第7話 名刺に書いてある住所は…

 〇二階堂紅美


 名刺に書いてある住所は、以前住んでたアパートから2ブロックの場所にあるビルだった。

 どちらかと言うと治安は良くなさそうで、ガラの悪い連中が集まってるイメージ…


 …こんな時間にそこに行ったら、たぶんあたし…叱られるよね。


 って思ったけど。

 空ちゃんに後押しされた。



 地下鉄に乗って、その街に行って。

 一応、気を付けながら…そのビルにたどり着いた。

 玄関でブザーを鳴らしてみる。

 …けど、無反応。


 留守…かな…。



 何となく、ここまで来たら帰りたくなくて。

 あたしは、屋上に上がってみる事にした。

 海くんの住んでる街を…見渡してみたい。


 エレベーターは屋上まで行かなくて。

 その下の階から、階段で上った。


 開いたままのドアから屋上に出ると、意外と周りのビルが低くて、ここは空に近い気がした。


 どこからともなく立ち上って来る煙とか。

 車の騒音。

 誰かの怒鳴り声。

 そんなのを聞きながら、あたしは空を見上げてみる。


 …星、きれいだな…



 ゆっくりと屋上を歩き始めると…


「……」


 フェンスに持たれて…タバコを吸ってる人がいる。

 あたしには、それが…海くんにしか見えなかった。

 あのシルエット…そうだよ。


 ふいに、桜花の屋上を思い出す。

 あの頃も…こうやって、海くんは…何か悩みがあると、屋上でタバコを吸ってた。


 ゆっくりと近付いて…


「…先生、何悩んでんの?」


 声をかける。


「………おまえ…」


 やっぱり。

 海くん…。


「…見事だな。足音もたてずに。」


「…あたしが敵なら、やられてたね。」


「……」


 海くんが、小さく笑った気がした。


 …こんなやりとり…

 昔あったよね…。



「…空か。」


「うん。」


「…ったく…」


 海くんはそばにあった灰皿にタバコを捨てると。


「送ってくから、帰れ。」


 あたしの腕も取らずに…歩き始めた。


 …帰るわけないじゃん。


 しばらく歩いて行った海くんは、仕方なさそうに振り返って。


「おい。」


 低い声で言った。


「…いいじゃん。ちょっとぐらい。」


「良くない。」


「なんで。」


「邪魔だ。」


「……」


 そう…即答されると、ちょっと…へこむ気もしたけど。


「…じゃないクセに…」


「あ?」


「邪魔なんかじゃないクセに。」


 あたしは、ツカツカと海くんに歩み寄って言う。


「あたし、こっちでのデビューが決まったの。だから、海くんに報告したかった。おめでとうって言ってほしかった。」


「…おめでとう。」


「お祝いしてよ。」


「それは知らない。さあ、帰るぞ。」


 グッと、手首を掴まれた。


「やだ。」


「…紅美。」


「いやだ。」


「…いい加減にしろ。」


 その…低い声に、あたしは少し…ゾッとした。

 あたしの知ってる限り…海くんは知ってる誰かに対して、こんな声をしない。


「……」


 黙ったまま、海くんを見つめる。


「頼むから…もう俺に関わらないでくれ。」


「…あたし、言ったよね。あたし、海くんの事好きだか」


「やめろ。」


 海くんの低い声は、変わらなかった。

 あたしに…好きって言われたくない…って事?


「……」


「……おまえの事を考えると、仕事が手につかなくなる。」


「…え?」


 ドキッとした。

 それってー…


「でもそれは、愛とかそういう想いの事じゃない。おまえに対する罪悪感が強すぎて…気持ちが落ち着かない。」


「……」


 勘違いしそうになって…釘を刺された。

 あたしは言葉を失って、ただただ…唇を噛みしめる。


「俺は二階堂を…変える立場にある。仕事だけに専念したい…」


「……」


「俺が悪い。全部俺が悪い。だけど、頼む…もう、俺の中から…」


「……」


「…消えてくれ…」



 嫌いでもいい。

 そう…思ってはいたけど…

 実際…こうやって…口にされると…



「…そっか…あたし、とんだ邪念になってたんだね。」


「……」


「罪悪感とか…海くん…バカじゃない?」


「……」


「ほんと…バカだよ…」



 おまえの事考えると、仕事が手につかなくなる…ってさ。

 普通、そんなにあたしの事好きなの?って…思っちゃうじゃん。

 俺の中から消えてくれ…だなんてさ。


 今、あたし…すごい事言われた。


 ほんと…すごい…

 へこむ…。



「…なら…あの時、話したいなんて…」


 今更なのに。

 あたしは、温泉で会った事を持ち出した。


「話したいなんて、言わなきゃ良かったじゃない。あれで、あれで…あたしは…好きって再確認したし…」


「…そうだな。もう、おまえも終わった事にしてくれてると思ったから…。でも、話さなきゃ良かった。」


「……」


「頼むから、帰れ。」


 海くんの声には、ためらいがなくなった。

 本気で、あたしを帰らせたがってる。

 本気で、あたしに消えて欲しがってる。



「…分かった。帰る。」


「そうしてくれ。」


「…一人で帰る。」


「…分かった。」


「……」


 泣かない。

 泣くもんか。


 だけど…

 笑顔なんて…絶対無理。

 涙も笑顔も。


 ーきっと、海くんの罪悪感を、もっともっと大きくする。



 あたしは無言で海くんから離れると。

 一度だけ…夜空を見上げた。

 すると、それにつられたのか…海くんも、空を見上げた。


 …忘れない。

 最後に…一緒に見た夜空。



 海くんは、夜空を見上げたままだった。

 あたしは…そのまま、静かに屋上を後にした。


 バイバイ。

 今度こそ…

 バイバイ。


 海くん。




 地下鉄の駅まで、走った。

 とにかく…何かしなきゃ。

 何かしなきゃ、壊れそうだった。



 俺の中から消えてくれ。


 海くんの冷たい声…

 あたし…

 海くんに、あんな事言わせた。

 あたしが、しつこかったせいで…!!


 だけど…

 ホントに…ホントに好きだったのに…

 それさえ、無い物にしなきゃいけないなんて…

 辛い…よ。


 海くん…

 あたしの事、わざと遠ざけようって…わざと、冷たくしたんだよね?

 そうだよね?



「何泣いてんのー?」


 突然、腕を掴まれた。

 見ると、三人組の男が…あたしを囲んでる。


「何か悲しい事でもあった?」


「俺達が慰めてあげようか。」


 あたし…泣いてる?

 泣かないって…思ってたのに…


「う…」


「う?」


「うわああああああああ――――――ん!!」


 あたしの突然の大声に、男三人は驚きまくって。


「おっ…おい!!大声出すな!!」


 慌ててあたしから一歩退いた。


「うあ――――ん!!え―――――ん!!」


 あたしは…大声を出して…泣いた。

 泣きまくった。

 当然、周りの目があたし達に向けられて。


「ちっ…」


 三人組の男は…逃げ去った…けど。

 …あたしの涙は、止まらない。


「うわーん!!わあーん!!」


 ついでに…軽く酔っ払ってもいたもんだから…大声も止まらない。

 勢いに任せて泣き続けてると。


「紅美。」


 突然、後ろから額に手が伸びて。

 首がカクンとなって…あたしは上を向いた。

 それにビックリして…

 涙も、大きな泣き声も止まった。


「ったく…大声で…恥ずかしい奴だな。」


「……ノンくん…?」


 額から手が離れて、あたしは振り返る。


「帰るぞ。」


 ノンくんはそう言って、あたしの手を握った。


「な…んで…?」


「おまえに呼ばれてるなと思って。」


「……」


 あたしが目を細めてノンくんを見ると。


「…ブス。」


 ノンくんも、目を細めて…あたしに一言、そう言った。


「ど…どうせブスだよ…」


「本当にな。ひっでぇブスだ。」


「も…もー!!ブスブスうるさい!!」


 繋いでない方の手で、ノンくんをポカポカと叩く。


「子供かおまえは。」


「…もう、やだよ。」


 あたしは足を止めてしゃがみこむ。

 すると…ノンくんも溜息をつきながら…あたしの正面にしゃがみ込んだ。


「おい。」


「……」


「…何があったか知らねーけど、今夜は付け込まずに甘えさせてやる。」


「…は?」


「そんなガキみたいに泣いてる女には手出さねーよ。ブスだし。だから、安心して甘えろ。」


「……」


「ほら、おぶってやるから。帰ろうぜ。」


 ノンくんはそう言って向きを変えて、あたしに背中を見せた。


「…歩ける…」


「ふらっふらじゃねーか。」


「……」


「早く来い。」


「……」


 じゃあ…と思って、背中に乗ると…


「よし。立つぞ。」


 大女のあたしは…決して軽くないと思うんだけど。

 ノンくんは、あっさりとあたしを背負って歩き始めた。


「……」


 ノンくん…いい奴だな…

 …好きになれたらいいんだろうけど。

 あたし達は…仲間だし…。

 それ以上は…ない。



 睡魔に…襲われた。


 最後に聞こえたのは…



「…バーカ。口に出して言うなよ。」


 あたし…



 何を口に出したのかな…。



 * * *



「う…い…は…」


 朝起きると…言葉にならないぐらい…


 ……気持ち悪かった!!


 それは…あたしだけじゃなかったらしい。



「ど…どー…なって…る…」


 リビングを見渡したいけど…なぜか、まぶたがちゃんと開かない…!!

 ああ…泣いたから…?



「き…気持ち悪い朝ね…」


 空ちゃんの声がした。

 必死でまぶたを開けて…

 ソファーに、空ちゃんらしき姿を見付けた。


「…紅美…あんた、顔…」


「…顔?」


「酷いわよ…」


「……」



 夕べ…

 海くんに会って…

 玉砕して…

 …それから、どうしたっけ?


 えっと…


 …あ。


 ノンくん…!!


 ガンガンする頭を無理矢理起こして、部屋を見渡すと…ノンくんは、いない。



「…あたし…夕べ…」


「桐生院のハンサム君がおぶって帰って来たわよ。」


 …ハンサム君…

 まあ、ハンサム君か。


「…それから?」


「二人で飲んで…」


「二人で?」


「ええ。」


「ノンくんは?」


「彼は、すぐ部屋に戻ったわ。今日も事務所に行くとか何とかって。」


「……」


 溜息をつきながらテーブルに頭を乗せると、そんなあたしを見てた空ちゃんが。


「…ごめん…紅美。」


 謝った。


「何…?」


 テーブルに頭を乗せたまま、答える。


「兄貴…酷い事…」


「…あたし、全部喋った?」


「うん…たぶん…」


「…あたし、しつこいよね…」


「……」


「あたしが、もう終わらせてたら、海くんは…あんなに冷たくなかったのかもしれないのに…」


 だけど…好きって気持ちに蓋をしたくなかった。

 海くんの事…大事に想っていたかった。



 俺の中から消えてくれ。



 ああ…辛いなあ…

 …嫌いでもいいって言ったけど、嫌われるのは…やっぱ辛いや。


 だけど…海くんにも、辛い想いをさせてしまった。

 いくら本音であっても、そんな言葉、本当なら言いたくないはず。


 あたしがしつこかったせいで…とんでもない事、口にさせてしまった。



「あたし…余計な事しちゃったね…」


 空ちゃんが精気まで吐き出しちゃうんじゃないかってぐらい、大きくて深い溜息をついた。


「…ううん。なんか…もうこれで…本当に諦めなきゃって…」


 あたしはゆっくり立ち上がって、バスルームへ。

 鏡を見ると、本当にそこには…酷い顔のあたしがいた。


「……」


 これは、あたしの心の中だ。

 酷い。



 バスタブにお湯を張りながら、空ちゃんに声をかける。


「空ちゃん、お風呂入る?」


「ううん。ホテルに帰るわ。」


「そっか…」


「……」


 空ちゃんはゆっくりと歩いて来て…

 あたしを、ギュッと抱きしめた。


「…ごめん…紅美…」


「いいってば…。」


「…酒臭い…」


「…空ちゃんも。」


「ふふっ。」


 空ちゃんはあたしの頭をポンポンとして。


「また連絡するわ。」


 帰って行った。


「……」


 はあ…。


 疲れた。



 でも…




 終われて…良かったのかもしれない…。



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