第31話



 最初の攻撃を、純夏は躊躇わなかった。初撃を逆手にカウンターを喰らうことや、相手の野太い腕に捕らえられることを恐怖することもしなかった。

 ただ真っ直ぐに懐へと飛び込み、拳を叩き込む。すべきことはそれだけだ。

「……!」

 ファニー・ジョーは反撃を行うことも無く、上方へ飛び上がって攻撃を回避した。彼はそのまま上空で廃工場の壁に蹴りを放ち、コンクリートに突き立った脚を軸にして、身体を空中に固定した。

 敵の回避は予想通りのことだった。

 たった今、この道化師は右腕を潰されている。痛みによる支障は恐らく無いのだろうが——それでも重要な武器を一つ失ったこの状態ならば、彼は無闇に反撃に出られない。

 何故ならこの執行人にとって、純夏の攻撃はまるで予想の埒外だからだ。

 彼にとって、純夏とは「正体不明の症状に侵されただけの少女」に過ぎない。ただの石ころよりは警戒していただろうが、ママルがただの人間を脅威として見ていたはずもない。

 だが今、彼女が現実に行ったのは、人間の範疇を明らかに逸脱した猛攻だった。

 異常なのは、速度と力の両方だ。

 まず、純夏が敵へ突撃した速度は、ファニー・ジョーをして「正体も分からぬままに受けて良い保証が無い」と思わしめるものだった。

 さらに、そこに加わっていた力も同様である。彼女がさっきまで立っていた地点のアスファルトは突撃の発射台にされた際の衝撃で大きく凹み、ひび割れていた。

 人間ではあり得ない、明らかに生物の地力というものを超越した攻撃。無論、純夏一人に出来る芸当ではない。これは彼女の身を包む外殻の力が最大限に引き出された結果、発露した「力」だった。

「使いこなしているのか——その『身体』を!」

 やけに愉悦を感じさせる口調で言ったファニー・ジョーの言葉は、しかし間違いだった。

 純夏はこの「力」を使いこなしてなどいない。彼女の絶対の意思の下、この外殻を動かしている訳ではない。事実を述べるならば、外殻は未だ勝手に動いている、、、、、、、、だけだ。

 ただその動きの方向が、これ以上なく純夏の意思と一致している。

 彼女が戦いを望むように、外殻は戦いに特化した変容をし——彼女が勝利を望むように、外殻は勝利の為に全力で動いていた。

 ただの人がママルと競り合うというこのひと時の奇跡は、純夏が力を使いこなし「超人」となったが故ではない。「目の前の敵に打ち勝ちたい」という彼女の意思と、その意思に応えた彼女を覆う「力」との連携が引き起こしたものだ。

 ——そして、この「奇跡」は一瞬で終わるほど非現実的な現象ではない。

「ハッ——面白え!」

 満面の喜色を浮かべ、ファニー・ジョーは無事な左腕を振りかぶったかと思うと、彼が"足場"とする壁にその拳を叩きつけた。所詮は老朽化したコンクリートである。その衝撃には耐えられず、たちまち人一人を生き埋めにして足るほどの瓦礫の崩落を引き起こした。

「来いよ——俺を愉しませろ、お嬢ちゃん!」

 自らの手で足場を崩壊させたファニー・ジョーは、近くの手頃なパイプ管に飛び移り、そして叫んだ。

 それを聞きながら、純夏は両脚を使って高く跳躍した。崩落を厭うこともなく、どころか逆に降ってくる瓦礫を蹴り上げ、敵へと撃ち込んでいく。

 とはいえ相手は掛け値無しの「怪物」。パイプ管に掴まったまま、曲芸師さながらに瓦礫を避けるのは訳ないことだった。さらにファニー・ジョーはひときわ大きなコンクリート片を一つキャッチすると、ポールダンサーのように身体を軸ごと回転させ、その勢いを加算した凄まじい力で投げ返してきた。

 純夏がその投擲を見て取るや——彼女の外殻が反応する。

 一つのモノが「線」となり、それ単体でとぐろを巻いているならば、そこには必ず"先端"が存在する。この場合、純夏の身体を守る鎧の先端は硬く鋭い切っ先、、、となっていた。

 左腕を守る螺旋状の鎧が、形はそのままに肥大化する。"切っ先"はそれによって紛れも無い"剣"に性質を変え、吸い込まれるように瓦礫に衝突し——途端、コンクリートの塊を貫き、四散させた。

 さらに外殻の形状変化は、それに留まらなかった。

 瓦礫を破壊した"剣"は、瞬く間に十メートルほどの長さに変化し、ファニー・ジョーが足場とするパイプ管へその先端を伸ばすと、中央部分に正確に巻き付いた。

 その状態のまま、次に起こったのは凄まじい速度での収縮。外殻の基礎たる純夏はそれに引っ張られ、敵の居る方へと方向を転換し、右腕の"剣"を構えてただ真っ直ぐに突撃していく。——ただ真っ直ぐに。

「愚直が過ぎるんじゃねえか、それは!」

 ファニー・ジョーは、彼我の距離が一メートル以内にまで縮まったその瞬間に、強烈な足蹴りを放った。狙うは胴体。外殻に守られていない、かつ人間の急所たる部位である。そこに彼の蹴りが入れば、まず命は無い。

「——!」

 ——が、息を呑むような驚愕は執行人のものだった。

 蹴りは純夏の腹部に到達する前に、その勢いを殺され押し止められていた。——というのも、四肢を守るそれぞれの鎧が形状を変え、蹴りの叩き込まれる位置に四枚重なった盾を形成していたのだ。一点集中の防御はその衝撃を殺し切り、彼女の身体を完全に保護していた。

 そして攻撃の準備をしていたのは、ファニー・ジョーばかりでは無い。

 純夏が構えた右腕の"剣"。その姿勢は同じままに、彼女は今、敵の懐に迫っている。

 間合いは最適。そして敵は攻撃に失敗した。それは取りも直さず、決定的な隙の露呈である。

 かくして——その剣先は、何にも阻まれる事なくファニー・ジョーの身体を貫いた。

「ぐッ——!」

 それはかの道化師が——ひいてはママルという化け物が初めて漏らした、紛れも無い苦悶の声だった。

 純夏の剣は、結果的に敵の右肩を削り取るに留まった。怪物たるファニー・ジョーの身体能力は伊達ではなく、この直近の間合いからの攻撃すらも寸前で身を捩り、急所への直撃を回避していた。

 しかしそれでもダメージはダメージ。血を流した執行人はパイプ管から跳躍すると、やや純夏から距離をとった地点に着地した。

 それぞれが頼みとする「武器」の相性——"剣は拳よりも強し"という近接戦闘の大原則こそが、ファニー・ジョーに対して接近戦が有効である何よりの根拠だった。

 あの執行人の武器は、その屈強な肉体から繰り出される拳や脚——つまりは生身の肉体だ。対して純夏が持つのは、外殻が変容し作り出された鋭利な「剣」。

 通常であれば、執行人を相手に刃物など用意しても意味はない。とりわけママルの特殊な肉体は、鉄の刃すらも通さないほど強固なものだ。だからこそ、彼らの肉体を根本から分解する乾燥銃ドライガンが重宝されるのだ。

 しかし、いま純夏が持ち合わせる刃は、元を辿ればママルの肉体を由来としたモノだ。ならばそれが、同じママルの肉体に通じる公算は高い。——であれば、優位を確保した上で、ファニー・ジョーと正面切って戦うことが可能になる。ろくに喧嘩もしたことのないはずの純夏が、戦いが始まろうというその時には、もうそんな結論を出していた。

 もちろん本来ならば、喧嘩もしたことのない純夏に、それだけ正確な状況判断を出来るはずがない。

 実際、彼女が判断の基準にしていた感覚は思考というより直感に近いものだった。純夏自身が無意識のうちに取るべき行動を取り、勝利への最短の道を選んでいる——これもまた、純夏と外殻とが直結しシンクロしているが故の現象とだった。

 ——が、敵もやはり敵である。

「は——ハッハッハッハッハッ!」

 相性、間合い、隙——あらゆる有利な要素を合算して突きつけた先の攻撃すら回避された。この怪人を前にはいかに優位な状況を揃えようとも、一撃のもとに葬るのは無理が残る話だった。

「良いぞ!この高揚、この興奮!戦いはやはり、痛み無しには楽しめない!」

 即ち、この執行人との戦いはまだ続く。

 傷を受け引き下がりながらもなお哄笑する化け物は、未だ消えてはくれない。

 しかし、もし敵より先に純夏が倒れれば総司は死ぬのだ。ほぼ間違いなく。

「————」

 ファニー・ジョーが膝を曲げる。その脚を地面に踏み込み、戦闘の体勢を組み立てる。

 純夏は迷わずそれに応えた。両脚の鎧が変形し、より隙間なく純夏の脚に絡みつく。外部的手段で内側の肉体を守るというより、外殻と純夏の身体が完全に一体になったような様子だった。

 ——そうして再びの激突は、音もなく再開した。

 互いに速度は同等。しかし拳を出すのはファニー・ジョーの方が早かった。突き出された鉄拳を、純夏は右腕の鎧で防御する。

 次いで執行人は腰を捻り、回し蹴りの体勢に移行する。その動作には反撃を講じられるだけの隙が無く、遠心力を加えた強烈な蹴りは何にも拒まれることなく放たれた。

 しかし攻撃による反撃は出来なくとも、敵が体勢を変える間、純夏にも同じことをするだけの時間があった。

 純夏は思い切り背を反り、繰り出された蹴りを後方へと回避した。さらにはそのままの姿勢で地面に手をつき、下半身を僅かに持ち上げると、二本の脚を連続で使い、空を切ったファニー・ジョーの野太い脚を全力で蹴り上げた。

「ん!?」

 喜色の道化師が驚嘆の声を漏らす。

 恐らくは、刃を携えた両腕による攻撃以外は警戒する価値もないとタカを括っていたのだろう。事実、下半身の鎧は包帯のように純夏の脚に巻きつき、とても敵の身体を切り裂く事など叶わない状態である。

 だが、純夏の両脚は攻撃の手段を失った訳ではない。むしろ逆だ。彼女の下半身に施されたのは、まさしく外殻による「補強」であった。

 ファニー・ジョーと比べてしまえば、純夏の肉体はなるほど虚弱である。しかしそこに今、強固さで敵を上回る外殻がほぼ完全に一体化しているのだ。彼女の脚は、外殻の「硬さ」と「強さ」を一切の無駄ない形で手に入れていた。

 ——かくして、そこから放たれた「蹴り」を二発連続で食らった右脚はあらぬ方向へと折れ曲がっていた。人間であれば立つ事も出来ない重症である。

「はぁッ!」

 漲る気合いに押し出された掛け声と共に、純夏はさらに連蹴りを叩きつける。ファニー・ジョーが無事な左脚を動かし後ろへ退がるまでの一秒間、直撃は追加で二発。その右脚は三方向にも折れ曲がり、脚として機能はほぼ保たれていなかった。

 片足の一跳びで十歩ほどの間をとり後退したファニー・ジョーは、しかし直立姿勢すら保てずに、アスファルトの上に跪く形となった。破壊された右腕右脚は重力のまま垂れ下がり、恐らくはもう、敵はあの場から移動もできない。

 そうと見れば、純夏の行動は早かった。敵は大きな回避もできず、反撃に使えるのは片腕のみ。ならばもはや、直線的な特攻で事足りる。

 逆立ちの体勢から地に足をつけると、純夏は右腕に"剣"を構え、一直線に踏み出した。切っ先は正確にファニー・ジョーの頭部に向き、およそ人間では考えられない速度で突撃していく。

 そして刃はその鋭さの揺るぎないままに、執行人の肉体に突き刺さり——、

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