第11話

 そうして十五分ほど経った頃、三人は再集合した。

 純夏は汗で重くなったジャージに代わり、学校の制服を着ている。

 少なくとも見た感じはさっぱりとしているのだが、総司の目には、彼女の顔が若干の憂いを孕んでいるように見えて、眉を顰めた。

「……おい、どうした?何か気に入らないことでもあるのか?」

「あ、ううん。気に入らないって言うか、この制服着てると、なんか色んな人の視線が集まって来るから……」

 ああ、と総司は納得する。確かに今までも純夏を連れて歩いている時、基地内の職員たちから不躾な視線を感じてはいた。

 ただ、彼女は一つ勘違いをしている。彼らが気にしているのは純夏ではない。

「視線を感じるってんなら、見られてるのは俺の方だな、多分」

「総司くんの方?」

「お前が珍しいってより、俺がオトモダチを連れてるのが珍しいんだろうよ」

 というかそもそもこの基地で働く人間の多くは、女の子を普通に可愛がるような精神を持ち合わせていない。

 と、そんな折、何やらメールのやり取りをしていたらしいベネッドがこちらに顔を向ける。

「二人とも、行くよ。零がお呼びだ」


 その男はゼロと呼ばれている。

 本名を知る人間はいない。それどころか、実年齢や出身などの情報全てが闇に包まれている。

 そんな彼が、背河内市の人口減少に伴って使われなくなった地下鉄や地下通路を丸ごと買い取り、この基地を作り上げたのが十五年前のことだ。同時に零は、当時普及し始めていたインターネットやSNSまでもを総活用し、国内随所でシステムに関する研究に従事する人間を集めた。

 それ以降、彼は対システムの研究や兵器開発を主導。八年前、功績を認められた特務局が国家組織に格上げされてからも、特務局の局長として日々職務に勤しんでいる。

 ——ざっと要約すると、移動中に純夏が総司から聞いたのはそんな話だった。

「……つまり、これから会うのはこの基地で一番偉い人ってこと?」

「ああ。とは言っても実物はただの偏屈ジジイだから、気張ることは無いだろうよ」

 躊躇いも無く、総司はそんな失礼極まりない評価を口にする。そんな様子を見て、純夏は苦笑する。

「そんな偉い人に、何の遠慮もなく物を言うのね」

「……まあ、零は親代わりみたいなもんだからな。ベネッドと同じで」

 そう語る総司の顔は、どこか気恥ずかしげなモノだった。また彼の人間らしい表情が見れたように思えて、純夏は思わず微笑を漏らす。

 そんなことを話しながら、ベネッド先導の下、五分ほど廊下を歩いた三人は、やがて物々しいドアの前に到着した。

 そこにあったのは、何故かモダンな雰囲気漂う木製の扉だった。

 SF趣味の強いこの基地の中で、完全に異物と化しているそれは、方向性が周囲からあまりに乖離している。見ていて何か安心感だか憤りだかよく分からない感情が湧いてくる代物だった。

「えっと……ここが?」

「ああ。零の部屋、つまり局長室」

 若干引いたような純夏の問いに、総司は心底面倒臭そうに答える。

 それもそうだろう。ここまで周囲との調和を無視した部屋を作った挙句、それを自分の執務室にしてしまう人間が、自分らを統括するトップなのだ。嫌になるのも分かるというものだった、この時点で。

 と、純夏がそんな感想を懐いたと同時に、ベネッドが目の前のドアをノックする。軽い音が響いた後、向こうから「入れ」と声がした。

 ——踏み込んだ部屋の中もやはり、異質な場所だった。

 壁は質の良い壁紙があしらわれ、天井や床はどちらも木を材料に設えられている。極め付けは、部屋に揃えられた家具や調度品の類だ。ガラス戸付きのいかにも高そうな本棚や、一昔前のデザインをした掛け時計。見るもの全てが、この部屋にレトロな雰囲気を醸し出している。

「——天国と地獄というものを信じるか?総司」

 穏やかながらもどこか頑強な意志を孕んだ声でそう問うのは、部屋の中央に鎮座したデスクに腰かける、初老の男だ。

 彼は彼で、彫りの深い日本人離れした顔をしていた。ベネッドともまた違う、どこか異様な存在感に包まれた人物で、見るからにこの部屋の主であろうと判別できる、独特の威圧感を放っている。

「……何だって?」

「ふと考えたんだ。例えば閻魔大王というやつは、嘘をつくと舌を抜いてくるらしいじゃないか。だがこの世に一度も嘘を言わず生きていく人間などいるのか?だとすれば、天獄というのは人間以外の動物の住処なのかも、とな」

 訊き返す総司に、男は口元に柔和な笑みを浮かべながら冗談めかした風に嘯く。その声の反響は、どこか人を惑わすような音色を持っていた。

 彼こそが「零」と呼ばれる男。この国におけるSFS対策を一任される、特務局の長だ。

「少なくともこの局で働く者には、天国に行ける人間はほぼいない気がする。私やベネッドなど、死後はどこかで強制労働でもさせられているかもな」

「……なあ、その無駄話癖はどうにか出来ないのか?少しは真面目にやったらどうなんだ」

 片目をさも鬱陶しそうに細めながら、総司は文句を言う。だが零は溜息をつき、呑気な動作で首を横に降るのみだった。

「引きの与太話に付き合う度量も無いのか。まったく人間の小さい……」

「おい……」

「分かっている。堪え性のない奴め」

 総司の声にはっきりと苛立ちが紛れ始めた頃合いで、零は諌めるように手を振りながら話を打ち切ると、純夏の方へ目を向けた。

「さて。そっちのが例の新人か。狩宮純夏、だったね。歳は十六で、総司の同級生……」

「は、はい」

 その細い目から放たれる眼光は睨め付けるようで、純夏は気持ち久しぶりに声を強張らせた。

 そんな彼女の態度を気にも留めず、零は手元の書類を見下ろしながら言葉を続ける。

「君のような何の技能や知識も持たない人間がここで働くなら、斡旋できる部署は警備課くらいしか無い。異存は無いんだね?」

「分かってます。……頑張ります」

 零の尋問をするような口調を前に、純夏の体は自然と萎縮する。物腰はあくまで穏やかなのだが、この男はあらゆる側面から、人を威圧する何かを放っていた。

「メールにも書きましたが、彼女は鍛えさえすれば、使い物にはなるでしょう。保護者からの了承は得ているので、後は零、あなたのサインさえあれば」

 と、そんな様子を見て、ベネッドが横合いから助け舟を出す。すると零は、さして考える様子もなく、

「ああ、お前がそう言うなら特に言うことも無い。入局は許可するとも。十全に励んでくれたまえ」

 実に軽々しく零はそう言って、流れるような所作で机の書類にサインをした。

 これで、正式に入局が認められた。あまりにあっという間にそのことが決まり、純夏は半ば拍子抜けする。正式な認可で、それが特務局の最高権力者から下されるとなれば、いくらなんでももう少し揉めるものだと思っていたのだが。

「不思議かね?こう簡単に、入局を許されたことが」

「あ、いや……はい。正直に言うと」

 見透かされたように訊かれて、純夏は困惑しながらも頷いた。

「ともかく座りたまえ。紅茶が冷めないうちにね。話はそれからだ」

 零はそう言って、未だ立ちっぱなしの三人に、応接用であろうソファーへ腰掛けるように促した。前方のテーブルには、湯気の立つ紅茶の注がれたティーカップが、三人分用意されていた。先程から部屋に芳しい香りが漂い、純夏の鼻腔と食欲を刺激している。

 しかし彼女は素直に「いただきます」とは言わず、総司の方に視線を向けた。これを口にすればいよいよ戻れない……そんな、何やら不穏な空気を敏感に感じ取ったからだ。

 一方、助けを求められた総司はいかにも鬱陶しそうに息を吐き、

「零、確認するぞ。本当に真面目な話なんだろうな?」

「ああ、それは保証しよう」

 返された言葉を、総司はこれっぽっちも信用しなかった。

 零という男を端的に表せる言葉は「変人」だ。

 そもそも国家の下に在るはずの特務局という組織の基地を、こんなふざけた内装に仕上げたのは零の意向なのだ。

 そして何より、零は話が長い。彼と話しなどすれば、高確率で横道に逸れ、長いフリートークに持ち込まれることになる。

 先の純夏の予想は間違っていなかった。この部屋で出された紅茶に口をつければ、あれよあれよとお代わりを注がれ、長話に歯止めが効かなくなる。総司やベネッドが彼に呼び出さられるのを嫌う、大きな理由だった。

 しかし——少なくとも今、零がきちんとした「真面目な話題」を抱えているのも確かだろう。仮に与太話をしたいだけなら、わざわざベネッドもいるところに総司を呼ぶ必要が無い。

「……分かった。聞くだけ聞く」

 渋々そう答えると、総司は無遠慮に応接用ソファーに座り込み、ティーカップを持ち上げると、中の紅茶を一息に飲み干した。

 そんな彼の動作を見て、"ああ飲んで大丈夫なんだな"と、どこか危うい納得の仕方をした純夏は、「失礼します」と断ってから、総司の隣に腰を下ろす。そうしてテーブルのティーカップを手に取ると、取り敢えず一口だけ口に含んだ。

 残るベネッドは、腰を下ろしさえしなかった。すでに二人が座ったソファーに三人目が腰掛けると、押し競饅頭気味になりそうだったからだ。加えて単純な話、ベネッドが総司以上に零の長話を嫌っていたというのもある。ただ空気を読んだのだろう、残ったティーカップを手に取り、飲み干す事だけはした。

「さて、本題だ」

 三人それぞれの動きが収まるのを待って、零は物々しく口を開く。ほんの少しだけ、彼の醸す空気が堅いものに変わった。

「この局の警備課は、お飾りの部署と化している。それは君らも知るところだろうが、現在、状況が変わりつつあってな。ベネッドにはもう話したか?」

「私もまだ詳しい事は聞いていませんが」

「そうだったな。ではこれから話そう」

 零はデスクに置かれた多くの書類の中から、一枚の統計表を取り出し、総司に手渡した。総司が眺めるそれを、純夏も横から覗き込む。

 どうやら背河内に出現した執行人の数を、レプタイルとママルに分けて記録したものらしい。一通りその数字を確認すると、総司はその書類をベネッドに回した。

「……で?これが何なんだよ。別に執行人が増えてるわけでも無いんだろ」

 見たままの感想を、総司はそのまま口にした。零は頷いて、

「そうだ、執行人は増えていない。どころか、目に見えて出現数が減っている、、、、、、、、、。これまで背河内では、奴らが増える事はあっても、減る事など無かった」

「それが何か、、の前兆だと考えてるって訳か?穿ち過ぎじゃないのか」

「減っているだけなら私もそう思っただろう。だが——」

「ママルが増えていますね」

 零の言葉を、現在進行形で書類に目を通しているベネッドが引き継ぐ。

「総数自体は減っているが、出現する執行人で、ママルが占める割合が爆発的に増えている。レプタイル三体にママル一体が付いてくる計算になります」

「その通りだ。流石に異常と言わざるを得ない」

 我が意を得たりとばかりに、零は微笑する。

「知っての通り、ママルは執行人の中でもとりわけ上位に位置する強力な存在だ。それ故か数は少なかったのが救いだったが、そうも言っていられなくなって来た訳だ」

 ママルの出現割合は今まで、せいぜいレプタイル十体に一体という程度だった。出現する執行人が「倒すことのできる」レプタイルばかりだったからこそ、形骸化した警備課でも、それなりに市の平和を維持できていたのだ。

 しかしこれからは、ママルによる確実な淘汰が増えていく。そうなればいよいよ、特務局という組織はただの研究機関に成り下がるだろう。

「……けど、ママル相手じゃ、人の数だけ増やしても意味が無いだろ。警備課の人数を増やしたところで効果はあるのか?」

「話はそう単純じゃない」

 総司のやや短絡的な疑問を、零はそう言って一蹴した。

「そもそも特務局が国家組織という面目を保っているのは、執行人に対抗できるいくつかの兵器開発が評価されてのことだ。システムから市民を守るという意味では、我々は何の成果も上げていない。これ以上犠牲者が増えれば、予算は凍結。国から首を切られることになる」

 別に予算は構わないがな、と零は嘯く。

 さもありなん、そもそもこの基地の維持費や研究費のほとんどは彼の懐から出ているという話だ。所以は不明だが、零は莫大な財産を有しているらしい。

「しかし国家という傘を失えば、違法スレスレの兵器開発にも支障を来すだろう。乾燥銃ドライガンの使用も難しくなる。それはいささか面倒だ」

「だから成果を上げろ、と?そのために戦闘員を増やすという事ですか」

「半分正しいが、不十分だ。まあ最後まで聞け」

 聞き分けのない子供を諭すな語調でベネッドに言ってから、零は完成された作法で紅茶を一口啜る。そうしてティーカップをデスクに戻すと、話を再開した。

「そもそもママルの増殖に伴い犠牲者が増えるというのは、上の連中は、この現象の先に更なる何かがあると考えている」

「更なる何か……少なくとも良い予感はしない文言ですね」

「ああ、我々に都合の良いことでは無いだろうな」

 ママルが増えるという傍迷惑な現象に"行き着く先"があるとして、果たして何が起こるだろうか。

 今後、全ての執行人がママルに置き換わるだろうか。精密な行動を取れるママル達が、国の支配にでも乗り出すだろうか。どちらにせよ、もはや人間の力でシステムに対抗など出来なくなる。

「それを防ぐための当面の手数として、加えて言うならば、そうなった時、、、、、、に少しでもマシな結末を掴むために、兎にも角にも、人員が必要なのだ。警備課は今後、局内でも包括的に様々な役割を負ってもらうことになる」

「……今まで形骸化させたまま放置しきた俺たちを、今更になって都合良く使うっていうのか?」

「ああとも」

 総司の遠回しな批判に悪びれる様子もなく、零は頷く。

「排他的な今の方針を、抜本から変える必要がある。これからは大っぴらに活動をしてもらう事になるぞ。警察庁からの人員派遣も、すでに検討されている」

「ようやくマトモになるという訳ですか?私たちは」

「君には特に働いてもらうことになるな」

 ベネッドの問いに、口元に薄っぺらい笑みを浮かべたまま、零は答える。どうやらそれが、彼のデフォルトの表情だったらしい。

「……なあ、警備課に増員が必要だってのは何となく分かったけどさ」

 と、総司が横合いから口を挟む。

「それが狩宮が入局する事と、一体何の関係があるんだ?聞いた限りじゃ、放っておいても警備課は増員されるんだろ?だったら高校生一人に拘る理由なんて無いじゃないか」

「その『高校生一人』に拘っているのは、むしろお前の方だろうに」

 零はその顔に貼り付けた微笑を、やや面白がるようなものに変えて続けた。

「私に言わせれば、拘っていないからこそ入局を認めたのだが。彼女は自分の意志で役に立ちたいと思い、我々がそれを認めた。何の不自然もあるまい」

「……じゃあつまり、何の理由も無いってのか?」

「彼女にはやる気があり、最低限の能力がある。そして我々は人員を求めている。それが理由だ」

 加えて言えば、純夏が高校生であるという点にも問題は無い。

 特務局が国家の下にある組織とは言っても、他の公務員とはその在り方が根本から違う。人事権は局長である零に一任されており、たとえ高校生であっても「アルバイト」という形で雇い入れることが可能だ。警備課ならば一切の特別な資格も必要無い。

「何事にもお前は理由を求め過ぎだ。そんな事では、いざという時に頭が回らなくなる」

 零の説教に、総司はあからさまに眉を顰めた。言っていることはまあ正しいのだろうが、それをこの胡散臭い男に言われているのが気に食わないのだ。

 一方で零は、もう話は終わったとばかりにティーカップを口につけ、また一口紅茶を飲んだ。

「さて、連絡は以上だ。細かいことは追ってベネッドに伝える。下がりたまえ」

 それで、ミーティングは終了した。



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