第15話 紅美と別れて…気持ち新たに仕事に励んだ。

 〇二階堂 海


 紅美と別れて…気持ち新たに仕事に励んだ。

 …気を紛らわせるため、忘れるため。

 そうだとしても、紅美が傷付いたほどじゃないと思うと、その痛みは軽い気がした。


 本部で最近の現場の報告書に目を通していると。


『ボス、お客様です。』


 富樫の声。


「どうぞ。」


 ドアが開いて、富樫が入って来た。

 続いて入って来たのは…


「あ…」


「こんにちは。」


 桐生院…さくらさん。

 ハナオトと…紅美のおばあさん。



「あ…先日は祖父の所まで、わざわざありがとうございました。」


 椅子から立って、さくらさんを出迎える。


「いいえ。とんでもない。今…お仕事のお邪魔にならないかしら?」


「大丈夫です。何か飲み物でも?」


「ありがとう。いただきます。」



 富樫にコーヒーを頼んで、さくらさんと向かい合ってソファーに座った。


 …さくらさん。

 施設で会った時より、少し背筋が伸びてしまったのは…

 色々調べて、この人を見る目が変わったせいでもある。


 管理番号10558XXMM

 森崎さくら。


 もっとも…

 この人は14歳で二階堂を辞めた事になっている。

 しかも…XXMMがつく管理番号は…


 不適格者だ。



 どうしても気になった俺は、さくらさんと同期の山崎浩也さんに連絡を取った。

 浩也さんは今も日本で親父たちのサポートをしてくれている。

 俺からの連絡に、浩也さんは…


『…お知りになって、どうなさるおつもりですか?』


 ゆっくりと、低い声で言った。


「彼女の訪問で、先代の病状が快復しました。」


『え…?さくらが先代の所に…?』


「はい。」


『……』


 それから浩也さんは。

 もし、いつか…親父たちか俺に聞かれることがあったら、知りたい理由によっては話していい。と、先代に言われている事を話し始めた。



『さくらは、出来過ぎる人間だったんです。』


「出来過ぎる…」


 不適格者と書かれると、どうしても訓練に脱落したと思われがちだが…

 以前、噂に聞いた事はあった。


 過去に一人だけ…

 出来過ぎて二階堂を辞めさせられた人間がいる。と…。



『何に関しても高い能力を持っていました。ですが…さくらは二階堂の人間が持ち合わせていない、人としての感情も豊かで、現場でのそれは…危険を伴う物として判断されました。』


 つまり…

 感情的になり過ぎるゆえ、冷静な判断が出来なくなる場合がある。


 …二階堂の人間が持ち合わせていない、人としての感情…


 浩也さんの言葉に、少しだけ笑った。

 確かに。

 俺達は普通のようで、普通じゃない事を強いられた。

 時には、共に戦ってきた者を目の前でためらいなく撃たなくてはならない覚悟もいる。


 …そんな世界だ。



『それに…さくらは外の世界に夢を持ちました。』


「それは?」


『歌です。』


「歌…」


 さくらさんの娘さんは、陸兄と同じバンドでボーカルをしている。

 彼女は夢を果たせなかったけど、娘さんにそれが引き継がれたというわけか…



「彼女は二階堂の全てを知ったまま、引退したのですか?」


 これが気になっていた。

 秘密機関の全てを知ったままで、一般家庭に嫁ぐのは…あり得ない。

 特に…そこまで出来る人間であれば。



『…先代が、記憶を消されたはずです。』


「記憶を…?」


『はい。実際、それは効いていたとも思われます。しかし…』


 浩也さんは少し間をあけて。


『陸坊ちゃんの結婚式の時、私に話しかけて来ました。』


「…でも…浩也さんは…」


『はい。二度顔を変えております。』


「なのに?」


『さくらは、耳がいい事でも知られていました。きっと、私の声を覚えていたのだと思います。どこかでお会いしましたよね?という声掛けでしたが…驚きました。』


「…先代の記憶の消し方が甘かったと言う事ですか?」


『いえ…恐らく…何かをキッカケに、さくらがあの頃の事を思い出したいと強く思うようになったのではないでしょうか…』


「……」


 施設で会ったさくらさんは…とても、屈託なく笑う人で。

 だけど、どこか…物悲しい雰囲気も持ち備えていた。




「昨日、紅美とデートしたんですよ。」


 運ばれたコーヒーを飲みながら、さくらさんが言った。

 紅美と言う名前に、過敏に反応すまいと思ったが…


「そうですか。楽しまれましたか?」


 少しだけ…目を合わせるのが遅れた。

 …ダメだな。

 目の前にいるこの人が、高い能力を持っていたというのは…昔の話だというのに。

 なぜか、緊張してしまう。

 二階堂としての、才能に。



「ええ。とても。」


 何も知らなければ…ここまで緊張する事もなかっただろう。と思うと、知ってしまった事を、少しばかり後悔した。



「海さん。」


「はい。」


「どうして、紅美と結婚なさらないの?」


「…え?」


 すごく…思いがけない言葉を出されてしまって。

 俺は不覚にも面食らった。


「あ…えー…いや、その件は………彼女から…?」


「施設で見てたら分かりましたよ。お互いを見る目が、とても愛おしそうでしたから。でも…一昨日会った紅美は、もう吹っ切ったかのように普通でした。」


「……」


「でも、あなたはまだ違うみたいね。」


 さくらさんは…俺の目を見て言った。


 見透かされてるのか…。

 つい、目を逸らすと。


「世界が違うから?」


 さくらさんは、静かな声。


「…そうですね。」


「どうしてかしら…海さん。」


「……」


「世界は、一つしかないのよ?」


 顔を上げた。

 相変わらず面食らってる俺に、さくらさんは優しく笑って。


「二階堂を変えたいなら、あなたが垣根を越えなきゃ。」


 優しく笑ってるのに…強い目で言ってくれた。


「…でも、二階堂は基本…夫婦で仕事をします。」


「紅美には出来ないと思う?」


「…彼女はメディアに出過ぎてる。危険すぎます。それに…仲間を裏切らせたくない。」


「華音の事?」


「……」


 この人は…何もかも…知ってるのか…?


「あ、別に華音からも何も聞いてないですよ?でも、あの子は口は悪いけど甘えん坊さんだから、解っちゃうんですよね。」


「…甘えん坊ですか。」


 口が悪くてクールなイメージのハナオト。

 少し笑えた。


「うちは大家族なんですけど、華音だけは昔から私にベッタリで。」


「…言ってました。ばーちゃんとスパイごっこしてたって。」


「あら。華音とお会いになったの?」


 …つい、言ってしまった。

 と言うか…

 この人、本当は知ってるんじゃないか?と、疑ってしまう…



「…実は、先日少し。」


「あら、そう…海さんは、麗の結婚式で華音と会った事は覚えてるの?」


 苦笑いしてしまった。

 実は…面識はないと思っていたが…夕べ、ふと思い出した。


「トイレ…ですよね?」


「ふふっ。そう。」


「彼は覚えてるんですか?」


「もし覚えてるとしたら、根に持ってる方かしら。」


「…覚えてそうだ…」



 陸兄の結婚式で…めちゃくちゃ可愛い双子がいた。

 俺が気付いた時には、なぜか二人とも正装ではなく。

 薄手のセーターに白と紺のストライプ柄のズボンだった。

 どうも、写真撮影の後で、裏にある池に二人仲良くハマってしまったらしい。


 二人とも髪の毛が長くて…

 ふわふわしたイメージで、とにかく可愛かった。


 その片方に…


「…おしっこ。」


 と見つめられて。


「え…」


 続いて、二人目にも見つめて同じことを言われて。

 道場になら、女子トイレは個室が三つあるし…と思い、道場のトイレに連れて行った。


 …なぜか、一人は入るのをためらっていた。

 もう一人も、俺を見たり…片割れを見たり…


 結局、双子はそれぞれトイレに行き、それ以降は会わなかった。

 後で陸兄が。


「あの双子、そっくりだけど俺と織みたく男と女だぜ。」


 …悪い事をした。と思った。

 いくら小さくても、プライドがあったかもしれない。



「帰って、華音が女子トイレに行った事を聞かされて。どうして男の子だって言わなかったの?って聞いたら、連れて行ってくれたお兄ちゃんに悪いから。って。ほんと…余計な気遣いをする4歳児って笑っちゃったわ。」


「……」


 さくらさんは笑ったけど…

 俺は…何となく笑えなかった。


 ハナオト。

 おまえ、昔からそうやって、誰かの気持ちが優先か?



「彼は…いい人間ですね。」


 伏し目がちに言うと、さくらさんは。


「だけど、人一倍素直じゃないのが痛い所なんです。」


 小さく笑った。


「…さくらさん。」


「はい。」


「少し…吐き出していいですか?」


 俺がさくらさんの目を見て言うと。


「…こんなおばあちゃんが相手でいいなら。」


 さくらさんは、そう言って指を組んだ。



「実は俺…去年、一般人を死なせてしまって…」


 俺は、その事件の全貌を話した。

 さくらさんはずっと、言葉を挟むことなく聞いてくれた。

 紅美にも話せなかった…俺の話を。


 そして…


「辛いね。」


 一言…

 まるで、友達みたいにそう言ってくれた。


「海さん、頭…あ、先代から、何か聞いてる?」


「え?どういった事をですか?」


「…先代が、一般人を死なせてしまった話。」


「……少し。」


「あの現場に…私もいたの。」


「え…?」


 それは…さくらさんの人生を変えてしまった日だった。

 訪れた馴染みのジュエリーショップで。

 さくらさんと友人は事件に巻き込まれた。

 もう二階堂からは離れていたはずのさくらさんだが…窮地で実力を発揮する事となった。


 今では使われていないが、当時は『物をこすり合わせて通信する』という事が耳のいい人物限定で訓練されていた。

 さくらさんも…その一人。

 相当な集中力も要されるはず…。



「でも、あの信号のおかげで彼を部屋から出せたのに…結局は死なせてしまった。あれは、先代のせいじゃなくて…私のせい。」


「…その事件、知ってます。テロ組織の内部抗争だったんですよね?」


「ええ。」


「確か…立てこもった犯人グループ16名は全員射殺された事件ですね。」


「…何の罪もない友人を殺されて…」


 はっ…と、顔を上げた。

 感情的になり過ぎる…不適格者…

 まさか…


「頭に来たの。一瞬のうちにスイッチが入って…気が付いたら、お店に向かって走ってた。」


「……」


 さくらさんは…小さく溜息をつくと。


「あれは二階堂。あれは一般人。あれは…敵。不思議なほど一瞬で見分けがついて、次々に撃った。」


 目を伏せた。


「その時のあたしは…二階堂から離れて7年。そんな事をして許されるはずがない。」


「……」


「…ただの、人殺しよ。」


 身体が…震えた。

 確かに、二階堂に籍のない者がそれだけの相手を撃ち殺したとなると…


 だが、本当か?

 本当に、この細身の女性が…一人で?



「先代に、記憶を消されたのでは…?」


 静かに問いかけると。


「ええ…だけど…受けたショックが大きすぎたせいか…忘れる力と忘れてはならないと思う意識で、長い間…霧がかかったような状態だったの。」


「……」


「だけど…こっちに来て、たぶんほとんど…思い出したと思う。」


「…ショックでは?」


 酷な質問だと思いつつ、俺は前のめりになって問いかけた。


「…ショックだけど、自分がした事だから。」


 さくらさんは、俺の目を見て言った。


「あの時…友人が撃たれたショックと、自分が撃った人間の顔…もしかしたら私は、今からそれらで眠れない夜を過ごすことになるかもしれないわね。」


「…こう言っては失礼ですが、もう一度記憶を…」


 消してはいかがですか。

 そう言いかけたが…


「眠れない夜があったとしても、明日は来るから。」


「……」


「忘れなくていい事は忘れない。忘れなきゃいけない事は忘れたければ忘れる。忘れたくない事は意地でも忘れない。」


「…面白い人ですね。」


 小さく笑ってしまうと。


「感情のままに生きるのは素敵なんだろうなって、今になって気が付いたの。」


 さくらさんは…少しハナオトを思わせる笑顔を見せた。



「海さん。」


「はい。」


「あなたは何も悪くないわ。」


「……」


「トップに立ってるからって、責任を一人で負ったり、何かを我慢するはやめてね。」


「…トップだから、責任はあるし、背負う物があるだけ…自分の事は犠牲にするのが当たり前だと思います。」


「古い。そんなんじゃ、いつまで経っても二階堂は変わらない。」


「……」


 あまりにも…さくらさんの言葉に力があって。

 あり得ない。と思いつつも…いや、そうだ…と納得しそうになる。



「亡くなった方を背負って明日を生きるんじゃなくて。」


「……」


「あなたは、あなたの明日を生きなきゃ。」


 誰かに…

 もしかすると、誰かに言って欲しかったのかもしれない。

 おまえは悪くない、と。


 あの日俺のくだした命令で、命を落とした人がいる。

 それは絶対に忘れてはならない。


 うつむいてしまうと。


「…よしよし。」


 さくらさんが…頭を撫でてくれた。


「…っ…」


 唇を噛みしめる。


「よく…耐えたね。でも、もういいの。」


 涙がこぼれた。



 長男だから。

 跡継ぎだから。

 二階堂に不満は何もない。

 それは本心だ。


 だけど…


 実の父親である早乙女さんを、本当はすごく意識している。

 腹違いの弟妹達を愛しく思う。

 それを悟られたくない。

 両親を…妹達を悲しませる…


 空の結婚を、泉の恋愛を…妹達の幸せを心から祝福し、嬉しい反面…

 どれほど羨ましいと思った事か…


 俺は、朝子と結婚する。

 それは当然の事で、揺るぎ無い道だった。

 それに対しても…不満はなかった…はずだった。

 …自分の気持ちに気付くまでは。


 紅美が好きだ。

 紅美を愛してる。

 誰かに言いたい。

 いや…言ってはいけない。


 だけど…紅美も俺を愛してた。

 それを知ってこの上ない幸せを感じたクセに…

 俺は…最低だった。


 紅美には…

 朝子の怪我と、紅美の流産と…

 先に知った方を選んだと言ったが。

 恐らく、どっちにしても俺は…朝子を選んだ。


 なぜなら…

 目が覚めたからだ。


 俺の立場。

 恋愛に現を抜かしている場合じゃない。

 二階堂海として…選ぶべきは、朝子だ。と。



「すみません…泣いたりして…」


「…いいの。」


 まさか…この人の前で泣くなんて…。

 ハナオトが甘えん坊になるのが分かる。

 この人には…包容力がある。



「それでね、海さん。私、あなたには足りない物があるなと思って。」


 さくらさんの言葉に、涙を拭って…少しだけ顔を上げる。


「…俺に足りない物…ですか?」


「ええ。だから、今日は仕事が終わったら付き合ってもらえる?」


「え…?」



 そうして…さくらさんは帰って行って。

 夜、また…落ち合った。

 そして…


「海さんのアパート、精神衛生上良くないから引き払っちゃおうか。」


「…は?」


 連れて行かれたのは…小さな庭付きの一戸建て。

 紅美のアパートから…そう遠くない。



「さ、新しい家よ。」


「え…って、あの、俺に足りない物って、家…ですか?」


 俺が問いかけた瞬間。


「ばーちゃん、何やってたんだよ。飯が冷え…」


 ハナオトが出て来た。


「…何だよ、これ。」


 手にフライ返しを持ったハナオトの後ろから。


「もうお腹すいたから、早く入っ…」


 エプロンをした、沙都。


「……」


「……」


「……」


 瞬きをしながら無言でいると。


「あなたに足りないのは…」


 さくらさんは、俺に向かって言った。


「ライバルと友達よ。」

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