「おめでとう」
囲会多マッキー
第1話
「おめでとう」言うことは滅多にない言葉である。誕生日などの祝い事の時にしか言わない言葉ではないか。誕生日以外で言うことは滅多にない。
実際、誕生日以外で私が言った「おめでとう」は二桁に届くかわからない。学校の式典や、入学式、卒業式位でしか言ったことがないからだ。
「おめでとう」を言う回数は年齢を増す事に増えるだろう。何故なら、歳を増すごとに結婚式などに行くことが増えるからだ。
さて、せっかくカクヨムさんが間違えてくれた「ありがとう」はどうだろうか。私も最初は、「ありがとう」だと思い込んでいた。そして、訂正のメールが届いたことによって気づいたのだが、「これ、ネタ作ってくれたじゃん」と思ってしまった。
「ありがとう」これは小さい頃の方が良く言うのではないか。私は年齢を増す事に言うことが減っているような気がする。「サンキュー」などを数えるとすれば、大して変わらないのかもしれないが「ありがとう」自体は減っているのではないだろうか。
「ありがとう」と「おめでとう」は、意外と似ているような気がする。濁点の位置や「とう」がつくこと。似ているが、用途は全く異なる。探せば他にも沢山あるのだろうが、今はどうでも良いことだ。
逆に、「ごめんなさい」はどうだろうか。これこそ、回数が少なくなるだろう。「すみません」の方が丁寧であると教えられたことがある。確かに「ごめんなさい」より、「すみません」の方が落ち着いた印象を持つ。他にも沢山あり、習ったばかりだが全て覚えるのは不可能だった。
この3つに共通点を持たせるならば、「挨拶」の一種ということだろう。「それは共通点ではない」と言われても「ならば、他のものを教えてください」としか言い様がない。
「挨拶」は年齢が上がる事に必要性が増してくる。特に私の通っている学校だと、後援会企業の方が沢山来るのだ。しばらく前になるが、とある会社の人事担当の方の公演を聞いた。
その時に、「1年生の時に一度しか会っていなくても、挨拶してくれた人って面接の時に覚えているものなんです」と話していた。
私は挨拶というものを勘違いしていたのかもしれない。挨拶は、礼儀の1つだと思っていた。もちろん、これもひとつの正解だろう。しかし、企業からしてみれば挨拶はその人の試験材料のひとつであるのだ。
いくら学生時代に勉強をしても、それだけで仕事が出来る訳では無い。新しく覚えなければならないことだって山ほどある。中学から高校に行く時でさえ色々と覚えなければならないことがあったのだから、仕事を続けている人はもっと凄い。
「東大出身者は仕事が出来ない」意外と言われていることだ。どんなに勉強が出来ても、一般の⋯⋯しかも工業に携わることになれば勉強してきたことがほとんど意味の無いことになりかねない。特に、文系になれば全く意味が無いだろう。事務仕事などには役立つかもしれないが、現場では一切役に立たない。
さて、関係ない話もあったが、私も挨拶の回数を1つでも多くしよう。春から入学などをする新入生の方々、「おめでとう!」
新入社員などの方は、私からは言えない。何故ならまだそれまでの苦労を知らないから⋯⋯。
「おめでとう」 囲会多マッキー @makky20030217
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