第14話 「紅美…」

 〇二階堂 海


「紅美…」


「…あっ…海く…」


 施設を出た後、紅美は俺の部屋に来たいと言った。

 狭い部屋の狭いベッドで…俺達はひたすら抱き合った。


 もう…時間がない。



 じいさんのたっての願いで、紅美は『イマジン』を歌った。

 それはまるで二階堂の夢のような歌で。

 俺は目を閉じて…紅美の歌声を聴いた。

 今はまだ…『俺のもの』と言っても許されるであろうその愛しい声を、しっかりと覚えておくために。



 もし…

 もし、これで紅美が妊娠したら…


 そんな考えが時々脳裏をかすめた。

 そのたびに、眉間に力を入れてそんな邪念を振り払おうとした。

 また傷付けるつもりか?

 いや…俺のものにするための、一つの手段かもしれないぞ?


 そんな葛藤を繰り返しながらも…


「愛してる…」


 耳元で囁かれるその言葉を聞くと…


「…俺もだ。紅美…愛してる。」


 邪念は…消し去った。


 守らなくてはならない。

 紅美の…これからを。



 タイムリミットが訪れて。

 紅美は唇を噛みしめた。

 本心は…俺だって同じだ。

 だけど、俺が進むためにも…この別れは必要だ。


 …いや…


 まだ、決まってない。

 …別れとは…決まってない。



 紅美をアパートの前まで送って。


「紅美…このまま…」


 紅美の目を見つめながら…言う。


「このまま二人で、どこか遠くへ逃げないか?」


 当然だが…紅美は驚いた顔をした。


「…え?」


「俺は、おまえのためなら二階堂を捨ててもいい。」


「……」


「おまえも…俺のために…バンドも歌も…家族も…捨ててくれないか。」


 紅美は、信じられないと言った顔だった。


 …そうだろうな。

 俺もだよ。

 まさか…俺が…二階堂を捨ててまで…


「今の俺には、それぐらいの覚悟がある。」


「……」


「それぐらいの覚悟を持って…おまえを愛してる。」


 俺の言葉に、紅美はずっと無言で…俺を見つめた。

 表情には出さないようにしていたが…沈黙の間、俺の胸はずっと今までになく大きく音を立てていた。


 …選ばれたい。

 いや…選ばれたくない…

 …本音は?



 本音は……


 紅美。

 俺を選んでくれ。

 そして…二人で、知らない街へ行くんだ。

 もっとも…二階堂の手にかかれば、簡単に見つけ出されてしまうかもしれないが。

 俺達の事を誰も知らない街へ行って。

 静かに…


 二人だけで生活するんだ。



 少しだけ、そんな妄想をしながら…紅美の返事を待った。

 驚いた顔で俺を見つめていた紅美は、パチパチと瞬きをしながらうつむいて考え込み。

 唇を尖らせたり食いしばったりしながら…何度も俺を見上げた。


 しかしやがて…


「……ごめん…」


 うつむいた紅美から、小さな声が漏れた。


「……」


 俺は目を伏せて…紅美の頭を撫でる。


 やはり…そうか。

 分かってはいたが…胸は痛い。

 でも、選ばれなくて良かったとも思う。



「…それでこそ、紅美だ。」


「…試したの…?」


「まさか。yesって言ってくれたら、本当に連れて逃げてたよ。」


「……」


「でも、Noって言って欲しかったんだと思う。その証拠に…今、紅美の事をますます好きになった。」


「海くん…」


 紅美を優しく抱きしめる。



 …捨てられるわけがない。

 選ばれたいと思ったが…捨てさせなくて済む事にホッとした。

 …もしそうなっていたら…結局俺は自分を呪う。



「俺は…おまえを誇りに思うよ。」


「海くん…」


 愛してるよ…紅美。

 誰よりも。


 口には出さずに、抱きしめた腕に気持ちをこめた。



「…ありがとな。」


「…あたしこそ…」


「応援してる。」


「…あたしも…」


 名残惜しいが…腕を離した。


「海くん!!」


 車に乗り込むと、紅美の声。


「バイバイ!!またね!!」


 バックミラーに入り込んだ紅美は。

 大きく手を振っている。

 俺はそれに、窓を開けて手だけ振って応えた。


 バイバイ、またね…か。



 紅美。


 今度こそ…



 本当にお別れだな…。



 * * *


 〇二階堂紅美


「紅美。」


 待ち合わせたのは、バーク公園の噴水の前。

 さくらばあちゃんは、あたしを見付けて嬉しそうに手を振った。


「もう来てたの?まだ約束の時間まで20分あるよ?」


 あたしがばあちゃんの手を取ってそう言うと。


「ちょっと、その辺散歩してたの。」


 ばあちゃんは、可愛く笑った。



 昨日…海くんと施設に行って。

 二階堂のおじいちゃんとおばあちゃんに会って


 なぜか…

 さくらばあちゃんにも、会った。



 帰り間際。


「紅美、明日空いてる?」


 ばあちゃんに聞かれて。


「…うん。」


 小さく返事すると。


「じゃ、お昼の一時にバーク公園の噴水の前で待ち合わせない?」


 まるで…こっちに住んでるかのように。

 スマートに約束を提案して来た。

 本当は、海くんと別れて泣き疲れてるかもしれないよ…って。

 約束をためらったけど。


「ね?」


 ばあちゃんの可愛い笑顔に…つい…


「うん。」


 返事してしまった。




「昨日は海さんとデートだったの?」


 近くの、最近できたらしいカフェに入ってすぐ、ばあちゃんがそう言った。


「デ…」


 デートじゃないよ。

 って言おうとして…

 変に唾を飲み込んでしまって。

 言葉が止まってしまった。


「若いっていいわね。」


「いや…デートって言うか…」


 …デートだよ。

 いや、デート…と言えるの?

 何回も抱き合ってキスして…

 …別れた。



「一昨日ね。」


「うん。」


「カプリで、華音と歌を歌っちゃった。」


「……」


 今…

 ばあちゃん…

 さらっと、とんでもない事を言ったような…


「…カプリで、何って?」


 つい、聞き返してしまうと。


「カプリのステージで、華音とハモって歌っちゃったの。」


「…えっ!?」


 な…

 なんで!?

 なんでカプリで!?

 デートしたって言うのは聞いてたけど…

 カプリのステージで歌!?


 いや、まあ…確かにあそこは…

 敷居が低い。

 あたしだって、いきなりアコギ借りて歌って。

 それがキッカケで、DANGERはあそこでライヴが出来たんだもんな…



「な…何歌ったの?」


 動揺しながらも、そう問いかけると。


「あれ。『If it's love』よ。華音、途中からステージに上がって来てハモってくれて。カッコ良かったな~。」


「……」


 あたしは…

 Live aliveで初めて、ばあちゃんが歌うあれを聴いたけど…

 たまにノンくんがギターで弾いてた、耳に残るそのフレーズを。


「それ、誰の曲?」


 って聞いたら。


「俺の好きな女性シンガー。」


 とだけ…。


 教えろよケチ!!とかって、軽く蹴りを入れた覚えまではあるけど…

 結局、ノンくんは教えてくれなかった。



「華音たら、泣いちゃってね。」


「……」


 あたしは…大きく口を開けて、ばあちゃんを見た。

 そ…そういうの、あたしに言っちゃっていいの?

 バレたら怒られちゃうんじゃ…?


「いい歳して、恋愛下手なのね。きっと。」


「……」


 …コメントしにくくて黙ってると。


「そうそう。そう言えばね。」


「…何?」


 ばあちゃんは、クスクス笑いながら。


「海さん、麗の結婚式で、華音を女の子と間違えてね。」


「え?」


「あの頃、華音と咲華って同じ髪型してたから仕方ないんだけど…海さん、まだ4歳だった二人を女の子の双子だと思い込んで、華音に女子トイレ使わせちゃったのよ。」


 た…確かに…

 写真で見た幼少期のノンくんは、咲華ちゃんと瓜二つの…どう見ても…女の子だった。

 あたしの物心がついてからも、二人は同じような髪型をしてた…気がする。

 そして、双子ならそれが当たり前…ぐらいにしか思ってなくて。

 反対に、ノンくんがバッサリと髪の毛を短く切った時の方が違和感だった。



「二人とも覚えてたら面白いなあ。」


 ばあちゃんは、なぜかそんな事を言いながら笑った。


「……」


 海くんの事を想うと…昨日の今日で、やっぱりまだ寂しいけど。

 何だか…笑えた。


 …ばあちゃん、ありがと。

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