水の章 第13話 王の決意
オオドがタカハチの反乱を鎮めて即位したという報せは、たちまち周辺の首長たちに伝わった。三尾氏の内紛の帰趨(きすう)を見きわめていた首長たちは、オオドの鮮やかな勝利の噂を聞き、越の新しい時代の到来を予感した。むろん瑞穂の堀江のことも、すでに各首長の知るところであった。何よりも首長たちは、タカハチを処刑せず、追放としたところに新王の慈悲深さと自信を感じたのである。だからオオドから、殯(もがり)の儀は王の死から時が経ちすぎたゆえ遠慮したい、即位承認の会盟(かいめい)は来年の秋まで延ばしたいと使者が遣わされた時も、「新王は反乱の後始末に忙しいのだろう」と特別不思議に思わなかった。王の交替に際しては、死んだ王の墳丘墓を築く場所に首長たちが会盟し、築造にあたる首長を新王として支持する盟約を交わすのが習わしであった。
しかし、一人だけ心穏やかではない首長がいた。南から黒龍川に合流する味間川(日野川)、およびその支流の足羽川流域を支配する足羽の君であった。現在の福井市周辺がその勢力圏になる。足羽氏は三国地方で三尾氏に次ぐ勢力を持っており、首長はツヌムシ王よりやや年下であった。
「我らがいつも三尾氏の風下に立たねばならぬいわれはありませぬ」
家臣たちの中には、オオドが会盟をしないうちに足羽の君自身が会盟を行い、王として立つべきだと勧める者もあった。足羽の君自身もタカハチの反乱を知ったとき、少なからず心が動いた。三尾氏がもし真っ二つに割れるようなことがあれば、王となる機会が巡ってくるかも知れぬと期待した。けれど、オオドは一夜にして反乱を鎮め、三尾氏分裂の好機は夢想に終わってしまった。
ーー時は過ぎ去ってしまったのかも知れぬ。
横山館奪還の経過を聞いた足羽の君は、あの若さで雄島の長を心服させているオオドに侮りがたいものを感じたのである。
「どの程度の力があるのか、今は様子を見るしかあるまい」
足羽の君は、ともかく来年の会盟を待つことにした。
即位の翌日だけが、オオド一家の団欒の時であった。次の日は江沼の君と今後の国の祭事について相談することになっていたからだ。真佐手も加わって旅の話が弾んだ。オオドは、真佐手が三尾郷の娘を娶ることになったことを披露した。
「何とめでたいこと、神のお導きです」
相手が自分も縁のある長の娘と聞き、感に堪えないように振媛は喜んだ。オオドは危うく「母君のお導きです」と言いそうになって言葉を呑み込んだ。サキが嫁いでくれば分かることである。また真佐手に怒られるところであった。
真佐手がワカタケル王の話をすると、目の子媛はため息をつき、王子たちは目を輝かせた。オオドが意識的に客人のあるときは同席させていたので、王子たちもワカタケルについて知識があったのである。
「何と悪しき王でしょう」
葛城の翁の話のくだりで弟が憤ると、兄の方は、
「吾はそうは思いません。父上に言い残していったワカタケル王の言葉にもっともだと思うところがあります」と、意見が別れる。面白いと思ったオオドが、
「それはどんなところか」と尋ねると、
「人が神を祭るから神があるのだと言ったところです。王であれば、それぐらいの強き心を持って民を統(す)べるべきだと思います」と答えた。
オオドは我が子の成長を内心で喜んだが、ここで兄を誉めれば弟を貶(けな)したのと同じことになるので、それ以上言葉を継がなかった。たしかにワカタケルの姿は王としての一つのあり方を示すものであろう。王として何をなすか。善を。しかし、善か悪かたやすく分かつことはできない。ワカタケルの場合も悪しきことをなそうとしているわけではあるまい。王としてありたいと思う姿を求め、自分が望む倭国の姿の前に立ちはだかる反対勢力の手強さを知ればこその行動であろう。
「母君も目の子媛も聞いていただきたい。倭へ行ってよかったと吾は心から思っております。ワカタケルの国を見て、自分が三国をどのような国にしたいのかがわかってきました。命を落としていても不思議ではない吾が健やかなままでいるのは、神が吾に何事かを成し遂げさせようとなさってのことかも知れません。吾が王として願うことを、これから行いたいと思うのです」
オオドにとっては自然に出てきた言葉であったが、目の子媛と真佐手はいよいよ時が来たなと感慨が深かった。振媛はオオドが具体的に何を言おうとしているのかわからぬまま、何かしら畏れのようなものを感じたが、一方でそういう言葉を聞くために今まで育ててきたような気もして、我が子を黙って見守ろうと心に決めた。
翌日、事態の落ち着きを見届けた雄島の長は、家臣たちを引き連れて帰っていった。オオドは、長主従のために舟を用意し、竹田川の川岸で見送った。オオドは感謝の言葉を改めて述べながら、この人には恵みを受けるばかりで、何も報いることができずに終わってしまうのではないかという思いがかすめた。「雨降って地固まるで、今のところ、三国の地にさほど憂いの種はないように思われます。王であることはそれだけで大変なこと、体をお労(いたわ)り下さい」と、温かい言葉を残して去っていった。
宮殿に戻ったオオドは、江沼の君に執政就任を要請した。宰相にあたる重職である。
「ありがたきお言葉ではございますが、江沼は遠く、息子たちもまだ私が留守でもやってゆけるところまで育ってはおりません。王は恩賞のおつもりでおっしゃっているのでしょうが、真佐手殿がいるではありませんか。あの晩の戦(いくさ)の采配振りを見るに、目配りが利いて執政に最適かと存じます。二十六の王と二十七の執政、若々しくて楽しみですな。思うままに祭事を行われるとよい。それよりも、先頃渡来した韓人の中に鍛冶(かぬち)と鉄山探しのテヒトがいれば、しばらくお貸し願えないでしょうか。鍛冶の技(わざ)は韓では日に日に新しくなってゆきます。また、鉄の地金を伽耶に頼るばかりでなく、そろそろ鉱石そのものを掘り出せないかと思っているのです」
オオドは快諾した。早速家臣に調べさせると、鍛冶が三人、鉄山探しのできる者が二人いることがわかり、江沼の君が連れ帰ることになった。
オオドがツヌムシ王の塚の築造を延期して、黒龍の沼を干拓する工事をしたいと打ち明けると、江沼の君は身を乗り出して、「何と、壮大な話ではありませんか。それでこそ、雄島の長と私が見込んだ王です。鋤と鍬をたくさん造ってお届けしましょう。海とつながった暁には、黒龍川の急流をものともせぬ大舟を用意して高向へ祝いに駆けつけましょうぞ」と、励ました。オオドは、伯父を失った今、この人がいてくれたことを心からありがたく思った。
オオドは内紛の傷跡を癒すことに心を砕いた。執政としての真佐手の最初の仕事は、女形谷の処置であった。タカハチの長子はまだ幼かった。真佐手は、相続を認めた上でツヌムシ王の重臣を女形谷の家宰(かさい)に任命した。オオド直属の臣が家宰として入ることになれば、不満を抱く女形谷の者たちもいるだろうと気遣ったのである。次に戦死者の家は租を五年間免除し、農繁期の近隣による協力体制を整える措置をとった。敵味方を問わず、深手を負った者たちの家にも、戦死者の家に準じた配慮を加えた。真佐手にこの件を任せたオオドは「江沼の君の言ったとおりだ」と、安堵した。兄弟同然に育ってきた真佐手に対してもし自分がわずかでも失望感を抱くようなことがあれば耐えられない、というオオドのきわめて微妙な不安は消え去った。
タカハチは亡き王に対する礼節は忘れていなかった。横山の森の中に喪屋を設け亡骸を安置していた。その場所に殯(もがり)の宮が完成した日、一族だけの殯が行われた。石棺の中ですでに変わり果てたツヌムシの体には朱が施され、蓋を閉じる前の告別の儀礼が行われた。まずツヌムシ王の后が石棺をやさしく撫でながら、亡骸に別れの言葉をささやきかける。突然先立たれた悲しみと添い遂げた満足が混じり合って、日頃控え目だが情愛の細かい后らしい送別であった。突然、横山の里の長が激しく体を打ち震わせ泣き叫び、偲(しの)び言を奉った。堰(せき)を切ったように遺族が口々に生前を偲び、寛大で情け深かった亡き王の徳を称えた。遺族の中で最も激しい感情の噴出を見せたのは、振媛であった。日頃気丈な振媛が、うわ言のように「兄君がいなければ私はどうしていいかわからない」と、小娘のように嗚咽(おえつ)して地にくずおれた。オオドは母を支えていたのが伯父であったことを、今更のように思い知らされた。
夕刻皆が去った殯の宮の土の上で、オオドは死者と夕餉(ゆうげ)を共にしていた。むろん死者には食事を供えるだけであるが、新王はこうして亡き王と一夜を過ごし、その霊力を引き継ぐのである。
辺りをすっぽり包んだ冷たい闇の中で、オオドはツヌムシに詫びていた。
「お許し下さい。伯父上の墓を築くのをしばらくお待ち下さい」
「なぜか」という声が聞こえたような気がした。
「黒龍の沼を干して稲田を開き、倭のワカタケルにも脅かされないような豊かで強い国の礎(いしずえ)を築きたいのです」
暗闇の中にはっきりとツヌムシの顔が見えた。オオドの目を厳しい表情でじっと見つめている。それだけではあるまいと言われているような気がした。
「黒龍川の河口を切り開く日を吾が待ち望んでいたからだと言われれば、そのとおりです」
ツヌムシの顔が生前の温かな笑みに戻った。
「そなたの思うとおりにせよ。吾はどれぐらい待てばよいのじゃ」
「五年、いや七年はかかるかも知れませぬ」
「よい。いつまででも待とう。吾の墓は黒龍川を見晴らせる高い所に築いてくれぬか。坂中井の平の行く末を見守りたい」と言い終わると、ツヌムシの顔は闇に溶け込んで再び現れることはなかった。
翌日から、歌舞飲食を伴う葬儀が行われた。亡き王の魂を鎮め、新王の身につけた霊力を共食共飲(きょうしょくきょういん)によって皆に分かち与えるのである。それによって一族皆が神に発する豊かな生命力の端に連なることができる。本来ならこの後即位式となるのだが、順序が逆になったのはすでに述べたような事情による。
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