第3話 水路

 高向(たかむく)の地は、坂中井(さかない)の平野の東部に位置する。現在の福井県丸岡町の南部にあたる。北東の山々は遙か彼方であり、比較的近い東の山並みもさほど迫っておらず、くつろいだ気分になれる所である。夫の彦主人の大君がまだ幼いオオドを残して亡くなった時、振媛が嫁ぎ先に留まらず、「私は故郷を遠く離れてしまいました。高向に帰り、親に孝養を尽くし、我が子の養育をします」と帰って来たのは、三尾の一族の語り草になっている。

ーー母君が高向を愛したのは、幼少の時からここで過ごすことが多かったためだけではあるまい。横山や女形谷にない、この広々とした景色と明るさのためだったのではないか。

 目の子媛を高向に迎えることになったオオドは、そう推測した。

 妻を迎えたオオドは、若くても高向の当主ということになる。行く末は三国の王となることを期待された首長と言い替えてもよい。高向の館は北側に杜(もり)を望み、周辺には豊かな竹林が育っている。従来開墾の拠点として簡略なものであった館は、尾治の姫君を迎えるために建て増しされ、立派な館に変わっていた。館の高殿に登り、婚姻を神に報告する儀式から始まった二人の生活は仲睦まじいものであったが、雄島へ詣でてからは共通の目的を持つものへと変わった。

 オオドが今熱を上げているのは、高向の稲田を広げることである。いつの日か黒龍の沼を稲田に変えるという大きな目標は遠くに望めても、一息に行き着くことはできない。そのための道程であり、同時に高向の人々のためにもなるとオオドは考え、規矩術(きくじゅつ)(測量術)の勉強に余念がなかった。

 目の子媛が始めたのは、自ら蚕(かいこ)を飼って糸を取ることであった。館の一棟に蚕室(さんしつ)と工房を設け、里の女たちの先頭に立った。

 二人の共通の目的というのは、高向の民を豊かにすること、現代の言葉で言えば産業振興とか開発ということになろうか。振媛は二人の熱中ぶりをおかしく思いながら、自分も時々桑もぎをしたり、蚕室に出入りしたりしていた。振媛の不満は、将来王となるオオドにそろそろ祭祀のことを教えたいのに、こちらの方は本人があまり熱心でないことである。

そのため高向の祭祀は、今までどおり振媛が行うことが多かった。

 若い二人がおぼつかない足どりながらも、自分たちの望むことを実現できたのは、真佐手の父沙白と、兄沙加手のおかげである。伽耶(かや)のテヒトである沙白は、実に幅広い知識を持っていた。また、真佐手が早くからオオドの側近となっていたのに対し、沙加手は沙白の後継ぎとして育てられてきたテヒトであった。

 幼い頃より、オオドは沙白から多くのことを学んできた。おかげでオオドは韓(から)の進んだ知識を身に付けられたばかりでなく、韓の言葉も話すことができた。もちろん、沙加手や真佐手のように流暢ではなかったが、渡来人と意思を通ずるには十分であった。また、朝鮮半島の情勢についても、大まかなことはいつの間にか頭に入っていた。阿那爾媛(あなにひめ)ゆかりの江沼の渡来人をオオドの身近に置いた振媛の養育方針は、期待どおりの成果を上げたのである。そのオオドが今特に力を入れて学んでいるのが土木技術であった。沙白にとってもこの分野は専門であり、亡きオハチ王、ツヌムシ王にも、坂中井の平野の開拓を業として仕えてきたのだった。

 伽耶から渡ってきた沙白が最初江沼に住み着いたのは偶然ではない。そもそも江沼氏自身が韓から渡来したという伝承を持ち、今でも頻繁に朝鮮半島との間で人と物の行き来がある。三尾氏も半島と交易しているが、江沼氏ほどではない。江沼氏は金属加工に秀でており、鉄製農具や武具、金銅製品の生産にかけては、越で並ぶもののない技術を持っている。鉄製品については、まだその多くを伽耶からの完成品の輸入に頼っているのが現状だが、加工技術を持つ江沼氏の存在は、三尾氏の開墾にとって欠かすことのできないものであった。

 

 目の子媛が高向で迎える最初の春のことであった。カサコソという物音でオオドは目を覚ました。快い目覚めに満足感があり、もう夜明けが近いようだ。起き上がって物音のする方に近づいてみると、どうやら部屋の隅の高坏(たかつき)から音がしているらしい。薄明に透かすように目を凝らすと、三匹の蚕が一心に桑を食(は)んでいるのが見える。

「申し訳ございません。度の過ぎたこととお怒りでしょう」

 いつの間に目を覚ましたのか、横には目の子媛が立っている。

「どうして怒ったりいたしましょう、蚕(こ)の君」と、オオドは笑みを浮かべた。

 二人はお互いを揶揄(やゆ)して、「水の君」「蚕の君」と呼び合っているのである。

「桑を食む姿が愛(いと)しゅうて、ついこんな所まで持ってきてしまいました」

 目の子媛は本当に愛しそうに高坏をのぞきこんでいる。

「蚕を愛でる半分でも、吾のことを思っていただければ満足ですよ」

「まあ、そのような意地悪なことを」

 身をよじるように暗がりの中からオオドをにらんだ目の子媛の姿態は、いつになく艶(なま)めかしかった。抱き寄せると、背に腕を回してきた。オオドは、ほどいたままの長い髪を慈しむように撫でる。強く抱きしめ唇を重ねると、姫の体の力が抜け、かすかな喘(あえ)ぎがもれる。オオドは柔らかくしなう細身(ほそみ)の体をそのまま抱えて褥(しとね)に運んだ。身に付けた薄物の下の肌が春の淡雪のようになめらかだ。

 若い二人は、結婚の翌々年、その次の年と男児に恵まれるという睦まじさで、目の子媛は今度は育児に忙しくなった。振媛の喜びようは言うまでもない。

 

 高向の民家の多くは南を流れる黒龍川の氾濫を恐れ、自然堤防の上に築かれている。大部分は自然堤防の上に更に土を盛って掘られた竪穴住居であるが、高床の住居を構える富裕な家も見られる。家の周りの傾斜地には畑が開かれ、平地にも畑や稲田が点在している。ただし、稲田は、雨水を利用した天水田(てんすいでん)である。

「灌漑田(かんがいでん)が、畑や天水田にいつも勝るとは限りません」

 十七歳になったオオドが黒龍川から高向に水路を掘りたいと打ち明けたとき、沙白は言った。

「作物はその土地土地に合ったものを選ぶことが、何よりも大切なのです。いつ氾濫が起きるかわからぬ高向では、それぞれ稔りの時期の異なる粟や里芋を稲と共に畑で作ることは理に適っているのです。天水田も雨の多いこの土地に合ったものです。たとえ天候に左右され、灌漑田ほどの稔りは望めないにしても」

 灌漑田にこだわるオオドは、珍しく師に反論する。

「畑はしだいに土地がやせていきます。それに比べ、灌漑田は幾度作っても毎年安定した稔りが見込める点で優れています。水路でなくても井戸で灌漑する事はたやすいのではありませんか」

「土地がやせたら、雑草や雑木を焼き払った隣の土地を耕せばよいのです。今の里人の数なら、それで十分です。やせた土地もまた草木が繁れば地力を回復します。私は黒龍川の下流域でオハチ王の代から井戸を掘って灌漑田を開いてきました。下流では少し掘れば水が出ます。中流のここは砂の層が厚く、深く掘らないと水が出ないのが難点です。飲み水のためにはやむを得ぬにしても、灌漑のための井戸ということになると、潤う田の広さに比べ手間がかかり過ぎるでしょう」

 オオドは不満であったが、高向の水路の彼方に見ているものを説明しなければ師に自分の気持ちをわかってもらえるはずもなく、それ以上食い下がることはしなかった。まだ時機が早いと思ったからである。

 かたわらで話を聞いていた真佐手は、父が退いてから申し訳なさそうに言った。

「お許し下さい。父は昔からかたくなで、なかなか自分の考えを曲げないのです。王子のお志を知れば、あんな素っ気ないことを申し上げはすまいと思うのですが」

「真佐手、気にせずともよい。自分自身まだその時ではないと思っていたのだ。若い首長がいきなり水路を築くと言っても、里人はついて来ないだろう。いや、まともに受け取ることさえすまい。吾は当分の間、里人と共に天水田を開こうと思う。若者たちを集めてくれぬか」

ーー王子は大人になられた。

 オオドの前を辞去した沙白は、水路に賭ける熱意に、オオドの大きな望みを感じ取っていた。しかし、事を成すには時機と順序がある。それが先程沙白が難色を示した理由であった。振媛の依頼によりオオドの養育に当たってから、もう長い年月が経つ。内向きに傾きがちだった性質がほどよく思慮深さに変化し、善事をなそうとする情熱と王子の中でうまく釣り合っているようだ。

ーーいつの間に。あるいは尾治の姫君のお力が大きいのか。

 沙白は一人ほほえんだ。

 

 沙加手兄弟と三人で練られた天水田造成の方針は、次のようなものであった。

 まず天水田の位置は、黒龍川の氾濫の脅威が及びにくい高向の館の西から北西にかけてとする。近い将来、黒龍川から高向を貫く水路を掘った時、そのまま天水田を灌漑田に転ずることができるように設計する。新田の稲穂は、造成に携わった者たちで公平に分配する。造成の中心となる若者たちに技術を身に付けさせ、水路掘削の中心的役割を果たせるよう育ててゆく、等である。

 工事は土を盛って畦(あぜ)を造る作業と、田となる地面を掘り返し、石や根株を取り除いた後で均(なら)す作業が中心となる。地形によっては鋤(すき)と鍬(くわ)で掘り込む場合もある。鋤は櫂(かい)に似た形をしており、スコップのように使う。尾治の草香(くさか)王からは鉄製の鋤二十丁、鍬十丁が届けられていた。もちろん、目の子媛の知らせを受け、草香王がかねてからの約束を果たしたのである。オオドにとってこれほど嬉しい贈り物はなかった。

 造成は初冬近くに、まず雑木や枯れ草を焼き払うことから始められた。未造成の所も当面は焼き畑として耕作できるよう、予定の区域全体が焼かれた。年を越し雪が融けるのを待って工事が開始された。農繁期でも、田畑の耕作の合間を縫って工事は続けられる。沙加手は、真佐手によって集められた五十人ほどの若い里人たちにまず作業のねらいと要点を説明し、それから一つ一つの作業を進めていった。

 里人たちの中に、熱心さが一際目立つ若者がいた。若者はヨシヒトと呼ばれる浅黒い偉丈夫で、太い眉の下の目に真剣な色をたたえて、沙加手の説明をいつも一番間近で聞いていた。ある日、意を決したように、

「沙加手様、以前からお聞きしようと思っていたのですが、天水田の悩みは田植えの時期に水不足となる年があることです。植えた後ならともかく、苗代田の水が不足するとどうすることもできません。今造っている田も同じ心配をしなくてはいけないのではありませんか」

 と尋ねた。周りの若者たちが一瞬ざわめいた。うなずき合う者も多い。

 この頃既に、苗代で苗を一尺(約三十センチ)以上に育ててから本田へ植える農法が採られていた。直播(じかま)きは条件の悪い湿地の稲作でやむをえず行われることはあっても、より速く伸びる雑草に日射をさえぎられて稲の生育が妨げられるので、有利な方法とは言えなかった。

「雨水を溜める池を苗代田の横に掘るつもりでいる。いずれ水路が引かれたら大きくして流水を溜め、水量を加減することもできるだろう」

 沙加手の明快な答えに、ヨシヒトは相好を崩してうなずいた。

 ヨシヒトの土木技術に対する関心には並外れたものがあり、いつの間にか沙加手の助手のような役目を果たすようになっていた。技術者らしい一徹さと細かさを持っている沙加手の意図は、ヨシヒトを通して初めて十分に里人に伝えられたと言ってよい。若者たちのヨシヒトへの信望の厚さはオオドに強い印象を与えた。オオドの年を大きく上回るとは思えなかったが、好奇心に輝く大きな目が豊かな生活知と相俟(あいま)って、若者たちを引っ張っていくようであった。

 きれいに並んだ天水田が計画の達成を見たのは三年後で、高向の稲田の総面積は倍に広がっていた。最も根気を要したのは、掘り返した土から石を取り除く作業であった。翌年雨を待って里人総出の足踏みによる代(しろ)かきが行われ、新墾田(あらきだ)が緑に変わった。それは長い工事の期間、若者たちが思い浮かべては気力をかき立てた光景であった。そして秋、穂摘みが一とおり終わって行われた祭りで、高向の老若男女は大きな喜びに沸いた。しかしながら、天水田の宿命で、田植えの時期や収穫量がその年の雨に左右されることはやはり避けられなかった。

 

「この辺りにいたしましょう」

 黒龍川の流れを見ながら沙白が言った。取水口を定める一言だ。

 沙白の同意を得て、いよいよ念願の水路を掘る時が来たのである。オオドは二十二歳になっていた。今日は流路を定めることになり、館の主だった者とテヒトたちが川のほとりに集まっている。里の若者たちの顔もたくさん見える。

 氾濫で削り取られた自然堤防の断面が剥(む)き出しになり、草木の根が垂れ下がっているのがあちこちに見える。民家の周りに開かれた畑の稔りが秋を告げている。

 沙白は鳴鹿(なるか)の下の黒龍川の分流から水を引くことにした。幅七尺(約二百十センチ)、深さ四尺(約百二十センチ)で、長さは千尋(約千五百メートル)を超えると目算された。このくらいの水路でなければ、砂地に染み込む水が多くて十分な灌漑ができまいという沙白の予想であった。これだけの規模の水路を築くのは、沙白がまだ伽耶(かや)にいた若い頃、洛東江流域の灌漑工事に携わった時以来だという。工夫を要するのは水路の勾配(こうばい)である。分流から引き込んだ水が流れる十分な勾配を確保しながら、しかも労力を少なくするため最短距離で高向へ達する経路を選ばなければならない。

「この辺でよろしいですか」

 長木(ながき)を掲げたヨシヒトの背後には、高向の館の杜(もり)が見通せる。この目印の杜と取水口をつなぐ線上に基準点を示す大杭(おおぐい)が打たれ、大杭と大杭の間は縄で結ばれ、縄に沿って小さな杭で印がつけられてゆく。沙白は丘状の地形こそ迂回させたが、それ以外は極力直線経路を選ぶよう指図した。傾斜の方向が微妙な地点では、沙加手が浅い溝を穿(うが)ち、若者たちが運ぶ甕(かめ)や竹筒の水を流し向きを定めた。作業は数日続けられ、高向の新墾田(あらきだ)まで並んだ杭の列は、黒龍川から概ね北西に走った。最後の杭を打ち終わったとき、若者たちの顔に喜びと満足の表情が滲んだ。

「とうとうですな」と、真佐手がオオドの顔を見た。

「いや、いよいよと言うべきだろう。これからどれだけ皆に苦労してもらわねばならぬことか」

 オオドの言葉に続けて沙白も

「ともかく試掘をして水を流してみないことには何とも言えませぬ」と、厳しい表情を崩さない。

 

 翌日から試掘が始められた。幅二尺(約六十センチ)、深さ一尺(約三十センチ)の水路を掘り進んでゆく。たったこれだけの深さでも大石を抜かねばならぬ所が少なくなかった。鋤や鍬のほかに石の鶴嘴(つるはし)と梃子(てこ)が使われた。鋤が硬い大石に当たる手応えを感じる瞬間、さしもの若者たちも水路完成までの前途の程遠さにめまいを覚えることがあった。オオド自らも試掘の鋤鍬を握った。オオドは鍬が地を噛み、黒々とした土が起こされてくる時の手応えが好きであった。秋の冷気の中でしだいに汗ばむまで黙々と同じ動きを続けていると、鍬の音と目の前の黒い土以外は消え失せて、自分自身も土と化したような気がするのであった。額の汗をぬぐう手の彼方には高向の館の杜が鎮まっていた。

 その日は珍しく小春日和だった。試掘は半ばまで進んでいた。暖かい日差しを浴びながら、水路の端の枯れ草に腰を下ろしてめいめいが昼餉(ひるげ)をとっている。通常は朝晩の二食だが、激しい工事の間は別である。竹を割って作った容器の中身は、米、粟(あわ)の団子、里芋(さといも)とまちまちであるが、皆この時ばかりは楽しげである。若者たちに昼餉を運んできてそのまま一緒に食べている女たちの姿も多く、あちこちで高い声が響いている。腹が満ち足りて相撲を取り始める元気な若者たちもいる。

 目の子媛も今日は子供たちを連れて来ている。オオドの家族と真佐手兄弟の昼餉は、米の飯のほかに猪の干し肉、里芋と茸(きのこ)の塩煮が入っている。父と一緒に外で昼餉を食べられる子供たちは、ことのほか嬉しそうである。

 目の子媛は女たちの中にマナゴの姿を見つけた。養蚕を手伝いに館へよく来ている娘である。マナゴは、ヨシヒトに寄り添うように座って食べている。

「仲の良いことです。それも似合いの」と、目の子媛が言った。オオドも気がつき、

「ヨシヒトは妻(め)を娶ったのか」と声を掛けた。      

「妻と言えば言えるし、恋仲とも言えるし……」と、若者の一人が冷やかす。

 マナゴは色白の顔をほんのり赤らめた。頬のふくらみに愛敬(あいきょう)のある乙女である。

「すまぬ。ぶしつけなことを聞いた。真佐手にもそろそろ妻をなどと思っていたもので、つい……」

 オオドは話題をそらすのが上手くない。思いがけず話が飛び火した真佐手は、珍しくふくれっ面をしている。目の子媛がオオドをたしなめる。

 真佐手の妻と言えば、振媛やオオドが話を出しても当人はいっこうに関心を示さないのである。振媛にとっては我が子のように共に暮らしてきた若者であり、沙白の妻が早くに亡くなっているため、自分が本当の母代わりという気持ちもあって、妻を薦めるのにも熱心であった。真佐手は一応礼儀として話は聞くが、それ以上のことは拒絶するという態度であった。穏やかな真佐手がこのことに関してはかたくなにさえ見えた。以前に一度オオドが話したとき、笑って「振媛様のような方がいらっしゃったら」と言ったことがあった。オオドは「また話をはぐらかして」と思ったが、目の子媛が二十歳を超え、続いて自分が二十歳を超え、改めて振媛を見ると、母は自分たちとほとんど変わらない若々しさである。昔と変わらず美しいのである。目の子媛の美しさが人の心を落ち着かせる美しさであるのに対して、振媛の美しさは強い光を放つ美しさであった。近頃では「真佐手はひょっとして母を」と思うことがある。

「土を運ぶにはたくさんの竹籠(たけご)がいりましょうな」という、ヨシヒトの声が聞こえた。

「本掘にかかるのは来年のことになりましょうが、今度は里人は総出で働きましょう。土を底から上げる竹籠は、女子供も持てる小さめで口の広いものがよいかと存じます。籠づくりは年の劫(こう)で、我らの親たちの方が長(た)けております。雪の深いうちにせっせと作ってもらいましょう。それから、土漏れを防ぐ籠の底の敷物もあった方がいいですね」

「それは、私どもが葦(よし)で編みましょう」と、傍らのマナゴが涼やかな声で言った。

 オオドは、この若者の先を見通す目と研究熱心さには、いつも感心させられた。

「よろしく頼む。ところでヨシヒトは、水路掘りのような先の程遠い仕事で疲れを覚えることはないのか」

「私は夢を見ております。天水田を一緒に開いてきた若い者たちも皆同じ気持ちでしょう。年寄りたちの中には灌漑田に期待ができぬと言う者も確かにおります。しかし、黒龍川の近くに住み、荒れ狂う濁流と夕映えに輝く流れの二つの顔を見続けてきた私は、いつか坂中井の平(たいら)が稲田に変わる夢を見ているのです。疲れて泥のように眠っても、朝起きて鋤で土を起こす時には、夢が真(まこと)に変わると信じられるのです」

 オオドの心を打ったこの言葉は、ひそかな決意の実現を飛躍的に加速させる力があった。

 

 それから四年後の春、高向の水路は豊かな水を湛えて流れていた。

 試掘から本掘までは多くの困難が伴い、経路の変更も必要だった。容赦ない日射しに渇く日も刺す風に震える日もある長い工事の間、オオドは高向の人々を粘り強く鼓舞し続けた。襟首まで日に焼けた顔からは童子の面影はすっかり消えていた。あご髭をたくわえ、見る者がまずそこに強い意志と忍耐力を読み取る、彫り深い大人の顔立ちへと変わっていた。

 工事は曲折を経ながら、勾配が緩やかで流れの滞りそうな地点では水路の幅を広くして断面を大きくとるという沙白の工夫で、丸木舟も通れる水路がやっと完成したのである。ヨシヒトの言ったとおり、本掘とため池の拡張には高向の老若男女が総出で働いたことが大きな力になった。年寄りたちの編んだ竹籠が土砂の排出に威力を発揮したことは、言うまでもない。増水時に備える新たなため池も設けられた。取水口とため池の口、そして灌漑田の各取り入れ口には堰(せき)が設けられ、田と田は水口でつながれた。こちらの工事は天水田を造るとき十分計画がなされていたので、さしたる困難はなかった。

 最初に丸木舟で水路を通ったのは、后を伴って祝いに来たツヌムシ王であった。振媛とオオドも同乗した丸木舟は、里人がにこやかに見守る中を黒龍川までゆっくりと遡っていった。舟の描く波紋のきらめきに春が満ちていた。この年オオドは二十六歳であった。

「そなたを誇りに思う」とツヌムシ王は言った。

「そのお言葉を高向のすべての里人に代わってお受けいたします」と、オオドは拝礼した。

 舟が館へ戻って来てからも、王は興奮を隠さず上機嫌であった。豊かな稔りを神に祈った後、水路を「瑞穂(みずほ)の堀江」と名付けて王は帰っていった。

 秋の収穫を終わってから、高向の館では少し遅い水路完成の祝宴が開かれた。毛皮の敷物に座って、山海の幸を肴に労をねぎらう噛(か)み酒が酌み交わされる。もう夜になると幾分寒いぐらいであるが、酔いに加えて、収穫の安堵と重なる水路完成の喜びが蘇って皆の心を熱くしていた。

「地中から大石が姿を現わす度に皆のため息が聞こえ、どうなることかと思いましたぞ」

 ヨシヒトの声も今宵は一段と大きく明るい。主だった若者たちと村の長(おさ)が里人を代表して席に連なっていた。

ーーヨシヒトでも、そんな弱気になることがあったのか。

 と、オオドは意外な思いで聞いていた。改めて成し遂げた事業の大きさが実感された。

「石をかう前に梃子(てこ)が折れるのではないかと冷や冷やしたことが、何度もありましたな」

 と、沙加手が続ける。

「大した怪我人もなく瑞穂の堀江を開けたのは、何より嬉しいことだ。これもすべて皆の力、改めて礼を申す」

 オオドは頭を下げた。

「瑞穂の堀江とは、まことに縁起の良い名を王はお付け下された。灌漑田のお陰で高向の民もやっと横山や女形谷並みの暮らしができます。お礼を申し上げるのは、こちらの方でございます」と、長(おさ)が謝意を述べた。

「吾の力など小さなもの。我が師をはじめ沙加手たちテヒトの規矩術(きくじゅつ)があったればこその今宵の祝い事じゃ」とオオドが心からねぎらうと、振媛も、

「オオドの子供の頃よりこれまで本当にご苦労でした。私からも礼を言います。王のお供をして舟で堀江を遡った時、黒龍川までの見慣れた高向の景色がどこか違って見えました。松岡とつながり、これから高向は益々変わるのでしょうね」と、祝い事にオオドの成長を重ねてか、感慨深げである。

 宴がしばらく続いてから、オオドは一同に自分の旅の計画を伝えた。

「吾は収穫の祭りを終えたら、倭(やまと)へ行こうと考えている。近江の三尾郷(みおざと)の者の話によれば、十年ほど前に即位した倭のワカタケル王(雄略)は、大王を称して周辺の国々に服従を強いているそうだ。兄たちを殺(あや)めて王となったワカタケルは、混乱に乗じて古くから倭の協力者であった葛城(かづらき)氏の宗家の玉田円(たまだのつぶら)の館を囲み、一族を焼き殺してしまった。また吉備の下道(しもつみち)氏の前津屋(さきつや)王を物部氏の兵士を送って攻め滅ぼさせたとも聞く。元々倭と吉備とは盟友の間柄であったのに、おそらくは瀬戸の内つ海の航路支配を狙ってのことであろう。尾治と結んでいる越にすぐに災いが及ぶことはあるまいが、これからは越一国だけでは立ちゆかぬようになるかも知れぬ」

「突然のお話。そのような倭に足を踏み入れるのは、危のうございませんか」

 灯りに照らし出された目の子媛の顔が曇る。

「武人を連れて行く。吾は三国の首長の一人に過ぎぬのだ。用心するから、心配はいらぬ」

「王になる前にそなたが倭を見ておくのはよいことです。もうすっかり昔のことになってしまいましたが、私が暮らして朝夕に見た倭のにぎわいは格別でした。忍坂(おしさか)にある息長(おきなが)の館を訪ねるとよいでしょう」と、振媛は賛成した。

「すでに真佐手が、近江の三尾の別業(なりどころ)と和邇(わに)氏に使いを送っています」

「三尾郷(みおざと)を通って行くのですね、懐かしいこと。そう、三尾郷の三尾川を遡った山の中に八淵(やつぶち)の滝があります。母が彦主人の大君に嫁いですぐ案内していただいた場所です。美しい滝でした」

 振媛の目は遠くを見るようで、亡き夫の顔を思い浮かべているに違いなかった。

「ヨシヒトも吾の供をして倭へ行かぬか」と、オオドは耳をそばだてて聞いている若者の顔を見た。

「是非ともお供を」

ヨシヒトは予想どおり目を輝かせた。

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