第8話

 時計はすでに午後九時を回り、システムの存在とは関係なく青少年の帰宅が推奨される時間帯になっていた。が、基地の中では、今までとほぼ変わらない人口密度で局員たちが忙しなく働いている。

 特務局に昼夜の区別は、ほぼ無いと言っていい。

 一応のところ、特務局員は公務員という扱いになるので、彼らには本来的にきちんとした労働環境きたくじかんが提供されている。にも関わらずこうして残業放題なのは、単純な話、ここにいるのが「恋人は研究」という人間ばかりだからだ。

 特務局はその職務内容の特殊さから、数ある国家機関の中ではほとんど左遷先のような扱いになっている。そんな所に自分から研究をしに来る人間は大抵、常識的な労働価値観を持ち合わせない。

 つまるところ、この場に横行しているのは、自主的で自由なサービス残業だった。

 そんな中、一人いそいそと帰宅準備を進める女性がいた。

 倉秋博美くらあきひろみ、二十六歳。研究員ではなく、執行人の出現情報などの監視・伝達を職務とする、管制通信員だ。

 別に彼女は職業意識の低い人間というわけでは無いが、他の研究者たちのように熱狂的というわけでもないので、決められた時刻になれば当然帰宅する。

 そうして特務局を出ようと廊下を歩く最中、ふと倉秋は視界に一人の友人の姿を認めて、声をかけた。

「ベネッド?」

「——ああ、ヒロミか」

 その特徴的な金髪と褐色の肌を見違える人間はいない。親しい友人であればなおさらだ。

「ご苦労だね、こんな時間にまで」

「残業代は出るから良いけどね。久々のヘイデン出現で、こっちも少し忙しいくて。しかも目撃者がいたんでしょ?」

「随分と詳しいね、あんた」

「総司くんにヘイデン出現の情報を伝えたのが、そもそも私だもの。ところで、あなたは何をしてるの?一般職員の区画まで来るなんて珍しいわね」

 ベネッドが普段活動の場としている場所は、特務局の中では西端に位置する訓練区画だ。対して今二人がいるのは、主に倉秋ら通信員が使う東側の連絡通路。何か用事がなければまず訪れることはない場所だ。

「ちょっと、その坊やを探しててね。一時間前に零に呼ばれたことは分かってるんだが、どこにいるか知らないかい?」

「局長に?……ああ、だから不機嫌そうだったんだ。また苦手な紅茶でお腹壊したのかな。総司くんなら、たった今すれ違ったばかりよ。ほら、あそこ」

「んん?」

 倉秋が指差した方を見ると、その先には分かりやすく「男性用トイレ」と書かれたドアがあった。

 ああ、とベネッドが納得すると同時に、そのドアが開き、向こうから——つまりトイレの中から、総司が現れる。彼はベネッドの姿を認めて、首を傾げた。あからさまに「こんなところまで何の用だ?」という顔である。

「見つかったみたいで何より。じゃ、私は帰るわね」

「ああ、悪かったね。帰り、気をつけろよ」

「心配無いわよ。私、足速いんだから」

 そう言って手を振ると、倉秋は廊下の向こうへと歩き去って行った。

 そんな友人の後ろ姿を見届けてから、ベネッドは総司の方へ向き直った。

「零の話は終わったの?」

「ああ、たんまりとな。この上さらに面倒ごとを持ってきたなら、俺は寝るぞ」

「面倒ごとだよ。よく分かったね」

「アンタが自分から俺を探しに来る時なんて、面倒ごとを抱えてる時くらいだろ。……で、何があったんだよ。狩宮は家まで送ったんだろ?」

 言葉を急かすようなその態度からは、ありありと疲弊の色が読み取れた。その原因は先のヘイデンとの交戦では無く、ついさっきまで続いていたであろう長話だろう。

 その苦労はベネッドにも察せるところだったので、彼女は単刀直入に用件を済ますことにした。

「そのお嬢ちゃんに、少し無茶なお願いをされちまったのさ。——なんでも、特務局に入りたいらしい」

「……はあ!?」

 最近は滅多に感情を表に出さなくなった総司だが、それでもまだ十七の子供だ。こういう不意打ちの場面での反応は、予想通りのものを返してくれる。

 とは言え頭を抱えたいのはベネッドも同じだったので、それを笑うことはしない。彼女はそのまま手のひらを額に当てて、空を仰いだ。

「役に立ちたい、とさ。あんな真っ直ぐな目でそんな真っ直ぐなことを言われるとね、まあ、困る」

 話を打ち切って、ベネッドの自室を出ようとしたタイミングだった。

『あのっ!私、何か役に立てませんか!?』

 ほとんど飛び上がるような勢いで、純夏はそんな事を言ってきた。おそらくあれで勇気を振り絞った発言だったのだろう。

「何考えてるんだ、あいつ……!?」

「さあね。坊やの立派な話に感化されたんじゃないのかい?責任とってやらなきゃね」

「ふざけんな。そもそも局に入るなんて、普通に無理だろ。戦闘員になるって事だぞ?」

 特務局の主な仕事は、結局のところSFSについての「研究」に終始する。そのため必然的に、そこで働く職員の大部分は研究者という役割だ。

 当然ながら、彼らの仲間入りをするには極めて専門的かつ高度な知識が必要なる。ただの高校生である純夏にそんなものが備わっているはずはない。

 倉秋のような通信員にしても、研究員ほどではないがきちんとした技術が必要になる。管制室のコンピューター操作や、戦闘員への正確な状況伝達などだ。いずれにしても、コミュニケーション能力に多少の難がある彼女には、荷が重いだろう。

 となれば、残る選択肢は総司のいる警備課。

 特務局の中でも特に細々とした、十余人ほどで構成された部署だ。その役割は背河内市民を執行人やその他諸々の脅威から守ることで、こちらは体を張っての単純肉体労働になふ。特別な知識や技術は必要ないものの、命の危険が付いて回るという、特大のデメリット付きだ。

「向いてないだろ、あいつ。レプタイル一体に遭遇したら、それで死にそうだ」

「私もそう思ったよ。いかにも体力は平均以下って感じだしね、あの子」

 体力勝負というか、体を動かす技術がそのまま生存の可否に繋がる仕事だ。向いていない人間がやれば、本当に命を落としかねない。

「で、断ったんだろ?」

「いや、許可してやった」

「何でだ!」

 総司は声を張り上げたが、そこに字面ほどの驚愕は孕まれていなかった。ベネッドがわざわざ自分を探しに来たという一点を鑑みれば、並一通りに考えて辿り着くような結論は出ていないと予想出来たからだ。その感覚は「嫌な予感」と言い換えるのが、一番分かりやすいだろうか。

「私も迷ったよ。あの嬢ちゃんが局に入るなら、マトモに動ける役目は戦闘員くらいしか無い。でもまあ、どう言い聞かせても諦めそうになかったからね」

「だからって……」

「あのまま放っておいても、一人で夜闇に繰り出しそうな勢いだった。ならこっちで拾ってやるほうが、色々無駄にならずに済むだろ。嬢ちゃんの命とか」

 そう言われても、「はいそうですか」と頷けるはずがない。そもそも純夏が自分から特務局入りを志願したという経緯からして、総司には解せない話だ。

「だいたいアンタ、やる気だけで使えるかも分からないやつを招き入れるような人だったか?」

 総司の知る限り、ベネッドはあくまで合理的な人間だ。

 例えばこの場合であれば、下手に能力の低い人間が特務局に入れば、その者の命すら脅かしかねない。そんな案件の判断を、『意志は固そうだ』などと曖昧に決めることなど、彼女はしないはずだ。

「使えないやつと言うなら、十二年前のアンタはただの子供だったろう。なら私はどうしてあの時、坊やを拾って育てたんだ?」

「それは……」

「何度も教えてやったハズだ。人の身体はやろうと思えば大抵のことはできるように出来ている。そいつに何ができるのかを決めるのは、そいつの意志だよ」

 ただの精神論というほど根拠のない話ではない。確かに物理法則上、人間に限界はある。だがその狭くも広い範囲の内なら、「人に不可能は無い」というのが、ベネッドの持論だった。人の能力を真に決めるのは能力では無く精神。自らを前に進め、それを可能たらしめん、、、、、、、、、、とする意志だ、と。

「それは、そうなんだろうけどさ……」

 理屈の上では理解できる理論を言い聞かされ、それでも総司は憮然と腕を組む。そんな様子を見て、ベネッドは苦笑した。それはいい加減、子供の意地に付き合うのは終いだという笑みだった。

「そんなに心配なのか?あの嬢ちゃんのことが」

「……ナニ?何だって?」

 図星を突かれた総司は一瞬言葉に詰まり、それからまた、いかにも不機嫌そうな声音で問い返した。

「素直じゃないね。そうならそうと言えばいいものを。減るもんじゃ無いんだから」

「……あのな、転校生と俺は今日初めて話したくらいの仲なんだ。それを心配?はっ、俺がそんな善良な高校生に見えるのか?」

「悪ぶってるだけのガキだろ、アンタ」

 虚勢をにべもなく撥ね付けるベネッドに、総司は思わず顔を引攣らせる。

「いったい何年一緒に過ごしたと思ってんのさ?顔見りゃ大抵のことは分かるのよ」

「ざけんな、俺は……!」

 なおも反発する総司だが、ふとそこで言葉を止める。くしゃくしゃと、上から頭を撫でら押さえ込まれたからだ。

「アンタは、優しい子だよ。まあ年頃になりゃ、そんな自分を恥ずかしくも思うんだろうけど……悪ぶったって良いことは無い。友達もできないし」

「ちょ、おい……やめろ!」

「自分の美徳だろ。取り繕うのも良いけど、自分でくらいは素直に認めたらどうなのさ」

 結局のところ、それが神村総司という人間の内面だった。

 学校での無愛想かつ粗相な態度は、いわば年頃のオトコノコが纏う殻でしかない。彼の根底にあるのは分け隔てのない優しさである。知り合ったばかりの少女であってもその身を案じずにはいられない、真っ当な善心だ。

 ただ、そんな美徳を真っ直ぐ素直に愛でるには、総司は少々尋常でない人生を歩んでいる。その結果が今の学校での、目立つを通り越して完全に孤立するほどの一匹狼主義だった。

 つまるところ、総司という少年はただただ不器用なのだ。

「やめろ、って……!子供扱いすんな、くそ!分かったから!」

 現に、そんな風に反抗する声からも子供らしい恥じらいは隠し切れていない。

 そんな孤高とはかけ離れた有様を見てようやく満足したのか、ベネッドは総司の頭から手を離した。もっともその顔からは、我が子の反抗期を見守るような和やかな笑みは消えていないが。

「……なんだよ、その顔」

「いいや。……まあ、真面目に話すとだ」

 一つ咳払いをして、ベネッドは先を続けた。

「私は、あの嬢ちゃんは坊やと同じ目をしていると思ってね。初めて坊やと会った時の目と」

「初めて俺と……?」

「自分自身を他人と区別なく扱える、そんな人間の目だ。そういう人材は、いざっていう時にこそ役に立つ」

 もっともらしいことを言われているのは分かるが、残念なことに総司は、ベネッドと初めて会ったのがどんなタイミングだったのか忘れていた。話の流れからすると、まあ大方、強い正義感でも表明していたのだろうか。

「……くそ。とにかく反対だ。本人のやる気とか、そういう問題じゃない。高校生には危険すぎる。それに、俺は同級生と仕事なんて絶対嫌だからな」

 終いには子供じみたことを言い出す総司を前に、ベネッドは片の手のひらで頭を抱える。

「まったく……とにかく、嬢ちゃんの意志が変わらなければ、彼女は近々ここに入ることになるだろう。正式な入局は保護者と零の判子を待ってからだが」

「なんと言おうと俺は反対だ。面倒見るのも御免だ。そっちで勝手にやってくれ」

 総司自身がそう言っても、実際には彼は、純夏と頻繁に関わることになるだろう。警備戦闘員は、その割に合わない危険性のせいで人員が集まらず、常に人手不足だ。露骨に避けようとでもしない限り、全く関わらないなんてことはあり得ない。

 と、ベネッドがそんな益体のない思考に耽っている間に、総司はやおら彼女に背を向け、この場を去ろうとしていた。

「おい、どこに行く?」

「クソして寝る。あの転校生に構ってたせいで、ほとんど外回りも出来なかった」

 不機嫌を隠そうともしない物言いだが、そこに言葉ほどの棘は無い。「お前ついさっきクソしてたんじゃ無いのか」という野暮なツッコミを、ベネッドは取り敢えず引っ込めた。

 総司が苛立っているのは、ベネッドではなくどちらかといえば自分自身に対してだった。

 実際のところ、戦闘員として入局したとしても、純夏にそれほど危険は迫らない。しばらくはベネッドという鬼教官のもとでの訓練が続くだろうし、それが済んだとしても、そう早く外回りに出されることは無い。

 ベネッドはあれで、身内にはとことん甘い。少しでも能力に不安の残る少女を、夜の背河内に放り出すような真似はまずしない。総司も外に出て戦うことを許されるまで、相当な年数を要した。純夏なら下手をすれば一生、実任務に就くことは無いかもしれない。

 だったら、素直に歓迎してやればいい。少女の純粋な正義感を、真っ向から否定する理由はどこにも無い。

 なのに総司にはそれが出来ない。

 その理由は——分かっている。新しいものが介入して、この環境が変わってしまうのが嫌なのだ。現状が大きく変わることを忌避する、まるで臆病な子供のような心理だ。そんな自分の小ささに、総司は苛立っていた。

 ——と、そこで、ふと疑念が沸き起こる。

 少女の純粋な正義感、という理由づけ。純夏が入局を希望したのは、正義感によるものだというベネッドの考察に対する、はて?という疑問。

"あいつが、そんな殊勝な人間か?"

 総司は、ほんの数時間前に、彼女に言ったことを思い出した。

 「お前は俺と似ている気がする」——暇潰しの代わりに語ったあの人間観察の真意は、つまり純夏は自分と同じように、"人嫌い"なのだろうということだ。

 本人は言わなかったが、少なくとも総司から見た純夏は、周りにいる人間全てを、、、、、、、、、、拒絶している、、、、、、ように見えていた。

 それ自体は珍しいことでも悪いことでもない。そういう人間はごまんといるし、純夏がそういうタイプだったというだけだ。

 ただ一つ、確かなことかある。「そういうタイプの人間」は、目の前で人が死んだからといって、無償の正義に目覚めたりはしないという事だ。

 考え始めると、彼女がどうして突然に「役に立ちたい」などと言ってきたのか——それがどれだけ考えようとも答えの出せない問いであることに、総司は今更のように気付いた。

 その訝しみは小さなしこりに過ぎなかったが、それでも確実に、彼の胸に燻りつつある疑問となっていた。

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