第16話 「……」

 〇朝霧沙都


「……」


「……」


「……」


「あら、この魚美味しい♡」


 正直…僕は頭痛がしそうなほど、緊張してる。

 だけど…さくらばあちゃんは、一人だけ…とても美味しそうに僕の作ったムニエルを食べてる。



 もうすぐオフも終わるし…

 沙也伽ちゃんより二日早く、僕はアメリカに戻った。

 すると…今朝。


「ここ、女の子の部屋の真向いって良くないわ。」


 突然来たさくらばあちゃんが言った。


 さくらばあちゃんは、桐生院家の人で…ノンくんとは一緒に暮らしてる。

 で、紅美ちゃんのおばあちゃんでもある。

 僕は、紅美ちゃんちでたまに会う事があって、仲良しだけど…

 でも…さくらばあちゃん、前はもっと上品だったような気が…



「はっ?何言ってんだよ、ばーちゃん。バンドメンバーだぜ?」


 ノンくんが機嫌の悪そうな声で言うと。


「私が朝霧さんだったら、お嫁さんが息子以外の男の向かい側で生活して、毎朝寝起きの姿を見られるなんて嫌よ。」


 …さくらばあちゃんの意見は、何ていうか…分からなくもなかった。

 うちの親は気にしないと思うけど、希世ちゃんは少し気にしてるだろうし。

 …ノンくん、フリーな独身男性だからね。

 …おまけに、カッコいいし。



「さ、引っ越しちゃお。」


 さくらばあちゃんのその言葉に、ソファーに仰向けになって漫画を読んでたノンくんは立ち上がって。


「はあ?」


 大口を開けて、眉間にしわを寄せた。

 僕は単なる冗談だと思ってたけど…


「やめろよ、ばーちゃん。口に出すなよ。マジかよ。」


 ノンくんは…狼狽えた。

 なんで?と思って見てると…


「どこから片付けますか?」


 引っ越し業者が来た…

 驚いた顔でノンくんを見ると。


「…有言実行の女だからな…」


 ノンくんは諦めたように目を細めて、肩を落としながら片付け始めた。



 引っ越すったって、新居は?って思ったけど…


「ここ、いいでしょ。昔ね、三人でシェアしてたの。」


 小さいけど、庭のある一軒家に連れて行かれた。


「は?ばーちゃんが?」


「ええ。」


「三人って誰だよ。」


 荷物をほどきながら、軽く聞いたノンくんに…


「廉くんと晋ちゃん。」


 さくらばあちゃんは…さらりと…あきらかに男の人の名前を言った。


 しかも…

 聞いた事ある…名前…


「…廉…?」


「知ってる?丹野廉。あ、知ってるか。ライヴで映像流れたもんね。」


「…晋って…浅井晋?」


「そ。」


「……」


「……」


 僕とノンくんは、顔を見合わせたよ。

 だってさ…

 さくらばあちゃんが口にした名前は…

 とんでもなく、大物だもん!!


 特に、丹野廉って…


「僕の…母さん方のおじいちゃんだよね…?」


 僕が小さな声で問いかけると。


「あ!!そうだ!!そうだよ!!」


 さくらばあちゃんは、飛び跳ねながら僕の頭をわしゃわしゃってして。


「沙都ちゃん!!これって、すごいね!!おじいちゃんが暮らしてた家だよ!?」


 まるで…16歳ぐらい?って思っちゃうような、はしゃいだ声で言ったんだ。



 それは…なんか嬉しかったけど…


「どうしたの?みんな食べないの?」


 さくらばあちゃん…

 そりゃあ仕方ないって言うか…

 だって、この面子ってさ…

 みんな、紅美ちゃん狙い…じゃん?



 一旦帰国してる間、気が気じゃなかった。

 ノンくんと紅美ちゃん…真向いの部屋に…二人きり…

 だけど僕が帰国する前。


「沙都、安心しろ。俺は毎日事務所に入り浸る予定だから。」


 優しいノンくんは、そう言ってくれた。

 …本当かな…って少しは疑ったけど…

 帰国して二日目に、グレイスに探りを入れてみたら…


『カノン?毎日来てるわよ。他のアーティストのレコーディングに参加させろって目で訴えてる。』


 ノンくん、疑ってごめん。



 紅美ちゃんは…どうしてたのかな。

 本当は毎日でも声を聞きたい所だったけど、抑えた。

 電話は…五回して、その内…三回は留守電だった。

 もやもや~っとしたけど…耐えた。


 だけど、こっちに戻ってそれをノンくんに言うと…


「あー、たぶんお泊りに行ってた日だな。」


「…お泊り…?」


「本家様と。」


「…本家様?誰…?」


「紅美の本家っつったら…」


「……はっ!!」


 う…海くんーーーーーー!?


「なっなっなっなんでっ!?あの二人、わかわわわ別れたんじゃ…」


 動揺する僕を後目に、ノンくんは冷蔵庫を覗き込んで。


「んー?まあ、別に復活してもおかしくはないだろ。二人とも忘れられなかったみてーだし。」


 ノンくんのどうでも良さそうな声に、わなわなと震えた。


「ノ…ノンくん!!なんで行かせたんだよ!!」


「は?行かせたって何だよ。行く気になったのは紅美だろ。」


「でもでもでも!!ノンくんが行くなって言ったら…」


「何で俺がそんな事。」


「紅美ちゃんの事、好きなんでしょ!?」


「えー、どーかなー。」


「ノンくん!!」


「何だよ。俺が紅美を好きっつつったら、ライバル増えるだけじゃん。」


「それは…そうなんだけど…」


 だけど…何となく…

 ノンくんには、紅美ちゃんを好きでいて欲しいって思ったんだ。

 ライバルを増やす事になっても…

 僕だって負けないし!!



「…じゃ、今は海くんが一歩リードなんだ…」


「一歩とか二歩とか知らねーし。」


 ノンくんは冷蔵庫からチーズを出して口に入れると。


「それよりさ。」


 漫画を手にして、ソファーに座って。

 違う話をしようとしたら…


「こんにちはー。いい天気ね。」


 さくらばあちゃんが来たんだ。

 それで、あれよあれよと引っ越し…



「…よし。食う。」


 大きく溜息をついた後。

 ノンくんが言った。


「いただきます。」


 手をあわせてそう言ったノンくんを見て…


「…ふっ…」


 海くんが…小さく笑った。


「…何笑ってやがんだ。」


 あ…ああ…ノンくんが神さん化してる…


「いや…失礼。意外と礼儀正しくて感動したんだけど…」


「あら、意外かしら。華音はすごく礼儀正しいわよね?」


「ばーちゃん、あまり俺の事を言うな。」


「えー、どうして?孫の自慢なんて普通にするでしょ。」


「普通にしなくていい。」


「年寄りの楽しみを奪うなんて、酷い孫。」


「こんな時だけ年寄りぶりやがって…」


「…もう少し優しい言葉で話したらどうだ?」


「海さん優しいわね。でも大丈夫。この子、後で謝りに来るから。」


「謝るぐらいなら言わなきゃいいのに…」


「謝らねーし。あんたも真に受けんなよ。」


 あ…あれれ?

 口ゲンカっぽくはあるけど…

 何だか…ちょっと…楽しそ…う…?


「沙都。」


「え…えっ?」


「このスープ、美味い。」


「…ありがと。」


 ノンくんは…

 絶対、いつも…僕の料理を褒めてくれる。

 乗せられてるのかなー?って思う事もあるけど…

 毎回褒めるって、すごいよ。



 さくらばあちゃんはいつまで居るのか分からないけど…

 なぜだか…


 奇妙なシェアハウスが…始まってしまいそうだった。


 * * *

 〇桐生院華音


「……」


 その時、俺は庭で…


 何そいつ連れて来てんだよ。

 クソばばあ。

 と思って。


 いや…クソばばあは言い過ぎた。

 ばーちゃんごめん。


 心の中で、勝手に怒って勝手に謝っていた。



 なんで。

 いきなり引っ越そうって…それだけでも疲れたのに。

 本家様を連れて来て。

 シェアしよう。って、嘘だろおい。

 あと八ヶ月あるんだぜ?


 引っ越しはうんざりだったけど、物件はかなり気に入った。

 あの丹野廉と浅井晋が暮らしてた家。

 …なぜか、ばーちゃんも…。


 かなり古い建物らしいが、内装もリフォームされてるし、バスルームやトイレもきれいだった。


 一年半の予定だから、荷物も少ない。

 事務所から支給された家電や家具は、余裕で引っ越せた。



 晩飯の後…本家様は現場があるとかで仕事に出かけ。

 沙都は時差ボケで苦しむのが嫌だから、無理矢理寝る。と、眠くもなさそうなのに早々に部屋に入った。



「ここでね、三人でDeep Redのビデオ見て、チキンを食べたのよ。」


 二人きりになったリビングで、ばーちゃんはそう言って笑った。

 その思い出は…あったかかった。

 ばーちゃんから昔話を聞くのは初めてで。

 本当は、その場所に俺だけじゃなくて、沙都と…なぜか本家様まで住まわせるのは若干ヤキモチだったが。

 …ばーちゃんが、そうしたいと思ったのなら、それはそれでいい。



「華音、勝手に決めてごめんね。」


 ばーちゃんの持って来たビールを開けた。


「まったく…好き勝手してくれるな。」


 俺が文句を言うと、ばーちゃんは。


「あのね…華音。」


 少しだけ伏し目がちになって言った。


「私…実は二階堂の人間だったの。」


「……」


 それについては…そう言われても不思議ではなかった。

 思い当たる節はいくつもあったし。


「…そっか。で?」


「驚かないの?」


「まあ…納得の範囲内かな。」


「ふふっ…華音以外の人だったら、卒倒しちゃいそうだけど。」


「誰も知らないのか?」


「…こっちに来て、記憶が戻ったから。」


 それはさすがに…少し驚いた。

 記憶が曖昧だとは言ってたが…

 戻ったんだ?



「私、海さんに変えて欲しいと思ってるの。」


 ばーちゃんは、真剣な目と声で言った。


「変えるって…何を。」


「二階堂の在り方。秘密組織なんて…本当はあっちゃいけないのよ。」


「……」


「二階堂の人間は、みんなそういう生き方しかして来なかった。だから…私みたいに外の世界を知る人間は少ないわ。」


「…外の世界?」


「私のボスだった、海さんのおじいさんは…歌すら知らなかった。」


 それは…本当に別世界の話のようだった。

 二階堂は特別な組織。

 それは…知っている。

 何となく、ボンヤリと…だけ。

 いつ何が起きるか分からない世界。

 いつ命を落としてもおかしくない世界。


 確か咲華も…


「気を付けてね。あたしが待ってる事、忘れないでね。」


 現場に行く志麻に…そう言ってたのを聞いた事がある。

 何言ってんだ。と思って聞いてたが…

 そういう事だよな。


 忘れないでね。


 その言葉で志麻は仕事に集中する。

 生きて帰るために。



「…で?それで何で俺らが一緒に?」


 ビールを飲みながら問いかけると。


「三人集まると、いい化学反応が起きちゃいそうと思って。」


 ばーちゃんは、楽しそうに舌を出して。

 俺に深い溜息をつかせた。


 * * *


 〇二階堂 海


「海さんのアパート、精神衛生上良くないから引き払っちゃおうか。」


 仕事の後で落ち合ったさくらさんは、なぜか一旦俺の部屋に来てそう言って。


「さ、荷物まとめて。」


「…え?」


「早く早く。」


「……」


 俺は何も分からないまま、もともと少ない荷物をキャリーケースに詰め込んで。


「じゃ、後は富樫さんにどうにかしてもらっておきましょ。」


「え?あ…あの…」


「さ、乗った乗った。」


 なぜか俺の車を、さくらさんが運転して。

 連れて行かれた先には、ハナオトと沙都がいて。


「いただきまーす。」


 沙都が作ったと思われる料理を前に、四人で座って。

 だけど…食べてるのはさくらさんだけ。

 この…気まずさ。



 だが、そろりそろりと言葉を交わすようになり。

 その間に俺は現場の連絡が入って。


「じゃ、荷物は部屋に入れておくねー。」


 さくらさんにそう言って見送られて…一旦本部に向かった。

 …まだ、何か…騙されたような気分のままだが…



「よ、元気か?」


 本部にたどりつくと。


「親父?」


「痩せたようだが、元気そうではあるな。」


「……」


 本部はいつもと変わりなく、人がウロウロしてはいるが…

 現場に出る前の慌ただしさは…ない。



「これはいったい?」


「現場って言った方が早く来るかなと思って。」


「お…」


 おい。

 何なんだ。


「普通に呼んでくれても、早く来るのに。」


 親父は俺の肩に手を掛けて。


「飲みに行こうか。」


 笑った。


「…え?」


「こういうのも、いいだろ。」


「…ああ…」


 親父と…飲みに行く。

 初めてだ。



 どうしても、現場の後は…翌日に備えて早々に帰って眠る。

 親父は、若い頃は沙耶さん万里さんとで飲みに出かけたりしてたって言うが…

 俺には、そういう…同期的な人間はいないからな…

 歳が近いと言っても、富樫も志麻も、俺にとっては部下だし。

 飲みに行く相手と言うと…


 わっちゃん。


 年上だけど、今や義理の弟。

 わっちゃんとは飲みに行ってたけど、友達みたいに…ってわけでもなかったな。

 …今思うと、紅美の相談ばかりか。



「いつこっちに?」


「今朝。先代の所に行ってた。」


「母さんは?」


「施設に泣く泣く置いて来た。」


「ははっ。一緒に来れば良かったのに。」


「ま、今夜は男同士で。」


 近くに二階堂御用達のバーがあるが、俺達みたいに上の者が行くと周りに気を使われる。


 俺は少し離れたバーに親父と向かった。



「先代の所、おまえも行ったんだろ?」


 飲み始めてすぐ、親父が言った。


「ああ…」


 …ばあさん、何か話したかな。


「海がいい顔をして会いに来てくれたって喜んでたぞ。」


「…心配かけてたからな…」



 一般人を死なせてしまった後…同じ経験をしたじいさんに会いたくなって。

 時間が空くたびに…会いに行った。

 もう、寝たきりで…何も分からないじいさんに。

 俺は、何を求めていたんだろう。



「しかし驚いたな。」


 親父は小さく笑って。


「行ったら…先代が『環、何か仕事をよこせ』って言い始めて。」


「えっ…」


「何もしゃべれないほどだったのに、いきなり仕事をよこせって。そりゃないよな。」


 親父は、ずっと思い出し笑いのように小さく笑う。


「…じいさん…どうして急に?」


「戻ったか?」


「ああ。」


「会ったんだろ?」


「…さくらさん?」


 親父はグラスを揺らしながら。


「ああ。」


 頷いた。


「…すごく…なんて言うか…」


「不思議な人だろ。」


「親父は知ってるのか?あの人が二階堂にいた頃の事。」


 俺の問いかけに、親父は少し遠い目をした。


「実は…陸坊の結婚式の時に…」


 親父にとっては義弟の陸兄。

 だけど、元々護衛をしていた身である親父は、さすがに陸兄を呼び捨てにはできないようで。

 今も、浩也さん達と同じように『陸坊』と呼ぶ。


「すごく、見覚えがあるんだけど…誰だか分からない。ずっとそう思って見てたら『初めまして』って挨拶されて。他人の空似かって思う事にしたんだが…」


 グラスの中の氷が、音を立てて回った。


「その日は現場に出てた万里と沙耶が、親族写真を見て言ったんだ。『これ、さくらちゃん?』って。」


「…なんで親父だけ分からなかったんだろう?」


「ずっと分からなかった。二人が『アメリカ研修に行って、戻って来なかったさくらちゃんだよ』って言っても、何のことかさっぱりだったな。」


「浩也さんには聞かなかったんだ?」


「ちょっと聞ける雰囲気じゃなかったって言うか…どっちにしろ、その『さくらちゃん』の今が幸せなら、過去を知る必要はないかなと思って。」


 親父の言う事はもっともだった。

 二階堂は、事件性がない限り、一般人の私生活には深入りしない。



「だが…」


「だが?」


「今朝、先代がピンピンしてるのを見て、どうして快復を?って話してると…」


 親父は、俺のこめかみに触れて。


「先代に、こうされてさ。」


「え?」


「そして、こうされて…」


「……これって。」


 親父の指は、俺のこめかみから少し移動して。


「すごいよな。」


 そう言って、笑った。


「記憶を…消されてたって事?」


「ああ。」


「で…じいさんに、それを解かれたって事?」


「そうなるかな。」


「…でも、じいさんが寝たきりになってたのは、記憶の消去のせいじゃないんだろ?」


「記憶の消去が使われてたのは、俺が15になるまでの二階堂にあった事で、それ以降は完全に封印された。」


「じゃあ…なぜ…」


「ま、先代の話はいいとして…俺の記憶がどうして消されたか、知りたくないか?」


 親父は、少しワクワクするような口調で、そう言った。

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