第11話 ビー

 〇桐生院華音


 ビー


 歪んだ音のブザーを鳴らした。

 沙都がよく外す『レ』の音だな。なんて思いながら、それを聞いた。


 相手はプロだ。

 殴りかかったら、反対にやられる。

 て事は…一発勝負だ。



『…誰だ。』


「俺だ。」


『…部屋間違えてないか。』


「紅美のイトコだ。」


『……名前を言え。』


「桐生院華音。」


『……』


 少しの沈黙の後、ドアが開いて。

 目が合った瞬間…


「!!」


 俺が出した左手を交わした本家様は、それがフェイントだとすぐに気付いて。

 腹部目掛けて出した右手を両手で受け止めたが…


 パチン


 俺は、左手の平で、本家様の額を軽く叩いた。



「な…」


「……」


「……」


「どうだ。屈辱だろう。素人に額を叩かれるってのは。」


 本家様は大きく溜息をついて、呆れたような顔をすると。


「どうぞ。」


 大きくドアを開けた。



 金持ちだろうに、酷く小汚い部屋だった。

 まあ、自分を追い込もうとしてるのかもしれないが、俺から見たら…


 こんなのは意味がない。



「あんた、なんで紅美にあそこまで冷たくする?」


 立ったまま問いかける。


「駅で大泣きしてたぜ。意識朦朧としながら、俺の中から消えてくれって言われたっつって、繰り返し言ってた。」


「…あいつの事を思ったら、それが最善だ。」


「はあ?」


 俺はツカツカと本家様に近寄ると。


「あんた、バカか。」


 胸を突いた。


「……」


「あんたが冷たくするたびに、あいつはあんたを嫌いになるどころか…あんたの事しか考えられなくなってんだよ。」


「……」


「なんで、ちゃんと会って、想いのままに優しくしてやんねーんだよ。」


「…俺達には先がない。」


「先がないならなおさら、笑って別れられる状況を作れよ。」


「…やったさ。」


 本家様は俺の肩を押すと、ボロい椅子に座って。


「愛してた…って、言い合って終わったはずだった。だけど…結局紅美は引きずりまくってて…」


 吐き捨てるように言った。


「…言い合って終わっただ?はっ…言い合ったんじゃなくて、言わせたんじゃねーか?」


「……」


「紅美に、そうとしか言えない状況だっただろ。」


「……」


 こいつは…

 怪我をした元許嫁を選んだ。

 そんなのを宣言されたら…紅美は諦めざるを得ないに決まってる。


「今、幸いなことに、あんたはフリーなんだろ。」


 婚約解消の話は…麗姉に聞いた。

 だからって、どうにもならない。と麗姉は言ってたが…

 そうか?と、俺は思う。



「…だからって、何も変わらない。」


「それは、あんた次第だろ。」


「……」


「紅美を、抱きしめたくないのか?」


 その言葉に、本家様は少しだけ唇を噛んだ。


「俺から見たら、紅美もだが…あんたも相当引きずってるけどな。」


「……」


「会えよ。会って、ちゃんと終わらせろよ。」


 俺がつらつら言葉を出してると。


「…君は、俺と紅美の事を妬いてたんじゃないのか?」


 本家様が、妙な事を言った。


「は?何言ってんだ?」


 俺は眉間にしわを寄せる。


「紅美の事、好きなんだろ?」


「紅美は好きだが、俺はあんたの態度が気に入らなかっただけだ。」


「…え?」


 今度は、本家様が眉間にしわ。


「惚れてる女が弱ってる時に、何だ?あの態度。」


「……」


「俺なら絶対、あんたには惚れないね。」


「……ふっ。」


「何だよ。」


「いや…」


 本家様は天井を見上げて溜息をつくと。


「…ありがとう。」


 意外と…素直にそんな事を言った。



 〇二階堂 海


 ビー


 ブザーが鳴った。


 紅美を追い返したばかりで…気分が良くない。

 誰とも会いたくなかったが…


「…誰だ。」


 ドアの前で問いかけると。


『俺だ。』


 聞き覚えのある声。


「…部屋間違えてないか。」


 あえてそう言うと。


『紅美のイトコだ。』


「……名前を言え。」


『桐生院華音。』


「……」


 今、俺が…

 一番脅威に思っている男かもしれない。



 昔から、その存在は知っていた。

 陸兄の妻の甥。


『無駄に何でも出来る男』



 少し間を置いて、ドアを開けた。

 目が合った瞬間…


「!!」


 手が伸びて来た。


 泣いて帰った紅美を見て激昂して、俺を殴りに来たのか?

 咄嗟に受け身を取ったものの…


 パチン


「な…」


 最後は…軽く額を叩かれただけだった。


「どうだ。屈辱だろう。素人に額を叩かれるってのは。」


『無駄に何でも出来て、少し変わり者』


 これは…

 こいつの双子である桐生院咲華の婚約者、うちで働いている東志麻が言った事だ。

 ま、志麻はもっと柔らかく丁寧な言葉を使ったが…

 俺の偏見で、こんな言い方になっている。



「どうぞ。」


 大きくドアを開けた。



「あんた、なんで紅美にあそこまで冷たくする?」


 確か、俺より四つ下。

 面と向かって喋るのは初めてのはずだが、このタメ口。

 まあ…紅美の事が絡むと冷静でいられなくなるのかもしれないが…


 気に入らない。


 洒落た名前だが、わざと心の中ではと呼ぶ事にした。



「駅で大泣きしてたぜ。意識朦朧としながら、俺の中から消えてくれって言われたっつって、繰り返し言ってた。」


「…あいつの事を思ったら、それが最善だ。」


「はあ?」


 ハナオトは、ずい。と俺に近寄ると。


「あんた、バカか。」


 胸を突いた。


「……」


 …俺にここまで言う奴は…

 今まで居なかった。

 正直…少し気持ち良くなっている自分がいる。



「あんたが冷たくするたびに、あいつはあんたを嫌いになるどころか…あんたの事しか考えられなくなってんだよ。」


「……」


「なんで、ちゃんと会って、想いのままに優しくしてやんねーんだよ。」


「…俺達には先がない。」


「先がないならなおさら、笑って別れられる状況を作れよ。」


「…やったさ。」


 俺はハナオトから離れて椅子に座ると。


「愛してた…って、言い合って終わったはずだった。だけど…結局紅美は引きずりまくってて…」


 吐き捨てるように言った。


「…言い合って終わっただ?はっ…言い合ったんじゃなくて、言わせたんじゃねーか?」


「……」


「紅美に、そうとしか言えない状況だっただろ。」


「……」


「今、幸いなことに、あんたはフリーなんだろ。」


「…だからって、何も変わらない。」


「それは、あんた次第だろ。」


「……」


「紅美を、抱きしめたくないのか?」


 …抱きしめたくない…わけがない。


 終わった。

 終わらせた。

 それに…俺には守るものがある。

 ずっと言い聞かせながら…


 …だけど結局、俺には何も守れなかった…。



「俺から見たら、紅美もだが…あんたも相当引きずってるけどな。」


「……」


「会えよ。会って、ちゃんと終わらせろよ。」


 こいつ…

 まるで俺と紅美のそれぞれの様子を見ていたかのように…物を言う。

 もし、こいつが俺達の色々を知ってるとしても…

 俺の心情まで…見透かしてるっていうのか?



「…君は、俺と紅美の事を妬いてたんじゃないのか?」


 気になってた核心を突くと。


「は?何言ってんだ?」


 ハナオトは眉間にしわを寄せた。


「紅美の事、好きなんだろ?」


「紅美は好きだが、俺はあんたの態度が気に入らなかっただけだ。」


「…え?」


「惚れてる女が弱ってる時に、何だ?あの態度。」


「……」


「俺なら絶対、あんたには惚れないね。」


「……ふっ…」


 つい、小さく笑った。

 何だろうな…こいつ。

 憎たらしいと思うのに、憎めない。

 気に入らないと思ってたのに…

 今は少し好きだ。



「何だよ。」


「いや…ありがとう。」


 俺がそう言うと、ハナオトは首をすくめて。


「なんだ。あんた、意外にまともなんだな。」


 本気で言ってるのかどうか分からない口調で言った。




「紅美はモテるだろう。」


 結局…何となくな流れで、近くのバーに行った。


「ああ。モテるね。」


「近くでそれを見て、イライラしないのか?」


「イライラ?なんで。」


 …ハナオトは、おもしろい奴だなと思った。



「誰かに取られないか心配になったり?」


「別に俺のものじゃないし。」


「…自分のものにしたいとは思わないのか?」


「それは紅美が決める事だから。」


「……」


「俺から見たら、むしろ…あんたら想い合ってんのに何やってんだってイラつく。」



 俺がこうやって…飲みながら話す相手と言えば…わっちゃん。

 だけど、わっちゃんは医者という立場があるからか…わりと、話をオブラートに包む。

 こんなに、堂々と俺に向かって『イラつく』なんて言うのは、身内でもなかなかない。

 それが珍しいからなのか…

 つい、ハナオトの話を聞きたいと思ってしまう。



「沙都も、まだ紅美を好きだろ?」


「ああ…途中で他に女作ったみたいだけど、やっぱ紅美かな。」


「君が紅美を好きな事、沙都は知ってるのか?」


「別に言う事じゃないから話してはないけど、俺と紅美…ゴシップ誌に載ったからな…」


「…ゴシップ誌?」


 思いもよらない言葉に、笑ってしまった。


「一緒に飯食ってただけだっつーのに。けど、それで沙都が過敏に反応するようになった時期もあるけど…」


「けど?」


「…こんなの聞いて、おもしろいのか?」


「興味深いね。」


「…物好きだな。」


「けど?」


「…俺は、音楽してる時は色恋は蚊帳の外だからな。」


「……」


 なるほど。

 無駄に何でも出来て、変わり者。


 …不器用。



 ハナオト。

 おまえが本気で落とそうと思えば…きっと、紅美は落ちると思う。

 なのにそうしないのは、自分の気持ちより紅美の気持ちを尊重するから。

 何よりも…誰よりも…

 紅美を大事に想っているから。


 俺は正直…

 おまえに妬きまくってたよ。


 紅美が渡米したと、わっちゃんに聞いて。

 揺れた。

 終わらせたつもりで、終わらせれなかった気持ちが…ずっと胸のどこかで小さな火種のようにくすぶっていて。


 だけど、会う資格なんてない。

 そう言い聞かせて…気持ちを押し殺していた。



 そんな時に…あの事件が起きた。

 一般人が怪我をしたと聞いた時は、嫌な思い出が蘇って…平静さを保つのに必死だった。

 それが…その怪我人が紅美だと聞いた時は…震えが止まらなかった。

 傷は命を落とすほどのものではなかったにしろ…

 苦しかった。


 どうして俺は傷付かずに、紅美ばかりが傷付くんだ…と、自分を責めた。



 突き放さなくては。

 もっと紅美が傷付く。



 アパートに送って行った時…紅美を心配して駆け寄った沙都。

 だけど…

 ハナオトは、階段の上から、冷たい声で話しかけただけだ。

 …おまえだって、人の事冷たい態度だなんて言えるかよ。



 その夜、紅美が入院したと麗姉に聞いた。

 付き添いたくても…現場がある。

 あの時、ずっとそばにいてやれなかった。

 朝子には…ずっと付いていたのに…

 そんな気持ちにも囚われて。

 俺は…昼間は富樫に付き添わせて、紅美の眠っている時間帯に病院に通った。


 その全てを…

 たぶん、ハナオトは知っている。

 富樫が言ってたもんな。


「やたらと、自分を病室から追い出そうとしてました。」


 最初は…

 妬いてるのかと思ったが…

 この様子だと…



「富樫を病室から追い出してたらしいけど、あれはヤキモチか?」


 ジントニックを飲みながら問いかけると。


「まさか。紅美に分からないように部屋の外にいたなら文句は言わなかったけど、病室に入り浸ってたからな。」


「…紅美は病人だったんだぞ?」


「あいつの性格上、誰かに付き添われるなんて単なる安眠妨害だ。」


「……」


「ま、あんたが深夜に付き添ってた分は…喜んでたろうけどな。」



 ハナオト。

 おまえ、どこまでも…気持ちのいい奴だな。



「…明日、会う。」


 俺がグラスを見たまま言うと。


「…そりゃ良かった。早い方がいい。」


「もし…」


「ん?」


「もし…紅美が…全てを捨てて俺と行くって言ったら…」


「……」


「…連れて行っていいか?」


 ハナオトの目を見て言うと。


「…あいつが選ぶなら、どんな道でも構わねーよ。」


 ハナオトは、少し伏し目がちになってそう言った。

 でも、口元は…少しだけ笑っている。

 本当に…

 紅美の事、大事に想ってるんだな…



 意外と…楽しい酒だった。

 こんな風にアルコールを楽しめたのは、久しぶりかもしれない。

 …もっとも、ハナオトはどうだったか分からないが。



「別に送ってくれなくていい。」


 地下鉄のホームで並んでると、ハナオトはそう言って俺を見た。


 なぜか…

 見送りにホームまでついて来てしまった。

 …興味があるのかもしれない。

 桐生院華音という人間に。



「紅美のどこが好きなんだ?」


 ポケットに手を入れたまま問いかけると。


「は?何で俺にそんな事聞くんだよ。」


 ハナオトは、大げさに笑った。

 …酔ってるらしい。


「同じ女を好きな身としては、興味がある。」


 少し笑いながら問いかける。


「…悪趣味だな。」


 ハナオトはそう言いながらも。


「どこかなー…まあ、声には惚れてる。」


「それ以外は。」


「んー…何にしても豪快な所とか?」


「豪快…」


 笑った。


「そうかと思えば…」


「…思えば?」


「すっ…と、入ってきやがる。」


「……」


「で、言いたくもねー事吐かされたりすんだよな…俺、あいつに何回カッコ悪いとこ見せたか分かんねーや。」


 なんで…ハナオトに興味が湧いたのか…分かった。

 ハナオトは…紅美と似てる。


 カッコ悪いと言いながらも、それを俺なんかに話して…


「ふっ…」


「ほら、笑うし。」


「いや、おまえ、意外と可愛い奴だなと思って。」


「男に可愛いって言われると、寒気がするもんだな…」


「ははっ。」


 車両が入って来て、ハナオトがそれに乗り込む。


「ああ、そう言えば…」


 俺はそう声を掛けて。


「あ?」


 ビタン


 振り返ったハナオトの頬を、両手で挟んだ。


「…アッチョンブリケ。」


 尖ったハナオトの唇を見て、笑った。

 紅美の言った『アッチョンブリケ』は、きっと…こういう意味のないものだろう。


「額を叩いてくれたお返しだ。」


「はっ。なんだよ。確保って言われたのかと思った。」


「え?」


 その意味を、紅美に聞いたのかと思った。

 だが…


「あんたがブラックジャックを知ってるのは、何となく驚きだけど…うちでは小さい頃から、それを暗号にして遊んでたから、変な感じだ。」


「…暗号?」


「スパイごっこでな。」


 少しだけ目を丸くしてる俺をホームに残して、ドアが閉まった。


「誰に?誰に暗号を習った?」


 立ったままのハナオトは、何でそんな事聞くんだ?って顔をしてる。

 ドア越しじゃ、一般人には聞こえないか…

 そう思いながらハナオトを見ていると。


『ばーちゃんだよ。』


 …ハナオトの口が、そう動いた。


 聞こえたのか?

 それとも…俺の唇、読んだ?



「……」


 電車が動き始めて、次第にその姿も見えなくなる。

 俺は少しだけ混乱した頭の中ほ整理しながら。


 ハナオトのばーちゃん…何者だ?


 色々と、調べてみたくなった。

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