第16話 黒龍川の流路

 秋風が立ち始める頃、横山の宮殿にテヒトたちが戻り、調査の結果を報告した。このところ現場に出ることのめっきり少なくなった沙白も姿を見せた。今回の調査は大がかりなもので、昨年渡来した韓人のうち土木を専門とする八名を加え、総勢二十名が黒龍の沼に舟を浮かべて汗を流した。調査は舟から重りを垂らして水深を測り、木の葉を流して水の流れを知るという単純なものだが、計画性がなければ無駄が生じたり、結果が意味をなさなくなったりする。波の静かな日を選び、条件が変わらないよう、短期間に集中して行う必要があった。開拓担当官のヨシヒトと共に全体の指揮を執った沙加手が、黒っぽい石板に蝋石(ろうせき)で図面を描く。沼はほぼ半月状だが、月齢で言えば九日月に近い。上流から見て左、つまり海の側が弦である。沙加手の説明は簡にして要を得ていた。

「沼の深さについては岸辺は省きます。ごく大雑把な言い方をすれば、場所による水深の違いはあまりなく、ほぼ五尺(約百五十センチ)です。ただし、八尺(約二百四十センチ)の深さのある箇所があり、その部分はこのとおりです」

 沙加手が引いた筋は黒龍川の流入箇所から海側の砂州に沿って帯状に続く。

「流れの方向はほぼこの深みと一致します。流れは先へ行って多少弱まり、弧に沿っておおむね右に回ります。流れがぶつかる辺りに最も多く砂がたまり浅くなっています。実際に掘ってみなければ確かではないとお断りした上で申しますが、この部分が古(いにしえ)の河口ではなかったかと思われます」

 オオドは思わずため息をついた。流れを沙加手の推定する河口からさらに真っ直ぐ延長してゆけば、竹田川が海に流れ込む箇所に突き当たるのである。

ーー吾は自分の見たい夢を見たに過ぎぬのか。

 そんな気がしないでもなかった。しかし、オオドがあの晩聞いた神の詞は、夢合わせをするまでもないほど明瞭であった。神託と調査結果の指し示すものが一致しすぎるからといって、神の詞を一つの夢の解釈に過ぎないと考えることの畏れ多さをオオドは思った。

「そこが古(いにしえ)の河口ということは、神託の場所までかつて黒龍川が流れていたと考えて構わぬということじゃな」と、オオドは問うた。

「そういうことでございます」と、沙加手が答える。

「神託の場所は砂地と予想されるため、新しい流路を掘る工事が容易であろうというのがテヒトたちの意見でございます。ただしこれは試掘してみなければなりませんが」と、ヨシヒトが付け加えた。

「流れの横の砂州を切る方が、長い流路を掘るより容易なのではないでしょうか」と、真佐手が異論を述べた。

「いや、砂州は元々浅瀬にできるものゆえ、切ってもまたすぐ塞がってしまうと考えた方がよい」と、沙白が発言した。沙白はオオドの方に向き直って「このあたりの事情は博敦(はくとん)が詳しゅうございます」と言って、韓の言葉で博敦としばらく話した。沙白が博敦に代わってした説明は、次のようなものであった。

 川によって上流から運ばれた土砂は、かつて水が河床を掃き流す力が十分であった時は、ほぼ真っ直ぐに海まで運ばれていたと思われる。ところが砂州の成長に伴って風が海砂を黒龍川の河口まで運ぶようになると、海砂が河床に積もると同時に川の勾配(こうばい)が緩やかになり、上流からの土砂を掃き流す力も弱まってしまった。そうなると、海砂と土砂の両方がどんどん積もって、今のように河口を塞いでしまったのだろう。工事の途中で沼の排水のため一時的に砂州を切る必要は生じるだろうが、再び砂がたまらないようにするためには、河口は一つで流路は真っ直ぐの方がよいというのである。

「よくわかった。さて、沼の開口工事によって十分な稲田を開くことができようか」と、オオドが問うた。

「もとより沼は黒龍川の最も下流にあたり、勾配が緩やかですから川幅はやや広くなると思われます。ほぼ北の方角へ向かう流路の東側に広大な新墾田(あらきだ)を営むことができましょう。先程沼の深さはどこもほぼ同じと申しましたが、実は東岸の弧に近づくにつれ、わずかずつ沼が浅くなっているからです。断言はできませんが、川が曲流して水害をもたらす恐れも少ないと存じます」というのが、沙加手の答えであった。

「暑さの中をよく調べてくれた。皆に礼を言うぞ。これから一層苦労をかけることになろうが、よろしく頼む」と、オオドはテヒトたちをねぎらった。

 

「雄島の長に会わねばならぬ」と、オオドは思った。黒龍の沼は海人の民たちがフナ、ウグイなどを捕る漁場である。また、新水路の出現が三国崎沖の魚介にどんな影響を与えるか、はかり知ることができなかった。時を経ず、真佐手とヨシヒトを伴って大湊を訪れた。

 雄島の長は、オオドがいつも安らぎを覚える穏やかな笑みで迎えた。

「内乱の時はすっかり助けていただきながら、お礼に伺うのが遅れて恐縮です。思えば、この館がすべての出発点でした」と、オオドは深く頭を下げた。

「何をおっしゃいます。それより、まだ一年も経たないのに王の風格が備わっておいでです。真佐手殿も執政になられたとのこと、めでたいことです」と、長は腰を伸ばすようにして、嬉しそうに二人の姿を眺めた。

「ところで王は、私ども越の海の民が崇(あが)める白山の神を祭られたそうですな」

「白山の山裾に分け入り、黒龍の沼を開口し竹田川の河口に繋げるようにという神託をいただいて参りました。偽らずに申しますが、沼を干して三国の民の稲田を開くことは、吾の永年の念願でした。今日伺ったのはほかでもない、そのことについてです」

「王が沼の深さを測っておられると聞き、予想はしておりました」

 この長には昔からオオドの心がわかるのである。それは見透かすという性質のものではなく、成長を見守る温かな洞察というべきものである。隠し事はすまいとオオドは思った。

「沼は海部氏の大切な漁場です。その沼を干すには一族のお許しがなければなりません。川が三国崎の脇に流れ込むようになれば、海の魚が濁りを嫌って逃げてゆくやも知れません。お怒りにならずに聞いていただきたいのですが、この工事をさせていただくために、吾の一族が持つ三国の津の交易権と市の差配権をお譲りしたいと思います。いかがでしょうか」

 長は腕組みをして目を閉じるとしばらく考え込んだ。即答してもらうにはあまりに大きな問いである。長はやがて目を開くと、

「澱(よど)んだ水は腐ります。流れゆくものに道を開いてやることは善き事と存じます。龍神もそれをお望みなのでしょう」と言った。更に次のように続けた。

「お申し出の件は、ありがたい仰せではありますが、ご辞退いたします。このたびの大事業は三国の民全体で行うものとなるでしょう。私どもの一族だけが利を得てよいものではありません。元々沼の漁(すなどり)の権を我が氏族が持っているわけではありません。沼は誰のものでもなく、強いて言えば黒龍川の神のものでございましょう。王が三国の民のためにより良い活かし方を選ばれるなら、私どもは稲田に場所を譲らねばなりません。それに黒龍川ある限り、私どもは魚を捕り続けることができましょう」

 オオドは長の言葉に神々(こうごう)しいような潔さを感じて、ひれ伏したい衝動を覚えた。

「何というお言葉でしょう。しかしそれでは、海部氏全体を納得させることはできないはず。長のお立場はどうなりましょう」と、懸念を口にした。すると、

「王がご心配なさるのであれば、一言主の神に伺いを立ててみましょう」と言って長は座を外した。亀甲(きこう)を焼き、割れ目を見て占うのであろう。

 やがて戻って来て、「占いは吉と出ました」と告げた長の顔は明るい。

「漁の場を失うのに吉などということがありましょうか。長は吾を慮(おもんぱか)っておっしゃっているのではありませんか」と、オオドは長の顔をじっと見た。

「神の詞(ことば)を偽りなどいたしません。たしかに私どもは黒龍の沼を失いますが、その後に恵みがあると神は示されました。おそらく三国崎沖の海の豊漁を意味するのではないでしょうか」

 オオドはうなって考え込んでしまった。黒龍川の水が三国崎の沖へ流れ込むことが本当に海魚の豊漁につながるのだろうか。オオドにはわかるはずもなかったが、長が神託を曲げるとも思えなかった。

「一言主の神は、沼を干した後で開かれる新墾田(あらきだ)の恵みを示されたのではないでしょうか」と、オオドが言うと、

「いや、海人(あま)の私どもが海や舟を離れて田を耕すことはありません」

 長は今まで聞いたことのない決然とした調子で言った。長の気概にたじろいだオオドを見て「海部氏は稲田によって生きる民ではないのです」と、穏やかに付け加えた。

 オオドは感謝の気持ちを率直に述べ、秋の会盟の話をしてから雄島を後にした。三人の心は清々しいものに触れた爽やかさに満たされていたが、やはり申し訳なさが残った。オオドは、干拓地を長の潔さに恥じないように使わなければならぬと決意を新たにした。

 帰りは三国の津に舟を付けず、竹田川の河口まで行って下りた。オオドは河口の向かって左の岸、つまり三国崎の丘陵の麓近くを指さし、その辺りに客殿を建てるよう真佐手に命じた。「黒龍の沼が見下ろせる向きに、急いで、東向きの高殿も設けよ」というのである。真佐手がオオドの意図を尋ねると、すぐにわかると笑った。

 陸に上がった三人は、テヒトたちが試掘している新しい水路の予定箇所を視察した。辺り一面に茅(ちがや)が生い繁っている。真っ黒に日焼けした沙加手がオオドを案内した所に、深い穴が掘られていた。オオドがのぞき込むと、

「予想どおりの砂地で深いところは小石が混じりますが、岩というほどの物にはほとんどぶつかりません。ほかの箇所も同じようです」と言った。

「工事はやりやすいと思ってよいのじゃな」

「そういうことです」

「新しい水路の幅と長さはどれくらいになるのか」

「幅二百尋(約三百メートル)、長さ七百尋(一キロメートル強)。おおよそでございます。さほど水路を深く掘る必要はなく、広く浅く掘り採った土を両側に積み重ね、水を導く土堤(どて)を築く工事を想像していただけばよいかと存じます」

 沙加手の言葉にオオドは呆れて、自分の想像の甘さを思い知った。

「うーむ、それでどのくらいの人と期間を要するのであろう」

「仮に千人が毎年の冬一月ずつ働くとして、四年、いや五年はかかるでしょう」

 オオドは、望みが現実のものとなることの厳しさを身に沁みて感じた。千人という数は、横山の里人全体の数にほぼ相当するのである。大本(おおもと)から考え直さねばならぬことがたくさんあるような気がした。

 

 秋口、商人の得啓(とくけい)を迎える伽耶の舟が入港した。鉄地金と農具を積んでいた。オオドは約束の翡翠(ひすい)の勾玉(まがたま)、絹、塗り物のほかに、良質な塩と河和田(かわだ)の工房で造られた管玉(くがたま)を対価として渡した。管玉は緑色の凝灰岩から造る三国の特産物である。オオドが改めてテヒトを運んでくれた礼を述べると、得啓は今後の継続的な交易を願った後、

「韓の国々でも稀なこの大工事の行方を見きわめてから帰りたくなりましたが、次に参りますとき一変した大地を見ることができましょう。成功をお祈りいたします」と言った。

 オオドは那弥率(なみそつ)に再度帰国の意思を確かめたが、オオドに仕えたいという本人の気持ちは変わらなかった。間もなく涙で見送る韓人に見送られた二艘の舟は、三国の津を離れていった。

 やがて江沼の君からも数多くの鋤と鍬が届けられ、工具の面では万全の体制が整った。瑞穂の堀江を開くとき役立った竹籠(たけご)もヨシヒトがぬかりなく数を揃えさせている。しばらくしてオオドを一層喜ばせ力づけたのは、尾治から草香王の臣がテヒト三名を連れてやってきたことである。臣の名は指北(しほく)と言った。船底には鋤、鍬も積まれていた。オオドは目の子媛の心配りが嬉しかった。これだけのテヒトが揃えば、どんな大人数の工事でも無駄なく進めることができるはずである。

「后はいつ父君に使いを出したのか」

 目の子媛はその問いには答えず、

「父君にはテヒトではなく、大工事の際必要な人の住処(すみか)や食べ物に目を配り、現場まで人を動かす仕組みを整えられる者をよこしてくれるようお願いしました」

 と言った。

 この言葉を聞いたオオドは、自分がかけがえのない妻を持ったことを改めて感謝した。たしかに工事の際こういう準備が必要であろうと頭で考え具体的な想像をめぐらしても、経験がないということは、どこかに落とし穴のあるものである。工事が始まってからそれに気づいたとしても、大工事の場合はそのまま失敗に直結することもありうる。テヒトや工具を十分に揃えた今、唯一の不安な部分であろう。戦(いくさ)なら補給、兵站(へいたん)に属する部分に目の子媛が気づいたことに、オオドは舌を巻いた。

「何と礼を言ってよいかわからぬ。后は軍師、いや王にもなれよう」とオオドがほほえんで見つめると、目の子媛は顔を赤らめてうつむいた。

 それから三日後、オオドは早速指北(しほく)を伴って竹田川河口へ出向いた。指北はしゃべるとき遠くを見るようにする癖のある物静かな人物で、右足を少し引きずっていた。このところオオドが横山の宮殿で過ごしているのは、河口までの距離が近いためである。側近ではヨシヒト一人が同行している。真佐手に命じた客殿は、工匠(こだくみ)たちの精励により、すでに姿を現しつつあった。

 舟を下りた一行は新水路予定地を歩き、ヨシヒトが指北に工事の概要を説明した。指北はその計画の雄大さに驚き、改めて四方を見回した。

「尾治にはいくつもの大河がありますが、小さな水路の掘削や土堤の築造が多く、このような大工事は聞いたことがありません。私の経験が役に立つものかどうか。これからお話しすることの中で、採るべき言葉がありましたら、参考になさって下さい。小さな工事は内輪の者で行うことが多く、不都合が生じれば皆で考えてやり直したり変更したりすることができます。むしろ様々なことを試す間に工事に携わる者の力が高められると言ってもよいぐらいです。ところが、大工事はやり直しがききません。意気込んで工事にかかっても、段取りが悪かったり、工事以外の寝食の部分で不満が生じたりすると、長期の工事を続けて行くことができません。大工事で最も大切なのは全体の意気込みを維持し続ける工夫です。寝食については、自分たちのためになる工事であることが周知できていれば、民は己の食べ物の持ち出しも拒みません。むしろ持ち出しの部分があった方が意欲をかきたてる場合もあります。ただし、そのために家族の生活が脅かされることがあってはなりません。次に工事の進め方では、無駄を省き速やかに進めることはむろん大事ですが、それ以上に工事全体のはかどり具合がよくわかり、また自分の仕事が仲間の仕事とつながっていると感じられる工夫が何より大切です。時には競い合いや楽しみも必要でしょう。それは一人一人のものより、集団同士のものである方がよいでしょう。千人という数をお聞きして本当に驚きましたが、それだけの民が長期間一所に集まって生活する時、衣食住や移動の上でどんな差し障りが出てくるか、その場所についてよく知り、悪い方に想像を巡らせておく必要があるでしょう」

 オオド主従は、指北の言葉に一々うなづいた。自分たちはこの示唆に富んだ言葉をどれだけ活かすことができるだろうかと思った。

「工事の間、人々が暮らす場所はどこになりますか」という指北の質問にヨシヒトは、

「水がなくては暮らせぬゆえ、竹田川のほとりになることは確かですが、向こう岸の三国崎の麓か、それともこちら側の茅原(かやはら)の一帯か迷っております。向こう岸の少し高い所に家を造れば万一竹田川があふれても家が流されることはありません。けれど工事は秋から冬ですから、行きと帰りに川を渡る舟を用意しなくてはなりません。逆にこちら側なら舟の手配は要りませんが、大水が出た時孤立してしまう恐れがあります」と、悩ましそうに言った。

「半分ずつに分ければよいでしょう。千人が一ケ所で暮らすのは無理があります。見たところ麓の方は湊と隣接しており、これからもっと人が多く住み着きそうです。こちら側も工事が済んだ暁には新墾田(あらきだ)を開く足がかりとなりそうな場所です。どちらも造った家は無駄にはなりますまい」と、指北は解決法を示した。すると、オオドが、

「おっしゃることはわかりますが、舟の数が足りません。一艘の舟が一度に五人を乗せて朝三回往復するとします。五百人ですから、三十艘以上の舟が必要になります。時をずらして回数を増やす手もありますが、仕事にかかるのがばらばらというのは考え物です。横山と三国の津から集められるのが十五艘、一族の者から五艘を借りるとしても十艘以上不足します」と、問題点を指摘した。

「それについては工夫がございます」と、即座にヨシヒトが言った。

「竹田川を渡す用が足りればよいのですから、筏(いかだ)を組んではどうかと思います。それだけの丸木舟を造るとなると大事(おおごと)です。大木を捜して運んで舟にするのは手間がかかりすぎ、来年に間に合うかも危ぶまれます。筏の用材なら三国崎から切り出せますし、大きな物を造れば一度に運べる人数を増やすこともできます」

「なるほどよくわかった。しかし、水に濡れてちと寒いであろうな。それぐらいは我慢してもらうことにするか」とオオドが言うと、ヨシヒトは、

「筏に箱を載せて固定すればよいかと思います。多少手がかかりますが、丸木舟を数少ない新羅斧(しらぎおの)で刳(く)り抜くのに比べれば、たやすいことです」と、妙案を述べた。これには指北も「越には知恵者がおられますなあ」と、感心した。

 工事に携わる人々の竪穴住居の建設と筏の準備は、ただちに始めることになった。住居の総数二百戸という大規模な計画であったが、三国崎の木材と現場周辺の茅(ちがや)のほか、黒龍の沼の周りには葦が一面に生えており、材料には事欠かなかった。

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