第9話 「あっ…」

 〇二階堂紅美


「あっ…」


 あたしが何度イッても…海くんは嬉しそうな顔をして…続けた。

 もうダメ…って言うと、まだまだ平気なクセに。って笑う。


 …本当にできなかったの?って。

 疑っちゃうよ。

 …できなかったから、こんなにしちゃうのかな?



 結局…二度シャワーを浴びた。

 その後、ベッドで少しだけお酒を飲んで。

 海くんの腕枕で…気持ち良くなりながら、色んな話をした。



「親父は主に日本で仕事をしてるし、あの人は本当に…失敗のない人でね。」


「環兄、本当はドイツの人達がすごく欲しがってたらしいね。」


「ああ…親父はあちこちから欲しがられてたよ。だけど…俺がこっちに来たから、日本を取りまとめる役目を押し付けたようなもんだ。」


「でも、織姉と一緒に出来るからいいんじゃない?」


「まあ、そうかな。」


 海くんは、あたしの枕になってる方の手で、あたしの髪の毛をくりくりと指に巻いたりして、もてあそんでる。


 …気持ちいいな…。

 このまま…時間を止めちゃいたいよ…



「あたしさあ…本家のじいちゃんとばあちゃんって、小さい頃に会った事があるかな?ってぐらいなんだけど…」


 記憶の片隅を探るようにして。

 あたしは、昔の事を思い出そうとした。


 二階堂にかいどう かける二階堂にかいどう 紗良さら


 あたしの知ってるおじいちゃんは…本家の道場に飾ってある、20代と思われる写真だ。

 だから…

 おじいちゃんだよ。って会った事があっても…

 ピンと来なかったんだよね。

 あたしは小さかったから。

 おじいちゃんは、父さんと同じぐらいの歳なんだって思っちゃって。


 おばあちゃんは…

 すごい美人だった。ってのは聞いてる。

 おかげで、父さんと織姉は美形だ。



「海くんは一緒に暮らしてたの?」


「小さい頃はな。」


「ふうん…」


「でも、あまり一緒にいた記憶はないんだ。じいさん達も主にアメリカで仕事してたから。」


「まだ生きてる?」


「…生きてるけど、施設に入ってる。」



 初めて…聞く話だった。

 二階堂本家は…本当に特別で。

 あたし達はむやみやたらと聞けない話も多くあって。

 昔から、あまり話題に出て来ない祖父母の事も…子供ながらに、聞いちゃいけないんだ。って納得してた。



「…施設って…なんで?」


「…もう、歳だしな。記憶が…」


「……」


「じいさんも、若い頃…一般人を死なせてしまった事があるみたいでさ。」


「…うん…」


「それを…ずっと悔いてて…」


「……」


 何となく…脳裏にクロスのペンダントがよぎった。

 二階堂で仕事をしてると、きっと…人の死に直面する事は多いと思う。

 だけど…

 それを守るのが仕事。

 その後悔って…一生持ち続けなきゃいけないんだろうな…



「…海くん。」


「ん?」


「明日はおじいちゃんに、会いに行かない?」


「え?」


 あたしの提案に、海くんは目を丸くした。


「その施設って、どこにあるの?」


「…本部から、そう遠くはないけど…」


「会いに行こうよ。」


 海くんの腕にしがみついて言うと。


「…分かった。」


 海くんは少し優しい顔になった。

 …ああ…嬉しいな。

 今日は、こんな顔…たくさん見せてくれる。



「…言っていい?」


「ん?」


「…愛してる…」


「……」


 海くんは腕枕を外すと、あたしの上に乗って。


「…愛してる。」


 ちゃんと…目を見て言ってくれた。



 明日の夜には覚める夢。

 …それでも…

 言わずにはいられなかった。

 そして…


「…もっと。」


 海くんを、もっと欲しいって気持ちが…



 止まらなかった…。



 * * *


 ハイウェイをとばして、街に戻った。

 それから…少し郊外に走ると…そこに、白くて大きな建物が見えた。



「ここって…」


「二階堂で働いてた者が入ってるんだ。」


「……」


「戦場さながらの現場ばかりだからな…PTSDに悩まされる者も多い。」


 施設内には、若い人も多く見えて…

 あたしは、あらためて…二階堂の仕事の過酷さに身震いした。



「あれ…誰もいないな。」


 部屋に行くと、そこはもぬけの殻。


「おばあちゃんもここに居るの?」


「ああ。ばあさんは健康体だけどな。散歩にでも出てるのかな…」


 海くんは窓の外を眺めて。


「ちょっと見てくる。」


 部屋を出た。


 そこへ、海くんと入れ違いで…


「…どちらさま?」


 すごくきれいな声で問いかけられた。

 振り向くと…


「…おばあちゃん?」


 きれいな銀髪。

 細い体。

 手には…ガーベラ。


「…ええと…あなたは…」


 おばあちゃんは、目を細めてあたしをじっくりと見て…


「…紅美?」


「わ…正解。なんで分かったの?」


 あたしなんて、顔を見ても分からない。

 なのに…何で??


「陸が、こっちにくるたびに写真を持って来てくれるのよ?」


 おばあちゃんは花瓶にガーベラを挿し込みながら、あたしに椅子を出してくれた。


「あ、ありがと…父さんが?」


「ええ。麗さんも、近況を手紙でくれたり…写真を送ってくれたり…この春は、二度来てくれたかしらね。」


 …あたしの所に来た時!?

 母さん!!

 なんで教えてくれないの!!



「あら、海。」


「あ、いた。」


 海くんが戻って来て。

 おばあちゃんを見てそう言ったけど。


「じいさんは?」


「今、ちょっとお客さんがね。」


「客?じいさんに?」


「ええ。」


「…分かるのか?」


「それが…分かったのよ。」


「へえ…」


 海くんも、おばあちゃんも…笑顔。


「二人で来たの?」


「ああ。紅美が、会いたいって言うからさ。」


 海くんはベッドの脇に座って、立ったままのあたしに椅子に座るように促した。


「うん。だって…小さい頃会ったきりだから。」


「そうね…織と陸を余所で育ててもらってる間はこっちにいたけど…引き取ると決めて日本に戻って…織と環が継いでくれてからは、ほとんどこっちに居たものね。」


「たぶん、学あたりは二人とも死んでるって思ってないか?」


 海くんは笑いながら言ったけど。

 まさにその通り…なんて思って、あたしは苦笑いするしかなかった。


 だって…

 あたしもそう思ってたもん…。



「…海。」


 おばあちゃん、きれいだなあ…なんて見とれてると。

 おばあちゃんは、優しい声で海くんを呼んだ。


「ん?」


「…今日は、いい顔をしてるわね。」


「…そっか?」


「ええ。とっても。ここのところ、ずっと厳しい顔をしてたから…安心だわ。」


「…心配かけてごめん。」


「いいのよ。」


 海くんは…すごく優しい顔で、おばあちゃんに笑いかけた。

 それが何だか…すごく嬉しかった。



「ああ、帰って来たかしら。」


 廊下から車椅子の音がして。

 おじいちゃんが戻って来た。


「あら。」


「………えっ?」


 そこには、思いがけない人もいた。


「ど…どうしてここにいるの?」


 あたしが問いかけると…


「ちょっとついでがあったから、来ちゃった。」


 ばあちゃんは…可愛い笑顔でそう言った。


 ばあちゃん。

 桐生院家の、さくらばあちゃん。


「来ちゃったって…」


 そ…そりゃあ…

 父さんの親と、母さんの親が会ってたって…不思議はないけど…

 でも、こんな所まで?



「桐生院の…?」


 海くんがベッドから立ち上がって。


「二階堂海です。」


 さくらばあちゃんに、頭を下げた。


「まあ、立派になられて…。うちの色んな子が迷惑かけたり、お世話になってます。」


 ばあちゃんの言う、『色んな子』とは…

 咲華ちゃんが、二階堂で働いてるしーくんと婚約中って事とか…

 聖が、海くんの妹の泉ちゃんと付き合ってる事とか…

 母さんが、父さんをほったらかしてアメリカに長居して、父さんが本家に入り浸ってたって噂があったから…


 だと、思われる。



「昨日は華音とデートしたのよ?」


「何であたしには連絡くれなかったの?」


「デートなら、男の子としたいじゃない?」


「よく言うわよ…ここには一人で来たの?」


「ええ。陸さんに場所を聞いて。」


「……」


 なんて言うか…

 ばあちゃんは、謎多き人だ。

 だから…本当は、首を傾げてしまう事ばかりでも…

 何となく、納得せざるを得なくなる。



「…さくら。」


 おじいちゃんが、ばあちゃんを呼び捨てにして…

 ちょっと、ドキッとした。


 お…おばあちゃんは…?

 …ニコニコしてる…


 あたしが眉間にしわを寄せて海くんを見ると。

 海くんも、何だかキョトンとして三人を見渡してる。



「そうか…さくら…良かったな…」


 おじいちゃんは、そう小さく繰り返して。

 おばあちゃんを見上げて言った。


「…アッチョンブリケ。」


「まあ。」


「ふふっ。」


 その言葉に…あたしと海くんは、目を丸くした。

 アッチョンブリケって言いながらも…

 おじいちゃん…

 顔、挟んでないよね。


 て言うか…

 二階堂の暗号で使われてたって…

 それを、なんで…さくらばあちゃんが聞いて笑ってんの?


「…なるほどな…だからか…」


 海くんが下を向いて、小さく笑った。


「…何?何がだからなの?」


「内緒。」


「なんでよ。」


 あたしと海くんが押し問答してると。


「海。」


 おじいちゃんが、海くんを呼んだ。


「…俺が分かるのか?」


 海くんは、驚いた顔。

 おじいちゃんは、海くんの頬に触れると。


「…辛い仕事を…任せてすまんな。」


 涙ぐんで、そう言った。


「じいさん…」


 そして…


「…紅美。」


「えっ…あ、はい…」


 え?あたし?


「デビューするそうだな…おめでとう。」


「…ありがと。」


「歌を…歌ってくれんか?」


「え?」


「イマジン…あれが聴きたい…」



 レクリエーションで使うらしいギターを借りて。

 あたしは、リクエスト通り、『イマジン』を歌った。

 戦いはなくなって、世界中の人達が幸せになる。

 そんな日が来る。



 あたしは…何となくだけど…

 本家の祖父母と、さくらばあちゃんが、昔からの知り合いに思えて仕方なかった。

 だけど、それは…今は知らなくていい事だとも思った。




 みんなが…

 本当に、みんなが。

 笑って過ごせる日が来るといい。

 戦う事なんかない世界が…

 訪れる日が来るのを…


 あたしは、世界の片隅で歌いながら…小さく祈った。



 * * *


 施設を出たのは、正午過ぎだった。

 海くんと居られるのも…あと半日。



「おじいちゃんも…昔、誰かにあの歌を聴かせてもらったのかな…懐かしそうに聴いてた…」


 車に乗って、あたしがそう言うと。


「…そうかもな。」


 海くんは、首を傾げて遠くを見た。


「…さ。次は?どこに行きたい?」


 ハンドルに寄りかかって、海くんが言った。

 あたしは少し考えて…


「…海くんち。」


 笑いながら答える。


「うちでいいのか?」


「うん。あたしに美味しい物作って?」


「俺の料理の腕を信用するなんて、勇気ある奴だな…」


「えー、あの頃も少しはしてくれてたじゃない。」


「本格的な物は無理だぞ?」


 海くんは笑いながら車を発進させて。


「…二階堂の夢のような歌だったな。」


 小さくつぶやいた。


「え?」


「イマジン。」


「…そうだね…」


「……」


「あたし…歌いながら祈ったよ。この世界から戦いなんかが消えて、みんなが笑い合って、みんなが大事な人と過ごす時間が増えますようにって…」


 窓の外を見る。

 施設はだんだんと視界から消えて。

 次は、いつ会いに来れるかな…なんて考えた。



 街に戻って。

 海くんの部屋にたどり着いた。


 ドアを開けてすぐ…あたし達は…抱き合った。

 美味しい物を作って…なんて言いながら。

 あたしは、もう時間がない事に…少し焦ってた。


 もっと…

 もっと、海くんが欲しい。

 あたしの事も、もっと…欲しがってほしい。



「紅美…」


 それから…夜まで…ベッドにいた。


「…飯も食わずに…盛りのついた動物より酷いな。」


 海くんは苦笑いしながら服を着ると。


「ちょっと買い物に行って来る。」


 あたしの頭を撫でて出て行った。


 ああ…一緒に行きたいのに…

 もう、体がクタクタ…


 …枕から…海くんの匂い…

 あたしはそれを満喫しながら、しばらくウトウトした。



「…紅美。」


 どれぐらい経ったのか…

 呼ばれて目を覚ますと、部屋にはいい匂いが。


「…え…寝ちゃってた…?」


「ああ。そりゃあもう、ぐーすかと。」


「ごめん。」


「適当に作ってみた。食おうぜ。」


 腕を引っ張って起こされて、一度…ギュッて抱きしめられて…

 ああ…

 離れられなくなるよ…なんて思いながら…


 ぐお。


「……」


「……」


「ふはっ。おまえの腹の虫、すげー声してるな。」


「いっ今のあたしの!?海くんのだよね!?」


「俺、つまみ食いしながら作ってたから、鳴るほどじゃないし。」


「ずるい!!」


 恥ずかしいー!!

 ぐお。って何だ!!ぐお。って!!

 あたしのお腹!!

 もっと可愛く鳴ってよ!!

 頼むから!!



 服を着て、いただきます。をして…海くんの作った料理を食べた。

 アメリカの生活に慣れてるんだなあ…なんて思いながら。



 時間が…もう、あまりない。

 あたし…

 心残り…ない…?




 二人で洗い物をして…

 屋上に上がった。

 抱き合うようにして、景色を眺めて…


「海くん…」


「ん?」


「…キスして…」


「……」


 何度も…キスをした。

 時間が経ってる事に気付くのが…怖かった。


 …お願い。

 時計を見ないで…


 そう思ったけど…


「…タイムリミットだな…」


 海くんが…つぶやいた。



「…紅美。」


「……」


 分かってたはずなのに。

 あたしの足が…なかなか動かない。



「…送る。」


 海くんはあたしを抱きしめたまま、額を合わせて言った。


「…うん。」


 うん…

 決めた事じゃない…

 ちゃんと、守らなきゃ。

 守らなきゃ…昨日からの楽しい時間が、台無しになっちゃうよ…



 手を繋いで…車まで歩いて。

 それから…車の中でも…手を繋いだ。


 ああ…アパートにつかなきゃいいのに…

 なんて思ってしまって。

 貴重な時間なのに…

 言葉が出て来なかった。



 無情にも車はアパートの前に。

 なかなか降りようとしないあたしを見かねて、海くんが運転席から降りた。


「紅美。」


 助手席のドアを開けられて…仕方なく…降りる。


「……」


「……」


「楽しかった。」


 海くんが、そう言った。


「…うん。」


「…紅美…」


 手首を掴まれて…次の瞬間、あたしは海くんの胸の中にいた。

 すごく…力強く抱きしめられて…

 あたしは泣きそうになった。


 ゆっくりと、腕が離れて…海くんはあたしの頬に触れると。


「…紅美、愛してる。」


 あたしの目を見て…言った。


「…あたしも…」


「…二人で…」


 海くんは…

 あたしの目をじっと見つめて。

 頬を撫でながら…


「二人で、どこか遠くに逃げないか?」


 真剣な声で言った。


「……え…っ?」


 信じられないその言葉に…

 あたしは、目を見開いた。


 今…海くんは…なんて言った?


 二人で…どこか遠くへ…?



「俺は…おまえのためなら、二階堂を捨ててもいい。」


「……」


 あたしは…きっと、口が開いたままになってる。


 だって…

 海くん…


「おまえも…俺のために…バンドも歌も…家族も…捨ててくれないか。」


「…海くん…」


 瞬きが…できなかった。


 どうして…?

 どうして、急にそんな事…


「どうする?」


「…本気…なの…?」


「本気だ。」


「そんな…海くんに二階堂を捨てるなんて…」


「おまえのためなら、何だって捨てる。」


「……」


 それは…

 すごく嬉しいと思った。


 だけど…

 反対に、そんな事させられない。とも思った。



「今の俺には、それぐらいの覚悟がある。」


「……」


 海くんの目は…強かった。

 本気なんだ…って、思えた。


「それぐらいの覚悟を持って…おまえを愛してる。」


 あたしは…


 海くんどうこうじゃなくて…

 あたしは…?


 海くんと遠くへ逃げるために…

 全部捨てられる?

 バンドも…歌も…家族も…友達も…


 捨てられる?



 すごく…すごく、悩んだ。

 海くんの気持ちが嬉しいのと。

 だけど、そんな事させられない。って葛藤と…

 あたし自身…みんなを裏切れない…って…譲れない気持ちと…


 そして、出した答えは…



「……ごめん…」


 うつむいて、小さな声で謝ると…


「……」


 海くんは、無言で頭を撫でてくれた。


「…え?」


 顔を上げると…海くんは…優しい顔。


「…それでこそ、紅美だ。」


「…試したの…?」


「まさか。yesって言ってくれたら、本当に連れて逃げてたよ。」


「……」


「でも、Noって言って欲しかったんだと思う。その証拠に…今、紅美の事をますます好きになった。」


「海くん…」


 海くんはあたしを優しく抱き寄せると。


「俺は…おまえを誇りに思うよ。」


 耳元で、そう言ってくれた。


「海くん…」


 涙が溢れた。



 大好き。

 愛してる。

 もう…


 言えない…。


 でも…


 大好き。

 愛してる…。

 愛してる……。



「…ありがとな。」


「…あたしこそ…」


「応援してる。」


「…あたしも…」


 海くんの胸も…もう、これでお別れ。

 あたしの掌に響く海くんの鼓動を、とても大切に感じた。



「いつか、おまえの隣にいるのが…あいつならいいな。」


 海くんが、小さな声で言った。


「…あいつ…?」


 あたしは、顔を上げて海くんを見る。

 すると…


「…桐生院華音。」


 海くんは、あたしを見つめたまま…少しだけ口元をゆるめて言った。


「え…?」


「いい男だ。妬けた。でも、あいつになら…負けても仕方ないって思える。」


「…な…何の事…?」


 海くんは上を向くと。


「見てんだろ?覗くなよ。いやらしいな。」


 大きな声で、そう言った。

 すると、二階の窓が開いて…


「こんな真上で何が見えるっつーんだよ。この時間にここにいろって言ったの、あんただろーが。」


 え?え?


「見えないのか。せっかく見せ付けてたのに。」


「残念でした。」


 ええ?ええええ?


「…紅美を、よろしく。」


「それは、そいつ次第。」


「…素直じゃないな。」


「お互い様だ。」



 あたしは…わけが分からなくて。

 大声で交わされてる二人の会話を、ポカンとして聞いてるだけだった。


「続きは本人に聞け。」


 海くんはあたしにそう言うと。


「…じゃあな。」


 頭をポンポンとして…車に乗った。



 お別れだけど…

 何だか…すごくスッキリしてて。


 あたしは…


「海くん!!」


 車に向かって、叫んだ。


「バイバイ!!またね!!」


 海くんは、窓を開けて…手だけ出して振ってくれた。


 …バイバイ。

 今度こそ…



 笑顔で。

 バイバイ。

 海くん。


 …バイバイ。




 海くんの車を見送って上を見上げると…

 ノンくんも、車を見送ってた。


「……」


 いつか、おまえの隣にいるのが…あいつならいいな。



 …なんで?

 いつ…二人は…


 はっ…


 地下鉄…ノンくん、なんであそこにいたんだろ。



「…ねえ。」


 上に向かって声をかけると。


「あ?」


「聞きたい事が色々あるんだけど。」


「…知らねーし。俺、もう寝るし。じゃあな。」


 ノンくんは、そう言うと、さっさと窓を閉めた。

 と思ったら、またすぐに開いて。


「おまえも、今夜はあいつの事想いながら、さっさと寝ろ。俺んとこ来んなよ。」


 吐き捨てるように言った。


「…何それ。」


「別れた夜ぐらい、一人で想ってやれ。」


 ズキン。と、した。


 別れた夜。


 …あー…


 いや。

 うん。

 そうだ。

 そうしよ。



「別に、ノンくんとこ行くとか言ってないし。」


「あ、そ。そりゃ良かった。んじゃな。」


 うわ。

 憎たらしい。



 あたしは階段を駆け上がると、部屋に入って…冷蔵庫からビールを取り出した。



「…海くんから…卒業…おめでとう。あたし。」


 小さくそう言って…


 ゴクゴクゴクゴク…


 一気飲み。


「……」


 ちくしょ…いい男だよ…海くん…。

 あたしのために、二階堂捨てる…なんてさ…

 できっこないじゃん…

 なのに、本気だって言ってくれた。


 …嬉しかった。


 こんな終わり方…

 残酷だ。





 って。

 本当は思うのかな。


 悲しいけど、苦しいけど、切ないけど、辛いけど。

 あの笑顔が、あの腕が、あの胸が、あのキスが。

 ちゃんと、あたしの物だった。って…

 あたし達、ちゃんと…通じ合って、そして、終われた。って…


 次に会う時は…

 きっと、昔みたいに、イトコ同士だよ。


 …うん。


 …しばらく…

 恋はいいや。



 部屋に投げたままにしてた携帯を手にすると、慎太郎からメールが来てた。


『元気か?俺は余命更新中。帰ったら遊びに来いよ。美味い魚食わせてやるから』


 ふふ…

 ほんとだ…

 帰国したら…遊びに行かなくちゃ。

 海くんの事、吐き出させてくれたのも…慎太郎だったし。



 バスタブにお湯を張って。

 ゆっくりと浸かる。

 頭を縁に乗せて、天井を見てると…少しだけ涙が出た。


 …悲しいとかじゃない。

 …どっちかと言うと…

 嬉しい…から。かな。


 苦しさも含めて…素敵な恋だった。

 そう思えるようになったかもしれない。


 最後に一緒に過ごした一日半。

 あたし達の笑顔は…別れの時を知ってても…

 最高だった。


 本当に…



 最高だった。

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