第10話 沙也伽と沙都が一旦帰国した。

 *少し話が戻ります


 〇桐生院華音


 沙也伽と沙都が一旦帰国した。


 俺は他のアーティストのレコーディングを見学したくて…て言うか、あわよくばギター弾かしてくんねーかなー…なんて、ちょっと甘い汁的な物を期待して、このオフを事務所通いに費やそうとしている。


 向かいの部屋には紅美も一人でいるが、紅美は相変わらず…二階堂の本家様にご執心だ。

 まあ…デビューが決まったから、俺的には文句はないが。


 ただ…本家様の、紅美に対する態度が気に入らない。


 紅美が事件に巻き込まれた朝。

 あいつは…怪我人である紅美に対して、かなり冷たい態度だった。


 何だそれ。

 俺の眉間には、しわが入りっぱなしだった。


 入院中も、事ある毎に…本家様たちは紅美に関わった。

 昼間は富樫とかいう奴。

 夜中は本家様直々に、紅美の付添をしてた。


 て言うかさ…

 何考えてんだ?って頭に来た。

 優しくできねーのに、中途半端に心配してるフリしやがって。

 顔見るたびにムカついた。


 富樫って奴に罪はないとしても、本家様の使いだと思うと、それはそれで腹が立った。

 パシリが!!なんて、腹の中で軽蔑するほどだった。


 だが、紅美が退院してからは…

 紅美自体が、バンドで自分の立ち位置を窮地に追い込まれてた事もあって。

 バンドに集中していた。

 俺とボイトレを繰り返し、ギターの特訓もした。

 実際、メキメキと力をつけたし…俺の刺激にもなった。


 今まで合わせてばかりだった俺が…

 頑張れる。

 全力で。

 そんなメンバーに出会えた。


 そこに紅美がいる。

 …喜びでしかなかった。


 デビューも決まった。

 いよいよ俺達は…アメリカデビューを果たす。


 今は…その前の、オフ。


 そのオフに入ってすぐ…




 〇二階堂 空


『紅美ー。いるかー。』


 ドアの外から、大きな声が聞こえた。


 …酔っ払い?

 まあ、あたしも酔っ払いだけど。


 残念ながら、紅美は出かけました。

 心の中でそう思いながら、ゆっくりとドアを開ける。


「紅美は出かけました。」


 ドアにもたれてそう言うと…

 そこには、片手にビールを持った…いい男♡


「…えーと。」


 いい男は、あたしの顔を見て少し首を傾げた。

 紅美のバンドの桐生院華音さんね。

 確か、あたしより一つ年下。

 うん…これは、なかなかの男前。

 いつだったか、沙都が言ってたっけ。


『最初はすごく優しかったのに、途中から手の平返したように鬼になってさー。もう、ノンくんて絶対ドがつくほどのSだよ!!S!!』


 …うん。

 そんな目をしてる。

 優しそうだけど、ワイルド系の男。

 Sなのは表に出さないようにしてるのかしら。

 でも、あたしもSだから分かるわ。

 黙ってると優しい感じのいい男。


 よし。決めた。

 あたしは、あんたを心の中でハンサム君(あまりに普通なのは酔っ払ってるせい)と呼ぶ。



「二階堂です。二階堂空。」


 あたしは、笑顔で挨拶をする。


「ああ…本家のお嬢さん。」


「まあ。お嬢さんだなんて。」


 兄貴と朝子の婚約祝いの時、椿で見かけたけど…こんなに近くで見るのは初めて。

 確か、中学生ぐらいの時に、うちの道場に来てた。

 でも、あたし達本家の人間は、こっちから交友関係を広げる事はしないから。



「桐生院さんですよね?妹がお世話になってます。」


 社交辞令だ。

 一応、挨拶しとこう。


「え?」


「うちの妹、聖くんと付き合ってるでしょ?」


 あんな単純かつ小難しい泉を落とすなんて、聖くん、すごいわ。

 そう思いながら返事を待ってると。


「そうなんすか。俺、全然知らねーから。」


「……あ、そうですか。」


「……」


「……」


「…で。」


「はい。」


「紅美は?」


 ああ。

 本題はそこだったわ。


「さっき出かけました。」


「…こんな時間に?」


 ハンサム君は、眉間にしわを寄せた。


 …もしかして…

 これは…

 ハンサム君も紅美を好きって奴!?


 て事は…


 紅美、兄貴と沙都とハンサム君と…

 選り取り見取りじゃない!!


 って…そうじゃなくて…



「ええ…ちょっと。」


「ちょっとどこへ?」


「…えーと…」


「どこですか。」


「……」


 あたしが黙ると、ハンサム君は。


「あんたの兄貴んとこか。」


 急に…タメ口どころか…乱暴な口調になって。

 ドン。と、ドア枠に腕を打ち付けた。


「……そーですけど。」


 どうしたあたし!!

 なんであたしが敬語になる!!

 負けないぐらいSの血を出して…


「どこだ。」


「は?」


「家だよ。」


「え。」


「あんな状態で会わせて、上手くいくわけがない。」


「え…えっ?」


「早く教えろ。」


 あたしは真っ青になりながら、兄貴の住所を教えた。



 だけど…

 もし上手くいってたら?

 ハンサム君…無駄足だよ…?

 行くのかい?



 〇桐生院華音


 本家のお嬢さんから聞きだした住所に向かう。


 …思い切り治安の悪い場所じゃねーか…

 何だって、そんな所に一人で行かせる?

 本家のお嬢さん、ちょっと頭わりーんじゃねーか?


 心の中で毒気付きながら、地下鉄を降りた。


「……」


 そこで、ふと足を止める。



 もし…紅美の訪問を、本家様が受け入れてたら?

 理由があっての別離だった。

 お互い、抱えてる柵的な物を取っ払えば…

 結ばれない事もない。

 それに気付かないんだろうか。


 家まで行くのはやめた。

 だけど、紅美がいつ帰るかも分からない。


 …俺はアホか。

 紅美はバカだが、俺はアホだ。


 何となく、一人でそんな事を考えながら、引き返すか、どうするか…ボンヤリとしていると…



「うわーん!!」


 …この声…


 声のした方に向かってみると、三人の男に囲まれた紅美が…


「わああああ―――ん!!」


「おっ…おい!!やめろ!!」


「うわ――ん!!」


「ちっ…」


 その大号泣に、男達はドン引き。

 紅美の周りから走り去った。


「うわあ―――ん!!」


 …ダメだったのか。


 俺は溜息をつきながら紅美に近付くと。


「紅美。」


 後ろから、額に手を当てた。


 紅美の首がカクンとなって、泣き声が止まった。


「ったく…大声で…恥ずかしい奴だな。」


「……ノンくん…?」


 泣き止んだ紅美が、俺を振り返る。


「帰るぞ。」


 紅美の手を握ると。


「な…んで…?」


 紅美は鼻水をすすりながら問いかけた。


「おまえに呼ばれてるなと思って。」


 顔を見ずに言うと。


「……」


 うさんくさそうな無言を返して来た。

 それで紅美の顔を見ると…


「…ブス。」


 ほ…本当に…救いようのないブス…


「ど…どうせブスだよ…」


「本当にな。ひっでぇブスだ。」


「も…もー!!ブスブスうるさい…もう、やだよ。」


 紅美がしゃがみ込んだ。


「……ったく…」


 溜息をつきながら、紅美の正面にしゃがみ込む。


「おい。」


「……」


「…何があったか知らねーけど、今夜は付け込まずに甘えさせてやる。」


「…は?」


「そんなガキみたいに泣いてる女には手出さねーよ。ブスだし。だから、安心して甘えろ。」


「……」


「ほら、おぶってやるから。帰ろうぜ。」


「…歩ける…」


「ふらっふらじゃねーか。」


「……」


「早く来い。」


「……」


 背中を向けると、紅美は割と素直に乗って来て。

 立ち上がって歩き始めると、紅美は俺の背中でうだうだと何か喋りはじめた。


 …こいつ…酔っ払ってんのか?


 そう言えば、本家のお嬢さんも酒臭かった。

 …勢いに任せて行って、玉砕した…と。


 情けねーな…


 ま、勢いに任せなきゃ行けなかったんだろうけどな…。



「うー…辛いよー…」


 こいつ…俺は知らない事になってんのに。

 いいのか?


「俺の中から消えてくれ…なんてさー…酷いよ…」


「……」


 そりゃ酷い。


「んー…ノンくん…」


 これは…独り言なのか。

 それとも、俺に話しかけてるのか。


「ノンくん…いい奴だな…好きになれたらいいんだろうけど…あたし達は…仲間だし…それ以上は…ない…よ…」


 …独り言かよ。



「……バーカ。口に出して言うなよ。」


 酔っ払ってる紅美に。

 ボロボロになってる紅美に。

 俺は、それぐらいの嫌味しか言えなかった。



 地下鉄に乗って紅美を下ろす。

 その隣に俺が座ると…紅美は体をずらして横になって、俺の膝に頭を乗せた。


「……」


 おい。

 おまえ、女だろうが。

 これは、本来男がやって欲しい事(個人的意見)なんだぞ?


「……」


 紅美の頬に触って、涙を拭う。



 今夜…

 紅美が部屋に居たら、ささやかながら…お礼が言いたいと思ってた。

 俺が全力で頑張りたい気持ちになれたのは…紅美のおかげだ。

 ずっと抑えてた気持ちを出させてくれたのも…紅美だ。

 ただ、素面で言うのが恥ずかしくて。

 酔っ払った勢いで言いたい。

 そう思って…ビールを持って紅美の部屋に。


 …まさか、紅美が本家様の所に行ってるなんて…な。



 泣き腫らした目。

 …かわいそうに…

 会いに行くまでは、色んな事を考えて夢を膨らませただろうに。

 何か理由があったとしても、一度愛し合った女に対して、あんな態度を取る男の気が知れない。


 …俺の中から消えてくれ…だと?



「……」


 紅美の頭を撫でながら、俺はふつふつと沸き上がる怒りを抑えるのに必死だった。

 そうでなければ…

 このまま紅美を連れて本家様の所へ戻って…


 おまえになんかやんねーよ!!

 バーカ!!


 なんて…

 ガキみたいな言い方をしてしまいそうだ。


 とりあえず、降りる駅について。


「…紅美。」


「……」


「紅美。」


「んー…」


 起こしても、起きやしない紅美を…


「…ったく…」


 また、背中に担ぐ。

 一応これでも何となく鍛えてるから、どうにかなってるものを…

 普通、これだけ脱力してる大きな女を背負うって、身体にダメージが残りそうだ。


 何度か抱え直しながら、アパートにたどり着いた。

 俺の部屋に連れて入りたい気持ちは山々だが、本家のお嬢さんもいた事だし。


 コンコンコン


 ノックをすると。


「はい……紅美?」


 本家のお嬢さんは顔を覗かせて、俺を見て、背中に乗ってる紅美を見て…また俺を見た。


「酷い事んなってるぜ。」


「え…」


「とにかく…降ろさせてくれ。」


「あ…ああ、どうぞ。」


 中に入って、紅美をソファーに降ろす。


「…どうなったの?」


「さあ。俺が見たときには駅で大声で泣いてた。」


「……」


「あと、顔がひでぇブス。」


「…まっ…」


「あと、頼むわ。」


「え?あなたは…?」


「俺、明日も事務所だし。寝る。」


「えっ…?こんな時に?」


「俺、関係ないし。」


「……」


 納得いかない顔をしてる本家のお嬢さんを残して。

 俺は部屋を出た。


 そして、また…



 地下鉄に乗った。

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