第6話 4月になった。

 〇二階堂紅美


 4月になった。

 あたし達は、ノンくんとあたしのツインボーカル、ツインリードって形で新しく練習を始めて。

 それが…本当に驚くほどすんなりと…


「うん。いいわね。これで行きましょう。」


 グレイスに、認められた。



 あれよあれよと言う間に話が進んで。

 5月からは、有名なライヴハウスに…単独ではなく、有名どころの前座として出演したり、地元のバンドと対バンでライヴに出演させてもらう事になった。


 一週間に4日、それが4ヶ月間続く。

 …ちょっとハードだ。



 父さんからの寂しいから帰って来てくれコールに、やっと…母さんが日本に帰った。

 忙しくなると、家で食事するのもままならなくなるから…その方が良かった。

 でも、本当…この数か月。

 母さんが居てくれた事は助かったし…充実させてもらえたし…心から感謝した。

 帰ったら親孝行しなきゃ。って本気で思った。



 健康管理にも気を付けた。

 貧血の検査もだけど…婦人科検診も受けてみた。

 もう、みんなに余計な心配かけたくないし。

 あらためて、一人の体じゃない。って言い方は…妊娠中だけに限らないんだなって思った。



「おまえ、なんでレの音だけ少しフラット気味なんだよ。」


 ノンくんは、歌に関しても厳しかった。


「え?僕外れてる?」


「レ、だけな。」


「外れてたかな…」


「沙都、ノンくんの耳の良さは地獄って言われるそれと同じだから、間違いないんだよ。」


「沙也伽…誰が地獄耳だ。」


「あれっ、聞こえてた?」


「…隣で堂々と言いやがって…」


「レ…これ?~♪♪♪」


「そう。」


「ベースラインに釣られてるのかな。」


「ちょっと、あそこだけ弾き方変えていい?」



 厳しくても。

 忙しくても。

 あたし達は、同じ方に向いてる。


 有名バンドの前座を務めた夜は…会場の外に用意してあったCDの予約券が全部なくなった。

 対バンのライヴは、回数を重ねるごとにファンがついて。


「次のライヴは、トリで。」


 一ヶ月が過ぎた頃には…トリを任されるようになった。



「やーらしく激しく、あたし達『DANGER』らしく!!」


「Yeah!!」


 あたし達は。

 Live aliveでやったこの掛け声を、今も使ってる。

 ステージ袖で円陣を組んで、最後はハイタッチ。


 日本では、DEEBEEが第一弾のシングルがミリオンをとって。

 もうじき第二弾が発売される。

 あたし達も…頑張らなきゃ。


 そうして、ライヴを重ねて…

 普通はCD発表と共にデビューってパターンだけど。

 あたし達は、それが売れたらデビューが決まる。

 まずは50万枚売れたら。なんて、すごく高いハードルを設定されたけど。

 週に四回のライヴは効果があったようで…


「50万枚、クリアしたわよ!!」


 グレイスがあたし達に抱きつきながら、そう言った。


 あたし達…デビューするんだ!!




 デビューが決まった。

 そうなると…

 あたしは、それを伝えたい人がいた。


 …海くん。



 こっちにいても、全く連絡取らないし…会う事もないし…

 だけど、何となくだけど…

 海くんは、あたしがどうしてるかを知ってくれてる気がしてた。


 …自惚れかな…。



 久しぶりにオフが出来て。

 沙都と沙也伽は日本にいったん帰国した。

 あたしにも帰ろうって沙都はしつこく言ったけど、行きたい所があるからって言うと…渋々諦めた。


 ノンくんは、こっちの事務所の看板バンドのレコーディングを見学したいって、オフでも毎日事務所に通う宣言。


 ふむ…

 音楽バカだ。



 母さんは本部の場所を知ってるのかなと思って、電話してみたんだけど。


『車であちこち曲がりくねって連れて行かれたから、覚えてないわよー。』


 曲がりくねらなくても、こっちの地理を知らない母さんに覚えられるわけがなかった。

 そんなわけで…

 わっちゃんに電話すると。


『今、空がそっち行ってるから連絡してみろよ。』


 頼もしい言葉が。


 …でも…

 空ちゃんと、海くんの事は話しにくいな…。

 と思ってたけど。



「紅美。」


 空ちゃんの方から連絡をくれて。

 あたしは、約束のカプリに出向いた。


「久しぶりだね。」


「ほんと。あんた、こっちでデビューなんてすごいじゃない。」


 空ちゃんはカプリの真ん中にあるステージを見て。


「ここで…紅美がギター弾きながら歌ったのを聴いたの、昨日の事みたいに思い出すわ。」


 少し…感慨深そうに言った。


「すごく昔みたいに言うけど、ほんの一年半ぐらい前の話だよね?」


 あたしが笑いながら言うと。


「…良かった。あんたが笑ってて。」


 空ちゃんは…少しだけ目を伏せた。


「……」


 そっか。

 空ちゃんは…あたしが流産した時病室にいてくれたし…色々知ってるはずなのに。

 あの後…こうやって話す機会なんてなくて。

 マキちゃんとここで再会して、調子に乗ってギター持ってステージで歌った時、客席にいたのを見かけたり。

 そのステージがキッカケで、DANGERでここに出た時も…客席にいたのが見えて。

 …空ちゃん、カプリが好きだなあ。

 なんて思ったっけ。


 それからは…椿で偶然と、沙也伽んちに遊びに行って会ったぐらいか…。



「明日は?何かある?」


 空ちゃんが、あたしの顔を覗き込みながら言った。


「え?ううん…何もないよ。」


「じゃ、今夜はとことん飲もう!!」


「……」


 あたしが目を丸くすると。


「いいじゃない。今夜は妻も母もお休み。さ、紅美、付き合ってよ。」


 空ちゃんは気持ちいいぐらいの笑顔で…


「かんぱーい♪」


 グラスを合わせた。



「あはは!!そうそう!!あれって泉が言ったんだっけ!?」


 以前は浴びるほど飲んでたけど、出産してからはあまりお酒を飲まなくなったらしい空ちゃんは。

 かなり弱くなってしまってたのか…ビール二杯で、すごく酔っ払った。


「空ちゃんが言ったんだよ…」


「えー!?あたし、そんな失礼な事言った!?」


「言ったって…それより、声が大きいよ。他のテーブルの人、みんな見てる。」


 あたしが周りを見渡しながら言うと。


「…よし。紅美んち行こ。」


 空ちゃんは、バッグを持って立ち上がった。


「え…えっ?」


「行こうよ。今夜泊めて。」


「……」


 あたしは苦笑いしながらも、腕を組んできた空ちゃんを見て。


「…温泉に行ってた頃を思い出すね。」


 何となく…小さくつぶやいてしまった。

 すると…


「……」


 空ちゃんは急に立ち止まって。


「…楽しかったね…あの頃…」


 沈んだ声…。


「…とにかく帰ろっか。歩くの危なそうだから、タクシーにしよ。」


 カプリを出て、店の前に停まってたタクシーに乗り込む。

 その間…空ちゃんは泣きそうな顔でうつむいてて。

 ああ…あたし、余計な事言っちゃったな…なんて思った。



「へー…いいとこ住んでるわね。」


 アパートについて、空ちゃんは部屋に入ってすぐにキョロキョロしながら言った。


「空ちゃん、コーヒーにする?」


 あたしがキッチンから声をかけると。


「何言ってんのよ。ビールビール。」


「…もうやめといたら?」


「えー。」


 唇を尖らせて、不服そうな顔。


「…じゃ、もう一本だけね。」


 冷蔵庫から缶ビールを出して、一本を空ちゃんに渡す。

 二人してソファーに座って…


「最近、兄貴に会った?」


 缶ビールを開けながら、空ちゃんが言った。


「…ううん。連絡先分かんないし。」


「あたしさ…後悔してるんだよね…」


「後悔?」


「朝子と泉とでこっちに来た時…紅美と兄貴の様子見て、すぐ気付いたんだ。二人が怪しいって。」


「……」


「あの時、すぐに朝子に諦めろって言えば良かった。それに…怪我したからって…兄貴が朝子を選ぶって言った時、止めれば良かった…って。」


「空ちゃん…」


「…あたしだけ…幸せになっちゃったみたいで…ずっと心苦しいんだよ…」


「……」


 一気に…気持ちがあの頃に戻った。


 …海くんの事が大好きで。

 歌う事も楽しくて。

 毎日が充実してて。

 だけど…朝子ちゃんが来た時、あたしは…怖かった。


 …朝子ちゃんが海くんを待たないって言った事に対して、本当にいいの?なんて聞いたクセに。

 あたしは…結局、朝子ちゃんを傷付けたくなかったんだ。

 それに…空ちゃんと泉ちゃんも。

 あたしなんかが相手だって知ったら、きっとみんなガッカリする。

 そう…どこかで思ってたんだと思う。


 朝子ちゃんはともかく…空ちゃん泉ちゃんは、海くんの妹。

 二人とも、ブラコンだって言ってたし。

 その相手が…戸籍上はイトコで。

 実の父親が犯罪者…


 あたしにとっても、海くんは完璧な人で。

 だからこそ…相手があたしなんかじゃ…って気持ちが大きかったのかもしれない。


 二人でいる間は良かった。

 まるで夢のような毎日で。

 そこでは、二階堂なんて関係なくて。

 海くんは、仕事を終えたら帰って来て、あたしを抱きしめて眠る。

 そんな…普通に思える毎日が…たまらなく愛しかった。



「…空ちゃんが幸せでいてくれて、あたしは嬉しいよ。」


 あたしも缶ビールを開ける。


「朝子ちゃんだって…海くんとは上手くいかなかったみたいだけど、最後に会った時は…笑ってくれたし。」


「え…朝子に会ったの?」


「うん。事務所の前で待ち伏せされてた。」


「…朝子、二階堂を出てった。」


「うん…朝子ちゃん、変わりたいって思える何かに出会えたんだろうね。いい顔してた。」


「…そっか…」


 空ちゃんは溜息をつきながらも…ビールを飲み進めた。


「兄貴の事…まだ好き?」


「うん。」


 あたしの即答に、空ちゃんは驚いて。


「ビックリした…そんなに素直に言われると思わなかった。」


 笑った。


「ずっと…もう忘れたいって思ってたけどね。でも、全然忘れられなくて。だったら、好きでいようかなって。」


「…辛くない?」


「あの時に比べたら、全然楽。ただ…海くんは色んな事に苦しんでるのかなって思うと…」


「……」


「…その色んな事から、何とか…解放されて欲しいって思うんだけどね…」


 あたしが伏し目がちにそう言うと。

 空ちゃんは、あたしの手を握った。


「え?」


 あたしが笑いながら空ちゃんを見ると。


「兄貴はもう…誰とも恋愛も結婚もしないと思う…」


 空ちゃんは、切なそうに言った。


「…どうして?」


「邪念を持っていたくないからじゃないかな…仕事で失敗したら大変だし…」


 …それは分かるけど…


「…朝子ちゃんと終わったから、はい、あたしと。ってのはないって思ってるよ。だけどさ…あたし、別に海くんがあたしを好きじゃなくてもいいから…」


「……」


「笑ってて欲しいんだよ…」


 以前の海くんは…優しい笑顔の人だった。

 二階堂の仕事で…黒づくめの時も。

 だけど。

 今の海くんは。

 笑わないし…

 近寄りがたい雰囲気を出しまくってる。



「……」


 空ちゃんは、じっとあたしの顔を見てたかと思うと。


「…紅美…」


「な…何?」


 ずい、と…あたしに顔を近付けて。


「…あんた…ほんとに…いい女だね…」


 ギュッと、あたしを抱きしめた。


「うわっ!!ビールビール!!こぼれちゃうって!!」


 あたしが空ちゃんの腕を掴みながら言うと。


「紅美。今から行きなよ。」


「…え?」


「兄貴、今夜はもう家に居る。」


「……」


「これ、住所。」


 空ちゃんは、バッグから…誰かの名刺の裏に書いた住所を見せてくれた。


「……」


 その住所を見て。

 そして、裏返して名刺を見ると…


「…小田切隆夫?」


「よっぽど先生が楽しかったのかしらね…ずっとその偽名使ってるわ。」


「……」


「行っておいで。」


「…でも…」


「朝子がダメだったから、紅美にする。あたしは、それのどこがいけないの?って思うんだけどね。」


 空ちゃんは前髪をかきあげて。


「誰にも明日は分からない。それなら、今の気持ちはぶつけなきゃ…。」


 あたしの頬を、優しく撫でてくれた。

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