第4話 韓人の渡来

 秋の祭りを行い、出発の日を待つうちに、思いがけない事件が勃発した。

 馬を飛ばして横山から使いがやってきたのは、日が西に傾きかけた時分だった。ツヌムシ王がオオドにすぐ横山の館に来てもらいたいというのだ。

 使いの話によれば、韓人(からびと)二十一人を乗せた大型の諸木船(もろきぶね)が、三国の津に入港し、竹田川沿いに上ってきた韓人たちが、横山の入り口で村域に入れまいとする里人とにらみ合っていると言う。韓人は鋤や鍬を持ち、甲冑で身を固めた者もおり、武器や農具を持って殺気立つ里人と一触即発の状態だというのである。

 ただちにオオドは馬に鞭をあてて横山に向かった。真佐手と沙白、沙加手が従う。女形谷を駆けすぎ、飛沫(しぶき)を上げて竹田川を渡ったオオドは、横山の館の前を素通りして現場に直行した。

 確かに使いの言ったとおりの光景であったが、五十人近い里人の中の数人の者が韓人の一人と大きな身振り手振りで話している。どうやら話がうまく通じないようだ。里人の内、地べたに腰を下ろしている者もある。韓人たちは一様に農具を持っているが、三丁もの鍬を足元に置いている者もある。剣を帯びている者も見えるが、甲冑を身に付け槍を持っている者は大柄な若者一人だけである。

「オオド様、よく来てくださいました」

 見慣れたツヌムシ王の官人が、馬から降り人の輪に近づいたオオドの顔を見つけて、安堵の表情を浮かべた。

「この者たちは伽耶から来たようです。秋の物忌(ものい)みで横山の里の中に入れるわけにはいかぬと言っても、どうしてもわからないのです。王に会いたいと、そればかりを繰り返しています」

 秋の物忌みとは、古代の収穫儀礼のことである。稲だけではなく粟の物忌みも行われたが、三国は今稲の物忌みの最中(さなか)であった。この頃の稲は単一の品種ではなかったので、一枚の田の稲でも稔りの時期にはずれがあった。だから、稲を根元から刈らずに、実った穂だけを随時石包丁で摘んで収穫する「穂摘み」が行われた。収穫の祭りはこの穂摘みが一とおり終わってから行われるが、新米を炊いて神に供え、来年の豊作を祈るものである。祭りの間は里域全体に厳しい禁忌が課され、外部の者は中へ入ることはできなかった。たまたま中にいた者は、祭りが終わるまで足止めされた。こういう時に韓人たちは横山にやって来たのであった。まして、三国の王であるツヌムシの肩には連合内の国全体の稔りの吉凶がかかっており、みそぎの後、厳格な精進潔斎の日々を過ごして神に感謝し、来る年の豊作を祈るのである。韓人たちがツヌムシ王に会えるはずもなかった。

 オオドは困ったことになったと思った。横山ばかりでなく、高向の里でも事情は同じであった。ただし、王であるツヌムシと自分の禁忌は比べものにならない。堀江の開削以来、渡来人たちに対する尊敬と信頼に絶大なものがある点も異なっている。それならば……

 その時である。少し遅れて到着した沙白が韓の言葉で叫んだ。

「汝(なんじ)は金官(きんかん)の博敦(はくとん)ではないか」

 沙白の顔のすべての縛りが抜けた次の瞬間、表情は喜びに変わり、韓人の中の年かさの一人に抱きついていた。

 涙を流して久闊(きゅうかつ)を述べ合う相手は、沙白が伽耶にいた時の友であると知れた。

 沙白と博敦との話で、韓人たちはほとんどが伽耶と百済のテヒトで、交易商と武人が一人ずつ混じっていることがわかった。ツヌムシ王から横山を通り抜ける許可を取らせたオオドは、韓人たちを高向の館へ連れ帰った。横山の官人たちに荷を運ばせたものの、高向に到着したのは夜遅くであった。館の一棟をあてがい食事を饗したが、年かさの韓人の中には食べ物も喉を通らないほど疲労困憊している者もいた。

 

 翌日の昼近く、沙白に伴われて五人の代表の者が拝謁した。一際目立つ大柄な若者は、甲冑を付けていた武人であろう。ややいかつい顔のせいばかりでなく、他の者たちと違う厳しい雰囲気を全身から発散させている。一同の中で最年長と見える博敦がオオドに語った話は、驚くべき内容であった。

 朝鮮半島では昨年、高句麗(こま)が大軍をもって百済を攻撃した。都の漢城は落ち、王も殺され、百済は滅亡寸前の状態である。百済の王族や民は南の熊津へ逃れ、伽耶諸国も避難民たちで溢れているというのである。

 半島では北半分を占める高句麗の力が強大で、二十年ほど前から度々侵入しては南の百済を脅かしていた。半島南東部に位置する小国の新羅は以前高句麗に服従する政策を採っていたが、十年前から隣の百済と同盟し高句麗と戦ってきた。一時は百済が逆に高句麗に攻め込む有利な戦況も生まれたものの、高句麗の軍事的な優位は動かなかった。先代の百済王余慶は北魏に高句麗征伐を乞うて聞き入れられず、今回の大侵攻で亡国の危機に至ったと言う。

「勢いに乗った高句麗が次は新羅を攻め滅ぼすのではないかと、伽耶諸国の民は恐れています。伽耶は元々新羅と結びつきが深く、北の新羅が滅びれば、伽耶もあっと言う間に呑み込まれてしまうでしょう。避難してきた百済の民ばかりでなく、伽耶全体に南の海へ逃れようという動きが生まれています。私どもテヒトは、戦乱の中では仕事をすることができません。皆で語らい、ここにいる交易商が船を用意してくれたので、海を渡って参りました。百済王の家臣が同行を希望されるのでお乗せしました。どうか私どもテヒトを王子様の下でお使い下さるよう懇願いたします」

 博敦が語る半島情勢の激動にオオドはため息の出る思いで聞き入っていたが、

「安心して留まられるがよかろう。ところであなたがたは、倭に行かず、なぜ越に渡って来られたのか」と、尋ねた。

「金官では、倭の王がテヒトの招致に熱心なことはよく知られています。しかし一方、王が苛烈なご気性の方であることも知れ渡っています。多くの韓人が倭へ向かいましたが、倭の王を恐れてほかの国を目指す者たちもまた多いのです。一緒に海に出た韓人たちのうち、筑紫で上陸した者もあり、出雲の大山(だいせん)の見える湊に留まった者もいます。私どもは江沼の君を通じて三国のことを知っていました。沙白が留まっていることも聞いていましたし、何よりも大規模な土木工事が進められていることが三国を選んだ理由でした。陸へ上がったその日に当の王子様にお会いできるとは、昨晩どれほど幸運を神に感謝したことか」

 オオドの胸に熱い思いがこみ上げて来た。同時に、テヒトたちの情報の確かさに驚いた。

 次に韓人たちの内、ただ一人の商人である伽耶の男が話をした。商人は名を得啓(とくけい)と言い、吉備(きび)の王族と金官(きんかん)で親交があったという。その話は数奇に満ちたものであった。

 吉備の王族は名を上道田狭(かみつみちのたさ)と名乗り、得啓とは鉄の交易を通じて知り合った。金官の湊に近い倭の商館に住み、得啓が招かれて行ったときは、武人、水手(かこ)などがたくさんおり、田狭(たさ)の私邸のようであったという。田狭は、倭のワカタケル王の依頼を受けて、鉄の地金(じがね)の確保に来ており、大きな船も所有していた。半島の情勢が不安定になってから、倭はほとんど唯一の鉄の入手先である伽耶での交易活動を強化していたのである。

 三年後、交易から帰った得啓が田狭を訪れたとき、田狭は憔悴しており、「ワカタケルに妻を奪われた」と言った。田狭には、二人の妻がおり、一人は毛媛と言ってワカタケルに滅ぼされた玉田円の妹である。もう一人は稚媛(わかひめ)で、これは一族の女である。ワカタケルは田狭の留守中に稚媛を人質に差し出すよう吉備氏に求めたが、先に前津屋(さきつや)を討たれている宗家の下道氏は倭の武力を恐れて拒むことができなかった。美しい妻はワカタケルに奪われ、子まで設けているらしいと田狭は悲痛に語った。こうなっては、倭のために尽力することなどできないと憤った。得啓は慰めの言葉もなかった。

 それから長い間会う機会もなかったが、金官を出る少し前、漢城が陥落し百済の避難民が押し寄せてきた頃、田狭が単身で得啓を尋ねてきた。前の時より更に老けやつれ、しかもひどく怯えた様子であった。得啓は田狭が語った余りにも無惨な話に耳を疑ったと言う。田狭は、妻を奪われてから、倭の商館を出て、自分の船で新羅や筑紫との交易をして過ごしていたという。故郷を捨てた気持ちであったのだろう。最近になって突然、田狭が稚媛との間に設けた息子の弟君(おときみ)が成長した姿を現わした。田狭は狂喜した。弟君はワカタケルの命令でテヒトたちを招くために韓(から)へ来たと言い、海部赤尾(あまのあかお)初め十名ほどの者を伴っていた。田狭はワカタケルの名を聞いた瞬間嫌な予感がしたが、息子に会えた喜びの方が大きかった。一行はしばらく田狭の居館に滞在した。ある日、弟君が周りに人のいないのを確かめてからささやいた。自分たちの本当の任務は父君を倭へ連行することで、父君がお聞き入れにならなかったら殺すように命じられています、というのである。田狭は衝撃を受けたが、息子が本当のことを打ち明けてくれたことを嬉しく思った。海部赤尾は、弟君の目付役で、ほかの者たちは刺客であるという。危険が迫っていることを知った田狭は、隙を見つけて弟君と館を抜け出したが、逃げる途中で弟君は刺客たちの手にかかってしまった。

 一息に語った田狭の顔には怒りと絶望が交互に現われていたと言う。田狭は最後に、「自分は祖先のゆかりの地である新羅を頼るつもりである。だが、このような戦乱のさなか、明日命を落としても不思議ではない。そこであなたに一つお願いがある。もし、あなたがどこかでこのことを人に話す機会があったら、私がワカタケルの非道を呪っていたことを伝えてほしい」と得啓に頼んだ。得啓は田狭にきっと願いを叶えるであろうと約束した。田狭は無事新羅に入ったのであろうか、刺客の手で命を落としたという噂は、得啓の耳に入っていないそうだ。

 オオドは田狭の無念の思いが、韓の諸木船を遙々三国の津まで運んだような気がした。

「よくぞテヒトたちを越まで運んでくれた。吾も機会があれば、こちらから韓のテヒトを招きたいと思っていたのだ。それに、あなたの信義を重んずる行動は、我々交易に携わる者が忘れてはならないものであろう。けれど、あなたは商人。何かの利がなくてはなるまい。何をお望みか」

「交易以外に望むことはありません。いずれ私を迎える船が鉄器を積んで入港するでしょう。その時に硬玉と絹と塗り物を交易していただければありがたいと存じます」

「こちらも望むところです」と、オオドは快諾した。

 このとき、それまで黙って話を聞いていた那弥率(なみそつ)と名乗る百済の武人が口を開いた。

「王子にお願いがあります。近々倭へ行かれるということを沙白殿より伺いました。私を同行させていただきたい。決してご迷惑はおかけしません」

 オオドは自分と同じ年格好の青年の、日焼けした顔をしばらく見つめていたが、

「よろしい。ただし、倭までの道は、百済の武人とわからぬように振る舞っていただきますぞ」と、敢えて目的を問わず聞き入れた。

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