第4話 「……」
〇二階堂紅美
「……」
「……」
「……」
「……」
母さんが、海くんを送ってくる。って言ったきり帰って来なくて。
窓の外を見ると、車もなくて。
しばらくすると…
『ちょっと、本部って所に遊びに来てみちゃった。』
なんて…
のんきに電話をかけて来た。
おかげで…
すこぶる空気が悪い…!!
「…あの人の言う通り、無茶はするな。三日は休め。」
『あの人』…ノンくんって、海くんと面識ないんだっけ…どうだっけ…
ノンくんは母さんの甥っ子で、海くんは父さんの甥っ子。
華月ちゃんと聖くんは、温泉にも行ってたから…海くんとは面識ある。
咲華ちゃんは小さい頃、うちの母さんについて本家に何度か行った事があるみたいだけど…名前を知ってる程度って聞いた。
ノンくん、あたしと一緒に柔道習いに行ってた事あるけど…本家の人間とは会ってないはず。
あの頃って、海くん本家にいなかった気がするしな…
…って。
どうしてノンくんと海くんが面識あるかどうかなんて、気にしてるんだろ…あたし。
「今日は三人でやる。」
ノンくんがそう言ってスープを飲み干して。
「ごちそうさま。」
席を立った。
「い…いや、平気だよ。」
「バカか。事件に巻き込まれたんだ。怪我もしてる。ストレスもないわけないだろ。休め。」
「……」
ノンくんの声が冷たくて…何だか突き刺さった。
今、せっかくみんなが同じ方向を見て頑張ってるのに…
「…ごちそうさま。紅美ちゃん、とりあえず今日だけでも休んだ方がいいよ。薬とかもらった?」
沙都が、優しく言ってくれる。
「…うん。」
「じゃ、薬飲んで寝てなよ。早く良くなるといいね。」
「…ありがと…」
沙都とノンくんが部屋を出て行って。
「…息詰まる攻防ね…」
沙也伽が大きく溜息をついた。
「マフィアの抗争にでも巻き込まれてたの?」
「…マフィアじゃなかったけど…何かの事件には巻き込まれてた。」
「…ま、無事で良かったよ…って、怪我はしてるけど。」
「……ごめん…こんな時に…」
あたしが少しうつむいて言うと。
「あんただって好きで怪我したんじゃないんだから。そんな顔してないで…薬飲んで横になんなよ。ね?」
あたしの顔を覗き込みながら、そう言った。
そして…
「…先生と、何か話せた?」
「…ううん。車の中でも、ずっと無言で…」
「そっか…」
沙也伽は溜息をつくと。
「うん。仕方ない。色々あったんだから。一つずつだよ、紅美。」
切り替えたみたいに、明るい声で言ってくれた。
「…そうだね。うん。ありがと。」
みんなの言葉に甘えて…休むことにした。
ベッドに入る時、脱ぎ捨てた血だらけの上着を見て…今更、震えた。
あたし…本当にバカだな。
こんな事で、練習を遅らせるなんて…
みんなにも迷惑かけて…
ベッドに入ると、泣けてしまった。
あたし…バカだ。
本当に…。
* * *
「紅美。」
「……」
呼ばれて目を開けると…
「おまえ、酷い熱だ。」
そう言って、ノンくんがあたしの額に触れてた。
「え…ノンくん…練習は?」
「もう終わった。沙都と沙也伽は個人練してるけど。」
「あ…勝手に入ったなー…?」
あたしが髪の毛をかきあげながら言うと。
「こんな時にバカか。」
ノンくんは…少し怒った声。
「病院行こう。」
「…大丈夫…このまま寝てたら…」
「今朝寒空で事件に巻き込まて、腕を切られたんだぞ?行って点滴でもしてもらおう。」
「…いいよ…ノンくん…」
「頼れ。」
「……」
「ほら。」
ノンくんは、あたしに手を差し出した。
確かに…
あたし、これ…高熱っぽい。
クラクラする。
「…母さん…は?」
「夕飯の買い物に行ってるみたいだ。」
「…そか…」
「ほら。」
差し出された手を掴もうとすると…ノンくんは手早く毛布であたしを包んで…
「え…」
ひょい、と。
あたしを抱き上げた。
「この方が早い。」
「……」
気恥ずかしいけど…それよりも…
だるい。
あたしは、ノンくんの胸に体を預けた。
ノンくんは大女であるあたしを抱えたまま、階段を下りて…タクシーを拾った。
ああ…何ていうか…ノンくん…
花冠とか作れちゃうのに…男の人なんだな…って思った。
「…紅美。」
タクシーの中。
ノンくんが…あたしの耳元でつぶやいた。
「……何…」
「…ごめんな…キツイ言い方して。」
「…どしたの…」
「…反省してるとこ。」
「…気持ちわる…」
「…るさい。」
ノンくんはあたしに額を合わせて。
「…辛いこと…吸い取ってやれるなら、いいのにな…」
らしくない事を…言った。
病院につく頃には、あたしは意識がもうろうとしてて。
ストレッチャーに乗せられたのは…何となく覚えてる…
だけど、そこからの記憶はなくて。
目が覚めたら、病室らしき部屋にいた。
左側に、点滴。
右側に…
「…母さん…」
ゆっくり声をかけると。
「あ…気が付いた?良かった…」
母さんは、ホッとした顔であたしの手を握った。
「ごめんね…買い物から帰ったら、ノンくんから電話がかかって。」
「ううん…あたしこそ…」
「明日、陸さんもこっち来るから。」
「…え?父さん…?何で…?」
「紅美が怪我したって言ったら、二階堂にジェット出せってすごんだみたい。」
「迷惑だな…」
「…ごめんね…ほんとに…大変な目に遭ったのに、紅美は大丈夫って…どこかで思ってたのかも…」
母さんは、あたしの前髪をかきあげるように撫でながら、涙ぐんだ。
「…思うよ…だって、普通に歩けちゃうわけだし…朝ごはんも、残さなかったんだよ…?」
「ふふ…もう…でも…本当は怖かったでしょ?」
「……怖くなかったかな…」
「もう…」
だから…なのかな。
あたしは強いって、思われちゃうのとか…
…可愛くないな。
ナイフ持った男を怖いって思わないとか…
どれだけ鉄人なんだよあたし…。
それから…あたしは肺炎と重度の貧血のため、入院を余儀なくされた。
翌日には父さんも来たけど、面会謝絶になってたらしくて。
あたしも、やたら眠くて。
寝顔を見て、泣く泣く帰って行ったらしい。
何も考える余裕がなかった。
とにかく眠くて。
医者が何度か話に来たけど、何を答えてるのかもよく分からなかった。
…流産の後、検診にも行かなかった。
わっちゃんから行けって言われてたのに。
たぶん…あの頃から貧血引きずってたんだろうな…
立ちくらみなんかもしてたし…
ようやく少しだけ目覚めていられるようになったのは、入院して四日目あたりだった。
ふと、病室に誰かがいる…と思って窓際を見ると。
「……えー…と……富樫…さん?」
事件の時、上から降って来た人。
「あ、お目覚めですか。御気分いかがですか?」
「うん…だるくて…眠い……です。」
あたしがまぶたが下がるのと格闘してると、富樫さんは携帯を取り出して…メールでもしてるみたいだった。
そこへ…
「あ、いつもお世話になります。」
母さんが入って来たらしい。
声だけ聞いて、安心して目を閉じる。
「今、お目覚めだったんですが、だるくて眠いそうで…」
「本当にもう…肺炎はともかく、重度の貧血だなんて…あたしも気を付けてやれなくて。」
ああ~ごめん母さん…
あたし、大人のクセに…
健康管理もちゃんと出来ないなんて…
ほんっと、ごめん…
自己嫌悪に陥ってると…
「…ども。」
…ノンくんの声。
「あら、毎日ごめんね。」
「いや…まだ起きねーの?」
「先ほど少し目覚められましたが、だるいとの事でまたすぐおやすみに。」
「…へえ。」
…起きてるんだけどね。
とにかく、だるいのよ。
ごめんね。
聞いてるよ。
ノンくん…無愛想過ぎ!!
「沙也伽ちゃんと沙都ちゃんは?」
「個人練。」
「熱心ね。上手くなってる?」
「なってもらわなきゃ困る。」
「ふふ。」
「麗姉、ろくに寝てないんじゃ?代わるから帰って寝てていいよ。」
えっ、母さん…ろくに寝てないって…
ダメだよ!!
「大丈夫よ。付き添ってたいの。」
「…気持ちは分かるけど、麗姉まで体壊したら元も子もないぜ。」
そうだよ。
母さん、帰って寝て!!
「私がついてますので、お二人ともおかえりになられて結構ですよ。」
名前と顔しか知らない富樫さんが、そう名乗り出てくれたけど…
「あんたこそ帰っていい。身内がいた方が安心だからな。」
ノンくん…バッサリ過ぎ…
だけど…
「いえ、私もこれが仕事なので。紅美さんが全快されるまでは付き添わせていただきます。」
富樫さん、引かない。
「いくら仕事だっつっても、よく知りもしない男をつけておくわけにはいかないっつってんだよ。」
「それはご安心下さい。陸さんはよくご存知ですので。すでに任せたと了承も得ております。」
「陸兄は知ってても、紅美はあんたを知らないだろ。」
「名前は覚えていただいてます。」
「あのなあ」
「うるさい…」
「……」
「……」
「……」
あたしは、重たいまぶたをこじ開けるようして目を開いて。
「うるさいよ…もう、いいから…みんな帰って。」
声を絞り出すようにして言った。
「でも、紅美…」
「母さん…お願い…入院してるんだから…後は良くなるだけだよ…今日は帰って…ゆっくり休んで。」
「……」
「ノンくんも、富樫さんも…。」
あたしの言葉に、ノンくんは小さく溜息をつくと。
「じゃ、帰る。さ、麗姉、帰ろう。」
「え…うん…」
母さんの荷物を持った。
「あんたも。帰るぞ。」
ノンくんは富樫さんにもそう言って。
「…分かりました。また様子を見に参ります。」
三人、連れ立って病室を出て行った。
「…はあ…」
よし!!
本腰入れて寝る!!
* * *
深夜。
のどが渇いて目が覚めた。
確か…サイドボードに…ペットボトルが…
手を伸ばしてそれを取ろうとして…
「あ…」
落としてしまった。
やだな…
何日も寝た切りだと、せっかくつけた体力も落ちちゃうよね。
早く元気にならなくちゃ…
…拾えるかな。
その前に、起き上れるかな。
ゆっくりと肘をついて、体を起こそうとすると…
「は…」
驚いて声にならなかった。
突然、
腕を持たれて…体を起こされた。
「…海くん…」
海くんは、あたしの背中を支えながら…ペットボトルを開けてプラスチックのコップに注いだ。
「…水差しがいるか?」
「う…ううん…平気…」
コップを受け取って、それを両手で持って…ゆっくりと飲む。
ああ…生き返る…
「……」
「……」
「…もしかして…毎晩…居てくれたの?」
「……うちの現場で出た怪我人だからな。」
あ、そう…。
て言うか…
昼間仕事して…夜中来てくれてたなんて…
…嬉しいよ…。
海くんは、立ったまま…片手であたしの背中を支えてくれてる。
労わるって言うよりは…
事務的と言うか…
だけど、嬉しい。
「…海くん。」
「水、もういいか?」
「…まだ飲む。」
「……」
「あたしの事、嫌いでもいいよ。」
「……」
「でも、あたしは好きだから。」
「…そんな話が出来るなら、もう付き添わなくていいな。」
「抱けなくていいの。」
あたしは、海くんの手を掴む。
「抱いて欲しいなんて、もう言わない。」
「……」
「ただ、昔みたいに…は無理でも…」
「……」
「傷付いたとか、傷付けたとかじゃなくて、ただ…笑う海くんが見たいの…」
海くんはあたしの手を離そうとしたけど。
あたしは…ギュッと掴んだ。
「…そんな簡単なもんじゃない。」
「どうして?朝子ちゃんは…もう笑ってたよ?」
「…俺から離れられたんだ…笑えても不思議じゃない。」
ムカッ
「海くん。」
あたしは、今ある力の全てを出して。
海くんの両頬を挟んだ。
海くんの顔は、事務所のスタジオの前にある本棚の、ブラックジャックで見た『ピノコ』みたいになってしまって。
「アッチョンブリケ…」
あたしが、ピノコのセリフを言うと…
海くんが…
「…ふっ…」
「あ、笑った。」
「…………笑ってない。」
「海くん、知ってるんだ?アッチョンブリケ。」
「…紅美こそ、なんで知ってる?」
「え?ブラックジャックでしょ?」
あたしの言葉に、海くんは眉間にしわを寄せた。
「…何だそれ。」
相変わらず目は見ないんだけど…頬に触れてるあたしの手は…振りほどかれてない。
「手塚治虫の漫画だよ。」
「…昔、二階堂で使われてた暗号だ。」
「え?」
誰だー?
そんなのを暗号にした人。
遊び心、あり過ぎじゃん。
あたしは小さく笑いながら。
「なんて言う意味なの?」
「それに意味はあるのか?」
「ううん。なかった。二階堂の暗号は何だったの?」
海くんは少しだけ瞬きが増えた気がした。
しばらく待ってると…
小さく答えてくれた。
「…確保。」
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