第26話 「うおっ…」
〇桐生院華音
「うおっ…」
朝から曽根が変な声を出した。
「何だよ。」
「いや…だってさ…ほら、見てみろよ…」
曽根が少し照れた顔をしてそう言ってるのは…
たぶん、海のスーツ姿だ。
俺は昨日の殴り合いでみんなに迷惑をかけた分、若干反省して夕べから飯係を買って出ている。
その代わり、俺が飯係になると塩分控えめの薄味和食になる分…
曽根と沙都は、調味料を自分で足すという羽目になる。
海は…ま、30過ぎてるからな。
塩分の摂り過ぎが後々身体に良くないと分かってるからか、俺の味付けに文句も言わず…
文句どころか、『美味い』と言って食ってくれる。
まあ…
ばあちゃん直伝の味だ。
不味いわけはない。
食材の味を生かした料理の良さを解ってない曽根と沙都は、まだまだ味覚が子供だ。
ふっ。
「ほら、曽根、早く座れ。」
立ったままで海に見とれてる曽根に言うと。
「あっ…ああ…ニカ、かっけーな…」
曽根は惚れた女を見るかのような目で、海に言った。
「曽根さん、海くんのスーツ姿、初めてだっけ?」
沙都がお茶を入れながら言う。
「ああ。どこのモデルかと思った。」
「そんなに褒めても何もでないぞ。」
「ニカ、何の仕事してんの。」
「警察。」
あまりにもあっさりと…海が答えた。
「えっ!!警察って…刑事!?」
曽根は必要以上に驚いて、俺と沙都に『知ってた?知ってた?』と、小声で言った。
「刑事とか言うレベルじゃねーよな。いただきます。」
「ざっくり、警察だな。いただきます。」
「ボスだよね。いただきます。」
「…いただきます…」
曽根は目を白黒させながらも、箸を手にした。
「ところで曽根さん、いつまでこっちにいるの?」
沙都が問いかけると。
「一カ月お邪魔しようと思って。」
「は?おまえ、仕事は。」
曽根は大学院を卒業した後、実家の酒屋を手伝う事になった。
と言うのも、このご時世で『曽根酒店』は二号店を出した。
何のウマい話に乗せられたのか分からないが…
親父さんと曽根の二人の兄貴は、似合いもしない洋風な、まるで『シェフか!!』と突っ込みたくなるような制服を着て、新たなる曽根酒店を始めた。
せめて、ソムリエ風なら良かったのに。
まあ…
こう見えて、曽根は頭のいい奴だ。
何とかなるだろう。
「じゃ、家の事頼むぜ。」
俺が海苔を食いながら言うと。
「えっ!!スタジオついてっちゃ駄目なのかよ~!!」
曽根は立ち上がって大げさに言った。
「気が散る。」
「え~!!」
「ライヴに来いよ。」
「え。ライヴいつ。」
俺が曽根に言うと、海が反応した。
「11月15日。」
「チケットいくらだ?」
「10ドル。」
「…安すぎじゃないのか?」
「ペーペーの新人だからな。」
「チケット、どこで売ってる?」
「まだ売ってねーよ。ライヴ十日前に告知するって無謀な売り方しやがる。」
俺の言葉に、海は首をすくめて曽根は『ひー』と小声で言った。
「じゃ、5枚予約。」
そう言って、海は財布から金を出した。
「5枚?」
「ああ。部下と行く。」
「……」
海は招待しようと思ってたけど…
ま、部下と来るって言うなら買ってもらうか。
「サンキュ。」
海から金を受け取る。
すると曽根が。
「ニカ、俺も部下に入れといてくれる?」
海の袖口を持って、小声で言った。
〇二階堂紅美
オフ明け、初のスタジオ入り。
朝、沙都から電話があって。
『あ、紅美ちゃん?おはよ。ノンくんが、迎えに行くから一緒に行こうって。』
そう言う沙都の後ろで。
『俺がって言わなくていいっつってんのに。』
ノンくんの低い声が聞こえて来た。
「久しぶりね。しっかり休んだ?」
四人で車に乗って事務所に。
スタジオに入ると、久しぶりのグレイス。
「今日が待ち遠しかったぐらい。」
「それは良かったわ。」
あたし達のデビューライヴは…
ライヴ10日前に告知すると言う…ちょっと怖い売り込み方。
売れなかったらどうするの?って聞いたら…
「他のライヴより安いから、ちょっと覗いてみようかなぐらいの気持ちで買う輩もいるわよ。」
と、グレイス。
…そんなもんなのかな。
ともあれ、ライヴに向けてのリハ開始。
十日ぶりという事もあって、テンションあがる…!!
「紅美。」
三曲目が終わったところで、ノンくんに声をかけられた。
「ん?」
「ボイトレしてたか?」
「え?うん。」
「……」
「何。」
「いや、何でもない。」
…うわ。
気持ち悪い。
何なのよ。
ハッキリ言わなきゃ分かんないじゃん…!!
だけど、たぶん…あたしの今日の歌が、ノンくんは気に入らないって事だよね。
…いや、いちいち惑わされるのはやめよう。
変に力を入れるのも良くない。
今日のあたしに出せる物を出すだけだ。
それから、休みなく10曲通した。
久しぶりに大きな音に触れられて、すごく楽しい!!
耳に入って来るどの音も、愛しくてたまらないと思った。
「あ~爽快。」
沙也伽がタオルを首にかけて、机にまとめて置いてるペットボトルを手にした。
「10日もオフがあると鈍っちゃうかって心配だったけど、変わんなかったね。」
沙都が沙也伽の隣に並んで、水を飲みながらそう言った。
「…変わってないと思うか?」
ふいに…
ノンくんの低い声。
「…え?」
三人でノンくんを見る。
ノンくんはタオルで汗を拭きながら。
「誰も気付いてないのか?」
…ちょっと…変なオーラが出てる。
「……」
「……」
「……」
あたし達三人は、顔を見合わせて。
「気持ち良かった…けど。何かダメだった?」
あたしがそう言うと。
「…おまえ…」
ノンくんがあたしの目を見て。
「…『ラ』がすんなり出るようになってるじゃねーか。」
ニヤリ。と…笑った。
「…え?」
「だから気持ち良かったんだよ。」
「……」
そ…そうなのかな。
そう言われると、今までは何となくシャウトして誤魔化したりしてる部分あったけど…
今日は、楽しくて…嬉しくて…
「メンタルも強くなった。」
「…さっきの、そういう事?」
「そ。」
わざとあたしを惑わそうとしたんだ…?
くっそー…
「でも、変わらなかった。最初から最後まで、いい物聴かせてくれた。」
「……」
ノンくんはギターを置いて、ペットボトルの並ぶ机まで歩くと。
「沙都、沙也伽、コーラスのパート…」
二人とコーラスの話を始めた。
…何だろ。
あたし、成長した…?
何があって、そうなったのか分かんないけど…
「よし。じゃ、それで行ってみよう。」
「オッケー。」
コーラスの打ち合わせも終わって、それぞれ持場に戻る。
「頼むぜ。うちの歌姫。」
ノンくんが通りすがりに…頬にかかってたあたしの髪の毛を、人差し指ではらった。
〇朝霧沙都
「沙都。」
リハも大詰め。
休憩中、事務所の向かいにあるカフェに買い出しに行って戻ると、ロビーで声を掛けられた。
「わっちゃん。あ…空ちゃんも。」
僕の叔父さんである、わっちゃんと、その奥さんの空ちゃん。
「えー、どうしたの?」
「ちょっと色々あってな。」
「色々?」
「仕事でな。」
仕事…
わっちゃんは腕のいい整形外科医。
以前は大学病院で腰を据えて働いてたけど、ここ数年は海外にも呼ばれてあちこち動き回ってる。
「ゆーちゃんは?」
「祖父母の所。初めて会うから、デレデレでねえ。」
ゆーちゃんとは、二人の愛娘の
一歳。
20歳違いの、僕のイトコ。
「来週ライヴらしいわね。」
「うん。」
「その頃にはこっちにいないから見れないけど、頑張って。」
「ありがとう。」
空ちゃんとは、紅美ちゃん繋がりで知り合って…昔から知ってるお姉さんって感じ。
二階堂仕切りの温泉旅行にも、いつも連れてってもらってたし…
こうして考えると、僕の人間関係の大半は、紅美ちゃんにくっついてて出来上がった物なんだよね…
「今日はもう終わり?」
空ちゃんが、僕が買い出しした物を見ながら言った。
「ううん、まだ途中。一緒に上がる?」
「ふふっ。ごめんね。ここなら一度にみんなに会えるかなと思って。」
「間違いないよね。」
あれ?
でも、空ちゃんとノンくんは面識あるのかな?
なんて思いながら、僕は二人をスタジオに案内した。
「えっ。えーっ!?」
二人がスタジオに入ると、すぐ反応したのは沙也伽ちゃんだった。
「わーっ!!まさかここで会えるなんて!!」
床に座って曲順の変更をチェックしてたのか、沙也伽ちゃんの足元にはペンと紙が散らばってる。
「ちーっす。」
同じく、床に座ってギターを弾いてたノンくんが、ゆっくり立ち上がってわっちゃんに挨拶した。
「久しぶりだな。」
交わされる握手。
「華月がいつも世話に。」
「いやー、あいつはもう俺の手は要らない。すっかり元気だよ。」
「そこまでにしてもらって、感謝っすよ。」
…なんて言うかな…
ノンくんて、本当に家族想い。
ノンくんの家族に対する愛情を目の当たりにしちゃうと、僕も家族に優しくしたいなって思うんだよね。
…普段から思わなきゃいけないんだけどさ。
うちは三人年子のせいか、どーしても…こう…
仲はいいけど、ちょっとライバルみたいな所もあって…
出し抜くって言うか…
「あっ!!わっちゃんに空ちゃん!?」
トイレにでも行ってたのか、スタジオに戻ってきた紅美ちゃんが。
「わー!!嬉しい!!」
何だか…大げさなぐらい喜んで、二人にハグをした。
…どうしたんだろ。
紅美ちゃん…
ちょっと…違和感…
〇二階堂 空
昨日、わっちゃんと夕夏とで渡米。
今日は施設にいる祖父母を見舞った。
以前は言葉も発せられなかった祖父が、夕夏に会って泣いて喜んでくれて…あたしも泣けた…。
おじいちゃん。
また、話が出来る日が来るなんて…思いもよらなかったから。
夕夏を祖父母に預けて、紅美たちのいるスタジオに来た。
何となく…
その後の紅美が気になったのもある。
父さんの話では…
最近の兄貴はすごく変わった。と。
それは…どういう風に?って聞くと。
「会って来いよ。面白いから。」
…何が面白いんだろう。
本部に寄ろうと思ったけど、電話をしたら兄貴は現場で。
終わったら連絡が来ることになっている。
「明後日には帰るの?残念。」
紅美が唇を尖らせた。
来週、こっちでライヴがあるらしい。
見れたら良かったんだけど…
何しろ、今回の渡米は…
わっちゃんが単身赴任するかどうかの見極めのため。
とうとう、こっちの病院からお声がかかってしまった。
三年契約。
うーん…
この女好きを三年も一人にさせていいもんだろうか…
「んじゃ、ちょっと聴いて帰りますか?」
「いいのか?」
「いいっすよ。ただ、普段聴かないレベルの音量だと思うんで、耳に自信がないならティッシュでも詰めて…」
「年寄り扱いするな。」
「ははっ。そういうつもりでもないんすけどね。」
…ハンサム君、わっちゃんには敬語なんだな…
でも、あたしとは目も合わさないってどうよ。
そこがちょっと気に入らないけど…
まあ、あの夜の事を思うと、あまりあたしの印象は良くないんだろうからね…
でも…紅美…
元気そうだわ。
良かった。
あたしとわっちゃんは、並んで座ってDANGERを見る事になった。
実は…あたしはバンドを生で見るって…初めて。
陸兄のライヴ映像をDVDで見たりする事はあったけど、やっぱ…生って違うんだろうな。
『じゃ、二人のために、ライヴ並みのパフォーマンスで。』
紅美がそう言うと、沙也伽ちゃんがカウントを取って…
「……」
「……」
あたしとわっちゃん…
肩が震えた。
ついでに…瞬きも忘れた。
何これ。
か…
かっこいい…!!
沙都と紅美とハンサム君が、弾き始めと同時に頭を深く沈めて…身体を大きく揺らす。
沙也伽ちゃんだって…小さいのに…
何、この力強い音…
え…えー…えーーーっ!?
あたしの知ってる四人じゃないよーっ!!
そして、紅美が歌い始めて…続けて、ハンサム君の声がそれに絡んできた。
…ゴクン。
ちょっと…生唾飲んじゃった…
何なの…何なの、この二人…
あたしには…歌を聴くって習慣がなかった。
結婚相手がわっちゃんで。
一般人で。
だから、夕夏がお腹に居る時、わっちゃんが。
「いい音楽を聴かせよう。」
って、クラッシックを流した時…は?って思った。
二階堂の生活にあるのは、生活音ぐらい。
だから、最初は…クラッシックも耳障りで仕方がなかった。
うわ…あー…
何だろう…
これ。
変な言い方だけど…
紅美。
あんた、ハンサム君に…
めちゃくちゃ愛されてるよ。
これ。
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