第24話


 話を聞き終えた総司は表情一つ変えずに、ただその右手を額に当て、項垂れていた。

「執行人の、血……あの狩宮の変化が、本当にそんなもののせいなのか?」

「繰り返すが根拠はない。調べようも無いからね。ただ『嬢ちゃんの傷口付近に執行人ヤツらの血が付いていた』ことは事実だ」

「だとしても、前例が無い。今まで人間が執行人に変化するなんてことは一度も無かったはずだ」

「それこそ分かってるだろ。前例なんてあるはずが無い。ママルが血を流すなんて事態が、今までにあったのか?」

 そう身も蓋もない言い方をされては、総司も黙り込むしか無かった。事実と言うならば、幼稚園の玄関先で鉢合わせたヘイデンが傷を負っていたのも事実なのだ。

 ママルはいわば、この世で最も確実な殺人兵器だ。現れたならば確実に人は死ぬし、彼らを排除することも現段階ではほぼ不可能だ。

 例えば今まで、奇跡的にママルに傷を負わせその血を浴びた人間がいたとして——その人間は、しかし死ぬ。ママルとはそのため、、、、に現れ、確実にそれ、、を遂行し消えていく存在なのだから。

 つまり純夏のように、ママルに傷を負わせ生き残ったというのは、本当に稀有で前代未聞の例なのだ。前例が無い、、、、、などという否定は通らない。

「あいつは……これからどうなる?」

 総司は顔を伏せたまま尋ねた。

「零はどう言ってるんだ?」

「彼女の肉体が執行人のものであり、他者を攻撃するならば、妥当な判断として処分すべき——と」

 すらすらと、渡された原稿を読み上げるようにベネッドは答える。いや、実際にそうなのだろう。彼女は零から回ってきた通達を読み上げただけで、実際はそんな事を口にもしたく無かったはずだ。

 そして総司は、そんな回答を受けても声を荒げることさえしなかった。

 さもありなん、だ。とうに彼の頭の中でも予測出来ていた答えなのだから、反駁のしようがない。この場での「妥当な判断」は、残酷なほど想像に難くなかった。

「あいつは、何も悪くない」

「ああ、何も悪くない。今までこの町で執行人に殺された人間の、皆がそうだ」

 せめてもの冷たい反論に、ベネッドもまた冷たく返す。この場で気休めの慰めを口にすることに、一切の意味が無いと両者が悟っていた。

 最初にベネッドが言っていた通りだ。これは「悪いニュース」。相談では無く報告に近い。ここで何を言おうと、状況は動かないからこその「ニュース」なのだ。

「それが、『体の方』か。——ならもう一つの悪いニュースは何なんだ?」

「ああ……『精神こころの方』。これは、ニュースって言うより愚痴みたいなものなんだが」

 ベネッドは二本目の煙草をポケットから取り出し、火をつける。雨で湿気っているせいだろう、ライターの点火に何度か失敗していた。

「——昏睡した嬢ちゃんの身柄を預かっている状況だから、まあ、保護者に断っておくのは筋だろう?彼女の家を訪ねて来たんだが……」

「だが?何だよ」

 歯切れの悪い言い方に俄かな苛立ちを覚え、総司は強めの語調で先を促した。

「胸糞悪い話を、聞いた。……嬢ちゃんは今、祖父母の家に引き取られて生活してるんだが、それは知ってたか?」

 総司は頷く。直接そういう家族構成を聞いた覚えはないが、会話の節々で、純夏は自分の保護者のことを「お爺ちゃん」「お婆ちゃん」と表現していた。

「あの家、おかしいよ」

「おかしい?」

 にべもない言い方に、総司は眉を顰める。ベネッドはそんな様子をさして気にする風でもなく、話を続けた。

「思えば、前々からそんな感じではあったんだけど。——ほんの二週間前、嬢ちゃんの特務局入りの申請のためにあの家を訪ねた事があってね」

 普通、大切な孫娘が特務局などに入ろうとすれば、全力で止めるのが親心というものだろう。この町に長く住んでいる人間ならば、システムがどういう存在なのか嫌という程に理解している。

 にも関わらず、ベネッドの話では、彼らは二つ返事で頷いたという。迷うようなきらいも一切見せず、二人示し合わせたかのように、その家の老夫婦は純夏の特務局入りを承諾した。

「……どういうことだよ、それ。ネグレクトってやつか?」

「いや、多分違う。あの二人は、嬢ちゃんのことはきちんと心配していたように見えた。ただ何というか……彼女に干渉するのを嫌って、、、、、、、、、いる、、、というか」

「干渉するのを嫌っている?」

「というか」

 自分たちが孫の妨げと、、、、、、、、、、なることを許して、、、、、、、、いない、、、風だった——と、ベネッドは表現した。

「嬢ちゃんのやることなら全て許す、望まれたなら何をも与える、そんな雰囲気を感じたよ」

「孫を溺愛してる、ってことか?」

「違う、そんなんじゃない。もっと底冷えするような——狂気。そう、あれは狂気的だった」

「狂気——?」

 ベネッドの説明はとても具体的とは言えないものだったが、それでも総司は、背筋に何か薄ら寒いものを感じた。

「今の嬢ちゃんの状態をありのまま伝えて来たんだが……彼ら、私を責めないどころか、見舞いに行こうとも言わないんだ。理由を訊くと、『私たちにはその資格がない』なんて言ってね」

「……どういう意味だ?」

 総司はそう言って先を促すが、ベネッドは何やら迷ったように、口を閉じていた。

「おい、これで終わりじゃ無いんだろ?今聞いた話だけじゃ意味が分からねえよ。話すんなら、ちゃんと話してくれ」

「——ああ。ただ、ここから先は個人のプライバシーに関わるから他言無用だよ」

 そう釘を刺して、一つ間を置くと、彼女は続きを話し始めた。

「彼らの態度がどうにも気になって、さっきその理由を訊いてみた。答えてくれるとは思ってなかったんだが、彼ら、嫌に饒舌に話し始めてね」

 "私たちは孫を愛しています"。

 "ですが同時に、あの孫が恐ろしい"。

 "純夏がまるで、血の通った人間では無いように思えてくるのです"。

 ——ベネッドはそう、老夫婦の言葉を淡々と読み上げた。

「私は意味が分からなくて、具体的に訊き直した。そうしたら彼らは、色々なことを教えてくれたよ」

 まるでその様は、懺悔を自らの救いと信じる罪人のようだったという。吐き出せば吐き出すほど自分の身が軽くなると信じ込んでいる懺悔室の信者のように、老夫婦は純夏の事情をあらかた説明してくれた。

「狩宮の、事情?」

「どうして彼女がこの町に移り住んで来たのか、って話だ。そもそも背河内に外から入ってくる人間というのがまずいないから、私も不思議には思っていたんだが」

「……まあ、転校生が来るって最初に聞いた時には俺も『はあ?』って思ったな」

 背河内市という自治体の危険度は、もはや悪名として全国に知れ渡っている。昨今は首都圏にありながら人口は減る一方で、純夏のような学生が外から入ってくるなど、本来ならあり得ない事態と言えた。

 だからこそ、何か抜き差しならない事情の存在を察して、誰も彼女に踏み入ったことは尋ねなかったのだ。純夏自身は想像もしないだろうが、彼女の交友関係が思うように広まらない原因には、そういう理由も含まれていた。

「で、そのワケってのは?」

 そう訊いた時、総司は複雑な理由を想像していた。ただの女子高生が首都東京からこんな町に移動してくるからには、一言で表せないような入り組んだ事情があるのだろうと。

 だがベネッドの答えは、ごく短く端的なものだった。

「両親の虐待と言っていた」

 

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