第8話 ゆっくりお風呂に浸かって、フェイスマスクをして顔のむくみを取った。

 〇二階堂紅美


 ゆっくりお風呂に浸かって、フェイスマスクをして顔のむくみを取った。

 たっぷり汗をかいて、アルコールをとばして…何となく、体も気持ちも、若干軽くなった気がした。


 天気いいし…散歩にでも行こうかな。



 ノンくんに、夕べ連れて帰ってくれた事…お礼言いたいんだけど…

 …でも…ちょっと顔合わせ辛いし…

 帰ってからでいいか。



「ん~…いい天気!!」


 伸びをしながらそう言うと、通りすがったご婦人が笑顔になった。

 バーク公園は結構な人で賑わってる。

 ジョギングする人、サイクリングコースを楽しむ人、遅いランチを満喫してる人、お昼寝してる人、犬の散歩に、子供達のボール遊び…


 …うん。

 来て正解。

 みんな笑ってて…何だか楽しいや。


 木陰にレジャーシートを敷いて、その上に仰向けに寝転ぶ。

 ついでに、持って来た小説を開いて…読み始めた。


 こっちに来て、ずっとバンドの毎日で。

 まあ…あたしは怪我して入院したりもしたけど…

 久しぶりに、こんな時間が取れた。


 …夕べの痛手がなければ、もっといいんだろうけど…

 それを忘れようとしてるからか…

 あたしは、人の多い場所で、こんな優雅な時間を満喫している。


 ふわあああ~…眠いな…


 開いた小説は、三ページも進まない内に…あたしの顔の上で顔隠しをする役割に変わった。

 ポカポカ陽気で…気持ちいい…


 どれぐらいそうしてたのか…


 ドサッ


 ん?


 ふと、人の気配。

 頭もとに…誰か…座った?

 文庫を取って見上げようとすると。

 あたしの手より先に誰かの手が、文庫を取り上げた。


「……」


 そこに見えた顔は…


「…海くん…」


「…夕べは悪かった。」


「な…なんで…ここに?」


「アパートに謝りに行ったら、おまえが出て来たから…」


「…つけたの?」


「…声がかけられなくて。」


「……」


 海くんは…

 黒ずくめじゃなくて。

 ものすごく…ものすごく久しぶりに見る…私服。

 超プライベート…って事だよね…



「…それで…何。もう、いいよ。もう…終わったんだって、ちゃんと分かったし…」


 あたしが寝転んだまま、しどろもどろに言うと。


「…考えた。」


 海くんは、小さくつぶやいた。


「…何を…」


「俺は…終わらせるには、紅美を傷付ける事が正しいって思ってた。」


「……」


「傷は…時間が経てば癒える。俺が悪く思われようが、紅美が新しく誰かと進んで行けるなら…って思った。」


 海くんの指が…

 あたしの前髪を分ける。


「…俺達には、先がない。」


「…何回も聞いた…」


「だったら、それをお互いが納得して…」


「……」


「ちゃんと、笑って別れる事が出来る方が…」


「って、あたしは言ったよね?」


「紅美はそう言ったが、俺にそれが出来る自信がなかった。」


「…どうしてよ…」


「一度、そうやって終わった事になっただろ?」


 …最後に…あたしのアパートでキスをして。

 愛してた。って…過去形で言い合って別れた。


「…うん…」


「おまえは、引きずらなかったか?」


「……」


「引きずってたよな。」


 海くんは、あたしの髪の毛を撫でながら…話を続ける。


「だから、温泉で会った時…あれは失敗だったって思ったんだ。」


 あ…当てはまり過ぎて…痛い。

 …そっか。

 結局…海くんは…優しいんだよね…

 あたしを突き放すの、本当は辛かっただろうに…



「…で?」


「…今度こそ、笑い合って終わろう。そう…言いに来た。」


「……」


「どうだ?」


「今日…一日?」


「今日と、明日丸一日。」


「…じゃ、一泊二日?」


「……期待に応える自信はないけど、泊まりでもいい。」


 あたしはガバッと起き上がると。


「あの海行こ!!」


 荷物をまとめて、海くんの腕を掴んで走り出した。



「えっ、買ったの?」


 車に乗ると、DANGERのCDが流れてた。


「…一応。」


「一応って何よ。」


「…じゃあ、ついで。」


「ついでって何よー!!」


「ははっ。」


 海くんが…笑ってくれてる…!!

 それだけで、すごく嬉しい気がした。



 明日の夜までは…あたし達は、恋人。


 本当なら…

 期間限定の恋人なんて…悲しくて仕方ないのかもしれない。

 だけどあたしは…

 あたし達は…



「楽しーい!!」


 ハイウェイをとばしたおかげで、あの時より随分早くたどり着けた海。

 下道を通ってガソリンスタンドやダイナーに寄り道するのも楽しかったけど、こうやって…懐かしい景色を見ながら手を繋いでいられる時間が長いのは…嬉しかった。



「…紅美。」


 海岸には誰もいなくて。

 海くんが、あたしを抱きしめて…髪の毛にキスした。


「…嬉しい…」


 背中に手を回して…ギュッと指先に力を入れる。


「…こんなに、ころころ考えの変わる男を…よく嫌にならなかったな。」


 海くんが、耳元でそう言った。


「…何でだろうね…夕べは…すごくへこんだけど…やっぱり、好きって気持ちを無理矢理に鎮めるのは…無理だったよ…」


「…悪かった…」


「…キス、していい?」


「…聞かなくても、俺がする。」


 海くんは優しく笑うと…あたしの頬を撫でて…唇を重ねた。


 …あー…

 何だろ…

 ここ何回か…会った時がすごく辛かったから…

 ものすごく、ご褒美みたいに感じる。


 …って、あたし…バカだな…

 明日の夜には、お別れなんだよ?

 こんなに好きだって想えても…



 …でも。

 今度こそ、笑ってさよならしようって決めた。

 あたしのせいで笑顔を失くしたんじゃないかって…

 ずっと思ってたし…



 海くんには、二階堂があって。

 あたしには、バンドがあって。

 それぞれ…大事な物があるから…

 一緒には歩けない。


 うん…


 あの時は、気持ちが繋がってるって思いもよらない嬉しさで、そんな事…どうでも良くなっちゃってた。

 ほんと…あたしも海くんも、ダメだなあ…


 唇が離れて、小さく笑うと。


「何かおかしかったか?」


 海くんが、額を合わせて言った。


「ううん…もっとしたいって思っただけ。」


「ふっ…」


 海くんの首に腕を回して、あたしからキスをする。

 海くんの手があたしの腰にまわって…ゆっくりと、抱きしめられた。


 …夢でもいい。

 あたし…

 明日の夜までの夢を…


 存分に、楽しむ…!!




 それから…砂浜でお城を作った。

 海くんの作り方が本格的過ぎて、腹がよじれるほど笑った。

 かたや、あたしのお城は『倉庫か?』って言われるほど、お粗末で…

 だけど一時間もすると、そのお城たちは波に飲まれてしまった。



「今夜…どうする?」


 大きな流木に座って、海くんが言った。


「ん?あの先の方にあるホテルは?」


「…ホテルか…」


「何。出来ないの、悩んでる?」


「まあ、それは当然…」


「いいじゃん。出来なくても。何回もキスして、くっついて話して寝ようよ。」


「……」


 海くんはふっと鼻で笑って。


「おまえは…変わらないな。」


 あたしの前髪をかきあげた。


「…海くんだって、変わらないよ。」


「俺は…変わったよ。」


 ため息交じりの…海くん。


「望んでこっちに来たのに…思うように仕事が進まなくてイラついて…」


「……」


「…去年…一般人を死なせてしまった。」


「え…?」


 初めて聞く話だった。



「いつ…?」


「朝子と…婚約したぐらいの時だったかな…」


「……」


「何もかも…俺のせいだって、自分を責めた。」


 あたしは…あたしのせいで、海くんが笑わなくなった。なんて…

 …自惚れてた。


 海くんは、命を懸けて仕事をする人で。

 命を守る仕事をする人で。

 そんな人が…



「でも、俺は今こっちでトップに立つ人間だ。そんな弱音、誰にも見せられない。」


「…そのストレスで…じゃないの?」


「…何のストレスかは分からないけど、仕事とプライベートの切り替えが出来ない時点で…俺が誰かを幸せにするなんて無理だって分かった。」


「……」



 何もかも…タイミングなんだ。

 もし、その人が亡くならなかったら…

 海くんと朝子ちゃんは、上手くいってたかもしれないのに…



「その事、朝子ちゃんには…?」


「仕事の話はしなかった。朝子は…傷の事で精神的にまいってたし。」


「そっか…」


 あたしは足元の砂を手ですくってこぼしながら…


「…でも、海くんが辛い事…朝子ちゃんも知りたかったと思うな…」


 小さくつぶやく。


「仕事の話はできないにしても…海くんが、辛い事や悲しい事があった時…朝子ちゃんは、それを話して欲しかったと思う。」


「……」


「あたし、海くんの事…完璧な人だって思うけど…」


「俺が?全然完璧なんかじゃないだろ。」


 海くんは、下を向いて苦笑い。


「ううん。完璧だよ。仕事が好きで、みんなに優しくて、だけど、弱い所もあって…」


「…弱い所があるのに、完璧なのか?」


「弱い所があるから、完璧なんだよ。」


「……」


「人間らしいじゃん。」


 完璧な人間って…

 何でも出来る人だと思われがちだと思う。

 実際、そういうのが…本当は完璧なのかもしれない。


 だけど。

 あたしが思う完璧な人間は…

 泣いたり笑ったり、苦しんだりへこんだり。

 そういう全ての感情を、ちゃんと持てる人だと思う。



「…紅美。」


 海くんはあたしの肩を抱き寄せると。


「…ホテル、行くか。」


 あたしの耳元で、少しだけ…笑いながら言った。


「まだ悩んでたの?」


「……」


「あたしは、とっくにそのつもりだったよ?」


 あたしが海くんを見上げて言うと。


「仕方ない。一番いい部屋取るか。」


 立ち上がりながら、前髪をかきあげた。




「うっわ、いい部屋!!」


 海くんは宣言通り、贅沢な事に最上階の一番いい部屋を取ってくれた…!!



「ベッドふかふかー!!」


 あたしがベッドにダイブすると。


「ガキか。」


 海くんは小さく笑った。



 バスルームを覗くと、バスタブがすごく広くて。


「せっかくだから、お風呂も一緒に入ろうよ。」


 そう言わずにはいられなかった。


「…遠慮しとく。」


「なんで?今更恥ずかしがる事ないでしょ?」


「そうじゃなくて。」


「…ああ、別に反応しなくてもショック受けないから。」


「いや…そうでもなくて。」


「…何よ。」


「……」


「あっ、分かった。実は反応しそうだけど、三秒とかでどうにかなりそうだから嫌なんだ。」


 あたしがケラケラ笑いながら言うと…


「おまえ…人の気持ちを覗いたような事を…」


 海くんは、うなだれた様子でそう言った。


「えっ…」


「……」


 反応しそう…って。

 それって…


「しよ。早くてもいいから、しよ。」


「ハッキリ言うな。」


「お湯張ってくる。」


 海くんの返事も待たずに、あたしはバスルームへ。


 …全然…ムードも何もないのに。

 海くん、どうして反応しそうって思ったのかな…。


 理由は何であれ…

 もし、海くんがセックスできるようになったら…

 それって、きっと自信を取り戻すきっかけにもなるよね…?



「さ、脱いで脱いで。」


「おまえ…」


「じゃ、あたしの脱がせて?」


 そう言って海くんの前に立つと。

 海くんは…ゆっくりと、あたしのシャツのボタンを外し始めた。


 …やだな…

 自分から言ったクセに、緊張して来た…。


「や…やっぱり、自分で脱ぐ。」


 海くんの手を取って言うと。


「おまえが脱がせろって言ったのに?そりゃないだろ。」


 海くんは…おもしろがってる。


「…じゃ、あたしも…海くんの脱がしてあげる。」


 …元々二つ開いてたボタン。

 三つ目を開けてると…ペンダントが見えた。

 意外だな…って思ったけど…

 クロスのペンダントトップが、二つついてる…。


「……」


 あたしが黙ってそれを見てると。


「…こんな事で祈りや戒めにはならないと思ってるけど…」


 海くんは、それに…そっと触れた。


「…亡くなった人のため…?」


「ああ。」


「…小さい方は…」


「……」


「…そっか。ありがと。」


 あたし達の、子供の…だ。

 海くん…ずっと…こうやって一人で抱えて来たんだ…



 せめて…明日の夜まででも。

 少しでも、海くんの気持ちを軽くしてあげたい。

 あたしにそんな力があるかどうか分からない。


 だけど…

 これから先…

 海くんが誰と一緒になったとしても。

 その人に対して、海くんが素直になれたり、自分を出せるように…

 あたし、その手助けをしたい。


 …本当は、あたしがそこにいたいけど…

 …無理だもんね…




 お互い裸になって、バスルームに向かった。

 シャワーでお湯をかけながら…海くんがあたしに触る。


「あ…」


 それだけで声が漏れてしまって…

 ちょっと…恥ずかしくなった。

 だけど…


「…ヤバい…」


 先にそう言ったのは海くんで。

 海くんは、あたしの肩にもたれかかって溜息をついた。


「…いいよ?」


「…最悪だな…」


「あたし、こういうのがカッコ悪いなんて思わないから。」


「……」


「最悪なんかじゃない。今の海くんだもん…。そこにあたしが一緒にいれて…嬉しい…」


 海くんの首筋に軽く噛みつく。

 海くんは体をこわばらせたけど…それはすぐに力が抜けた。


 指を絡めあって…キスをして。

 バスタブで…体中を触り合った。



 海くんと別れて…

 あたしはノンくんと寝た。

 海くんは知らないけど、あたしに何もなかったとは思ってないはず。


 その間…海くんは、朝子ちゃんと…一緒に暮らしてた。

 本当なら、別な人のものになったお互いを…

 嫌だ。って…思うものなのかな…?


 あたし達はただ、懐かしむように。

 お互いの体を確かめ合うように。

 肌の感触を指先に残すかのように。

 ずっと、触り合った。


 今は…二階堂もバンドも関係なくて。

 世界中に二人きりだって思ってもいいよね…?



「…紅美…」


 ベッドの中で…

 海くんは…あたしを抱いた。

 …抱けた。

 あたしだから…じゃ、ないと思う。


 ずっと心の中に鬱積してた何かを…たぶん…一般人を死なせてしまった事…

 それを口に出した事で、何か変わったのかもしれない。



「海くん…」


 背中に爪を立てた。

 何度も…何度も。


 首筋に這う唇。

 腰をなぞる指先。



 どれも…忘れない…。

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