第12話 翌日。

 〇二階堂 海


 翌日。

 ハナオトに諭されて、紅美のアパートに向かった。

 だが…なんて切り出そう?


 昨日、あれだけ酷い事を言って傷付けておいて…

 どの面下げて話がしたい…一緒に過ごしてくれ…なんて…



 アパートから少し離れた場所に車を停めて悩んでると。


『おい。』


 窓の外に…ハナオト。


「……」


 何となく、やな奴に見つかった。と思ってしまった。

 夕べは好感を持てたが、今は状況が状況だけに…



「…夕べはどうも。」


 低い声でそう言いながら窓を開ける。


「何こんなとこで悩んでんだよ。」


「…昨日の今日だからな。」


「貴重な時間をここで潰す気か?」


「……」


 ハナオトは前髪をかきあげて、鼻で笑った。


「ちなみに、さっき出かけてったぜ。」


「えっ?」


「あれは、公園で昼寝スタイルだな。バーク公園行ってみな。」


「…おまえは?」


 どう見ても、今日は…


「デート。」


「…デート?誰と。」


 俺の問いかけに。


「俺の事なんか気にすんなよ。」


 ハナオトは首をすくめた。


 …紅美の事が好きだと言いながら…?

 それとも、俺に気を使って?



「…もし、今夜紅美が帰らなかったとして…」


「おう。」


「明後日に…日付が変わる頃、部屋の窓際に居てくれ。」


「は?」


「ちゃんと…紅美をそこまでは送り届ける。だが…そこで、紅美に決めさせる。」


「……」


「…俺は紅美のためなら…二階堂を捨ててもいい。」


「……」


「あの時は出来なかった決断だが…今なら出来る。」


 俺の告白を…ハナオトは少し斜に構えて…真顔で聞いて。


「それが本心なら、俺はあんたに惚れるな。」


 少しだけ笑った。


「ま、さっさと追いかけて、いい時間を過ごせよ。じゃあな。」


 ハナオトは髪の毛をかきあげて、そう言うと。

 楽しそうに手を振って歩いて行った。


「……」


 ハナオトの背中を見送って、バーク公園に向かった。

 本当にそこにいるのか?とも思ったが…

 何となく、ハナオトは紅美の全てを知ってるような気がした。

 少し離れた場所に車を停めて、公園を歩いた。


 昼寝をするとしたら…


 辺りを見渡しながら、ゆっくりと歩く。


 会ったら…なんて話しかけよう…



「……」


 いた。

 大きな木の下に、仰向けに寝転がって…

 顔の上には、文庫本。

 …ただの寝顔隠しか。


 顔が隠れてても、それが紅美だと分かった。

 あの腕、足、髪の毛…

 見間違うはずがない。



 ゆっくりと近付いて、紅美の頭元に座った。

 その気配に気付いた紅美の手が、文庫本に伸びる前に…俺がそれを持ち上げた。


「…海くん…」


「…夕べは悪かった。」


「な…なんで…ここに?」


「アパートに謝りに行ったら、おまえが出て来たから…」


「…つけたの?」


「…声がかけられなくて。」


「……」


 紅美は…戸惑っている。

 仕方ないか。

 昨日までとは…全然違う俺がここにいる。



「…それで…何。もう、いいよ。もう…終わったんだって、ちゃんと分かったし…」


「…考えた。」


「…何を。」


「俺は…終わらせるには、紅美を傷付ける事が正しいって思ってた。」


「……」


「傷は…時間が経てば癒える。俺が悪く思われようが、紅美が新しく誰かと進んで行けるなら…って思った。」


 紅美の前髪を指で分けながら、この瞬間さえ…愛しいと思った。


「…俺達には、先がない。」


「…何回も聞いた…」


「だったら、それをお互いが納得して…」


「……」


「ちゃんと、笑って別れる事が出来る方が…」


「って、あたしは言ったよね?」


「紅美はそう言ったが、俺にそれが出来る自信がなかった。」


「…どうしてよ…」


「一度、そうやって終わった事になっただろ?」


「…うん…」


「おまえは、引きずらなかったか?」


「……」


「引きずってたよな。だから、温泉で会った時…あれは失敗だったって思ったんだ。」


「…で?」


「…今度こそ、笑い合って終わろう。そう…言いに来た。」


「……」


「どうだ?」


「今日…一日?」


「今日と、明日丸一日。」


「…じゃ、一泊二日?」


「……期待に応える自信はないけど、泊まりでもいい。」


 ずっと…心臓が変な音を立てている。

 紅美の表情が読めない。

 できれば…明日の夜までずっと…一緒にいて欲しい。

 だが、俺は…会うたびに紅美に冷たく接して来た。

 今更…一緒に居てくれと言った所で…



「あの海行こ!!」


 突然、紅美が立ち上がった。


「え…えっ?」


「ほら!!早く!!」


 紅美はバサバサと荷物をまとめると、バッグと俺の手を持って駆け出した。


「……」


「わー!!嬉しい!!」


 叫びながら走る紅美の後姿を…

 俺は、少しだけ涙が出そうになるのを我慢しながら見つめた。



 〇桐生院華音


「ばーちゃん。」


 俺が手を上げると。


「あっ‼︎かのーん‼︎」


 俺を見付けたばーちゃんは、嬉しそうに手を振りながら走って来た。

 …走らなくていいっつーの。


「嬉しいわ。まさかアメリカで華音とデートできるなんて。」


 ばーちゃんは、いくつだよ…って言いたくなるような、可愛い笑顔で言った。


「俺だってビックリした。なんでアメリカいんだよ。」


「ちょっと、色々ね。思い出めぐりって感じ?」


「思い出めぐり?」


「昔々のね。」



 夕べ…思いがけず、本家様とバーで酒を飲んだ。

 帰った頃、紅美の部屋からは、本家のお嬢さんと紅美の大声が聞こえてて。

 あんなにふらっふらだったクセに、紅美はまた飲んでんのか…って思いながら部屋に入った。


 まあ…飲まずにはいられないか。



 でも…意外と嫌な奴じゃなかった。

 本家様。


 それに…

 さっきアパートの外で会った時…本家様は、紅美のためなら二階堂を捨ててもいいと言った。

 あの時出来なかった決断が、今なら出来る、と。

 そして…紅美に決めさせる、と。


 …連れて逃げたい気持ちが本心だろうに。

 ま、出来ねーよな。

 自分が何かを捨てられるとしても…

 紅美に何かを捨てさせるなんて、できやしない。



「ばーちゃん、腹減ってないか?」


「実はペコペコ。」


「じゃ、何か食いに行こうぜ。」


「どんなご馳走かしら。」



 今朝、ばーちゃんから電話があった。


『華音?今日何してる?相手してくれない?』


 …電話の相手かと思った。

 まさか、こっちに来てるなんて。



「カプリって美味い店があるけど。」


 俺が提案すると。


「カプリ…」


 ばーちゃんは少し首を傾げた。


「知ってんの?」


「あそこでしょ?前に華音たちがライヴした、カニの美味しいお店。」


「あ、そうそう…」


 …って。

 俺、カニが美味いなんて言ったっけか?


「じゃ、腕をどうぞ。」


「まあ。こんなおばあちゃんと腕を組んでくれるなんて。可愛い子。」


「転んじゃいけないからなー。」


「一言余計ね。」



 ばーちゃんと腕を組んで、カプリに向かった。

 いつ来ても、ここは雰囲気のいい店だ。

 紅美もよく沙都とランチに来てるらしい。



「ばーちゃん、何食う?」


 メニューを見ながら問いかけると…


「…シェリー…?」


 その声に、ばーちゃんと一緒に顔を上げる。

 シェリー?


「やっぱり!!シェリー!!元気だったのか!?」


 白人の…いくつぐらいだろう…

 80ぐらいか?

 くしゃくしゃな笑顔のその老人は、ばーちゃんの手を握って、何度も顔を見て。


「全然変わってない!!まるで奇跡だ!!」


 興奮した様子でそう言った。


「え…ええと…ごめんなさい…あなたは…?」


 その興奮した老人とは裏腹に…ばーちゃんは、少し困惑気味。


「あ…申し訳ない。そうか…分からないよなあ…こんなに老いぼれてしまっちゃ…」


「いえ、あの…」


 ばーちゃんは少しだけ…俺を気にしながら。


「実は…少し記憶が曖昧な時期があって…」


 小さくつぶやいた。


「…え?」


「だから、ごめんなさい。でも…シェリーって呼ばれるのは、懐かしい気がしました。」


「……」


 老人は優しい目でばーちゃんを見て。


「その先のガソリンスタンドで働いてた、マークだ。」


 自己紹介をした。


「マーク…」


「君がいつもここで歌ってるのを、聴きに来てた。」


 その言葉に、俺は口を開けた。


「う…歌ってた?ここで?ばーちゃんが?」


 老人は俺を見て。


「…彼は?」


 ばーちゃんに言った。


「あ…孫なんです。」


「孫!?え…じゃあ…」


「……」


「……」


 ばーちゃんが黙ってしまって。

 老人も黙った。



 ばーちゃんは…とても不思議な人で。

 いつも俺に刺激を与えてくれる人だ。

 そして…


 謎も多い人。



 記憶が曖昧な時期がある。

 それは…何となく分からなくもなかった。

 急に、ふっ…と、何で自分はこんな事を話してるんだろう?って顔をする時がある。

 誰から聞いた話なんだろう?と。


 そっか…。

 だからばーちゃん…



「…華音。」


 ばーちゃんが、立ち上がった。


「ばーちゃん?」


「ちょっと…歌を…」


「は?」


「歌ってくるわ。」


「え?…って、おい、ばーちゃん。」


 まるでばーちゃんは。

 カプリの中を知り尽くしているかのように…スタスタとスタッフルームへと入り込んで。

 俺が、残されたマーク老人と呆気に取られてると…


『こんにちは。たぶん、はじめましての方が多いね。』


 ばーちゃんは…アコギを持って、ステージに出て来た。



『もう、何十年も前になるけど、ここで歌ってた…シェリーです。』


 その言葉に、俺は目を丸くして…

 目の前にいるマーク老人は…


「シェリー!!」


 まるで、若い頃を思い出したのか。

 泣きながら名前を呼んだ。


「君のおばあさんは、最高のシンガーだったんだよ!!」


 マーク老人。

 血圧上がるぜ?

 ばーちゃんが最高のシンガーなのは、ちっさい頃から知ってるさ。


 だけど…

 まさかカプリで歌ってたなんて…



『一曲だけ…歌わせてください。If it's love』


 ……ばーちゃん。



 その曲は…

 今の俺の胸に、かなり響いた。




 朝起きたらさ、あなたが隣に居るの

 おかしいな…これはリアルかな?って

 毎朝そんな気持ちになるなんて…夢みたいな幸せって事だよね


 もしあなたに悲しみが訪れたら、あたしがそれを消してあげる

 あなたを悲しませない

 あたしが苦しむとしても


 それは愛なの?って、誰もが言うんだけど

 あたしは笑顔で、全力で言うわ

 愛よ

 ううん

 愛以上よ

 愛以上なのよ



 もしあなたに苦しみが訪れたら、あたしがそれを消してあげる

 あなたを苦しませない

 あたしに罰が与えられるとしても



「……」


 座っていられなかった。

 俺は立ち上がってステージに行くと…



『それは愛なの?って誰もが言うんだけど』


 ばーちゃんと…ハモった。

 ばーちゃんは…まるで十代かよ…って言いたくなるような笑顔だった。



 あたしは笑顔で、全力で言うわ

 愛よ

 ううん

 愛以上よ

 愛以上なのよ




 俺のこれは…

 愛なのか?

 …愛、以上なのか?




 ただの、強がりと…諦めだと。

 半分以上気付いていながら…


 紅美の気持ちは…

 紅美の物でしかないから。

 そう言い聞かせている俺がいる。




 ステージを降りると。



「懐かしいわ。」


「思い出した!!プレシズに出たシェリーだ!!」


「小さな頃、あなたが歌うランチタイムに必ず来てたのよ?」


 そんな声と共に、ばーちゃんの周りに人が集まった。


 …何だよ。

 ばーちゃん。

 すげー有名人じゃんかよ。

 こんなとこで大サービスなんて…もったいぶれよ。



「華音と歌うなんて、緊張しちゃったわ。」


 ばーちゃんが、赤い顔をして言った。


「…ばーちゃんの愛を感じた。」


 言ってると…少し泣けた。

 うつむいて食いしばる。

 そんな俺の頭を、ばーちゃんは優しく抱きしめて。


「…優しい孫を持って、誰よりも幸せ。」


 そう…言ってくれた。

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