第2話 それは…すごく…すごく、辛い一日になった。
〇二階堂紅美
それは…すごく…すごく、辛い一日になった。
「クミ、ちょっと下がって。」
プロデューサーのグレイスが、突然そう言って。
「カノン、歌って。」
「…え?」
あたし達四人は、グレイスの言葉に呆気にとられた。
「いや、俺はギターだけで。」
「いいえ。あなたが歌って。」
「……」
「早く。」
腕組みをしたまま、グレイスが言った。
あたしはノンくんに…
「…いいよ。歌ってみてよ。」
なるべく平静を保って言った。
ノンくんは小さく溜息をつくと…
「…どういう意図で?」
グレイスに問いかけた。
「聴きたいだけよ。」
「……」
沙也伽は首をすくめて。
「じゃ、とりあえず…」
カウントを取って、曲が始まった。
あたしは…おとなしく、バッキングだけ弾いてみる。
ノンくんの歌が始まって…
「ストップ。」
グレイスが、音を止める。
「……」
「カノン、本気で歌って。」
「…本気だけど。」
「嘘。ちゃんと歌って。」
「……」
ノンくんが沙也伽に目で合図して。
曲が再び始まった。
ノンくんがマイクに近付いて…
「…っ…」
あたしは…一瞬体が震えた。
沙都と沙也伽も…顔を上げてノンくんを見て…そして、あたしを見た。
グレイスは腕組みをしたまま…ノンくんを見据えてる。
な…に、これ…
そりゃあ…ちさ兄と知花姉の息子で…それでなくても、超サラブレッドなのに。
祖父母までがシンガー…
…この、ノンくんの…力って…
今まで、あたしに合わせて落としてたって事?
何なのこれ…全然…あたしより…
「いいわ。」
曲が終わって、グレイスが言った。
「このバンドのサウンドには、カノンの声の方が合ってる。」
「俺にはボーカルは無理です。」
「無理?今のを聴いて、あなた達はどう思った?」
グレイスに問いかけられた沙都と沙也伽は…
「…まあ…すごいって…思ったけど…」
遠慮がちに言葉を濁した。
「クミ、あなたはどう思った?」
「……」
どう思ったか…なんて…言葉に出来ない。
「カノンがボーカルでいきましょ。クミはサイドギターで。」
グレイスの発言に。
「何言ってるんですか。俺は紅美のボーカルじゃないと弾かない。」
ノンくんはそう言ったけど。
「あなた…才能って物は、誰にでもあると思ったら大間違いよ。」
グレイスは、ノンくんの肩をドンと突いて言った。
「あなたが持ってる物を出し尽くさないと、このバンドは成功しないわ。」
「……」
「じゃ、また明日の14時に。」
グレイスはそう言うと、スタジオを出て行った。
当然だけど…雰囲気は最悪。
あたしはDANGERのボーカルとして認めてもらえず。
かたや…ノンくんは、まだ実力の全てを出しきってない。と。
…何なの。
何なのよ。
「…俺は、歌わない。」
ノンくんがギターを片付けながら言った。
「…でも、ノンくんが歌わなきゃデビューはないって事だよね。」
あたしが低い声で言うと。
「それなら、しなきゃいい。」
ノンくんも、低い声で答えた。
「…そんなの…」
「今までの俺達は何だったんだ。そんな、ここにきていきなり形変えろって言われて、それでデビューできたとして…嬉しいか?」
ノンの言葉は、的を得てるかもしれないけど…
「じゃあ…今までのノンくんは何だったの?」
「あ?」
「あたしに合わせて、わざと全力じゃなかったって事?」
「別に手を抜いた覚えはない。」
「手は抜いてなくても、自然と…」
「……」
泣きそうになって、言葉が出なくなった。
そりゃあ、ノンくんは…上手いよ。
歌もギターも。
でも、だからって…
「手は抜いてなくても、自然と…何なんだよ。」
ノンくんはギターを担ぐと。
「俺は、おまえの状態がベストになるように考えてやって来た。それをわざと抜いてるように思われるのは心外だ。」
そう早口に言って、出て行った。
あたしは唇を噛みしめたまま…何も言えなかった。
「…紅美ちゃん…」
沙都が遠慮がちに声をかけて来たけど。
「…ごめん。先に帰る。」
あたしは、急いで荷物をまとめると。
逃げるように…スタジオを出た。
本当は…帰りたくなかった。
だけど、そんな子供みたいな事…したくなくて。
あたしは、ちゃんとアパートに帰って、めったにしない料理をする事にした。
基本…あたしはやれば出来る子で。
食べる方が好きだからしないだけで、母さんが料理してるのを見れば、作り方はだいたい覚えた。
冷蔵庫の中身を見て…オニオンスープと、オムライスに決めた。
そんなつもりはないんだけど、食材を切る音が乱暴な気がする。
その音がよっぽどだったのか…
「沙都にしては乱暴だと思ったら…おまえか。」
ノンくんが、ドアを開けて言った。
「……」
チラリと顔は見れたけど…残念ながら言葉は出なかった。
…悔しかった。
ノンくんの才能が。
「珍しいな。」
ノンくんは何でもないようにあたしの後に回り込むと。
「何度も言うけど…俺は、おまえの歌じゃないと弾く気はないから。」
耳元で、そう言った。
「……でも。」
あたしは、手元を見たままで言う。
「でも?」
「グレイスの言った通りだよ。才能は…みんなにあるわけじゃないんだから、出した方がいいと思う。」
「……」
「何で出し惜しみすんの?」
「出し惜しみなんかしてねーけど。」
「じゃあ、どうして今まで…」
言ってると…手が止まった。
とにかく…悔しくて…
…あたし、ノンくんの才能に嫉妬してる?
こんなの、どうしようもないのに…
「じゃあ、おまえはグレイスの言う通りに、おとなしくサイドギターに徹すんのか?そんなの、どう考えても俺と、バックバンド三人みたいになるじゃねーか。」
「…グレイスが、それで成功するって言うなら間違いないんじゃないの?」
「はっ…おまえ、バカか?DANGERとしてデビューしに来たのに、何が悲しくて俺とDANGERだよ。」
「今まであたし達に合わせてただけなんでしょ?そうなっても仕方ないじゃない。」
「じゃあ、早く俺に追いつけよ!!」
テーブルに、ドン‼︎と手をついて、ノンくんが言った。
「っ…」
あたしはそれに驚いて…ナイフを落としてしまった。
「……」
「……」
「…悪かった。」
ノンくんはナイフを拾ってそれを洗うと。
無言で調理台の上に置いて…部屋を出て行った。
…早く俺に追いつけ…?
そんなの…
才能があるから言えるんじゃない…
今までにない、感情。
…あたしが…甘えてただけ?
その夜。
ノンくんは、食事をしに来なくて。
三人で、重い気持ちで食べて。
翌日の14時…スタジオに入ったあたし達は…
「話にならないわね。明日から来なくていいわ。」
グレイスに、そう…言われた。
* * *
クリスマスイヴ。
昨日、沙也伽のご両親が来米されて。
予告通り、一ヶ月間沙也伽と生活…のはずが。
あたし達、仕事を干されてしまって…
ちさ兄には。
『あ?来るなって言われた?だからどうした。どうにかしろ!!』
そうとだけ言われた。
…どうにかしろって言われても…
とにかく、沙也伽はご両親に用意された裏のビルにある部屋に移って。
あたしは束の間の…一人生活。
と、思ってたら…
「来ちゃった。」
何の連絡もなく…母さんが来た。
「い…いきなりだね。」
「サプライズってやつ?」
「まあ…ある意味そうだけど…」
「せっかく来たのに、紅美、暗い。」
「……」
あたしはクッションを抱きしめてソファーに斜めに沈み込むと。
「…あたし、ダメダメなんだ…」
力なくつぶやいた。
母さんはキャリーケースを開いて、自分の荷物を出しながら。
「ダメダメじゃいけないの?」
笑った。
「…ボーカル、おろされた…」
「えっ?」
「ノンくんの方が上手いから…そうしろって…」
「……」
母さんはあたしの隣に座ると。
「それで、あっさり引き下がったの?」
険しい顔で言った。
「…ノンくんの歌聴いた時…震えたよ。」
「……」
「初めてだよ…あんなの聴かされて…もう、あたし、この人の前で歌いたくないやって思っちゃったのなんて…」
そう…
ノンくんが上手過ぎて…
あたしは、もうノンくんの前で歌なんか歌えないって思った。
「…なるほど…ダメダメね。」
「…でしょ…」
「まあ、最高のボーカリストの血が存分に流れてるんだから、当然と言えば当然だけど。」
「……」
「ノンくん、小さな頃から嫌な思いしてるのよ?」
「…え?」
あたしはクッションに突っ伏してた顔を上げる。
「あ、ついでにサクちゃんも。」
「…どういう?」
母さんの話は、こうだった。
ノンくんもサクちゃんも。
小さな頃からさすがに歌が上手くて。
幼稚舎の時はすでに目立って上手くて。
隣に並ぶ子達が、気後れするから、大きな声で歌わないように。
なんて先生に言われて…
ちさ兄が、キレた。
だけど、心優しい二人は。
「みんなと歌いたいから、同じようにする。」
と…。
初等部に上がると…今度は。
「メインは、桐生院くんに歌ってもらいましょう。」
みんなと同じように。じゃなくて。
ノンくんだけ、サクちゃんだけがメインになりつつあって。
それをやっかむ子も出てきたりして。
サクちゃんはわざと風邪をひいて、ちさ兄に怒られたり。
ノンくんは…声変わりで音程が取れなくなった。って、長い長い声変わりをしたり。
そのうち…
「音楽には興味ないから。」
二人ともが、そう言って…ちさ兄をガッカリさせた。
特に音楽に夢を持ってなければ…
いじめに立ち向かうほど、強い気持ちで守りたいとは思えないかもしれない。
蛙の子は蛙…なんて、それは蛙の子以外から見ると、羨望半分嫉妬半分で…
自己主張が強い小さい頃は特に…嫉妬には耐えられなかったと思う。
それでノンくん…合わせる事を覚えちゃったのかな…
「早く俺に追いつけって言われたんだ…」
あたしがつぶやくと。
「悔しいって思うなら、出来るんじゃない?」
母さんは、あたしの頭を撫でてくれた。
「…ノンくんのレベル、相当高いよ…?」
「諦めるの?」
「…諦めたら…あたし、もっとダメになっちゃうよ…」
「だったら、頑張ればいいじゃない。紅美は昔から何だって出来ちゃう子だったから、打たれ弱いのよ。」
「…今、こそっとキツイ事言ったね?」
「そう?でも、何でも出来てたでしょ?」
「…うん…」
「母さんはねー…みんなに愛される姉さんに嫉妬してたわ。」
「…え?」
いきなり、母さんのカミングアウト。
「姉さんって…知花姉?」
「うん。何であの人ばっかり。って。でもね、姉さんは愛されるだけの事をしてたし、あたしは何もしてないクセに、愛されたいってばっかり思ってたの。それに気付いた時…あたしもちゃんと姉さんの事を認めて好きになれたし…自分のダメな面が分かった。」
あたしから見たら…
母さんは、愛されキャラに思える。
ちさ兄だって、みんなに厳しい事言うクセに、母さんには…ちょっと甘いよなあ?って思うもん。
…何か弱みでも握って…?
「紅美は、出来ちゃうから。たぶん、他の人の努力のそれより、頑張りが足りないんじゃないかな。」
「…グサグサくる…」
「ごめんごめん。でも、理由はそれなのよ。」
…思い当たり過ぎる。
だから…何も言えない。
あたし…本当、自分の才能に甘えてる…。
あたしよりノンくんが出来る人だってのは、解ってたはずなのに。
実際…思ってた以上の才能を見せ付けられて…へこんだ。
「…母さん。」
あたしは、母さんの腰に抱きつく。
「えっ…どうしたの…」
「…ちょっと…甘えたくなった…」
「…大丈夫よ…紅美。母さん、応援してるから。」
母さんは、あたしの髪の毛を耳にかけたり撫でたりして。
「紅美次第で、絶対ノンくんに追いつけるから。ノンくんは…敵じゃないわ。紅美の味方よ?」
優しい声で、そう言ってくれた。
…うん。
ノンくんは…敵じゃない。
あの歌を聴いて、脅威だと思ったけど…敵じゃない。
いい意味でのライバルで…
仲間だ。
大事な…
仲間だ。
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