんの体が一番なのも当然で…

 僕は、『紅美の体の事を考えて』って迷わず言ったノンくんに、少し嫉妬した。



 だけどさ。

 こんな決め方って…紅美ちゃんを悪者にしてるみたいで、僕は納得いかない。


 案の定、紅美ちゃんは僕と沙也伽ちゃんに。


「ごめんね…あたしのせいで…」


 そうつぶやいて、部屋に入った。



 僕が歩いて家に帰ると、ノンくんはまだ帰ってなくて。


「あれ?キリは?」


 急なミーティングだったから、晩御飯の支度が出来ないって連絡すると、曽根さんが『任せとけ』って言ってくれて。

 テーブルには…ピザが並んでる。



「事務所に行ったよ。」


「そっか。ニカも遅くなるみたいだし、先に二人で食べちゃおうぜ。」


「そうだね。」



 気分が滅入ってて、本当は何も食べたくなかったけど。

 ピザだけじゃあなあ…って、冷蔵庫を覗いて、サラダとスープも作った。



「…何かもめ事でもあった?」


 さすがに曽根さんでも気付いた。

 たぶん、僕の顔にはハッキリ書いてあったと思う。

『落ち込んでます』って。



「実は…ライヴが延期になるかもなんだ…」


 肩を落として言うと。


「えっ!?もう来週なのに!?」


 そう。

 来週。

 今週の始めにはライヴ告知もされて、10ドルというインディーズ並みの格安チケットは、瞬く間に完売した。


「紅美ちゃんの体調が万全じゃないから、やらないってノンくんが。」


「あー…」


 曽根さんは眉毛を八の字にして。


「でもそれって、紅美ちゃんは責任感じちゃうよねえ…」


 泣きそうな顔をしてくれた。


「…うん…もうすでに…」


 二人で溜息をついてると…


「ま…それぐらいしないと、紅美は自覚しないだろうからな。」


 いつの間に帰って来て、いつから話を聞いてたのか…

 海くんがジャケットを脱ぎながら言った。


「うおっ…ニカ、いつからそこに?」


「声かけようとしたら、深刻そうだったから黙って聞いてた。」


「おかえり、海くん。」


「ただいま。」


 海くんは手を洗って戻ってくると。


「紅美も辛いだろうけど、俺は決断した華音の方が辛いと思う。」


 手を合わせて『いただきます』と小さく言って、ピザを取った。


「なんたって、三人から恨まれるし…事務所側からもどうにかしろって言われるだろうからな。」


「あ…」


 本当だ…

 ノンくん、そういうの、全部背負ってくれたんだ…



「いや、恨んではないけどさ…」


 思い出したようにそう言うと。


「でも、納得いかないって思ってんだろ?」


 さらりと言われてしまった。


「…うん…」


「ライヴが成功したら、きっと忙しさは続く。体調が悪いまま中途半端に続けるより、治療が先だな。」


「……」


 ノンくんと海くんは大人だと思った。


 僕は…

 紅美ちゃんを守るって言いながら…なんて小さいんだろう。



「…へこむなよ。」


 僕の落ち込み具合に気付いた海くんが、背中を軽く叩いた。


 …そうだ。

 へこんでる場合じゃない。


「うん。ありがと、海くん。」



 それから数分後…ノンくんが帰って来て。



「ライヴ、延期は無理だって言いやがった。」


 低い声でそう言うと、罪のない椅子を蹴飛ばした。



 〇二階堂紅美


『延期案は却下された。』


 落ち込んだまま部屋にいると、ノンくんから電話があった。


「…頑張るから…」


 もう、それしか言いようがなくて。

 あたしは小さくそうとだけ言った。

 すると。


『飯食ったか?』


「…え?」


『晩飯。』


「…まだ。」


『今から行く。』


「え?」


 プチッ


 電話が切れて。

 あたしが部屋を出ると。


「え?あ、うん。分かった。」


 リビングにいた沙也伽も電話中で。


「ノンくんがさ、今から『飯作りに行くから』って。」


 あたしを振り返ってそう言った。



 そして、15分後。


 買い物をして来たと思われるノンくんは。

 ドサリと食材をテーブルに置くと。


「沙也伽、そっちの袋の奴は冷蔵庫。」


 沙也伽に指示を出した。


「あ、はい…」


「紅美。」


「はい…」


「そこでギターの練習しろ。」


「……」


 沙也伽の顔を見る。

 しとけ。って頷いてる。

 あたしはギターを手にしてソファーに座ると、ライヴの一曲目から弾き始めた。


 その間、ノンくんはテキパキと料理を進めて。

 正直…食欲ないなって思ってたけど、途中から漂ってきた美味しそうな匂いに…


 グー


 あたしのお腹は、何度も鳴った。


「食え。」


 ノンくんはテーブルに和食をズラリと並べて。

 フルーツも切って。


「これは、寝る前に温めて飲め。それと、これは明日の朝。こっちのタッパーのやつは弁当箱に詰めて持って来い。」


 そう言って。


「22時にはベッドに入れよ。」


 あたしを指差した。

 そして。


「沙也伽もだ。」


 沙也伽にも、指を差して。


「えっ、あたしも?」


「連帯責任って事で。今夜から俺と沙都も日付が変わるまでには寝る。じゃあな。」


 ドアを開けて。


「紅美、2曲目のソロのチョーキングが上がり切ってない。それと、4曲目のイントロのバッキングが雑すぎる。」


 早口でそう言って。


「うっ…は…はい…」


「じゃ、明日。」


 気忙しく帰って行った。


「……」


「……」


 あたしと沙也伽は顔を見合わせて。


「…やだね。細かくて、料理も完璧に出来る男。」


「まあ…やむを得ずだよね。あたしが根源だし…」


「ま、そこは気にせず…いただこうか。」


「うん。いただきます。」


 二人で手を合わせて、箸を持つ。


 ノンくんの作ってくれた料理は、どれも鉄分やミネラル、カルシウムやビタミンも豊富で。


「まるで栄養士だね。あたしまでますます健康になれそうで嬉しいわ。」


 って沙也伽が笑った。



 …落ち込んでる場合じゃない。

 頑張らなきゃ。

 これ以上迷惑かけられない。

 やらなくていい事をやらせてしまった。

 ノンくんの負担が増える一方だ。



 ノンくんの言いつけを守って、あたしと沙也伽は22時までにはお互いの部屋に入った。

 寝付けないかなと思ったけど、あたしは寝る前に飲めって言われたプルーンとハチミツの入ったミルクを飲んで…

 即寝した。


 そして…



「僕は、いつだって紅美ちゃんの味方だよ。」


 …沙都に、抱きしめられる夢を見た…。



 〇二階堂 海


「ボス、耳栓入りますか?」


 富樫が真顔で耳栓を差し出して来た。


 今夜は…DANGERのデビューライヴ。

 富樫と、今こっちに二ヶ月滞在中の志麻と、なぜかまた来てる親父と、トシとでやって来た。



「…聴かないつもりか?」


 富樫の差し出したそれは、かなり強力なやつだ。

 本部等で、わずかな時間で本気の睡眠をとる時のために使われる物。


「いえ…そうではありませんが、ライヴハウスは初めてと聞きましたので…」


「おまえは来たことがあるのか?」


「大学時代に付き合いで一度。」


「どうだった?」


「耳をやられました。」


「……」


 それを聞いていた志麻が、少し笑いながら。


「実は私もライヴハウスは捜査で入った事しかないので、華音さんに耳栓の有無を聞いてみたら『侮辱か』と言われてしまいました。」


「……」


 …何とも、残念な感じがする自分達に苦笑いをしてしまった。

 親父は、そんなの要らない要らない。と余裕。

 トシに関しては…


「俺は前に行くけど、初心者は後ろの方が耳に優しいと思う。じゃあな~。」


 と、さっさと一人で前に行ってしまった。

 …今日は俺の部下になると言ったクセに。



 とは言っても、今夜はオフのつもりで全員私服だ。

 それでも気を抜けないのか…富樫も志麻も、常に周りに神経を張り巡らせている。


「入り口でしっかりボディチェックもあったし、心配するな。たまには楽しもう。」


 俺が思っていた事を、親父が言ってくれた。

 本当に…

 こういう場所に『遊び』に来るとなると、二階堂で出来る人間も形無しだ。



 間もなくして、会場の照明が落ちて…

 流れていたBGMが少し大きめになって、それから消えた。


「始まりますね。」


 富樫は緊張した面持ちで、耳栓はしていないが…少し右耳をかばうような体勢でステージに目をやった。



 会場は、500人ぐらいの観客。

 チケットは発売当日にソールドアウトと聞いた。

 何がペーペーの新人だ。

 期待されまくりの新人じゃないか。


 ギターの音が聞こえたかと思うと…

 次の瞬間、同時にドラムとベースが加わって、幕が落ちた。


「うわ…っ…」


 至近距離にいた志麻から、声が漏れた。

 いつもクールな志麻が、肩を揺らせたのが少し嬉しかった。

 そうだろ。

 俺も映像で見た時でさえ、そうなった。


 て事で…


 こうやって生で見て…

 鳥肌が止まらない。



 ギターをかき鳴らす紅美と華音。

 そこにベースの沙都が加わって、客席に向かって体勢を落としてリズムを取る。

 最前に、拳を振り上げているトシの姿が見えた。



 紅美とは…さくらさんを送って行った空港以来会っていないが。

 貧血の状態があまり良くならなかったらしく、華音がピリピリしていた。


「自分の健康管理もできねー女、最悪だ。」


 なんて言いながら、紅美のために栄養バランスの整った料理をしては、晩飯前に届けていた。と、トシに聞いた。



 紅美と華音がツインボーカルをしていたCDとは少し違って、ほぼ、紅美がメインで歌った。

 だけど全然物足りなさは感じなかった。

 むしろ、それに全員がコーラスで加わったり、華音が絡むように入り込む事で、CDよりも広がりを感じた。


 音楽には詳しくないが…それでも、成長し続けてる。と思わされた。



 ステージの紅美は相変わらずキラキラとした目で。

 それが…俺を笑顔にした。


 …俺は、すっかり紅美のファンだな。



 心から、そう思えた。



 〇二階堂紅美


 ノンくんの料理と、うるさいぐらいの睡眠時間チェック。

 処方された薬はちゃんと飲んでるし…

 たった一週間なのに…体調はいいと思っても、どこか怠さが残ってた先週より、断然元気だ。



「おかげで、万全の体調で今日を迎える事が出来ました。」


 ライヴ前。

 ライヴハウスの自動販売機の前でノンくんを見付けて、後ろから声をかける。


「あ?」


「ありがとうございました。」


 そう言って、ペコリと頭を下げると。


「まったく…手のかかる女だ。」


 ノンくんはそう言うと。


「今日は頼んだぜ。」


 あたしの肩をポンポンとして、歩いて行った。



「……」


 ノンくんは…

 オフが明けてからというもの、音楽以外の話をしない。

 あ、体調管理の話はするけど。

 あたしの事で、海くんと殴り合いしたり…

 ちょっと気持ちがざわついたりしたのに。

 あたしの事は、バンドメンバーとしてしか見てない。


 そんな感じ。



 …まあ、いいんだけどね。

 今は、ほんとに…バンドの事に集中しなくちゃだし。

 本当は延期になるかもしれなかったはずの、今日のライヴ。

 頑張るしかない。



「あ、紅美ちゃん。ここにいたんだ。」


 沙都の声がして振り返ると。


「今日、日本のビートランドにも中継入るんだって。」


 目を細めた沙都が、小声でそう言った。


「えっ。」


「頑張らなくちゃって思ったけど…僕らは僕ららしく、楽しくやろうね。」


「……」


 頑張るしかない。

 そう思ってたとこに、沙都の『僕らは僕ららしく』が、響いた。


「…そうだね。楽しくやらなきゃ、伝わらないよね。」


 本当は…

 最近のノンくんとの距離感に戸惑いがあって。

 楽しむ気持ちがよく分からない気がしてた。


 だけど…

 ダメじゃん、あたし。

 あたしは、ノンくんのために歌ってるわけじゃないよ。



「…紅美ちゃん。」


 あたしが黙ってると。


「ん?」


 沙都はあたしの手を取って。


「僕、もうずっとワクワクが止まらない。」


 あたしの目を見た。


「…沙都…」


「覚えてる?紅美ちゃんちのスタジオで、僕が初めてギターを弾いた日の事。」


「…懐かしいね。」



 あれは…あたしが父さんに叱られて、スタジオに隠れてた時だった。


「紅美ちゃん、いる?」


 部屋に居ないあたしを探しに来た沙都は、泣いてるあたしを見て。


「紅美ちゃん、聴いて。僕、おじいちゃんにギター習い始めたんだよ。」


 あたしの練習用に置いてあったギターを手にして、あたしの苦手な『F』のコードを綺麗に弾いた。



「沙都があっさりFを弾くから、泣いてる場合じゃない!!って、あれからあたしの猛練習が始まったのよね。」


「僕はまだ、紅美ちゃんよりチビだったっけ。」


 懐かしくて、笑い合う。


「僕はどこでだって、紅美ちゃんと弾いてればハッピーだよ。」


「沙都…」


 沙都は握ってたあたしの手を引いて、そっとあたしを抱き寄せると。


「…ノンくん、厳しい言い方しかしてないけど、毎日栄養学の本読んだりさ…誰よりも紅美ちゃんの事心配してた。」


 耳元で、そう言った。


「…え?」


 あたしが沙都を見上げると。


「あ、違う。」


 沙都は小さく笑って。


「誰よりもって事はないや。僕と同じか、僕の次ぐらいに…紅美ちゃんの事心配してた。」


 そう言って、少しだけ…抱きしめた腕に力を入れた。

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