第14話 白山の神

 やがて、越に冬が来て、山も平野も雪に覆われた。この長い冬のほとんどをオオドは横山の館で過ごしたが、考えることが二つあった。一つは三国と倭の比較であり、もう一つは旅以来頭を離れることがない水と山と神の関わりについてであった。

 倭から葛城を回る旅を経験した後、三国の南を迂回して横山の館を攻めたことで、オオドは二つの国の広さをありありと体で感じることができた。不思議なほどに二つの国の広さは同じなのであった。ただし三国の場合、条件さえそろえば最も稲田に適した広大な部分が黒龍川の氾濫原と沼で占められていた。この決定的な差は、人の数の違いとなって現れていた。これは越全体という広い範囲で比べても変わらない。はるか彼方の北の地域から角鹿までの越の大きさは、河内、山城、近江を含めた倭の領域を凌いでいるかも知れないが、人の数では益々開きが大きくなる。しかも越では、三国のほか角鹿や能登、あるいは神通川下流域などに独立した国やゆるやかな連合の国が多数点在するのに対し、倭ではワカタケル大王の権威と武力による統一が進められつつある。物部や大伴の兵の強大さも、争いの少ない越では考えられないものであった。大王の強引なやり方は三諸山を祭る在来の倭の勢力と軋轢(あつれき)を生み出し、必ずしも成功しているとは言えない。けれども周辺の国々を呑み込んでしまいかねない脅威をオオドは感じたのである。倭を見たオオドは、これからの越を統べるのには、個々の氏族の祖霊やその地域の神を祭る従来の祭祀を超えた、更に大きな神の力が必要なのではないかと直観した。

 そのオオドにひとつの啓示を与えたのが八淵の滝の姿であった。水と山が一体となって祭られる神の姿こそ、黒龍川の神を祭るにふさわしいものなのではないか。今オオドの目は水源の神の山、すなわち白山に向けられていた。

 三尾郷の人々は滝を祭ることで、同時に近つ淡海(おうみ)の神を祭っているのであろう。

ーーもし自分が近つ淡海の周りに生まれ育ったとしても、水を干して稲田にすることなど思いつきもしなかったであろう。

 と、オオドは考えた。倭への行き帰りに渡った湖上の雄大な眺めは、海の上を行くのとほとんど変わらないものがあった。その広さは人が手を加えようなどと考える限界を超えており、帰途に曇天の下でうねる波には畏怖を感じさせるものがあった。間もなく舟で渡った黒龍の沼は夜空の下で小波を立てていたが、畏れは感じなかった。雄島の長に水深を確かめたことも多少影響していたかも知れない。しかし、沼を干すことを初めて考えた時まだ年若いオオドが水深を知っていたわけではなく、あの頃黒龍の沼は充分大きなものに映っていたはずである。「では、この違いは何なのか」と、オオドはいぶかった。しばらく考え続けた末に得た答えは、沼は元々海に注ぐ川であったはずとの意識がどこかで働いているためだという単純なものであった。だから、干拓にためらいはあっても畏怖は感じないのだと気づいた。宇治川にとっての近つ淡海に当たるものは、黒龍川の場合、黒龍の沼ではなく、水源の白山なのだ。

 白山は能登半島の一部の場所を除けば、福井県北部から富山県に至る広い海域で望めるため、海を行く舟の目印になっていた。ただ冬から春先にかけては曇天や霞のため、名前のとおりの雪を戴いた厳かな姿を現すことは稀だが、舟人たちが厚く信仰する霊峰であった。しかもこの山を水源とする大河は黒龍川だけではない。三国にとどまらず、越の人々が祭祀するのにこれ以上ふさわしい神はないように思われた。

 

 オオドと真佐手は冬の間に官人の任免を行い、宮廷の官制を整えた。ツヌムシ王以来の官人も含め、能力ある者を思い切って登用した。ヨシヒトは国の開拓担当官に任じられた。若い執政の真佐手がやりにくいと思われるところでは、王自らが任免を断行した。

 とりわけ力を入れたのは、渡来した韓人たちの見識や技術が日常的に活用される体制を作ることであった。文字を書けるテヒトは、宮廷の記録に携わらせた。諸木船(もろきぶね)の建造技術を持つ者には高向の若者たちに順序だった手ほどきをさせた。オオドは黒龍川の氾濫原で馬を飼育する計画も持っていたが、こちらはテヒトたちの中に適当な人材がいない上、馬そのものの入手が容易ではなかったので、計画だけにとどまっていた。オオドの二人の王子は韓人から文字を学ぶことになり、揃って毎日励んでいた。

 雪に覆われた館の軒先から垂れ下がった氷柱(つらら)が小さくなり、春になった。オオドは王としての必要な政務と祭祀は横山の館で行ったが、三分の二程は高向で過ごした。まだ緒についたばかりの灌漑田の行方を見届けねばならなかったからである。新たな大事業に着手するには後顧の憂いをなくしておく必要があった。春先は水路の底さらいや畦(あぜ)の修復、種籾(もみ)の手当と何かと忙しい。もちろん、実際の仕事はヨシヒトが人を動かして手際よくやるので、オオドは見守るだけ、これといってすることがあるわけではない。けれど高向にいると、これから取り掛かろうとする事業の先が見通せるような気がするのであった。

 横山の館に戻って真佐手と顔を合わせた折、オオドはそろそろ工匠(こだくみ)を使ってサキを迎える居館を建てるように勧めた。真佐手は感謝して好意を受けた後、

「館は横山か高向か、それとも三国の津の畔(ほとり)か、いずこに建てましょうか」と、いたずらっぽく聞いた。オオドも笑って、

「そうよのう、三国の津は新妻と水入らずで暮らすにはよいが、執政の仕事をしてもらうことができぬし、ちと移るには早いかな。やはり横山にせよ」と言った。

 真佐手は高向の沙白、沙加手親子の館とは別に建てられた横山の新居に妻を迎えることになった。真佐手の希望で館は簡素な造りになった。近江に向かったのは、竹田川の畔の藤が愛らしい淡紫色の花房を垂らす初夏のことであった。

 真佐手の心はもちろん弾んでいたが、わずかな心配があった。それは自分が三国の執政になるという思いもかけない身辺の変化を、サキがどう受け止めるかということであった。三尾郷の長の居宅で再会した真佐手が、正直にこの心配を打ち明けると、十歳年下の新妻は次のように言った。

「真佐手様、おめでとうございます。お気遣いは要りませぬ。私は君の妻となることを決めたのです。執政ではなく、もし戦(いくさ)に敗れ君が追われる身になられたとしても離れはいたしません。内向きのことは精一杯努めますゆえ、私の気づかぬことがあれば、どうぞおっしゃってください。君と二人隠し隔てなく暮らしとうございます」

 サキの言葉に、真佐手は一層いとしさが増した。

 婚礼の後、角鹿の津から舟で三国へ向かう途中、海岸の景色にいたく感じ入る新妻の言葉を聞いている真佐手は、己が褒(ほ)められているような幸せを感じた。好天のお陰で、初めて体験する舟の旅に酔うこともなく三国の津に着いた。横山の里を見たサキの感想は、方角こそ違っているが、三尾の別業や首長の館の辺りの様によく似ているというものであった。「すぐに馴染(なじ)めそうでございます」というサキの言葉で、真佐手は安堵した。

 横山の館で行われる婚儀に先立ち挨拶に訪れたサキの姿を見たとき、振媛はあっと小さな声を上げた。サキの方は、三尾郷の母の若い頃にそっくりの方だと思った。婚儀が終わってからも、母と娘というより、年の離れた姉妹というように見えるこの二人の麗人のことはしばらく宮廷で話題となった。オオド王には妹君がいらっしゃったのだとまことしやかに言う者があって、無知を笑われるようなこともあった。所は変わっても、美しい人というのは同じような姿をしているものなのだというのが、結局人々の話の落ち着き所であった。

 振媛の気持ちはやや複雑であった。嬉しくもあり、少しくすぐったいような気持ちでもあった。真佐手の婚儀が遅くなったことが不憫にも思われたが、新妻のつよさを兼ね備えた賢明さを知るにつれ、これでよかったと心から思えるようになった。

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