第22話
屋内の状況は、まさに惨状というほか無かった。
総司は建物に入ってすぐ、玄関から見て中が異常に暗く見えた理由を理解した。幼稚園の南、ちょうど太陽光が入る側に位置する遊戯室の入り口が瓦礫で塞がれていたのだ。廊下の電球も何の余波なのか、一つ残らず破壊されている。これでは外から中の様子が見通せるはずがない。
「くそ……!」
言いようのないドス黒い感情を覚えて、総司は左の拳を手近な壁に叩きつけた。この幼稚園は、彼にとっても思い出深い場所だ。何年か前までこの辺りには公園がほとんど無く、代わりにこの施設の園庭が子供達の遊び場だった。
総司は廊下を迂回して、瓦礫で塞がれた部屋に向かう。この時間、子供たちや真知子は園庭にいたはずだ。南側の遊戯室とは、唯一その園庭に面している場所でもあった。
キッチンを通り抜け、ぐるりと周り、遊戯室へと辿り着き——総司は絶句する。
「——、ッ……!」
有り体に言って、そこに広がっている光景は地獄でしかなかった。
見渡す限りの、屍と血。十畳もない部屋は、その壁や天井を子供達の血で染め上げられていた。そこら中に転がっている幼子の顔は、一様に生命活動を停止しながらも恐怖や苦痛に歪んでいて、この場で起こった惨劇の凄まじさを物語っていた。
全滅、だ。ここに預けられていた齢七歳未満の子供達は、悉くその命を絶たれている。
その事実を理解してようやく、総司はこの空間に漂う強烈な悪臭に気付き、吐き気を覚えた。
「……真知子さん、は……」
肌に纏わり付く不快感に身を折りながらも、彼は懸命に目を動かし、この場にいたはずの知己の姿を探す。結果、総司は部屋の片隅に横たわる一回り大きな人影を見つけ、そこに駆け寄った。
「……!」
頭から出血がある。が、どうやら大した怪我では無さそうだ。それ以外には目立った外傷はない。
総司は横たわる彼女の首に手を当てて脈を取り、正常に心拍が働いていることを確認すると、ひとまず胸を撫で下ろした。
「……う」
と、そこで真知子は目を覚ました。総司は覗き込むようにして、彼女に語りかける。
「大丈夫ですか……!」
訊きながら自分でも、大丈夫なはずが無いなと思う。命に別状がないとはいえ、彼女自身も負傷している。それに、この場にいたのなら間違いなく彼女は、二体の化け物に子供らが殺される場面を目撃しているだろう。取り乱し、泣き叫ばれるくらいのことを総司は予想した。
だが彼女は一言も声を発さず、力なく右腕を動かすと、あらぬ方向を指で指した。
「真知子さん……?」
「……わたし、より。彼女を」
細々しい声で訴えられて、眉を顰めながらも総司は振り返る。
そして次の瞬間に、自分の目を疑った。真知子の指した先、壁を背にぐったりと横たわる人物にははっきりと見覚えがあった。
「かっ、……」
狩宮、と叫ぶより早く総司は彼女のもとに駆け寄っていた。先程と同じようにその首に手を当てようとして——はたと、その手を止める。
懐いたのは、疑問。感じ取った決定的な違和感を、言語化しようという脳の作業。
しかし今——どうして彼女がここに、という疑問より先に。
「……狩宮?」
どう表現すれば良いのか。
横たわる彼女の姿は、はっきり言って、人間を逸脱していた。
純夏の身体の特に右側に偏って、血管が浮き出たような赤い"線"が幾筋も入っている。それらは時折脈打ち、淡く発光し、まるで線そのものが生きているかのような印象を懐かせる。
さらに彼女の皮膚は、全体的に黒ずんだような色に変色していた。どう見ても、生物らしさの感じられない色だ。そういう意味ではあのファニー・ジョーの皮膚にも、似ている。
「なん、だ……これ?」
そう、右側と言えば——右腕が見当たらない。
身体の右側と表現したが、それはあくまで顔や首元の右半分という意味だ。右肩の先にあるべき分の肉体が、丸ごと消失している。重傷どころの話ではない、即刻の処置をしなければ命に関わるレベルだ。この死体だらけの部屋では、衛生的にも非常にまずい。
しかし総司は動けず、魅入られたように変貌した純夏に目を落としていた。人間として違和感しか無いこの容態に、いったいどう対処すれば良いのか、まるで見当がつかないのだ。状況はもはや、完全に彼に判断できる域を超えている。
違和感。最大のそれは、
ここまで人の体が欠損している以上、本来なら血の水溜りくらい出来ていて然るべきだろう。しかし純夏の周囲には、ほとんど数滴ほどの血の跡しか残っていない。
ただ同時に、右腕の切断面にもまた奇妙な変化が起きていた。その箇所だけ別の生物が取り憑いているかのように、脈打ち動いている。どう見ても人間が自分の意思で出来る動きではない。
「……っ!」
そんな容貌を観察するうちに、ふと総司は気付く。
意識のない純夏の口の上に彼女の髪が一房ほどかかっている。その髪の毛が、先程からぴくりとも動いていない。——呼吸をしていないのだ。
「お、い……」
胸に沸き起こった嫌な予感に、総司は反射的に動かされていた。横たわる純夏の傍に膝をつき、その首筋に指を当てて脈を取る。
——かくして、総司は。
狩宮純夏が
「————」
その冷たい納得の感覚に、強烈な既視感がある。これと同じ光景を、かつて総司は見たことがあった。
血の一色に染まった四角く区切られた空間の中で、冷たく横たわる
『嬢ちゃんは、初めて会った時の坊やと同じ目をしていた——』
——いつかベネッドが言っていた。「初めて会った時」のことを、総司はあの時点では忘れていた。
だが今、思い出す。
ベネッドに出会い、救われ、拾われた場面。あの時の光景は、いま自分がいるこの地獄絵図と、寸分違わないものだったと。
人が死に、血が流れ、その色で世界が染まる瞬間。
あの時に死んでいたのは——そう、自分の両親だ。
『——坊やと同じ目を——』
十二年前に、両親が殺された。執行人に、彼の家族は奪われた。
そこで総司は、ベネッドと出会った。家族の血で作られた赤い池に座り込む子供を、ベネッドは救った。
では質問だ。
そのとき自分は、どんな目をしていた?
「……狂って、る?」
そう——目の前で家族を奪われた、齢四歳の子供。彼の瞳は大いに歪み、狂っていたはずだ。両親を奪った執行人への、炎よりなお滾る怒りを、両親を失ったことによる宇宙よりなお深い空虚を、その心と瞳に抱えていたはずだ。
そんな総司の目と——狩宮純夏の目は、「同じ」だと評された。
かつて地上の地獄を渡り歩き、膨大な屍の山をその目に写してきた女による保証である。世迷い事と切り捨てられるはずもない。
「お前は……」
たった今、死体となって眼前に横たわる女。
たった今、その身体を別の
総司は、純夏に問いかけた。返答など望むべくもないと、これ以上なく理解しておきながらも。
「お前は……何だ?」
冷たい虚空に、声は響いていく。それは誰に届くこともない言葉だった。
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