第27話 こんな所で希世の叔父夫婦に会うなんて。

 〇朝霧沙也伽


 こんな所で希世の叔父夫婦に会うなんて。

 正直、渉さんの耳が心配だったけど。

 曲が終わると渉さんは立ち上がって拍手をしてくれた。

 その隣で、空さんは…


「か…」


 腰が抜けたみたいになって、言葉も出て来ない。


「ははっ。たぶん、カッコいいって言いたいんだよな。」


 渉さんの言葉に、コクコクと頷く空さん。


 ふふっ。

 嬉しいなあ。


「あ、失礼。」


 携帯が鳴って、渉さんがスタジオを出て行った。

 忙しい人なのに、あたし達の見学してくれるなんて、涙が出ちゃう。

 はーっ…でも、今のはほんと…あたしもシビレたわ。

 紅美とノンくん…

 バッチリだったなあ。



「紅美ちゃん!?」


 あたしがペダルの位置を直そうと下を向いた途端、沙都が叫んだ。

 驚いて顔を上げると…


「紅美!?」


 紅美が、沙都に支えられてる。


「あ…ごめん…平気。ちょっと立ちくらみ…」


「平気とかいうな。休め。」


 ノンくんが椅子を出したけど…


「医務室で横になった方がいいよ。」


 沙都はそう言ったかと思うと…


「…えっ…」


 紅美が驚いた顔してる。

 あたしもだよ。

 ついでに…ノンくんと空さんも。


 だって、沙都…

 紅美をお姫様抱っこして、みんなが呆然としてる中、スタジオを出て行っちゃった…


「……」


「……」


「……」


 三人で、開いたままのドアを見てると。


「あー、わりいわりい……って…え?何か…あったのか?」


 渉さんが戻ってきた。


「…紅美が立ちくらみがしたとかって、沙都が抱えて医務室に連れてった。」


 空さんがそう説明すると。


「立ちくらみ?あいつ…こっち来た時も貧血で入院してたよな。大丈夫なのか?」


 渉さんが険しい顔して、誰にともなく言うと。


「…検査はちゃんと行ってるみたいっすよ。ちょっとテンション上げ気味でやったから、酸素が足りなくなったんじゃないっすかね。」


 ノンくんが…何とも淡々と、低い声で答えた。


 …あなた、おもしろくないんですね?

 自分からは、ああしろこうしろって振るクセに。

 いざ沙都が自分から動いたら…

 おもしろくないんですね?



 ノンくんは、置き去りにされた紅美のギターを片付け始めて。

 空さんは、『紅美の様子見てくる』って、スタジオを出た。


 …さて。

 あたしは…?

 どうする?


 渉さんとノンくんを二人きりにして、渉さんがノンくんに本心を問いただす(渉さんは何も知らないと思うけど、何か期待)のを、コッソリ覗くとか…

 それとも、空さんについて行って、医務室をコッソリ覗くか…


「……」


 そして結局あたしは…

 椅子とバスドラの間にしゃがんで、ペダルを直すフリして沈黙を守った。



 〇二階堂紅美


「沙都、平気だってば。」


「平気じゃないよ。」


 あたしは沙都の腕の中で少し暴れた。


 だって…

 立ちくらみなんて、本当に少しだったのに。

 マイクスタンドに寄りかかろうとして、ちょっと足がもつれただけなのに。


 沙都はあたしを抱えて医務室に。

 誰もいなかったけど、沙都は迷いもせずあたしをベッドに降ろして。


「紅美ちゃん。」


 あたしの顔の横に…手を置いて…あたしを見つめた。


「…何。」


「平気平気言わないで。」


「…だって」


「だってじゃないよ。本当は辛い事がいっぱいあって、体も心もボロボロになりながらここまで来て…」


「……」


「気を抜いたら倒れるって…自分で言い聞かせてたでしょ。」


「沙都…」


「もう…そんな時期は乗り越えたのかもしれないけどさ…僕、いつだって紅美ちゃんのそばにいて、紅美ちゃんの事支えたいって思ってるんだよ?」


「……」


「頼むから…甘えてよ…」


 沙都はそう言って…

 ゆっくりと、あたしの上に上半身を乗せた。


 …懐かしい、沙都の香り。

 沙都…なんで?

 こんなの、反則だよ…


 今は、全然辛くなんかない。

 海くんとの事も…もう乗り越えられた。

 ばあちゃんが帰国した時に会って以来…

 もう、海くんには会ってないけど。

 ノンくんと沙都が一緒にいるなら…海くんは大丈夫って思う。

 それに、あたしも…。


「沙都…ありがと。」


「……」


「でも、本当…今は大丈夫なの。とにかく…来週のライヴに向けて、全力でやるしかないって思ってるぐらいで…」


 沙都はゆっくりと体を起こすと。


「…紅美ちゃん。」


 あたしの頬に触れた。


「…ん?」


「…何も心配ないよ。」


「……」


「僕、紅美ちゃんが安心して…楽しく歌えるように、ずっと頑張ってきたから。」


 可愛い笑顔。


 沙都…

 本当…あんたって、あたしの癒しだ…


「僕は、僕のやり方で…紅美ちゃんを想い続けるし、大事にするよ。」


 沙都はそう言うと、唇を近付けて…

 …額にキスをした。


 …あたし…今…

 当然のように、唇に来ると思ってしまった。

 もう、沙都とは何年も…寝てないし、そういう関係じゃなくなってるのに。

 すごく自然に…受け入れようとしてた。


 …何なの。

 あたし…


 何なのよ。


「…ごめん。付け込むとこだった。」


 沙都が苦笑いする。


「なんで謝るの…」


 あたしがそう言うと。


「…フェアでいたいからね…」


 沙都はそう言って。


「だけど…やっぱり僕はズルい。」


 一瞬…

 あたしの唇に、キスをした。



 〇二階堂 空


 …ヤバい。


 沙都と紅美の後をついて、医務室に来てみたのはいいけど…

 まさか。

 まさか…

 まさかー!!

 沙都がこんなに積極的だったなんて!!


 キスしてたよね。

 紅美も驚いてたよね。

 て言うかさ、お姫様抱っこにも驚いたけど…

 ベッドに降ろして手を着かれた辺りから…

 あんなに子供だと思ってた沙都に、あたしがキュンキュンしちゃったよ…


 ああ…

 沙都。

 あんた、男なんだね…。



 あたしは後悔してる。

 足音を忍ばせて、ベッドが見える位置まで、医務室の中について入ってしまってた事を。

 幸い二人からは、あたしの位置はパーテーションに遮られて見えてないと思うけど…


 …でもな…

 そうだよね。

 沙都、辛かったよね。

 ずっとそばにいた紅美が、家出した時はすごくショックで…

 毎日捜し歩いてたもんね…。


 紅美が戻って来てからは、元通りになるのかと思いきや…

 今度は兄貴が渡米…紅美も渡米…

 紅美は実はうちの兄貴を好きで…

 兄貴も紅美を好きで…なんてのが発覚して。

 だけど二人は結ばれなくて。


 紅美を支えるのは沙都しかいない。

 みんな、そう思ったわよ。


 なのに。

 蓋を開けたら…

 まだ兄貴と通じ合ってるの?みたいな…


 その上…

 桐生院のハンサム君までが参戦してるって…

 どうよ。


 そりゃ、沙都…

 辛いよね。



 でも、あたしは思うよ。

 紅美、あんたの事…すごく頼りにしてると思う。

 頼ってって言った所で、紅美が素直に頼るはずないけど。

 それって、沙都だけに限った事じゃないわ。

 兄貴にも、ハンサム君にも頼らないと思う。

 頼り方が分かんないのよね。


 だけど、そんな紅美がさ…

 沙都には一番心を開いてると思うのよ。


 だから…

 頑張れ、沙都。

 あたしは、あんたを応援する…!!



 パーテーションの向こう、沙都が医務室を出て行く気配がした。

 あたしは少し時間を空けて、ゆっくりと医務室を出ようとして…


「…空ちゃん。」


 …う。


「…ごめん。バレてたか。」


「…心配かけてごめん。」


 あたしは紅美に近付いて。


「大丈夫なの?」


 紅美の前髪をかきあげた。


「…貧血がね…入院した時は良くなったけど、流産以降、生理がきつくてさ。」


「診てもらった?」


「うん。」


「そっか…ちゃんと治療しなよ?」


「ん…ありがと…心配かけてごめん。」


 あたしは紅美の頭をポンポンとすると、医務室を出た。



 スタジオに戻ると…何だか…


「…何…この空気…」


 小声でわっちゃんに問いかけると。


「いや…分かんね…」


 わっちゃんも小声で答えた。


 無言のまま、自分の荷物をまとめて…床の掃除をしてる沙也伽ちゃんとか。

 誰とも視線を合わせずに、ベースを片付けてる沙都とか。

 そんな中、ハンサム君は自分と紅美のギターを片付けて。


「沙也伽。」


「…え?は…はい?」


「紅美のとこ、ついててくれ。」


 下を向いたまま言った。


「…うん…分かった…」


 沙也伽ちゃんが荷物を持つと。


「帰れそうになったら連絡してくれ。ロビーにいる。」


 ハンサム君も二人分の荷物を持ってそう言った。



 〇朝霧沙也伽


 空ちゃんが戻って来て、それからノンくんに言われて、あたしは堂々と医務室に行った。

 寝てるかな?と思ってこっそり入ったけど。


「起きてるよ。」


 あたしの忍び足は、全然忍んでなかった。


「具合どう?」


 あたしがベッドの脇に座って言うと。


「別にどうって事なかったんだよ。少し立ちくらみがして、マイクに寄りかかろうと思ったら躓いただけなんだから。」


 紅美は仰向けになったまま、眉間にしわを寄せた。


「…沙都、血相変えて…ビックリした。」


 あたしが小さくつぶやくと。


「…そうだね…」


 紅美も、他人事のように言った。


「…ねえ、立ちくらみって…」


「ん?」


「…思い切って聞くけど、妊娠とか…大丈夫なの?」


 紅美の目を見て言うと。


「ああ…それはないよ。」


 紅美は額に手を当てて言った。


「…今更なんだけど、こっち来て入院した後から、基礎体温つけてるんだけどさ。」


「うん。」


「あたし、排卵がないみたいでさ。」


「え…?」


「だから、一応…その治療もしようと思ってるんだけど…」


「まだやってないの?」


「日本帰ってからにしようかなと思って。」


「……」


 あたしは…できちゃった婚をしたぐらいだから。

 排卵、してるよ。

 自分に排卵があるとか無いとか…意識した事なかった。

 で、それがなかったら…妊娠しないって事?



「…なんて言うか…ちゃんと治療してよ。帰ってからとか言わないで、明日病院行って相談しようよ。」


 何でか、声が小さくなった。


 あたしは…こういう仕事してても、ちゃっかりって言うか…

 本当、周りに助けられて出産も結婚式もさせてもらえて…

 なんて…幸せ者なの?


 なのに、紅美の事、ちょっと羨ましいなんて思った時期があった。

 熱い恋をして、みんなから愛されて。

 あたしだって、愛してるけどさ。

 だから…紅美には本当に幸せになって欲しい。


 …相手が誰だろうが。



 あたし、紅美の赤ちゃん…抱っこしたいよ。

 だから、絶対…紅美には幸せな結婚をして、可愛い赤ちゃんを産んで欲しいって思う。



「んー…でもライ」


「明日行って。」


「……」


 紅美の言葉を遮って、強く言った。


「お願い。」


 あたしが紅美の目を見て言うと。


「…分かった。」


 紅美は首をすくめて、小さく答えた。



 〇朝霧 渉


「え。」


 俺と空は、同時に声を上げた。

 現場帰りの海と待ち合わせて、朝子ちゃんと婚約解消をした後から一人で暮らしていた、あの小汚いアパートに行くのかと思いきや…


「引っ越したんだ。」


 と連れて行かれた先には…


「あ、おかえりー。」


「早かったな。」


「あれっ、ゲストあり?」


 沙都と、華音と…もう一人、男性が。



「何だよ。スタジオでは何も言わなかったじゃないか。」


 沙都の頭をわしづかみにして言うと。


「あいたたっ。だって海くんから内緒って言われてたんだもん。」


 沙都は俺の手を掴んで、頬を膨らませた。


 …こいつ…

 いつまで経っても可愛い奴だ…。

 つい、口元が緩む。



「何でこんな展開に?」


 誰にともなく問いかけると。


「……」


 四人全員が顔を見合わせて。


「誰か説明した方がいいんじゃ?」


「俺は連れて来られただけだから。」


「え?ニカのためのシェアかと思ってた。」


「簡単に言うと、ストレスだらけの海の身を案じたうちのばーちゃんが、勝手にここを契約して勝手に俺達を集めた、と。」


 最終的に、華音が答えた。


「…華音のおばあさんが?」


「はい。」


 華音のおばあさんと言うと…

 ここ数年…ちまたでは(ビートランド界隈だが)、かなりの有名人となった人。


「あれ?俺だけのためか?」


 海が三人に言うと。


「all for ニカだよ。」


 なぜか海の事を『ニカ』と呼んでいる男性が、真顔でそう言って。


「トシは華音のために来たんじゃないのか?」


「あっ、そうだった。俺 for キリだよ。」


「…バカか。暇だから来たんじゃねーのかよ。」


「俺は全然暇じゃないぞ?」


「んじゃとっとと帰れ。」


「沙都くん~。キリが冷たい~。」


「曽根さん…とりあえず、食器運んでもらえますか?」


 結局…華音に冷たくされて、沙都に泣きついている。



 …ストレスだらけの海の身を案じた、華音のおばあさんが…ね。

 確かに、今までの海には…

 こうやって、呼び捨てにしてくれるような同年代の知り合いはいなかったはずだ。

 しかも…華音は海より年下のはずなのに。

 さっきから、かなりのタメ口で…それもケンカ腰。

 …それでも、横に立って味見させてるなんて…笑える。


 海。

 やっと青春が来たって感じか?



 その後、沙都と華音が作ったという晩飯をいただいた。

 意外に生活は快適だ。と海が言うと、沙都は嬉しそうに笑い、曽根くんとやらは海とハイタッチをし、華音はクールに鼻で笑った。



 …紅美と、改めて終わった。と聞かされた。

 まだ少し胸は痛むが、今回は本当に進める気がする。と。

 二人が出した結論なら…

 俺は何も言えない。


 ただー…

 今日、沙都が紅美を医務室に連れて行った後…華音は一言も喋らなかった。

 その表情から何かを読み取ろうとしたけど…華音は淡々と荷物を片付けるだけだった。


 終わったにせよ…

 海に、沙都に…華音…か。


 紅美にとって、ストレスにならなければいいんだが…

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