第25話 「……」

 〇朝霧沙也伽


「……」


「……」


「……」


 二号車に乗ってるあたしは、少しだけ息が詰まりそうだった。


 運転席には、ハナオト様。(先生が言ったのがツボ)

 助手席には沙都。

 本当は後ろに乗りたそうだった沙都を押し避けて、あたしが先に後ろに乗ったもんだから…沙都は助手席で、呼吸も我慢してるようなピリピリ具合。


 あっさりと一号車(前を走ってるからじゃなくて、先生の車の方が高級車だから一号車と呼ぶ)に乗り込んだ紅美に、ハナオト様(先生のセンス、ツボだけどダサい)はご立腹な様子。



「あ、見て。紅美が手振ってる。」


 あたしが一号車の後部座席を見て言うと。


「……」


 一瞬…ハナオト様の周りに出てた嫌なオーラが薄れた気がした。

 …何だかんだ言っても、やっぱ紅美の事好きなのよねえ。


「ねえねえ、ハナオト様。」


「その呼び方やめろ。」


「えー?いいじゃない。ハナオト様と本家様で。」


「無事に日本に帰りたかったら呼ぶな。」


「うわ…冗談に聞こえない所がこわっ…」


 あたしが後ろからハナ…ノンくんをいじってると、助手席の沙都からは『やめて。沙也伽ちゃん。頼むからやめて』と言わんばかりの視線が送られてきた。

 まあ…やめといてやろうか。



「それにしても、楽しみだな~。」


 あたしがシートにふんぞり返って言うと。


「何が。」


 ノンくんは低い声。

 ゴキゲンは直ってなさそうだ。


「明日からまた音楽漬けの毎日だよ?デビューライヴも楽しみ。ワクワクしちゃう。」


 あたしが前髪を引っ張りながら、そこに枝毛を見付けて抜こうかどうしようか悩んでると。


「…そうだな。明日からは…オンだ。」


 ノンくんは、少し意味深に言葉を出した。


 …オン?

 それは、何のスイッチかな?

 あたしと沙都をスパルタで鍛えるスイッチ?

 それとも、音楽に集中するスイッチ?

 それともそれとも、紅美にロックオンしちゃうの?


 ちょっと一人でワクワク。

 でもなあ。


『決めるのは紅美だ』


 なんて言ってたら、いつまで経っても進まない気がするんだけど。

 だって、ライバル多いわけだし。


 本当に、紅美が先生への気持ちを終わらせたのだとしたら…あたし、ノンくんはイケちゃうと思うんだけどな。

 …ま、可愛い義弟の沙都も…頑張れば逆転…

 逆転…

 うーん…


 なんていうか…

 沙都を置いて、周りが一気に大人になっちゃったって感じなんだよねー。

 …沙都は沙都のままでいて…

 みんなを癒しておくれよ…



 車が空港について。

 一号車からは、みんなが笑顔で降りてきた。


「あっはっは。信じらんない。二階堂には毒でしかないんじゃないの?」


 紅美の笑い声。


「あー、そうかもしれないな。まあ、後悔は毒が見つかった時にするよ。」


「キリはともかく、俺には毒はないぜ?ニカ。」


 …何だか、よくわかんないけど。

 先生が、すごく楽しそうだった。

 ノンくんに殴られて、口元は青くなってるけど。

 これはこれで、男の友情的な?



「紅美。」


 男の友情みたいなのを見せ付けられると、あたしだって~。と、紅美に走り寄る。


「色々言えなくてごめんね?」


 腕を組んでそう言うと。


「…目が笑ってる。反省してるように見えない。」


 紅美はそう言ってすかさず…


「あたっ!!」


 あたしの額にデコピンをくらわせて。


「ここの奥にあるレストランのケーキ奢ってくれたら許す。」


 ニヤリ。と笑った。

 …あたし、ジャージなんだけど…。

 紅美。

 あんた、やっぱノンくんのイトコだよ…。



 〇二階堂紅美


「帰っちゃった…」


 飛行機を見送って、みんなでゾロゾロと歩く。


「ノンくん、車貸して。」


 あたしがノンくんに手を出してキーをもらおうとすると。


「…何で。」


 ノンくんは嫌そうな顔で答えた。


「あたしと沙也伽、そこのレストランで食べて帰るから。」


 本当はジャージだから少し嫌そうな沙也伽。

 でも、あたしはお腹がすいてる。

 今すぐ何かが食べたい。


「んじゃ、俺も食って帰る。」


 ノンくんはそう言って、あたしと沙也伽について来ようとしたけど。


「やだ。女同士で食べるから、男性陣は海くんの車で帰ってよ。」


 あたしがそう言うと、ポケットに手を突っ込んだまま。


「俺は俺の車で帰る。」


 ノンくんは目を細めて言った。


「ぶっぶー。正確には事務所の車です。て事は、あたしと沙也伽の車でもあります。はい、鍵貸して。」


 あたしが手を差し出すと…


「え…っ。」


 ぐい。


 ノンくんは、あたしの手首を掴んで引っ張ると。


「一緒に帰りたいだろ?」


 あたしの腰を左手で抱き寄せて言った。


「おおっ!!」


 叫んだのは、曽根さんと沙也伽。

 沙都と海くんは…目を丸くして見てる。


「……」


「一緒に飯食お…いって!!」


 近くなったノンくんの額に、頭突きをくらわせる。

 ついでに車のキーもポケットから取って。


「ハナオトのバーカ。」


 そう言って沙也伽と歩き始めた。


「おまえがあんな呼び方するからだぜ!!」


「知るか。紅美の機嫌が悪いのは、別に俺のせいじゃない。」


「んじゃ何なんだよ。」


「ハナオトの態度が悪いからだろ。」


「ハナオトって言うな!!」


「さー、先に帰ろうぜハナオトー。」


「うるさい曽根!!」


「あたっ!!」


 背後で、ノンくんが海くんと曽根さんに八つ当たりしてる声が聞こえた。



「紅美ちゃん、沙也伽ちゃん。」


 遠くなる八つ当たりの声に反して、すぐ後ろで沙都の声。


「え?」


 沙也伽と二人で振り向くと。


「明日から、またよろしくね。帰り、運転気を付けて。飲んじゃダメだよ?」


 そう言って、沙都はニッコリ。


「ありがと。」


「じゃあね。」


「あれ…大丈夫?」


 沙也伽が海くんとノンくんと曽根さんを指差すと。


「うーん…まあ、何だかんだ言いながら、仲いいみたいだから。」


「…そっか。」


「じゃ、明日スタジオでね。」


「うん。おやすみ。」


 沙都の後姿を見送って、あたしと沙也伽はレストランに入ろうとして…


「…やっぱ、やめよっか。」


 あたしがそう言うと。


「うん!!やめよ!!ありがと紅美!!」


 沙也伽はあたしに抱きついて言った。


 ちょっと高級な匂いだしな。

 ジャージ姿の沙也伽と入ると、あたしまで目立つ。


「あはは。ごめんごめん。」


 二人で歩いて車に向かうと…


「…あれ?」


 車の前に、沙都がいる。


「え?どうしたの?ご飯は?」


 沙都も、あたし達を見て驚いた顔。


「あー…沙也伽こんな恰好だから、ちょっとやめといた。」


 あたしが笑うと、沙都は少し赤くなった鼻をすすった。


「沙都は?どうしたの?」


 沙也伽が問いかけると。


「ノンくんが、おまえ残って運転して帰れって。」


「……」


 沙也伽が無言であたしを見る。

 …何だかな…


「断れば良かったのに。沙都、寒かったんじゃない?早く乗って乗って。」


 あたしは急いで車を開けて。


「何の罰ゲーム~?」


 沙都に目掛けて暖房全開。

 汗をかかせた。



 〇朝霧沙也伽


 沙都にアパートまで送ってもらって、バイバイって手を振って。


「ねえ、紅美。」


 沙都の車が見えなくなった所で、あたしは紅美に問いかける。


「ん?」


「ノンくんのさりげなーい優しさ、ちょっとグッと来ない?」


「……」


 あたしの言葉に、紅美は眉間にしわを寄せて。


「あんた…不倫はやめときなよ?」


 低い声で言った。


「ちっがーう!!あたしじゃなくて、あんたが!!よ!!」


 あたしが大きな声でそう言うと。


「なんか今日、男どもがみんな子供っぽく見えたと思わない?」


 紅美は全く関係ない事を言った。


 …でも、一理ある。



 沙都はいつもと変わらず可愛い奴だけど。

 確かに、ノンくんと先生は…ガキっぽかった。


 いや、紅美。

 でもそれって…

 あんたをめぐってのバトルでもあるんじゃ…?



 普段は、ノンくんて…もっと無口だし。

 以前はもっと口調も優しかった。

 まあ…あたし達に慣れてくれたのかもと思えば、そう取れるけど…


 先生だって…

 そりゃ、あの頃は教師って立場だったから、そうしてたのかもしれないけど…

 もっと大人だった気がするなあ。



 あたしがシャワーしてる間に、紅美が冷蔵庫の余り物で料理をしてくれた。

 二人でテーブルについて、いただきますをする。

 余り物を見て、どうしてこれを作ろうって思ったのかなあ。って、不思議なんだけど。

 でもちゃんと美味しいからすごい。

 さすが紅美。



「そう言えばさ。」


 紅美が思い出したように言った。


「ん?」


「ノンくんと海くん…なんで殴り合ったの?」


 あたしは、エビと小松菜みたいな葉っぱのバター炒めを食べながら。


「…あんた、どこから見てたの?」


 真剣な顔で聞いた。


「いや…もう、二人の口元が切れてたぐらいから…」


「あたしは…ノンくんが先生を殴ったら、みぞおちに一発もらってる所から。」


「…じゃ、原因は分かんないか…」


「ううん。曽根さんに聞いた。」


「え?」


 あたしは水を一口飲んで。


「ノンくんが先生にね。」


「うん…」


「なんで好きな女を突き放すんだ。って言ったら、先生がそれ以上言うな。って。」


「…そりゃ言うよ。もう終わった事なんだから…」


「うん。でも、ノンくんは続けてさ…何もかも捨てる覚悟があったなら、その覚悟を持って最後まで守れって言ったんだって。」


「……」


「で、先生が『おまえに何が分かる』、ノンくんが『あー分かんねーな』、で、ムカついた先生がノンくんを殴った、と。」


「……」


 紅美は無言でテーブルの上の皿を見てた。


 何?

 玉子料理が沙都で、サラダが先生。

 そして…こっちの何かの葉っぱの肉巻がノンくん?


 うーん。

 どれも美味しそうだよ?



「なんでノンくんは…」


「ん?」


「なんで、海くんとあたしをくっつけさせたがってるのかな。」


「……」


「なんか…よく分かんない。空港で、あんな風に抱き寄せたかと思うと…沙都を置いて帰ったり。」


 …紅美。

 あんた、気付いてる?

 これってさ…

 ノンくんを意識してます。って言ってるよね…?


 いや、でも…

 気付いてない…ぽいね…。



 〇曽根仁志


 俺の名前は曽根仁志。

 キリの親友だ。

 って…

 自分から言うのはおこがましい気もするが…

 キリが、俺しか友達がいないと言うから…

 親友なんだと思う。



 俺は一度キリを裏切った。

 まんまと薫の言う事を信じて…騙されて…キリを裏切った。

 そんな俺を許すなんて…とんだバカ野郎だ。

 そして、今も親友と言ってくれるなんて…


 大バカ野郎だ。



「……」


「……」


 空港の帰り。

 俺も、あっちの車(運転手として残された沙都くんの車)に乗れば良かったな…って、つい小さく溜息が出た。


 で、普通に助手席に乗ろうと思ったら、キリが素早く乗り込んだ。

 て事は、俺は一人…後部座席。

 まあ、いいんだけどさ。

 お互いムカついてるなら、何も隣に座らなくてもって思うんだけど。



 キリのおばあさんから連絡をもらったのは、先月の終わりだった。


『華音、そろそろストレス溜まってると思うの。曽根さんみたいな親友がそばにいてくれると、少しはストレス発散もしやすいのかなって思うのだけど。』


「それは…なんか俺を評価してもらってるみたいで嬉しいですけど、俺の連絡先、どうして…」


『あら、私と華音の間に、知らない事なんてないんですよ?』


「……」


 すげーババコンだな。キリ。


 そこで俺は決意した。

 キリのために、一カ月アメリカに滞在する事を。

 仕事も何とか休む段取りをつけた。


 だけど…

 いざこっちに来てみると、何やら俺以外にも人がいて。

 キリは…楽しそうだ。

 ちょっと妬ける。


 沙都くんはバンドメンバーだけど…傍から見ると、キリの弟みたいに思えた。


 いやー…沙都くん、いいんだよね。

 俺も、彼みたいな弟が欲しいって思う。

 素直で低姿勢で、キリとは正反対だ。


 もう一人は、カッコいい…大人の男って感じの人だったけど。

 一緒にいる時間が長くなれば長くなるほど、あー…生き方が下手な人なのかな。って思った。

 申し訳ないぐらい見えない話がいくつも出て来たけど…どうも、お堅い仕事をしているらしい。

 車だって、高級車だ。

 ニカと呼ばせてもらってるその人は…なぜか、SHE'S-HE'Sのギタリスト、早乙女さんを『父さん』と呼び始めたし…

 まあ、ほんとに色々分かんない上に…

 ニカが紅美ちゃんとデキてたっていう衝撃的事実…


 キリ、おまえ平気なのか?

 ずっと好きだったんだろ?


 そう思いながらも、自分よりニカを応援するあまり、押しつけがましくてケンカになってしまうという…


 あーあ…

 ほんと…バカだなあ…キリ。

 今だって、沙都くんを残して帰らなくてもさ。

 俺が運転するから残る。って言えばいいものを…


 でも、これってさ…

 ニカは紅美ちゃんとデキてて、終わったと言いつつまだ好きで。

 沙都くんも紅美ちゃんを好きっぽくて。

 …なぜか、ニカは二人を応援してる…ぽい、と。



 んー…

 なぜだ。

 なぜなんだ、キリ。

 おまえの昔からの変なクセ。

 人に合わせるとか、誰か優先とか。

 そういうのさ…もういいんじゃないかな。


 さっき、空港で紅美ちゃんの腰を抱き寄せた時は、ついに!?って思ったけど…

 結局あれも、ニカと沙都くんを触発するためだったんじゃ?って思わずにいられない。

 俺としては、誰かのために頑張るキリじゃなくて。


 自分自身のための頑張るキリを見たいぜ?



 〇二階堂 海


「……」


 空港から帰る車の中、俺はずっと無言だった。

 助手席の華音も、後ろのトシも、だ。



 ストリップハウスから帰ると、紅美がいた。

 紅美を見た瞬間、現実に戻された気がした。

 俺は、ここ数日の男だけの時間を、現実逃避していたかのような気がした。


『何かも捨てる覚悟があったなら、その覚悟を持って最後まで守れよ。』


 華音の言葉が痛かった。


 …そうだな。

 俺は…二階堂を捨てる覚悟はあったクセに、紅美を守る覚悟は出来てなかったのかもしれない。


 紅美は強いから、と。

 まだどこかで思っているのかもしれない。

 だから…選択させた。


 本当に強い人間なんていやしない。


 自分の弱さを知った時、それに気付きかけたクセに…紅美にはそれを押し付けた。

 …信じたかったのだと思う。

 紅美は強い、と。


 その強さに助けられ続けて来た。

 …俺の甘えに過ぎない。



 終わらせたはずなのに、空港で華音が紅美を抱き寄せた時…

 かなり…

 ムッとしたし、イラッとした。


 …なんだ俺。

 終わってないじゃないか。

 …いや…

 終わらせた『つもり』だったのに。

 なぜか…さくらさんや華音が、その気持ちを穿り返す。


 …だけど、気付いた事もあった。


 空港に向かう車の中。

 紅美は…自然だった。

 自然に話しかけて来て、自然に笑った。

 少しは無理をしていたかもしれないが…

 あの、タイムリミットを嫌がった時の目とは…もう違っていた。


 …紅美は進んでいる。

 俺も、そうするべきだ。

 あの一緒にいた時間を大切にするためにも…


 ……待て。

 俺、空港でムッとしたりイラッとしたりしたのは…

 華音が紅美を抱き寄せたからか?

 …少し違う気がする。



『海、飯。』


 ドアの外から、華音の声。


「え?」


『飯だよ。早く降りろ。』


 …空港から帰って、俺はすぐに部屋に入った。

 華音は…飯作ってたのか?

 …本当、分からない奴だな。


 俺が階段を下りてると、沙都が帰って来た。


「早かったな。おかえり。」


「あ、ただいま。うん。ご飯食べずに帰るって言われて、すぐ送ってったから。」


「そうか。ご苦労さん。」


 自分が残りたかったクセに、沙都に運転しろと言った華音。

 …俺がムッとしてイラっとしたのは…


『そんな事して挑発しても、おまえは行く気がないクセに』


 そう…思ったのかもしれない。



「早く座れ。」


 華音に促されて、テーブルにつく。


「いただきます。」


 華音がいつも通り、食事を前に手を合わせた。


「いただきます。」


 みんなでそう言って、箸を持つ。

 さくらさんの影響なのか、華音の料理は和食が多いらしい。

 だが、キャベツの千切りの隣にチョコンと置かれたイチゴを見ると、笑いが出た。



「…ん。やる。」


 俺がそう言って華音の皿にイチゴを置くと。


「あ?嫌いなのかよ。」


「俺の方が一発多く殴ったから。」


「…思い出すとムカつく。」


「悪かったな。」


「……」


「味噌汁、美味い。」


 ああ…

 俺…

 こいつの事、好きだな。

 本当、ムカつく事多いけど。



 さくらさん。


 ありがとう。



 あなたの孫は…



 最高ですよ。

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