第5話 アッチョンブリケの話の後…

 〇二階堂紅美


 アッチョンブリケの話の後…


「寝ろ。」


 海くんは、あたしの手を離して。

 少し強引に横にさせられて…あたしは眠る羽目になった。


 だけど…眠れないよ…

 久しぶりに、笑ってくれた…

 それが嬉しくて、絶対眠れない。

 って思ったのに。


 あたしは、即寝。


 朝、目が覚めた時には…母さんがいて、海くんはいなかった。

 でも…ま、いっか。



 母さんは、お昼過ぎまで居てくれた。

 もういいよって言ったんだけど…そばにいたいのよ。って、来てくれる。

 で…今度は…


「よお。」


 ノンくん。



「…沙都と沙也伽は個人練?」


「ああ。焦らせるわけじゃないけど、あいつら上達したぜ。」


「そっか…良かった。」


 今日はベッドを起こして、座っていられるぐらい体調がいい。

 横になるとすぐに眠っちゃうから、座ったままでいいならずっとこれでいたい。


「体力落ちちゃうな…」


 小さな溜息とともに、弱音が出た。


「若いんだから、すぐ戻るさ。」


 ノンくんは、持って来た紙袋からイチゴを取り出した。


「わ、嬉しい。」


「俺のだけどな。」


「何それ。あたしのでしょ普通。」



 今日は…普通なノンくん。

 だけど、あたし…

 ハッキリ言わなきゃ…



「…ノンくん。」


「あ?」


「あたし…」


「好きな人がいるの。って?」


「え?」


「言わなくても、見てたら分かる。」


 ノンくんはドアのそばにある洗面台でイチゴをざっと洗うと、自分の口に一つ入れた。


「うん。んまい。」


「……」


 あたしがそれを無言で見てると。

 ノンくんは椅子にドサッと座って。


「だから?」


 あたしの目を見て言った。


「…え?」


「好きな人がいるの。だから…何。」


「……」


「そんなの、俺には何も関係ない。」


「いや…でも…」


 ノンくんはイチゴを一つ、あたしの口にガッと押し込むと。


「おまえが誰を好きだろうと、俺はおまえが好き。こういうのって、好きな奴がいるからって言われたって、どうにかなるもんじゃねーから。」


 半分ふざけたような口調で…そう言った。



 …確かに…

 あたしだって、海くんがあたしをどう思っていようと…あたしは、海くんを好き。

 …うん。

 だから、ノンくんの言う事も分かる…。


 でも…


「ぐちゃぐちゃ考えんな。何かのキッカケで俺を好きになる可能性だってあるんだ。本能を大事にしてろ。」


 ノンくんはそう言って。


「これ、マジで美味いな。帰りに沙都と沙也伽にも買って帰ろう。」


 ちさ兄に似てるな…

 って思わせるような、笑顔を見せた。



 * * *


 退院した。


 海くんは、あの夜を境に姿を見せなくなって。

 すると当然…会う事はなくなった。


 ただ、今はバンドの事だ。と、あたしも思ってて。

 会えない事はさほど気にならなかった。


 あたしは気持ちを伝えたし。



 退院して少しずつ…ボイストレーニングを始めた。

 しかも…ノンくんがしてくれた。

 この人、やっぱちさ兄の息子だなって思った。

 何でも一通り出来なきゃ気が済まないちさ兄は、どんな楽器もこなせる。

 サックス吹いてるの見た時は、さすがにビックリしたなあ…。



「よし。だいぶ戻ったな。」


 キーボードを片付けながら、ノンくんが言った。

 鍵盤も出来るの!?って驚いたあたしに。

 コードしか弾いてねーじゃん。ってさらっと言ったけど…

 いや、あたしは鍵盤でコードを弾けって言われても、いきなりスマートに弾けません…。


 それから、ギターの練習と言うより…特訓もした。

 ノンくんと向かい合ってバッキング合戦したり。

 普段、あたしはソロを弾く事はないんだけど。

 ノンくんのソロパートをあたしが弾いてみたり。



「おまえ、なんでハイポジになると雑なんだよ。」


「えっ、雑?」


「急いでスライドさせ過ぎ。そこはもう少しゆっくりでも間に合うから。」


「…こう?」


 ノンくんの言う通りにやってみる。


「もう少し…そ。それぐらい。」


「あー…なるほどね…あたしチョーキング入る前に少しカッコつけてるからさ。」


「それで急いでたのか。」


「うん。」


「ふっ。まずは基本。」


「…はい。」


 そうだよね…まず基本。

 あたし、無駄に出来ちゃってたからな…

 ずっと基本無視って感じあったし。

 いい機会だ。

 ちゃんとやっていこう。



「おし。もう一回頭から。」


「うん。」


 ノンくんとカウントを取りながら曲に入る。


「裏から入るな。」


「うっ…」


「今んとこ一音少ない。」


「ひー…」



 ダメ出しをされながらのそれは、随分と刺激になったし…

 負けたくない。

 そんな気持ちを強くしてくれた。


 誰もが尊敬して憧れる神千里の息子であるノンくん。

 出来ないわけがない。

 ううん…

 下手すると、それ以上の事だって出来ちゃうよ。

 だって、今まで全力じゃなかったはず。

 それが…これから本気になれば…



「……」


 小さく頭を振る。

 ノンくんがどうであろうと、あたしはあたしなんだ。

 誰かと比べるなんて、意味ない。



 …負けたくない。

 ノンくんに。

 じゃなくて。

 自分に。


 あたしは、ここまでしか出来ない女じゃない。

 もっと出来るはず。

 音楽も…


 …恋も。


 * * *


 もうじき春。

 相変わらずグレイスはいい顔をしないけど、あたし達がスタジオに入っているのはチェックに来る。

 あたしの入院中、たぶんお見舞いに来たくて仕方なかったであろう沙都と沙也伽は…それでも、今はあたしの分も自分達がバンドで前に進まなきゃ。と、個人練を繰り返していて。

 久しぶりのスタジオで、二人の上達ぶりはあたしの度胆を抜いた。


 それは…本当にいい具合に…

 あたしの闘争心に火をつけてくれた。



 ずっとノンくんとボイトレとギターの特訓を繰り返して。

 スタジオでは、ノンくんのボーカルで練習して来て。

 あたしは…一つの提案をしてみた。



「ねえ、みんな。」


「ん?」


 三人が、あたしを見る。


「ボーカルの事なんだけど…」


 あたしがそう切り出すと。


「…今は練習だからって事でこういう形取ってるけど、俺はおまえの歌じゃないと弾かないっつっただろ。」


 ノンくんは即…低い声で言った。


「うん。それは、ありがとう。でも…ここんとこ、ずっと考えてたんだけどさ…」


「……」


「ツインボーカルで、どうかな。」


「……え?」


 三人は、キョトンとした顔であたしを見た。


「あたし、グレイスが言ったのも分かる気がするんだ。DANGERのサウンドには、ノンくんの声が合ってるって。」


「でもおま」


「聞いてよ。」


「……」


「うちのバンド、すごいや。って、Live aliveの時に思った。」


 そう…。

 あの時あたしは、この四人でバンドをやってる事が、誇らしくてたまらなかった。


「楽器が出来るだけじゃなくてさ…コーラスもバッチリ。四人とも歌えるんだよ?」


 複雑なベースラインを弾く沙都も、激しくドラムを叩いてる沙也伽も。

 コーラスに参加する曲が結構ある。



「それって、うちの強味だよね。しかも、本気出したノンくんがボーカル取って、それにもっと上手くなる予定のあたしもボーカルして…何なら、ギターソロだって二人で弾けちゃう気がする。」


 そう考え始めてからのあたしは…どの特訓も楽しくて仕方なかった。


 退院してすぐは、普通の生活に慣れるように。って、いきなりスタジオには入らなかった。

 朝起きて、まだ居てくれる母さんの作った朝食をみんなで食べて。

 みんなを送り出した後、掃除をしたり、母さんと散歩に行ったり食材の買い出しに行ったり。


 それからの時間は、一人でリビングでギターの練習をした。

 焦らなきゃいけなかったけど、焦ってはなかった。

 あたしは…楽しんでなんぼ。って性格なんだ。

 出来る事を楽しまなきゃ、あたしじゃない。


 だったら…って。



「あたし達、あたしのせいでダメ出しされたけど、結局はみんな…いい方向に進んでるよね?」


「うん。」


 沙都が笑顔で答えてくれた。


「僕…ずっと楽しくやって来たけど、今はもっと楽しいって思ってる。まだグレイスには認めてもらってないけど…それでも、認めてもらえない気はしないんだ。」


 笑顔の沙都に続いて。


「うん…あたしも思うよ。確かにノンくんの声、合ってる。だけど、あたし達にとっては、紅美の声あってのDANGERだからね。ツインボーカルにツインリード…いいんじゃない?紅美次第だけど。」


 沙也伽は、あたしにプレッシャーをかけながら言った。


 ノンくんは…ツインボーカルがおもしろくなかったのか…


「…悪い。ちょっと休憩入れてくれ。」


 そう言って…ギターを下ろすとスタジオを出て行ってしまった。



 あたしはノンくんを追ってスタジオを出て。


「ノンくん。」


 その背中に声をかける。


「ごめん…ボイトレの時に先に相談すれば良かったのかもだけど…」


 だけど、ノンくんは足を止めない。

 あたしに背中を向けたまま、ズンズンと歩いて行ってしまう。


「ちょ…どこ行くのよ。」


 椅子が並んでる、休憩出来るような場所はとっくに過ぎてしまって。

 なのにノンくんの足が止まらないのが…不安になって。


「待って。」


 あたしは走ってノンくんに追いつくと、腕を掴んで前に回った。



「……え?」


「……」


 ノンくんはくいしばって…あたしが掴んでない方の腕を上げて。

 シャツの袖で…涙を拭いた。


「な…なんで…?」


「…はっ…」


 ノンくんは小さく笑って鼻水をすすると。


「…悪い。ちょっと…感動と自己嫌悪が一度に来た。」


「…感動と自己嫌悪…?」


「情けねーな。みっともないし。だから…悪いけど、ほっといてくれないか。」


 ノンくんはそう言ったけど…


「…ダメ。」


 あたしは、掴んだ腕をぐい、と引っ張って。


「ちゃんと話してよ。」


 ビルの外にある、赤いベンチに並んで座った。


 ベンチの裏には、Deep Redが何かの賞を獲った記念日の入った小さなプレートがあって。

 この事務所って、どんな形ででも栄光を残してくれるんだなあ。なんて、ちょっと笑えた。



「さ。なんで感動と自己嫌悪?」


「……」


「情けないとかみっともないとかじゃないよ。あたし達、仲間じゃん。」


「…ふっ…」


「何よ。」


「いや…そうだな。」


 ノンくんは観念したように溜息をつくと。


「俺は…おまえの歌じゃないと弾かない。そう決めてたし…沙都と沙也伽にももっと上達して欲しいって、スパルタでここまでやって来た。」


 話し始めた。


「うん。」


「正直…あいつら泣きそうな顔してる事も多かったし…俺はどうしても成功したい反面…自分のエゴに付き合わせてるような感覚になり始めてさ。」


「……」


「生まれて初めて…ちゃんと頑張りたいって思った。だけど…俺が頑張ると、みんなが頑張って埋まっていいはずの差は…縮まるどころか広がる気がした。」


 …なるほど。

 嫌味じゃなく、ノンくんは本当に上手い。


 Live aliveのDeep Redのステージには。

 SHE'S-HE'Sの朝霧光史さんと、F'sの浅香京介さんが、Deep Redのドラマーであるミツグさんのサポートとして、出演した。

 ミツグさんが大御所だとしても…あたしから見たら、光史さんも浅香さんも大ベテランで。

 そんな人達と…ノンくんと、映ちゃんは、それぞれギターとベースでステージに立った。


 そして…ノンくんは。

 あの世界のDeep Redのマノン…朝霧真音さんを挑発するようなソロを弾いて。

 マノンさんは、『久しぶりに血が騒いだ!!』って…二人のソロ合戦は、会場を興奮のるつぼにした。


 あれを見て…ノンくん、あんなに弾けるんだ。

 って…正直思った。



「俺は、昔から…どこか…人に合わせて上手くいくなら、それでいいって思う所があってさ。」


「…うん。」


「だから、DANGERも…俺の立ち位置はそれで十分って、そんなつもりはなくても…どこかで思ってたのかもな。」


 ノンくんが見上げた空を、あたしも見上げる。

 今日は雲が多くて、青空は見当たらない。



「俺が実際そうされたら…仕方ねーよ。差があるんだから。って、たぶん思うだろうけど…みんなには思われたくないって言うかさ…他の誰に思われるのは良くても、紅美たちには思われたくなくて。」


「…うん。」


「実は、こっち来てずっと…葛藤してた。」


 ノンくんは膝の上で組んだ指に目を落としたまま、小さくそう言った。


 …こっち来てからずっとだなんて…

 ノンくん、バカだよ。

 こっち来てから…なんて言いながら。

 きっとノンくんは、ずっと思ってたはず。

 小さな頃から。


 だけどあたし達に対して…本気になってくれたからこそ、今こうして…その葛藤に涙を流してくれた。



「…早く言えば良かったのに。」


 前に伸ばした足の靴先を見ながら言う。

 何となくだけど…ノンくんとの心の距離が近付いた気がした。


「言えるかよ。」


「言えよ。」


「バーカ。」


「で…感動は?」


 あたしがノンくんを覗き込みながら問いかけると。


「感動は…」


 ノンくんは少しだけ伏し目がちになって。


「…紅美はいつも前向きだな。って。」


 苦笑いしながら言った。


「…それが感動?」


「俺は楽な方を選びがちだけど、おまえは辛い中でもそれに楽しさと夢を見出す。」


「……」


 合わせる事が楽だなんてさ…

 ノンくん、もう…そういうのに慣れちゃってたんだな。って思った。

 自分の全力を抑えて、誰かに合わせる事が、楽……なわけ、ないじゃん‼︎



「ツインボーカル?ツインリード?俺、考えもしなかったぜ?」


「…反対?」


 あたしが目を細めて言うと。


「……」


 ノンくんは、黙ってしまった。


「……言ってよ。言わなきゃ分かんないよ。」


 ノンくんの腕を、ペシッと叩く。


「いてっ。」


「ほら、早く。」


「……」


 ノンくんはもう一度、空を見上げた。

 すると、雲の隙間から少しだけ光が射して来て。

 あたし達が眩しそうにそれを見てると…雲が風に流されて、青空が顔を覗かせた。



「俺は、正直…今もおまえのボーカルで弾きたいって気持ちが強い。だから、ツインボーカルって言われると、戸惑いの方が大きい。」


「…うん。」


「だけど…やってみない手はないのかな。とも思う。紅美と俺で、化学反応的な何かが起きれば…それが強味になるのは間違いないし。」


「…うん。」


「でも、普通さ…こういうのって、試してから言わないか?」


 そう言ってあたしの顔を見たノンくんは、久しぶりの優しい笑顔で。

 それが…あたしを笑顔にした。


「ははっ…ほんとだ。」


「だろ?」


「でも…高原さんだって、歌を聴かせてないのにDeep Redに入れてくれって頼んだって言ってたじゃない。」


「あの人と俺達を比べるなよ。」


「大丈夫だよ。ノンくんとあたしの声なら…最強だよ。」


「……」


 ノンくんは無言であたしの頭をポンポンとしながら小さく笑って。


「…ほんと…おまえのそういう強気なとこ…救われる。」


 らしくない事を言った。



 何だか飄々としてて、掴み所がないなって思ってたノンくん。

 本当は弱音吐きたい時だってあるよね。

 …これからは、そういうのも気付いてあげたいって思った。



「あたしだって、ノンくんに救われまくりだよ。」


「……」


「あたし達をさ、もっともっと信用して、もっともっと引っ張りあげまくってよ。」


 あたしも、ノンくんの頭をポンポンとしながら言った。

 すると…


「そういう話は、二人だけじゃなくて、全員でしない?」


 後ろの窓が開いて、沙都と沙也伽が顔を覗かせながら、頬を膨らませた。

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