第6話 …妊娠…
〇朝霧希世
…妊娠…
俺の頭の中は真っ白になっていた。
一度だけ…沙也伽と寝た。
だけどその後、俺はバンドが忙しくなって。
学校を辞めた。
学校を辞める時、気になってた音と会うには、彰んちに行くしかないかー…ぐらいしか気にならなかった。
沙也伽の事は…
まあ、ついでのように。
紅美も俺もいなくなったら、あいつ…どうするかな?とは思った。
それが少し罪悪感だったのか…俺は無意識に、時間を見付けては沙也伽に会いに行った。
恋じゃない。
恋じゃないんだけど…
仕事が忙しくて。
プレッシャーもすごくて。
その合間に…
沙也伽とキスして、ちょっと胸触って。
そうすると…なんか頑張れる自分がいて。
本当は、押し倒したい気持ち満々だったけど、なかなか機会がなくて。
そうしてたら…今日…
駅前でバッタリ。
チャンス!!
そう思ったのに…
……まさかの妊娠報告……
どうやって家に帰ったのか分からない。
ただ、俺の顔色は相当悪かったらしく…
「…希世ちゃん…大丈夫?」
家に帰ってすぐ、妹のコノが怖い物でも見たような顔で言った。
それにさえ…返事が出来なかった。
沙也伽、俺の子供って言わない…って…
……そんなわけ、いかない。
でも…
せ…責任…取るってなると…
…結婚…
結婚……
「…希世ちゃん…平気…?」
肩に手を掛けられて顔を上げると、沙都が心配そうに俺を見てた。
どうも俺は、階段の途中で力尽きて倒れていたらしい。
「あ…ああ…平気…」
何とか立ち上がって、部屋に入る。
…誰に…
まず、誰に…告白する?
こ…こういうのは…
俺は頭の中で、色んな事に経験豊富そうな人物を検索しようとしたが…
「ダメだ…頭がまわんねー…」
ベッドにうつ伏せになって、沙也伽の帰って行く姿を思い浮かべた。
…追いかける事もできなかった。
俺…サイテーだな…
『…希世ちゃん…本当に大丈夫?』
部屋の外から、沙都の声。
返事も出来ずにいると…
『入るよ?』
沙都はゆっくりとドアを開けて入って来た。
…優しい弟よ…
俺は、今…人生の岐路に立たされているんだよ…
涙ぐみそうになりながら、そんな事を考えた。
「…顔色悪いね…何かあった?」
沙都はベッドの横に腰を下ろして、俺の顔を覗き込んだ。
「…沙都…」
「ん?」
「…沙也伽が…」
「え?沙也伽ちゃん?」
沙都は丸い目で俺を見た。
「沙也伽が……妊娠した…」
「…えっ?に…妊娠って…えっ?誰の子?」
「…俺の…」
「……」
「……」
沙都はポカンとしたまま俺を見てたけど。
「俺…どうし」
「えええええええええーーーーーーーーーー!?」
俺の言葉を遮って。
沙都の大声は家中に響き渡った。
そのおかげで…
「何!?どうしたの沙都ちゃん!!」
コノが来て…
「沙都!!どうしたの!?」
母さんと、ばあちゃんも来て…
「…何の騒ぎや…ふあああ~…」
寝てたらしいじいちゃんまで…
「……」
雄叫びを上げた沙都は口を開けたままみんなを振り返り。
俺はベッドにうつ伏せになったまま…
顔を上げる事が出来なかった…。
「何の騒ぎだ?」
二階での騒ぎを聞きつけて。
帰って来たばかりの親父が部屋に来た。
…やばい…
いや、親父は温厚だ。
もしかしたら…いい案を出してくれるかも…
俺はゆっくり起き上がる。
視線をゆっくり…ゆっくり上げると…真っ青になって、冷や汗かいている沙都が見えた。
「沙都、いったい何があったの?」
母さんが沙都の顔を覗き込みながら言う。
…どうも、俺じゃなくて…沙都に何かあったと思われてるようだ…
「どうした?みんな集まって…」
親父が部屋に入って来て、みんなを見渡す。
「沙都の悲鳴で目ぇ覚めた。」
じいちゃんがあくびをする。
てか、何でこんな時間に寝てんだよ。
まだ九時前だぜ…
いつも朝方帰って来るクセに…
「沙都の悲鳴?沙都、なんで悲鳴を?」
親父が、ベッドの横に正座してる沙都に問いかける。
沙都は…瞬きもせず…口をつぐんで…俺を横目で見た。
「……」
見るなよ。
「……」
だって希世ちゃん…
そんなアイコンタクトをしてると…
「…希世、何があった?」
親父がいつもの…優しい口調で言った。
「……」
俺は意を決して…
「…実は…」
「うん。」
「…妊娠…させた…」
「……」←母
「……」←ばあちゃん
「……」←じいちゃん
「……」←コノ
「……」←親父
「……はぁぁぁ…」←沙都
沙都の変な溜息に、ちょっと笑いが出かかったけど…
「…妊娠て…おまえ、彼女いたのか?」
親父が低い声で言って…ちょっとピリッとした。
「いや…彼女…ではない…」
俺がそう言った時の…沙都の顔。
希世ちゃん、沙也伽ちゃんと付き合ってないのに、寝たの?
とでも言いたそうな顔。
「…それで、どうするつもりだ?」
「…どうって…付き合ってるわけじゃないし…」
どうしようかな…って思ってる。
と、言いかけた所で…
ガツッ!!
何が起こったのか分からなかったが…気付いたら俺は天井を見てて。
頬に、鈍い痛みが走った。
「あなた!!やめて!!」
頭だけ起こすと…母さんが親父の腕にしがみついてて。
ああ…俺、殴られたのか。って思った。
…親父が…殴るなんて…
ふと見ると、沙都とコノは顔の中身が薄くなってる。
こいつら…ビビりまくってるな…
…って、俺もだけど…
親父がこんなに怒ってるの…初めてだ…
「希世、立て。」
「お願い、やめて。」
「立て。」
「あなた。」
母さんは親父をなだめるけど…親父は…もう、いつもと顔が違う。
「……」
無言で立ち上がると。
「…相手は誰だ。」
聞いた事がないような…怖い声…
「…沙也伽…」
俺の言葉に、コノは本気で驚いた顔をして、じいちゃんは額に手を当てた。
ばあちゃんも…大きく溜息をついて…
親父は…
ガツッ!!
また、俺を殴った。
結局…リビングで家族会議が始まった。
じいちゃんが額に手を当てて、ばあちゃんが溜息をついたのには…わけがある。
沙也伽のお父さんは…ばあちゃんの同級生だ。
現在、68歳。
50歳で沙也伽が生まれたから…そりゃあもう、すげー溺愛ぶり。
だから俺があいつんちに遊びに行く時も…コッソリだったりする。
じいちゃんは、あそこ(ダリア)でライヴしてた事もあるし…沙也伽の親父さんとも顔見知りだから…
そりゃあ…バツが悪いに決まってる。
親父だって…
沙也伽は親父の大ファンで、秋にあったドラムクリニックで会話が弾んだらしいし…
今は紅美が行方不明中だけど…
もし一年以内に帰ってくるなら…沙也伽のバンドは春にはデビューする事が決まっている。
なのに…妊娠させるとか…
マジ…あり得ねー…
……でもさ。
俺、ちゃんとつけたぜ?
なんで妊娠したんだ?
相手って、俺…?
いや…俺だよな…
あいつ、初めてだったし…
…あれから誰かと?
いや、それはないよな…
沙也伽、そんなに男に興味なさそうだし…
「希世。」
親父の低い声。
「はっ…はい…」
親父に『はい』なんて…
言った事あったかな…
うちは、家族みんな仲が良くて…名前を呼ばれると、もっと軽い感じで返してた。
ここまで、重たくなるような事件が起きなかったから…でもあるんだけど…
「沙也伽ちゃんと結婚する気は。」
親父の言葉の最後には、クエスチョンマークがつかなかった。
なんて言うか…
もう…そうしろと言わんばかりの…
「…結婚…とか…全然考えてなかったから…」
「……」
親父が無言で立ち上がって。
一瞬、また殴られる!!と思ったのは俺だけじゃなくて。
母さんは親父の腕を掴んだし。
沙都とコノは体を斜めにして首をすくめた。
…俺も。
「…沙也伽ちゃんに電話しろ。」
「…え?」
「早く。」
「あ…は…はい…」
親父に言われた通り…沙也伽の家に電話した。
家の人が出たら嫌だな…って思ったけど…
『もしもし。』
出たのは沙也伽だった。
「あ…俺…」
『ああ…何?』
「…ああ何って…その…」
俺が言い渋ってると、親父が電話を取った。
そして。
「沙也伽ちゃん、今から行くから。」
親父はそう言ったかと思うと。
「行って来る。」
母さん達にそう言って。
「早く来い。」
俺の腕を掴んだ。
* * *
〇宇野沙也伽
『今から行くから。』
そう、電話で言ったのは…
希世じゃなくて、希世のお父さん…朝霧光史さんだった。
あたしの憧れの人。
めっちゃカッコいいドラマー。
…え?何しに来るのかな?
なんて…ちょっと現実逃避した。
希世…話したんだ…
あたし…
まだ話してないんだけどな。
これ、もめちゃうよね。
うちの店、ダリアは夜の部午前三時までやってる。
昔は父さんがやってたけど、さすがに年取って来たから…今は、ライヴハウスDahliaを経営してる伯父さんの長男、
…10時かー…
こんな時間に来るって、親…眠れなくなっちゃうよー…
て言うか、希世のお父さん…
それほど…
怒り狂ってる。って事だよね。
「父さん、母さん。」
まだリビングでテレビ見てる二人に声をかけると。
「お、どうした?何か見たいテレビがあるのか?」
夜なんか特に、めったにリビングに降りて来ないあたしの登場に…父さんは超笑顔。
「ううん…今から…ちょっと人が来る。」
「…え?」
あたしの言葉に、二人は少し嫌な顔をした。
…そうだよね。
もう、お風呂から上がってるから、二人ともパジャマだし。
「人が来るって…何しに?」
「…あのさ…」
「うん?」
「…あたし…」
「なあに?」
「…妊娠しちゃった。」
「……」
「……」
「……やっぱ、ビックリだよね…」
あたしが頭をかきながら言うと。
「お…お父さん!!」
ソファーに座ってたお父さんが…床に落ちた。
「え。」
あたしが途方に暮れると。
「沙也伽!!ちょ…どうしよう!!お父さん…!!」
喚き散らす母さんに引きながら、あたしは床に倒れてる父さんを覗き込む。
…し…死んでないよね…?
そこへ…
ピンポーン…
母さんが、あたしの顔を見た。
「…とりあえず…上がってもらうよ…?」
「ど、どう…どうしたらいいの!?父さん倒れてるし…母さんだって…もう…」
「…まあ、座ってて。父さんは…ショックで失神してるんだと思うから…まあ…そのままでいいや。」
あたしは目を細めながらそう言って、玄関に向かった。
うちは、ダリアの上に家がある。
だから、ダリアの裏口にある階段を上がったところが、玄関。
「はい。」
玄関のドアを開けると…
「…遅くにごめんね。」
朝霧さんの、低い声。
「…いいえ…どうぞ…」
初めて…罪悪感らしきものが湧いた。
迷いはないけど…
朝霧さんに続いて入って来た希世は…
「……」
どしたの、それ。
「……」
親父に殴られた。
「……」
え。マジ?
「……」
しかも二回も…
無言で、少しのジェスチャーでそんな会話をする。
リビングに入ると…父さんはまだ倒れたままだった。
それを見た朝霧さんは。
「え…ど…どうされたんですか…?」
慌てて着替えたらしい母さんに、問いかけてる。
「いえ…さっき…娘から話を聞いて…ショックのあまり…」
母さんがしどろもどろに答えると…
「…すみませんでした…!!」
突然…朝霧さんが、土下座をした…。
「えっ…」
あたしと母さんは、同時に驚いた声を上げた。
「自由に育てすぎました。私の教育不行き届きです。謝って済む問題ではありませんが…本当に申し訳ございません。」
朝霧さんは…額をフローリングの床にこすりつけるほど…
「ちょ…ちょっと、やめて下さい。」
あたしは朝霧さんの前に手をつく。
「別に、希世が悪いわけじゃ…」
「希世が悪い。」
「……」
「希世、お前も謝れ。」
朝霧さんはそう言ったかと思うと…
隣に来た希世の首根っこを掴んで、同じぐらい…低く土下座をさせた。
「……」
その剣幕に…あたしは何も言えなくなった。
母さんを振り向くと…
「…それで…どうするおつもりですか…?」
泣いてた。
「もう少しで…卒業なのに…」
「…どういう事よ。あたし、卒業するよ?」
「じゃあ、沙也伽…中絶…?」
「しないよ。産むよ。」
「何を言うの。そんな無茶な…」
「大丈夫。あたし、母さんが思ってるより強いから。」
「……」
正座したままの朝霧親子を振り返って。
「あたし、別に責任取って欲しいとかないんで…そんなに謝らないで下さい。」
あたしも、正座して言う。
「いや、それはダメだ。」
だけど、朝霧さんは譲らない。
「希世。」
「……沙也伽…」
「え?」
「…結婚しよう…」
「……はい?」
「結婚…」
…どう考えても…
朝霧さんに言わされたよね…!?
そんな、もろに責任取ります的な…
だけど…
希世と結婚したら…
朝霧さんが、あたしの義理の父…
それは、ちょっと美味しい。
だって、あたし…
ほんっっっっとに、大ファンなんだもん!!
…そんな人に土下座なんてさせて…
あたしも希世も、サイテーだ…
父さんと母さんだって…たぶん夢見てたよね…
あたしが社会人になって…
いい人見つけて…
家に連れて来て紹介して…
沙也伽さんを、僕にください。なんてシチュエーション。
泣きながら、相手の手を握って。
「沙也伽の事、不幸にしたら許さないからな。」
なんて言って…父さんは泣くんだ。
どこかで結婚式を挙げて。
あたしは、ボロ泣きの父さんとバージンロードを歩いて。
誓いのキスの時は、やめろ~…って小さな声なんかも聞こえたりして…
二次会はダリアで…
たぶん、二人とも…そんな事夢見てたよね…。
なのに、あたしは…
付き合ってもない希世とセックスして、妊娠。
結婚の話が出てるって言うのに…父さんは床でのびてる。
…ごめん…父さん…
初めて、今回の件を心から悪いと思った。
泣きそうになりながら、あたしは毛布を持って来て…父さんにかけた。
そんなあたしの顔を見てた希世が。
「沙也伽、結婚しよ?結婚して欲しい。俺と、夫婦になって…赤ちゃん、幸せにしよ?」
いきなり…饒舌に言った。
「……」
鼻水をすすりながら…希世を見る。
…何だろ。
この…責任感に燃えてるような目…。
まさか、あたしがあんたのプロポーズに感激して泣いたとでも思ってんの?
でも…
「沙也伽、それがいいわ。沙也伽も…彼の事、好きなのよね?好きだから…そうなったのよね?」
母さんが、『頼むからそう言って』と言いたそうな目で、あたしの手を握った。
…好きでもない男と興味本位でやっちゃって妊娠した。なんて…たぶん、嫌だよね…。
いや…好きでもないって事はない…
希世の事、男の中では…一番好きだと思うし…
「沙也伽ちゃんの事、全力でサポートするから。」
朝霧さんにそう言われて、何だか…すごく心強かった。
希世のプロポーズより、頼もしい。
「…あたしが嫁になっていいわけ?」
希世に問いかける。
「うん、うん。」
希世は、コクコクと頷く。
「…あたし、お嫁に行っていいの?」
母さんに問いかける。
「さ…寂しいけど、この際…仕方ないでしょ…うっ…ううっ…」
あたしは泣き始めた母さんの背中に手をあてて。
「…よろしくお願いします…」
朝霧さんと希世に頭を下げた。
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