第7話

 と、その時だった。部屋に軽快な電子音が響き、ベネッドが懐から携帯電話を取り出す。

 画面を確認した彼女は、今までで一番大きな溜息をついた。

「……はぁ。坊や、嬢ちゃん。悪いが話はここまでだ」

「どうした?」

ゼロからメールだ。ヘイデンのことで話を聞きたいとさ」

 それを聞いて、総司もベネッドに負けないほどの溜息を漏らす。

「あのオッサンは……定時連絡が待てねえのか」

「さっさと行ってきな。紅茶が出来る前にね」

「分かってるよ。……おい狩宮。今日ので分かったろ、この町はやばいって。明日からはさっさと帰れよ」

 そう言い捨てると、総司は部屋のドアを開けて、さっさと走り去ってしまった。

 自分が遅くに下校したことの責任の一端は彼にもあるというのが純夏の言い分なのだが、そんな文句を言う暇もなかった。

「……あの、『ヘイデン』って何なんですか?総司くんもそんなこと言ってましたけど」

 純夏は、二人きりで残されたベネッドにそう尋ねる。総司が駆けつけた時も、そんな単語を聞いた覚えがあった。

「嬢ちゃんが出会った執行人の個体名だよ。サイボーグのような容姿に、ヒトに近い体躯。いつもフードを被っていて、顔は趣味の悪い仮面で隠されてる。ハイテクなデザインの刀を武器に使うやつだ。……吸っても良いかい?」

 解説しながらベネッドは、ズボンから煙草のパッケージを取り出してそう訊いてくる。先ほど総司に諫められて吸うのを止めていたあれだ。

 純夏が「気にしません」と答えると、ベネッドはインナーの胸ポケットからライターを取り出して、煙草の先に火をつけた。

 その口から紫煙が吐き出されると、部屋が香しいニコチンの匂いに包まれる。

「……総司くん、煙草嫌いなんですか?さっき止められてましたけど」

「いいや、あいつも気にしないよ。たぶん嬢ちゃんに気を使ったんだろうね」

 だとしたら何ともズレた話だ。純夏も気にしないタイプの人間だったというのに。

「さて、ヘイデンの話だったか。奴は……まあ、厄介な執行人だよ。派手に暴れまわるようなタイプじゃないんだが、とにかく強い。しかもあいつは、ママルの癖に頻繁に出現するからね」

「ママル?」

「執行人の種類みたいなもんだよ。覚えておいて損はない」

 ベネッドはそう言うと、手元のタブレットを操作して、その画面を純夏の方に見せてきた。 

 そこに表示されている画像は、線で縦に二分されていた。左側にはトカゲのような小さめのイラストが、右側には人に似た形の大きめのイラストが描かれている。それぞれの側に”レプタイル”、”ママル”と大きく表示されていた。

「左のトカゲみたいのが一般種の”レプタイル”。右が上位種の”ママル”だ」

「レプタイルと、ママル」

 復唱しながら純夏は、二つのイラストを見比べる。簡略化されてはいるが、なるほどどちらも執行人らしい不気味な形をしていた。

「レプタイルは、虫や爬虫類に似た形の執行人だ。見た目通り単純な動きしかしない連中で、現れるのはほとんどこいつらだと思っていい。比較的小さいし動きがのろいから、対策があれば人の手で倒すこともできる。……一般人にはまず無理だと思うけどね」

 例えるなら、「刃物を手にした成人男性」もしくは「ちょっと弱いライオン」だという。人によっては素手で制圧することもできるだろうが、少なくとも純夏には無理だ。それに、ほとんどの場合レプタイルは複数で出現するというから、結局は逃げてしまった方が良いのだろう。

「問題は"ママル"の方だ。こいつらは大抵ヒト型で、複雑かつ力強い動きをしてくる。めったに出現しないんだが、狙われればまず終わりだ。人の力で勝てる相手じゃないからね」

「人の力じゃ勝てないって……あれ?でもあの執行人、逃げてましたよ」

 純夏が遭遇した執行人——ヘイデンは、総司が発砲した弾丸を避けた後、何もせずに消えていった。あれは純夏の価値観に照らし合わせると、「逃走」という行為に他ならない。

「そりゃあ用が済んで消えただけだよ」

 ベネッドは答えてから再び煙草を咥え、紫煙を吐き出した。

「一応この町でも、連中には毎回殺すべき対象ってのが決まってるらしいからね。無暗に淘汰対象じゃない人間を攻撃したりはしないのさ。レプタイルは動物的に動くからたまに巻き添えが出るんだけど、ママルは人間と同じように考えて動いているらしい。あれは『冷酷な人間』を相手にする感覚に近いよ」

「冷酷な人間……」

「粛々と、正確に殺すべき相手を殺す。頭がある人間の動きだ。とは言え、連中に心があるようには見えないが」

 確かに純夏が出会った「ヘイデン」も、あのチンピラを殺すとき最後に心臓を狙っていた。アレは人間としての知識や知能がなければできない芸当なのだろう。

「分かりやすくはっきり言っておくが、人間がママルに勝ったり撃退したりなんて例は、過去に一度もない。出会っちまったら、自分が淘汰対象じゃないことを祈ることだ」

「……自分が淘汰対象だったら?」

「その場合は……諦めた方が良いね、そっちの方が苦しまず死ねるから。とはいえママルは背河内でも早々現れやしないから、そんなにビクつく必要もないけど」

 ママルが現れるのは、人質がいる中でテロリストを狙う場合などが多いらしい。例えば「第二の事件」と呼ばれるハイジャック事件で出現した執行人は、状況からしてママルだったと思われる。

「もっとも、ヘイデンのやつはよく出現するんだけど。ここ一か月姿を見ないと思った矢先にさっきのあれだ。不気味な奴だよ」

「……そういえば、あの執行人と遭遇する前にトカゲが這うような音を聞いたんですが」

「ああ、多分レプタイルが何匹か一緒にいたんだろう。ということは、坊やの言ってた通りか。犠牲者は一人だけってわけじゃなさそうだ」

 あの闇の中にヘイデン以外の執行人がいて、しかも人を殺していたのか。そう思って純夏はゾッとした。

 理性のない与えられた殺害命令をこなすだけの猛獣が跋扈しているというなら、この町の人間が夜に出歩かないのも頷ける。そんなものが高確率で徘徊している宵闇など、たとえ自分が淘汰対象でなくても危険すぎる。

「……さて、無駄話が過ぎたかな。嬢ちゃん、保護者に連絡とかはしてないんだろう?家まで送ってやるから、さっさと帰った方がいい」

 ベネッドはそう言って立ち上がり、ぐぐ、と大きな伸びをした。

 確かに彼女の言う通りだ。この町の抱える闇と言うものを正確に理解した今、祖父母らがどれだけ心配していることか目に浮かぶ。話すべきことも話してお開きという感じのこの雰囲気には、従っておくべきなのだろう。

 ただその前に、純夏にはベネッドにもう一つ訊きたいことがあった。

 普通に考えれば「何を言ってるんだ」と思われるようなその言葉を、純夏は勇気を絞って吐き出した。

「あのっ、物は相談なんですけど……」


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