四年振りのおめでとう

葵月詞菜

第1話 四年振りのおめでとう


「ミーカーちゃーん!!」


 寝転がってヘッドホンで音楽を聴きながらだらだらしていると、元気な声と共に部屋の襖がスパーンと開かれた。

 振り向かずとも誰が来たのかは分かっていたので、滝谷弥鷹たきやみたかは背中を向けたまま問うた。


「どうしたんだ、ナギ」

「小学校に行こう!」

「ああ?」


 幼馴染の立花凪穂たちばななぎほが弥鷹のヘッドホンを雑に取り上げて、腰に手をあてた仁王立ちでこちらを見下ろした。

 彼女は幼稚園から小学校まで元同じマンションのお隣さんだった幼馴染だ。中学の時に親の転勤でよその土地に移り、高校進学を機にこの町に戻って来た弥鷹とは高校で再会した。

 見かけはともかく性格はほとんど昔から変わっておらず、弥鷹への接し方も三年の月日を微塵も感じさせないものだった。

 そう、今日もまた昔のように「ミーカーちゃーん!」と勝手に弥鷹の部屋まで上がって来た。階下には餅屋を営む祖父母がいるはずだが、彼女はすでに顔パスの域にいる。

 しかし先程凪穂は何と言ったか。どこに行こうって?


「小学校って聞こえた気がしたんだけど、俺の気のせいか?」

「気のせいじゃないよ。小学校で合ってる」


 気のせいじゃなかった。弥鷹は小首を傾げた。


「……何で?」

「ミカちゃん、小学四年生の時、タイムカプセル埋めたの覚えてる?」

「あー、何か覚えがあるような」

「あれ、裏庭のイチョウの木の根元に埋めたでしょ。でもこの夏、大掛かりな耐震工事で裏庭が資材置き場になるんだって。イチョウの木は古くて立派だから出来る限り残す方向らしいけど、タイムカプセルはそう簡単に掘り出せなくなるかもしれないからって春休みに掘り起こすことになったの」


 当時の担任から連絡を受けた凪穂や元同級生たちは、高校入学前に集まって皆で掘り返したらしい。

 そしてその時、引っ越しで音信不通になっていた弥鷹や、その他諸事情で行けなかった者たちのタイムカプセルの中身――確か未来の自分に向けての手紙だったように思う――は、ひとまず先生が預かってくれているという。


「ナギは取りに行ったんだろ?」

「うん」

「なら別に行かなくて良くね? 俺はそこまで気にならないし」


 むしろ小学生の自分が未来の自分に向けて何を書いていたのか考えるのが怖い。そして何より面倒くさい。このまま先生が勝手に処分してくれないかな、と思う。


「ダメだよ! ミカちゃんは気にならなくても私が気になる!」

「何でだよ」

「小学生の時のミカちゃんって明るくて誰とでも仲良い人気者だったじゃん。そんなミカちゃんが今のミカちゃんに何のメッセージを残してるのか、気にならないわけがないでしょ!」

「いや、全然気にならない。俺は昔の俺のメッセージなんて気にしない」


 どんなメッセージを受け取ろうが、今の弥鷹は変わらないし、変わるつもりもない。

 だいたいなぜそんなに凪穂が楽しみにしているのかが心底分からない。


「それに三池先生、ミカちゃんに会えるのを楽しみにしてると思うなあ」

「そうかあ? 俺はわざわざ会いに行こうとは思わないけど……」


 別に三池先生が苦手だとか嫌いだとかそういうわけではないが、どこか面映ゆい気持ちがあって進んで行きたいとは思えなかった。


「どうせミカちゃん暇してるんでしょ。だったら行こうよ。私もまた先生に会いたいし」


 先生に会いたいなら一人で行けばいいのに、と思ったが口には出さずにおく。こうして凪穂が弥鷹の部屋にまでやって来た時点で、弥鷹が小学校に向かうことはほぼ決定事項と言えた。昔からこうなのだ。諦めた方が賢明だろう。


「……分かった。行こう」


 弥鷹は気怠く返事をして、のろのろと立ち上がった。




 卒業してから四年振りの小学校だ。中学、高校の校舎と比べると小学校の校舎はどこかこじんまりとして見え、校庭の遊具がすでに懐かしい。よく外で遊んだっけ。

 今日は休みだが、解放された校庭ではちらほらと遊ぶ子どもたちの姿があった。

 気が利く凪穂は先に連絡を済ませており、戸惑う弥鷹の腕を引っ張って堂々と校門を潜り、来客用の入り口に向かった。

 その入り口の前に、もう三十路をとっくに過ぎた三池先生が笑顔で立って待っていた。少し記憶の中の姿よりもふっくらとしている。


「まあ滝谷君! 久しぶり。立花さんも春休み以来ね」

「御無沙汰してます、先生」

「春休みぶりです!」


 弥鷹と凪穂が挨拶をすると、三池先生は頬を緩めて「あなたたち二人は昔の雰囲気のままねえ」と懐かしそうに笑った。

 三池先生は用意していたのだろう紙袋を手に、弥鷹と凪穂を裏庭のベンチへと連れて行った。

 今日は日差しが暖かく、吹き抜ける風は爽やかで心地よい。


「こんな所でごめんなさいね」

「いえ、大丈夫です」


 申し訳なさそうに言う三池先生に、弥鷹たちはそろって首を横に振った。

 

「で、これが滝谷君の」


 三池先生はベンチに腰掛けるなり紙袋から長方形の缶を取り出し、その中から一通のベージュ色の封筒を取り出して弥鷹に差し出した。

 やはりタイムカプセルに入れたものは手紙だったらしい。

 弥鷹は曖昧に笑いながらそれを受け取り、暫くじっと見つめた。表面に、拙い字で『未来のぼくへ』と書かれている。

 このまま開封せずに持ち帰りたい気分だったのだが、隣からの凪穂の興味津々な視線に負けて封を開けた。

(だから何でそんなわくわくした顔をしてるんだ)


『未来のぼくへ。元気にしていますか。友達とは仲良くしていますか。勉強がんばっていますか。今のぼくもがんばっているので未来のぼくもがんばってください。たき谷みたか』


「わあ、質問ばっかだね!」


 横から覗き込んでいた凪穂が、弥鷹が思ったことを代弁してくれた。


「ちなみにその答えは?」

「――まあ、そこそこ元気だな。友達と仲良く……まあ、そこそこ。勉強も……ぼちぼち。頑張ってと言われても……何を頑張れと?」


 幼い過去の自分からの質問に弥鷹が順に答えていくのを聞いて、三池先生が苦笑する。


「高校生になった滝谷君はすっかり落ち着いた感じねえ。昔はもう少しやんちゃだったような気がするんだけど」

「そうですか? 俺あんまり覚えてなくて」

「そうだよ! 小学生の時のミカちゃんってもっと明るくて、ホントに誰とでも仲良くできる子だったよ。一人でいる子もちゃんと見てて、ちょっとした声掛けとかしてて」

「……まあ確かに、今よりはずっと社交的だったような気はする」


 凪穂がうんうんと頷くのを見ながら、弥鷹は複雑な表情でいた。

 転校して中学に上がった頃はまだ小学校の時のまま誰とでも仲良くしていたような気がするが、いつからか周りにいる友達は限られ、自分からは外に声をかけていかなくなった。

 もちろん、何かの授業やちょっとしたことで関わる人たちには良好な態度を持って接する努力はしていたけれど。

(別に今はそれで十分だしな)

 小学校の頃の少ないクラスと人数の中で過ごす環境が特別だったのかもしれない。あの頃の規模が、弥鷹にとって『みんなと仲良くできる』限度だったのだろう。それに、やはり人には合う合わないもある。


「そういう立花さんは小学生の頃と変わらないわね」

「え!」


 三池先生が口元に手をあてて笑うなり、凪穂は一瞬ギクリとした顔でちらりと弥鷹を見た。弥鷹は口の端で笑って、固まる凪穂に構わず口を開いた。


「先生、こいつ今はもう元に戻ってますけど、ちょっと最近までは高校デビュー真っ盛りだったんですよ。髪はゆるふわでリボンつけて、薄化粧にスカートの丈も信じられないほど短くて……」

「ミカちゃんー!!」

「あら、そうなの?」


 三池先生が目を丸くして凪穂をじっと見つめる。凪穂は頬を赤くして俯いた。


「……ちょっと色々ありまして」


 彼女は少し前まで、小中と同じだった同級生と付き合っていた。話に聞いたところによると、弥鷹が転校した後に付き合い始めたらしい。

 この彼が小学生の時は大人しい男子だったのに、中学でバスケ部に入ってから背も伸びて垢抜け、今ではイケメンで女子にモテモテな男子になっていた。

 凪穂は彼に釣り合うようにと思い切って高校デビューを決心し、オシャレでかわいい女子高生を目指していたらしいのだが、早くもその限界を感じだした頃に彼と別れることになった。その件には弥鷹も少しだけ関わったのだが、それはまた別の話だ。

 弥鷹が彼女と再会した時にはすぐに凪穂だと気付かなかった。だが今は、彼女のお気に入りのおさげ髪に、化粧っ気のない顔、スカートは膝丈、と弥鷹が良く知る以前の凪穂に戻っていた。彼女もその姿に戻ってからどこか安心したような表情をしていた。


「ふふ。そう、二人とも小学校を卒業してから色々なことがあったのね」


 三池先生は目を細めて弥鷹たちを見つめ、ふっと空を見上げた。晴れ渡った空には、うっすらと飛行機雲がにじんでいた。


「きっとこれからももっと様々な経験を積んで、大人になっていくんでしょうね」


 三池先生が視線を戻し、改まった顔で二人を見た。


「二人とも、覚えてるかしら? 私、あなたたちの卒業式の頃出産を間近に控えていて、式に出席できなかったのよ」


 そうだっただろうか。弥鷹が当時の記憶を引っ張り出している横で、凪穂は覚えていたらしく頷いていた。


「先生、祝電くれましたよね」

「ええ。立花さんはよく覚えてるわね」

「……覚えてなくてすいません」


 思わず謝った弥鷹に三池先生は「ううん、気にしないで」と手を振った。


「何となく、今改めて言いたくなったの。もう中学も卒業して高校生になったあなたたちだけど」


 三池先生の真っ直ぐな瞳に、自然と弥鷹の背筋が伸びた。凪穂も隣で同じだった。


「卒業おめでとう。それから、高校入学おめでとう。これからもたくさんの経験を経て、素敵な大人になってね」


 四年振りにもらった、お祝いの言葉。

 三池先生の微笑みを見て、弥鷹はふと彼女が担任だった頃の笑みと同じだと思い出した。


「はい」


 弥鷹と凪穂は小学生の頃のように、口を揃えてしっかりと返事をした。

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