第12話 決戦

 竹田川を渡り、山道の手前にある江沼方面との分岐を左に曲がった地点で、オオドの軍は最後の休息をとり、軍議が開かれた。

「この先で兵を二手に分けようと思います。雄島の長の軍は、韓人たちを伴ってこの道を進み、正面から横山の館に矢を射かけていただきたい。吾は江沼の君と山林の中を進み、背後から館に潜入して質を救い出します。その間敵をなるべく正面に引きつけ、時を稼いでいただきたいのです。声は大きく犠牲は小さくという難しいお願いなのですが、門が中から開かれるまで踏ん張っていただきたい。江沼の君は我らの潜入後、百を三つ数えた頃突入し、門を開けるのに全力を傾けていただきたい」

 と、オオドは策を打ち明けた。

「承知いたしました。ところで、攻撃開始の合図はいかに」と、雄島の長が言った。

「森の中からこの貝笛の音がしたら」と、真佐手は笛を小さく吹き鳴らしてみせた。

「なるほど、その音なら敵はフクロウの声と聞き違えるかもしれませんな」

 江沼の君が愉快そうに言った。

「それから、これは全兵士に徹底していただきたいお願いですが、濠に飛び込んだ敵兵には一切手出しをしないでいただきたいのです」と、オオドは付け加えた。

「承知しました」と、二人はうなずいた。同族の者をなるべく傷つけたくないオオドの気持ちがよくわかるのである。

「念を入れて、合い言葉を用意した方がよくはありませんか」と、長が尋ねた。

「そうでした。『水』『鳥』では、どうでしょうか」と、オオドが即座に答える。

「結構です。神のご加護を祈ります」

 長は静かに目を閉じた。オオドたちもそれに倣った。

 オオドが横山の森を進む部隊に異族を加えなかったのは、軍を二手に分けるということのほかにも理由があった。「祖霊の森に害意を持って踏み込んだ者は呪いを受ける」と信じられていたからである。横山の館が森に対しては濠もなく開かれているのは、このためである。祖霊がオオドに味方するものなら心配はいらないことになるが、それは神のみが知ることである。江沼の一族は、三尾氏にとって同じ神を祭祀する擬似的同族に当たる。ただし、同族以外の者で、一人だけオオドに同行することを希望した者があった。それは那弥率である。真佐手が祖霊の呪いの話をしても、那弥率の希望は変わらなかったので、オオドは同行を許した。

 江沼方面を固めている敵の扱いについても話し合われたが、今兵力を分散するのは好ましくない、横山を落としてから掃討すればよいという結論で一致した。

 最後の手はずが兵に伝えられた。決戦近しの緊張感が睡魔を払って、兵士の士気が水を吸った夏草のように回復するのがわかった。二隊はそこで別れて進発していった。

 

 神域の森は、静かである。雄島を発ってから長い時が過ぎたようでもあり、つい先程出てきたばかりのようにも感じられるが、歩いた距離からしてもう夜明けが近いはずだ。

 いつの間にか雨は上がっている。森の中は、風がないため暖かいと言ってよいほどだ。緩斜面を進む兵士たちの朽ち木を踏む音だけが聞こえる。

 オオドは、確かに祖霊たちが自分を見ていると感じた。それは畏怖ではなく、親しい肌ざわりに似ていた。そして、伝いゆく木々の手ざわりの中に、今までの疲れが消えてゆくのが不思議であった。

 横山の館の高殿が正面に見えるところに、オオドの軍は配置を完了した。別働隊はとうに館に到着しているはずだが、闇と霧のためわからない。館の中は篝火(かがりび)にぼんやりと照らし出され、高殿が黒い影となって浮かび上がっている。柵が設けられ五人の兵が目の前で警備に当たっている。

 真佐手は懐から貝笛を取り出すと、口にあてた。

 

 雄島の長の一隊は笛の合図を聞くと、闇の中から鬨(とき)の声を揚げ一斉に楯を打ち鳴らした。濠の内の塀との間にはかなりの距離がある。

 敵襲の報を寝所で聞いたタカハチは、あわてて起き上がった。甲冑を身につける間ももどかしく駆けつけ、声の沸き上がっている方角を見るが、暗闇のほかは何も見えない。

「ええい、小癪(こしゃく)な敵よ。矢の雨を浴びせよ」

 塀に並んだ兵士が矢を放つが、角度はそれぞればらばらである。

 闇の中からうなりと共に矢が飛来したかと思うと、兵士の数人がのけぞった。敵にはこちらが見えているのだ。

「油断するな。もっと兵を集めよ」

 タカハチの甲高い声で、部下が走ってゆく。

 

 至近距離から警備の兵を射倒したオオドの兵は、柵を乗り越えて館に潜入した。手はずどおり別れて人質のありかを捜す。オオドと真佐手は十名を従えて侍女の教えた棟をまっしぐらに目指す。高床の柱にもたれて眠りこけているわずかな兵のほかは、正面の攻防に回っているのだろう。敵に見つかることもなく目的の場所に達した。階(きざはし)を登って戸に手をかけると、たやすく開いた。オオドは弾む気持ちを抑えて、

「母君、目の子媛、吾が子よ。オオドが助けに来ましたぞ」と呼んだ。

 二回呼んでも、暗闇の中は静かなままだ。やはり場所が移されたのであろうか。落胆の思いでオオドは真佐手の方を見た。

「ご覧ください。オオド様、あれをご覧ください」

 と、真佐手の喜びにふるえる声がして、指す方を見ると、階の下にいつの間にか一かたまりの人影がある。やや小さな二人は紛うことなく我が息子で、振媛、目の子媛、それにツヌムシ王の后の姿も見分けられる。

「そろそろお帰りになる頃かと、三日前の晩から沙加手と交替で起きておりました」と、沙白の声がした。

「父上や兄者が、必ず笛の音を聞き分けてくれると信じておりましたぞ」と、真佐手は高ぶった声で言った。

 笛の音を聞き表が騒がしくなってから戸を開けると見張りもおらず、皆を起こして高床の下に身を隠したという。

「母君、ご無事で何よりです。吾はこれよりタカハチを捕らえに参りますので、窮屈でしょうが、今しばらく床の下に潜んでいていただきます」と言うオオドの声は明るかった。

 オオドは警護の兵を分かって床下に共に忍ばせると、真佐手に救出完了の合図の笛を吹かせた。

 

 その頃、江沼の君の一隊は、門の攻防に決着をつけかけていた。敵の抵抗は激しかったが、守備兵が増強されていないため、数に勝る味方に一人、また一人と倒されていった。ここでも那弥率の働きはめざましいものがあった。百済の武人の槍は、赤子の手をひねるように敵兵を倒していく。さほど時を費やさず、門を開くことができた。

 タカハチは、大部分の兵を館の正面に集めて、矢合戦を続けていた。射手を三隊に分け、交互に暗闇に向け矢の雨を降らせた。夜が明けて敵の姿が顕わになれば優位に立てるとも考えたが、目の前に潜む気障りな敵を放置しておくのは我慢がならなかった。敵は絶えず矢を射かけてくるわけではなく、絶え間ない鬨の声の間に思い出したように矢を飛ばしてくるだけだ。味方の矢は敵の楯にさえぎられて、さしたる戦果を上げていないように思われ、タカハチは苛立った。そのうち次第に敵の声が小さくなり、矢の飛来も著しく間遠になった。タカハチの心に疑いが生じ、「門の守備兵を増やせ」「人質の様子を見てこい」と命令した時は、すでに遅かった。

 楯で矢から身を隠した韓人たちを囮に残し、海部氏の兵はすでに夜霧に紛れて門の中に入っていた。江沼氏の兵と合流し、西側から進み、東の方向から進んできたオオドの兵と共に敵を背後から包囲する形になった。

 塀際に追いつめられたタカハチ軍を、じりじりと弧を狭めるオオドの軍が威嚇する。しかし、さすがにタカハチはこのとき冷静に敵の数の見当をつけると、

「ひるむな。吾が軍が数に勝っておるぞ。返り討ちにせよ」と、叱咤した。

 矢合戦で二十名ほどを戦力から削がれてはいたが、たしかに依然として五十ほどタカハチ軍の数が上回っていた。韓人たちはまだ外におり、オオドの手勢は百を少し超える程度だ。

 敵軍をにらみつけるように眺め回したタカハチは、兜をつけたオオドの姿を見分けた。

「久しぶりだな、オオド。館の固めを破った手際は見事とほめておこう。だが三国の王としてふさわしいのは臆病者の汝(なんじ)ではない。亡きオハチ王の長子の子たる吾(あ)がふさわしいことを、今、武を以て示してやろう」

 挑むタカハチの声は、力みのためか、強気の言葉と裏腹にうわずっている。これに応ずるオオドの言葉は意表を突いたもので、局面を全く一変させた。

「吾がオオドである。横山の人々よ。亡きツヌムシ王の后は、吾が母、妻子と共にすでに救い出された。安心するがよい。女形谷の人々よ。吾は女形谷の里を一人の民も害することなく通り抜け、里の長に男たちの命をいたずらに奪わぬことを誓った。刃向かうつもりのない者は、今すぐ濠に飛び込め。危害を加えず、罪としないことをオオナムチの神に誓おう」

 真っ先に濠に飛び込んだのは、初めから戦う気のない横山の者たちであった。逡巡の後、短甲を身に着けた女形谷の男が塀を越えて飛び込もうとした。「裏切り者は許さぬ」と、タカハチが矢を射かけたが、怒りに震える腕は定まらず、宙を射ただけであった。その水音をきっかけに、雪崩を打ったように次々と女形谷の男たちが飛び込んでゆく。タカハチの家来たちが止めることもできないほどの数の多さだった。後に残ったのは、わずかに三十名ほどであった。

 それからしばらく、血路を開いて主君を逃がそうとする家来たちの捨て身の戦いが続いた。

 タカハチ軍の矢が一斉に放たれ、幾人かがうめいてのけぞった。しかし、これを待っていたオオドの軍は走って一気に敵との距離を詰めた。斬り合いが始まった。

 武勇で知られるタカハチの武人たちはさすがに腕が立つ。このままでは味方の死傷者が大きくなると見て取った真佐手は、疲れを待って数で敵をねじ伏せる戦法をとった。一人に対して三人がかりで取り囲み、攻めては退き、退いては攻めるのである。前と左右、あるいは後背に敵を迎えて、さしもの鋭い太刀さばきも次第に鈍り、タカハチの武人の多くは致命傷を負う前に捕らえられた。分断された残りわずかの者が、抵抗を続けるのみとなった。けれどオオドの武人たちは兜を捨てて奮戦するタカハチに次々と肩や腿を斬られ、たじろいだ。

「お相手いたそう」と、進み出たのは白樹(しらき)であった。

「少しは骨のある奴が出てきたか」

 タカハチは乱れかかる髪をこぶしで払って不敵に笑った。

 白樹の鋭い打ち込みを太刀でがっしりと受け止めると、タカハチは腕に力を込めてぐいと押しやった。後ろによろめいた白樹を、今度はタカハチの切っ先が二度、三度と襲う。太刀は軽い木枝か何かのように走るが、空(くう)を切る音が凄まじい。白樹はかろうじて身を翻して避けた。それから一進一退で斬り結ぶ戦いが長く続いたが、突然これまで無駄のない動きを見せていたタカハチの体がふらつき始めた。肩で息をしている。やがて振り下ろした太刀が石垣を噛み折れると、タカハチは太刀を投げて天を仰いだ。オオドはその横顔に、負けん気のくせ意外なほど諦めの早かった従兄弟の昔日の面影を見たと思った。主君が捕らえられ、すべての抵抗は終わった。

 いつの間にか空は明るんでいた。濠の周辺からセキレイのさえずりが聞こえる。

 

 オオドは改めて家族と無事を喜び合った。真佐手は父と兄、それに那弥率も加えてこれまでのいきさつを話し合っている。

 ツヌムシ王が息を引き取った後、臨終の場に詰めていたタカハチは、「支度があるから」とだけ言って横山の館を抜け出した。なかなか戻って来なかったが、誰もあまり気に留めなかった。半日の後、手勢を引き連れて現れ、館を取り囲まれた時が一番怖かったと、振媛と目の子媛は顔を見合わせた。しかし、その後は侍女の話のとおりで、少し窮屈なだけで身の危険を感じることもなく過ぎたと言う。タカハチは、幼い頃からオオドと一緒に連れ歩いてもらった叔母となるべく顔を合わせないようにしていたらしい。ましてや手荒い扱いなど思いもよらぬことであったのだろう。二人の息子は「父君、お帰りなさいませ」と殊勝に挨拶するが、オオドには我が子が心なしか、たくましさを増したように思われた。

 館の中では炊事の煙が上がり、水から上がった兵士たちが火に当たりながら、にぎやかに衣を乾かしている。オオドは雄島の長と江沼の君に、身の危険を顧みず逆境の自分に味方してくれた礼を述べた。

「一言主の神のお告げに従ったまででございます。オオナムチの神も必ずオオド様にお味方なさるものと信じておりましたが」と、長は穏やかな笑みを浮かべて言った。

「味方の死人はありません。それに、敵方の死人も十名以内に抑えられそうなのは、喜ばしいことです。襷(たすき)も合い言葉もいらないぐらいの見事な勝利でございましたな。腹ごしらえをしたら、手勢を率いて敵の残党を掃討して参ります。王子、いや王は、しばらくお休みください。昼からは、ツヌムシ王の御遺志に従って、すみやかに王位継承の儀式をしていただかなければなりませんので」と、江沼の君が言った。

「お二人とも、何とお礼を申し上げてよいものやら。竹田川沿いも江沼への道も、タカハチが囚われたと知れば、もはや刃向かう者はおりますまい。高向の手勢と女形谷の者を同行して、説得にお使いください」

「承知しております。一人もあやめずにまつろわせますので、御安心を」

 と、江沼の君は笑った。

 

 霧が払われると、空は高く晴れ渡っていた。すべてが一段落した昼過ぎ、三尾氏の主だった者と里の長たちが集められた。オオドの王位継承の祭儀が執り行われるのである。これはいわば、非常時の内輪の即位式と言うべきものである。三国地方の王として正式に認められるのは、この後の各首長たちの会盟を待たなければならない。

 一族の前で江沼の君から、この度のツヌムシ王の死、およびその後のタカハチの反乱と平定のいきさつが説明され、ツヌムシ王の遺志に従ってオオドが新しい王となることが告げられた。

 オオドは一族の者の歓呼の声を背に、目の子媛と共に高殿の階(きざはし)を登った。二人は正装して翡翠(ひすい)の首飾りを身に付け、金銅の冠を戴いている。雄島の長も来賓としてそのまま見守っている。

 露台に出ると、すでに森との境界にあった柵は取り払われ、矢を受けて倒れた者たちの血は水と塩で清められていた。オオドは未明自分を守ってくれた祖霊の山に向かって、大きく両腕を掲げて拝礼した。神の加護に感謝を捧げ、王となったことを報告した。次に目の子媛が拝礼し、王妃となったことを報告した。

 祭儀を滞りなく終えたオオドは、高殿から降りて王としての最初の仕事を行った。

「タカハチは越の国から追放とする。家族といえども、同行は許されない。反乱に加わったほかの者たちの罪は問わない。今までどおり暮らすことを許す」と、厳かに告げた。

 本来ならば、この後長い饗宴が続くはずである。しかし、内紛の直後のことなので簡略なものとなった。

 即位の翌日、舟に乗せられたタカハチは、当人の希望する近江の国へ向かった。若狭と近江の国境で縄を解かれたタカハチは、「臆病者との言葉は取り消すと王に伝えてほしい」と言った。そのときのタカハチの顔は明るかったと、護送に当たった家臣は帰って報告した。オオドの瞼(まぶた)に、三国崎の紺青の海と守り役の顔が浮かんだ。

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