第13話

 のんびりはしていられない。姿こそ見えないが、総司らのすぐ近くに執行人が出現しているのは確かだ。

 しかもここには、執行人と戦う術を持たない無力な一般人がいる。

 兎にも角にも高倉を避難させなければならなかった。今のところ執行人が誰の"淘汰''を目的に現れたのかは分からないが、それが誰であれ、無辜の一般人である彼は傷一つ負うことさえ望ましくない。

 まだ戦えるレベルでは無いものの、訓練は受けている純夏に先導を任せて、静かに逃がすべきだ。総司はそう考えた。こちらを視認できていないのは向こうも同じ。今のうちに音もなく教室から出れば、少なくとも逃げる事はできる。

「な、なあ神村。今何か、変な音が……」

「——ッ!」

 そんな総司の思惑は、高倉が発したごく当然の困惑によって水泡に帰した。

 彼の発音した「人間の言葉」に反応し、仕切りの向こうの化け物が突如、金切り声を上げる。秋に虫が鳴く音を極限まで爆音化させたような、不快極まる"鳴き声"だった。

「なっ、なんだ!?」

 怯えと恐怖の入り混じった悲鳴を、高倉は上げた。それは執行人にとって、獲物の位置を知らせる格好の呼び笛だ。

 次の瞬間、空間を仕切る黒布の向こうから、三つの影が飛び出す。一つは仕切りの上を飛び越えて、もう二つは仕切りにそのまま突っ込み布を破り抜けながらの強襲だった。

 かくして三体の異形が、いよいよ彼らの目前に出現する。

 三体ともが同型の、昆虫と蜥蜴を組み合わせたような姿をした、黒光りの執行人だった。サイズはコモドオオトカゲよりはやや小さいくらいだが、それぞれの"前脚"には見るからに硬質な、鋭い爪が備わっている。

「レプタイル、三体か……」

 総司は小さく呟き、現状を確認する。

 現れた三体は、背河内に出現する執行人のうち九割以上の割合を占める「一般種レプタイル」だ。上位種ママルで無かっただけマシと言えるが、それが三体も揃っているとなれば、彼らに狙われて逃げ延びれる人間は少ないだろう。

「————」

 三体は弧を描くような形で、横並びに総司らを取り囲んでいる。

 執行人が次に取る行動を予測しなければならなかった。

 彼らは人を狙い、人を殺すことに特化した化け物だ。振る舞いは動物的でもその目的はロボットのように統率され、"淘汰対象"を確実に殺害する。

 ただし、レプタイルは"完璧なシステムの執行人"には程遠い存在だ。

 確かに彼らは、最終的には指定された"淘汰対象"を殺害する。しかしその過程で、明らかに対象でも何でもない一般人を巻き添えにし、時には命さえ奪うような例がいくつも報告されている。

 つまりレプタイルは、あくまで調教された猛獣と同じなのだ。目的こそ統率されているが、その過程を完全に管理されてはいない。障害があれば本能のままに排除するし、動物的に扱えば、ある程度こちらから行動を予測しコントロールすることもできる。

"要するに、こいつらが最初に襲うのは——"

 執行人が出現してから唯一声を上げ、そして今、最も落ち着きのない高倉だろう。

 総司がそう理解した瞬間に、レプタイルのうちの一体が唸り声を轟かせ、跳躍した。そいつの向かった先は、総司のやや右後方——恐怖に身を硬直させた高倉の立っている場所だ。

 この世のあらゆる戦闘行為には、死の間合いというものがある。何者かが何者かを確実に殺し得る、という間合い。そこで刃が振り下ろされれば、助からないという間合い。

「え、うわぁ!?」

 高倉の悲鳴とレプタイルが爪を振り下ろす風切り音が重なるその時、確実に両者は"間合い"の中にいた。

 しかし次の瞬間、レプタイルはその外側に弾き出されていた。

「ギッ!?」

 踏み潰された鼠のような鳴き声を上げて教室の壁に衝突する化け物を前に、純夏と高倉は等しく瞠目する。

 高倉の目の前には、大きく振り上げられた脚があった。両者の間合いに横合いから侵入し、レプタイルの進行を阻んだのはその脚による強烈な蹴りだった。

 それを放った、すなわち高倉を救ったのは、他ならぬ——総司だった。

「てめぇの相手は俺だ」

 哀れ、顔面部分が若干歪んだ執行人を前に、蹴りを放った脚を下ろして体勢を整えながら、総司は豪胆に言い放つ。

 これ以上無いほどの敵意が篭ったその言葉は、そのままレプタイルの動物的本能を刺激した。蹴り弾かれた個体を筆頭に、彼らは威嚇の声を上げる。それは総司のみに向いた敵愾の音だった。

 ラプトルよろしく三体は均等に距離を取り、総司を取り囲んだ。もはや彼以外は目にも入らないという様子だ。

 そして彼らは、蹴りを食らった個体が上げた甲高い声を合図に、一斉に総司に飛びかかる。

 それぞれが三方向から同時だ。両側の二体は鎌のような爪を構えながら、真ん中の一体のみは口を開き、鮫のような牙を剥きながらの攻撃だった。

 これでは三匹の猛獣に襲われているのと同じだ。左右前方には牙と爪が迫り、後方に退がれば壁が逃げ道を阻む。どう贔屓目に見ても「詰み」の状況だった——が。

「ふッ!」

 押し出すようにに息を吐くと、総司は軽く跳躍した。それもただ跳んだのではなく、上半身を後ろに反らしての、いわばバク宙の形だ。

 そのままの姿勢で両手を床につけると、総司は腕力に任せて体を支えたまま、軸ごと体を回転させる。それに伴い、浮かび上がった二本の脚はそのまま遠心力に任せた連蹴りとなって繰り出された。

 脚はそれぞれ、同じく空中に浮かぶ二つの異敵に命中する。跳び上がった事で比較的やわらかい腹を晒していた執行人は、その弱点に爪先と膝を叩き込まれ、後方へと吹っ飛んだ。

 が、残りの一体はその間に、すでに総司の懐にまで迫っていた。蹴りを放ったところで、もはや当たりはしない間合いだ。

 その爪が振り下ろされるその瞬間——だが総司は、脚ではなく手を出していた。体を支える役割を左手のみに任せ、空いた右手で、今にも振り抜かれんという鋭い爪を、的確に掴んだ、、、のだ。

「……!?」

 いかにレプタイルが鋭い爪を備えていようと、それはあくまで肉体に付属した凶器だ。ならば根本のを掴んでしまえば、攻撃は止められる。

 とは言え、まさに振りかぶる最中の爪を正確に掴むと言うのは素人に出来る芸ではない。それはひとえに、総司の積み上げた研鑽が成した技だった。

 そうして最後の一体は、飛び込んできた勢いそのまま、先の二体と同じく後方へと投げ飛ばされる。

 かくして三体の執行人は、ただ一人の高校生を排除する事に、完璧に失敗していた。

「……嘘」

 純夏の口をついて溢れた短い言葉は、総司の惚れ惚れするほどの立ち回りに対する、実直な感嘆に満ちていた。

 二週間前から続いている、ベネッドの訓練。その厳しさは思っていた以上のものだったが、筋肉痛の苦痛に慣れるにつれて、本当に少しずつだが、力がつくことを実感していた。否、そのつもりになっていた。

 だが違った。

 力がつくというのはああいう事だ。戦えるというのはああいう事なのだと、今理解した。

 猛獣の如き複数の執行人を相手に、人の身でありながら引けを取らない実力。こうなって初めて、自らを「戦える」と評価できるのだろう。そして、自分がそう、、なるのに、一体どれだけの鍛錬が、経験が必要なことか——想像もつかない。

 あのとき純夏は、決して甘い覚悟で「戦いたい」などと言ったわけでは無い。それでも内心、途方に暮れるような思いを懐かずにはいられなかった。

「——狩宮!」

 と、そんな鬱々とした思考は総司の一喝で吹き飛ぶ。

「高倉を連れて職員室に行け!そんで教師どもを避難させてろ!」

 先程の戦闘、まるでその勢いのままの総司の指令は、純夏の脳味噌を否が応にも奮い立たせた。自分にも出来ることはある。そう思えるだけの力が、その声には漲っていた。

「誰かのために何かをしたいんだろ。ならその体で一人でも多くここから逃して、一人でも多く助けろ!俺は——こいつらを潰す!」

「——はい!」

 強く頷いて、純夏は迷わず足を動かした。

 真っ直ぐに教室の扉に向かいながら、その通過点で呆然としている高倉の手を掴み、強く引く。

「高倉くん、逃げよう」

「え……あっ、ああ!」

 少し遅れ気味の反応だったが、それでも高倉ははっきりと頷くと、抜かしかけていた腰に気合いを入れてなんとか立ち上がった。

 それは男という存在が原始的に憧れる"カッコ良さ"——「男が女に守られる訳には行かない」という、なけなしのプライドの賜物だった。いかにこの場では非力でもそこは男子、純夏のような可愛らしい女子に手を引かれているという状況は、彼に男の矜持というものを、土壇場で思い出させるには十分だったのだ。

 そうして二人は、一人レプタイルらと対峙する総司の背中を尻目に、教室から退避する。

"良し——"

 内心で、総司は安堵の溜息をついていた。

 元より彼は、護衛という行動が苦手だった。ただ身に付けた力を振るい敵を制圧するならば別段、気を揉むほどの事ではない。どんな勝敗、どんな結果が訪れても、それは今までに積み上げたものの結実だ。挑むにあたっては、迷いも躊躇いも必要ない。

 たが、その後ろに守らなければならない者がいるならば——きっと総司は、「敗北」という結果を許せないだろう。

 結局のところ、神村総司という人間の根はどこまでも実直だった。それこそまるで、子供のように。

「……しかし、よくもまあせっかく作った内装をぶっ壊してくれたな」

 眼光は鋭利なままに、総司は前方に転がる三体の執行人へと向き直り、拳を構える。

「来いよ、化け物ども。三匹まとめて始末してやる」

 その瞳や、不敵な笑みを浮かべる表情には、一片の迷いも残っていなかった。

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