第7話 確か…

 〇宇野沙也伽


 確か…

 妊娠がバレて自主退学させられた子がいたよなー…

 なんて、漠然と考えてみた。

 そしたらあたしも…バレたらヤバい?


 二月には自主登校しかないから、とりあえず…今月乗り越えればいいんだけど…


「うっ…」


 つわりが。

 それを許してはくれなかった。



「宇野さん…食あたりにしては…」


 毎時間保健室の世話になってしまうあたしに、保健室の先生が怪しげな顔で言った。


「もしかしてとは思うけど…」


 あー今何も言わないでー…気持ち悪いー…

 その時…


 ガラッ。


 保健室の戸が開いて、誰かが来た。


「先生、お弁当届いてましたよ。」


「あ、すみません。ありがとうございます。」


「それと、教頭が購入品リストを出してくださいって。」


「あっ、そうでしたそうでした…ちょっと行って来ます。」


 パタパタと足音が聞こえて、先生が出て行った。


 …はあ…

 もう、このまま…黙って横になってた…い…うっ…


「おえっ…」


 先生が用意してくれてたゲ○容器に吐き出すと、カーテンの向こうにいた先生が歩いて来た。


「…宇野?」


「……」


 容器にプリント用紙をかぶせて、ゲッソリした顔で振り向くと…

 小田切先生。

 イケメンで、女子生徒から大人気だけど…あたしはさほど興味ない。



「どうした?」


「~……」


 辛くてベッドに倒れ込む。


「……」


 小田切先生は保健ノートか何かを見て。


「一限目から毎回来てんのか?帰った方が良くないか?」


 あたしの顔を覗き込んだ。

 そうしたいのは山々だけど…帰ったら…どんよりした顔の親に会わなきゃいけない。

 特に父さんは、全然この現実を受け止められなくて。

 口からエクトプラズムでも出しちゃいそうな勢い。


 そこでつわりなんて目の当たりにしたら…病んじゃうよ。



「病院に…」


「行った。」


「え?それなのに学校来たのか?休めば良かったのに。」


「休めない…家に居たくない…」


 先生は隣のベッドに座って。


「でも、ここじゃ落ち着いて休めないだろ。送ってってやるから。」


「いや、もうほんと…ほっとい…うっ…」


 イケメンを前にしても、あたしの吐き気は止まらない。

 先生は、そんなあたしの背中をさすってくれた。



「…つわりか?」


 その一言に、眉間のしわが伸びた。

 あたしはティッシュで口元を拭きながら…恐る恐る先生の顔を見る。


「何か月だ?病院に行ったなら、分かってるんだろ?」


 せ…先生…何…普通な顔して言ってんの…?

 これ、バレちゃいけない事なんですけど…


「大丈夫。悪いようにしないから、正直に話せ。」


 悪いようにしないって…

 退学じゃなくて、自主退学に…って事?


「な…何言ってんですか…あたし、別に…それに…卒業するし…」


 もう、混乱して…言ってる事がおかしくなってきた。


「退学になんかならないから。それより、体を大事にする事を考えよう。」


「……」


 妊娠って察しても…退学じゃない方を考えてくれるとか…

 本当なの?イケメン先生。



 とにかく…紅美のいない今…

 あたしには、頼る人がいなくて。



「…実は…」


 あたしは、小田切先生に、全部打ち明けた。



 * * *


 何とかつわりもおさまって。

 体育の見学の後。


「あ〜ら、ごめんなさ〜い。」


「……」


 校庭の水道。

 手を洗ってると、いきなり顔に水をかけられた。


 こいつら…希世のファンだな?


 希世の在学中は、そこまで表立たなかったのに。

 希世が学校を辞めてからと言うもの…

 そのファン達は、メキメキと存在感を現わした。

 まあ…紅美も希世もそばにいないあたしなんて…怖くもなんともないよね。



「聞いた?妊娠してるのに、卒業する気なんだって。」


「あつかましいわよねー。」


「三組の石野さんなんか、即自主退学させられたのに。」


「神経太いのよ。」


「……」


 我慢我慢。



 小田切先生に真実を話すと。

 隠すんじゃなくて、告白した方がいい、と。

 あたしは校長に…話した。

 予想通り渋い顔をされたけど…イケメン先生が…すごくフォローしてくれた。


 本当なら、もう自由登校期間なのに。

 あたしはつわりで一月のほとんどを休んでしまって。

 補充補充補充…

 ついでに、こうやってガラの悪い連中が受けてる体育の補充授業の見学も、余儀なくされてる。



「ねえ、本当に朝霧くんの子供なの?」


 ムカッ!


「キャーッ!」


 頭にきたあたしは、水道の蛇口、全開にして指で水を跳ねる。


「あら、失礼。」


 冷やかにそう言って歩き出すと。


「何よ!いい気になって!」


 ものすごい罵声が背中に突き刺さった。


 くっそ〜…泣くもんかっ。



「うっさいな!黙れ!」


 ふいに、そんな大きな声が聞こえて、教室を見上げると…紅美の弟の学。

 背中に聞こえてた罵声は、一気になくなった。

 学もまた…地味にではあるけど、人気がある。

 沙都と二人して『半外人』って言われて、沙都はよく泣いてたんだよー。って、紅美から聞いた事があったな…


 …沙都は今言っても泣きそうだな…



「沙也伽ちゃん、大丈夫?」


 その、半外人の片割れの沙都が…タオルを持ってやってきた。


「…大丈夫よ。そんなに濡れてないし。」


「でも、大事な時期だから…」


「あんた、授業中じゃないの?」


「ああ…うん…でもほぼ自習みたいなもんで…」


 沙都が見上げたクラスの窓を見ると。

 小田切先生がこっちを見てた。


「……」


 なんだかんだ言って…助けてくれてるよな…イケメン先生。

 自主退学させられたって噂の石野さんは。

 相手の事を思ってそうしたらしい。

 周りの生徒に与える影響が大きいとしても、本人が学校を続けたいと言うなら…って配慮はあるんだ。って聞かされた。



 産むことしか頭に浮かばなかったけど。

 こんな仕打ちが待ってる事とか…予測してなくて。

 希世と結婚するなんてさ…ほんと…流れとか勢いとか責任とかで決めちゃわなきゃ良かった。

 本当は、後悔だらけ。

 あ…結婚の方に。



「明日検診行くんだっけ?」


 沙都が優しい顔で言った。


「うん…」


「赤ちゃんの写真、僕にも見せてね。」


「…まだ何か分かんないと思うよ?」


「でも、命が育つのを見て行くのって、楽しみだから。」


「……」


 沙都は…純粋な子だな…って思った。

 そして…その純粋さ…

 少し希世に分けてやってよ。


 なんて思った。



 * * *


 無事…ではないけど。

 まあ、なんとか卒業出来た。

 体調不良で受けられなかった試験があったりして、これは後日補充授業とか追試を受けるって事にはなったけど。

 まあ、さほど苦じゃない。


 その卒業式から数日後…


「紅美ちゃん、帰って来たよ。」


 沙都が、なぜか…少し寂しそうな顔で言った。

 あたしは跳びあがりたいほど嬉しいニュースだったのに、沙都は…溜息でもつきそうな顔だった。


「…沙都、嬉しくないの?」


「え?えっ…嬉しいよ。やだなあ、沙也伽ちゃん。」


「…でも、複雑な顔してる。」


「……」


 沙都は無言になって、それ以上は言わなかった。

 あたしがその沙都の気持ちを知るのは、もう少し先…

 紅美から、家出中の真相を聞いてから。



 ともあれ…紅美は留年して高等部三年生を続ける事になり…

 あたしは…朝霧家に嫁いだ。

 嫁いだっつっても…何だか友達んちに泊まりに来てるみたい。

 それも、希世じゃなくて…沙都んちに泊まりに来てる。みたいな感覚。


 一応部屋は希世と一緒だけど…ベッドは別々だし。

 希世は誘ってくるわけでもないし。

 あたしも、そんな気はないし…

 …夫婦なのに、セックスしたのが一回だけって…

 いいのかな?あたし達、こんなので夫婦やってけるのかな。


 そんな不安もあるけど、あたしにとって朝霧家は楽しい事ばかりだった。

 義理のお祖母ちゃんもお母さんも、すごく優しいし…

 あたしらがデビューしたら事務所の先輩になる、おじいちゃんとお父さん…

 本当に、みんな優しくて楽しくて、こう言っちゃ悪いけど…


 理想の家族像。


 …父さん母さん、ごめん。



 自営だったから仕方ないにしても…うちは存分なコミュニケーションは取れてなかったと思う。

 それでも愛してくれてたのは伝わってたけど…あたしとしては、朝霧家に来て、勿体ないほど感じ取っている。


 あたしが不安にならないように…なのか?

 父さんと同級生のお祖母ちゃんが、学生の頃の話をしてくれたり。

 お義母さんは、一緒にお菓子作りしてくれたり。

 おじいちゃんは一緒にバンドのDVD見たり…

 お義父さんは、体調の事を気にかけてくれながら、ドラムのレッスンもしてくれる。

 沙都もコノちゃんも、可愛い義弟妹。


 …希世だけが…

 あたしに無関心ぽい。



 これが…あたしには、唯一の不満だった。


 * * *


 紅美が帰って来て、色々バタバタした。


 と言うのも…

 あたし達DANGERのデビューの話が…本当に生きてたから。


 だけど、あたしの妊娠で事情が少し変わってしまって。

 この春デビューは…来年に繰り越された。

 まあ、駆け足でそうするより、色々煮詰めたい。

 紅美がいない間は、紅美のお父さんが練習に来てくれたりして…ちょっと贅沢な練習にもなったりした。



 五月になると、希世から『しばらく実家に帰って来いよ』なんて言われて。

 その真意が分からなかったけど…何だか親の様子が少し変わってて。

 色んな話が出来て…ちょっと良かったかなって思った。


 そして…今日。

 あたしはおめでたい席に居る。


 それは…希世の叔父さんの結婚式。


 お義父さんの、10歳下の弟さん。

 年が離れてるせいか、すごく可愛くてねぇ…って。

 夕べ、酔っ払って話してるのを聞いた時は、本当に朝霧家っていいなあって嬉しくなった。


『わっちゃん』とみんなから呼ばれるその叔父さんは、36歳の整形外科医。

 最初はピンと来なかったけど、みんなの会話の中でよく聞く名前だよなあ…って思い出してると、そう言えば、そう言えば…って思い当たる節がいくつもあった。


 教会で行われた、その結婚式は…すごく感動的だった。

 そして…あたしには好奇心をそそられて仕方がない面子揃いだった。


 …あそこにいるの…

 いつだったか小旅行した時にいた…

 兄貴が狙ってたモデルの華月さんの親友で、紅美のイトコ…だったはず。

 あたしは一言も喋らなかったけど、クールで近寄りがたい感じだった女の人。


 …新婦の身内?

 新婦は二階堂空さんと言って、紅美のイトコ。

 …て事は、あの二人、姉妹かな…


 当然、今日は紅美も学もいる。

 それと…なぜか…小田切先生もいる。

 しかも周りから『うみくん』って呼ばれてて。

 あたしは首を傾げまくりだった。


 確か…小田切先生って…

 タカオとか、ノブオとか…そんな名前だったような…??

 そんなあたしの隣で…希世も同じような顔してて。

 だけど、沙都だけは…


「海くん、今度勉強教えてよ。」


「は?おまえ、紅美っていう最強の家庭教師がいるじゃないか。」


「うー…ん…」



 あたしと希世は、遅れて来たから…たぶん、みんなの視界に入らなかったのかもしれない。

 おめでたい席で、みんなそこそこに気が抜けてると言うか…


 あたしと希世は顔を見合わせて。


「…うみくんて?」


 沙都の隣に並んで問いかけてみた。


「えっ…」


 問われた沙都はギョッとして。

 その向こうにいた小田切先生は…目を細めた。


「…実は家業があまり大っぴらにできる物じゃなくてね。それで偽名を使ってるんだ。」


 先生はさらっとそう言ったけど。


「大っぴらにできる物じゃない…とは?」


 希世が問いかけると。


「…二階堂組ってね。」


「……」


「……」


 あたしと希世は、顔を見合わせた。


 …ヤクザ?


「あ、でも悪い事はしてないから。健全なやつだから。」


 先生はニッコリ笑ったけど。

 健全なヤクザってあるの?



 まあ…でも…先生は…ほんと…すごく優しくて。

 あたし、めちゃくちゃ助けられてたし。

 家業なんて、関係ないや。



「式はしないのか?」


 先生が、希世に問いかけた。

 すると…


「今はまだ考えられないけど、子供が産まれて、落ち着いたら…考えたいです。」


 希世は、意外な事を言った。


 えー…結婚式とか…考えてるんだ…



 その夜。

 あたしは二週間ぶりに、朝霧家に戻った。

 そして…


「希世。」


「ん?」


「妊婦とするのは…ハードル高そうだからさ…」


「……」


「キス、しない?」


「…する。」



 なんか…

 沸点の低かったあたしだけど。

 ちゃんと、希世の事…見ていられそうな気がした。



 結局、あたし達はその夜…二度目のセックスをした。

 痛いのは嫌だなーなんて思ったけど、痛くなくて。

 むしろ気持ち良くて。

 怖いからやめとこう。って言う希世に…


「もう一回。」


 あたしが…こんな事言うなんてね。


 聖子さんに報告しようかなって思った。

 ちゃんと…男の中では一番だった希世の事…

 本当に好きになったかも。って。

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