第6話

「何であんな時間に帰ってたんだ!日が落ちる前に帰れって言ったよな!」

「仕事してたの!そんなに責めなくてもいいでしょ、別に遊んでたわけじゃないんだから!」

「またぞろ仕方ないとでも言うつもりか!?仕方なくねえよ三十分で終わる量しか任せてねえんだから!」

「あなたに言われた分は十分で終わりました!だいたいあんなので何が言いたいか伝わるわけないでしょ!?」

「とっくに知ってると思ってたんだよ!言っとくが『背河内』でググれば二番目に『SFS』って出てくるからな!」

「私、ネットなんて使ったことないの!」

 白塗りのてかてかとした壁に覆われた廊下を、二人はそんな風に言い合いながら歩いていた。

 実際のところ、純夏に非は無い。

 事実彼女はほとんどスマホにも手を触れない、女子高生としては絶滅危惧種のような人種だ。インターネットなどを使った経験もほとんど無いし、引っ越し時に移り住む先を下調べする余裕は残念ながら無かった。

 もちろん何ら疑念が無かった訳では無い。

 今まで何度かクラスメイトの口から「システム」という単語を聞いていたし、高倉や総司の謎めいた言葉もある。それがSFSを指している可能性も、考えはした。この町は何か、システムに関連する特殊な事情を有しているのかも知れない、と。

 だがまさか、ここまで切迫し殺伐とした事情だとは想像出来るはずがない。

「SFSって、『日本のどこかで起こっている珍しいこと』みたいな認識で……そういう意味だと、私の住んでたところでは交通事故みたいな扱いだったし」

 ニュースの向こう側で起こる、危険だが身近ではない惨状。いつか自分の身に降りかかる"かもしれない"「悲劇」。

 その存在は常識として知っていても、自分の人生に深く関わりを持つ可能性は低いモノ。純夏の以前住んでいた東京に限らず、都市部でのSFSの扱いはそんなものだ。

「確かに普通はそんなもんだろうが、この町は違う。良いか、簡単に言えば、執行人が馬鹿みたいに出現するんだ。住人はみんな、システムを身近に実在する脅威として見ている。お前もそう思っとけ」

「うん……さっきは本当にびっくりした」

「だろうな。まあ無事で良かったけど……」

 ただそれを言うなら、町の地下にある広大な基地の存在を知った時の驚きも相当なものだった。総司の言うところによれば、「システムと戦う組織」らしいので、若干の怯えもあった。

 しかしいざその基地に案内されると、驚愕は呆れの入った困惑に変わっていた。

 総司に案内された基地の入り口が廃棄された地下駐輪所にカモフラージュされていたのもあるが、何よりその内装が、どうにも現実離れしている。至る所がSFチックで、直球で例えるなら、まるで「スターウォーズ」のセットの中を歩いているようだ。

 こうまで立て続けに非現実的な状況に晒された純夏は、実のところかなり混乱していた。トチ狂ってると言っても良いほどだ。でなければ、今朝初めて話したばかりの人間に対して、あのような無遠慮な口の利き方はできない。

「……で、結局ここはどこなの?神村くん」

 そんな純夏の問いに、総司は苛立った態度を隠そうともせずに溜息をついて、

「総司でいい」と答えた。「距離を感じさせるな。もう色々と納得いかなくなるから」

「……?」

「この基地はいろいろと事情が込み入ってて、もう俺一人で説明するのが諸々面倒くさい。だから上官に会わせる」

 そうして歩いているうちに狭かった通路から、大通りと言えるほどには広さのある場所に出る。

 それまでと違って、ここではちらほらと人の姿が見えた。この基地の職員だ、と総司は説明する。

 彼らは普通ではあまり見ない機能的な、……つまりはこれまたどこかのSF映画に出てくるようなデザインの制服に身を包んでいた。

 ただ、総司のようなあからさまな"戦闘服"を着ている者は一人もいなかった。二人とすれ違う者は皆、手元のタブレットを難しい顔で見下ろしているか、ほかの人間と真面目な顔で言葉を交わしている。

 そしてその横を通るたびに、純夏は何やら好奇的な視線に晒された。この空間では、普通の格好をしている純夏の方が異物なのかもしれない。

 そんな風に考え始めたとき、前を歩いていた総司が唐突に足を止めた。

「ここだ」

「ここ……?」

 立ち止まった二人の前に広がる部屋は、何故か床が畳張りになっていた。学校の体育館ほどの広さがある。

「靴を脱いでから入れよ」

 そう言って総司はさっさと自分も靴を脱ぎ、先に進み始めた。純夏は慌ててそれに倣う。

 畳張りのこの部屋は、どうやら訓練室らしい。部屋の至る所にそれらしい器具が設置されているし、周囲から漂う雰囲気にはどことなく熱気の残り香のようなものを感じる。気を抜くとその空気に呑み込まれてしまいそうで、純夏は意識を張って前を行く総司の背中を追いかけた。

 もっとも、それはつまり周りがよく見えないほどに緊張していたということでもある。

 なので、突然目の前に人が降ってきた挙句、総司の頭に手刀を叩き込んだ時には、腰を抜かしそうになった。

「ぐうっ!?」

 そんな鈍い悲鳴とともに、がん、と冗談にならないような音が響く。手加減無しに骨を打ち叩けばそんな音が出るだろう、という感じだ。

「……ベネッド……!何やってんだあんたは!」

 叩かれた頭をさすりながら、総司は振り返って襲撃の犯人に向き直る。

 純夏と総司の間に立っていたのは、褐色肌の野性味ある美女だった。

 ブロンドの髪をかき上げながら控えめの笑顔を浮かべた彼女は、随分と日本人離れした、彫りの深い顔立ちをしている。顔の左側には縦に大きな一本傷があり、左目はその下に閉じられていた。

「気が抜けてるよ、坊や。どんな時も気を抜くなと教えてやったろ?連中はいつどこに現れるか分からないんだから」

 子供を軽く叱るような砕けた口調で、ベネッドは、たったいま自分が手刀を叩き込んだ頭をくしゃくしゃと撫でた。それを総司は、いかにも鬱陶しそうに払いのける。

「いい加減子ども扱いはやめろ。つーか、基地に執行人が現れる時は先に警報が鳴るだろうが!」

「子どもで間違ってないだろ、十七のガキなんだから。……で、その嬢ちゃんが目撃者かい?」

 声を上げて抗議する総司を軽くあしらって、ベネッドと呼ばれた女性は純夏の方へ向き直った。

「——その制服、坊やと同じ学校のだね。同級生かい?」

「は、はい。狩宮純夏です。神む……じゃなくて、総司くんとはクラスメイトで」

「ふうむ……」

 聞きながら、ベネッドは物色するような目でジロジロと純夏を見てきた。初対面の人間にしては、あまりに無遠慮な行動だ。純夏は身を引きたくなったが、反面どこか失礼な気がして、動けずにいた。

「……ふむ。しかし、嬢ちゃんはどうしてこんな時間に出歩いてたんだ?見たところ教養はありそうな顔してるが」

 一通りの物色を終えると、心底から不思議そうに、ベネッドは尋ねてきた。やはりこの町では、暗くなってからは出歩かないというのが常識らしい。

「こいつは転校生なんだよ」

 総司はそう答えると純夏の方に顔を向けて、親指でベネッドを指さした。

「狩宮、紹介する。この人はベネット。俺の上官で、ここじゃあ訓練教官をしてる。言っとくが鬼教官だ」

特務局警備課長とくむきょくけいびかちょう、ベネッド・イクシーモス。……しかし嬢ちゃん、災難だったね。引っ越してすぐに執行人と出会っちまうなんて」

 ベネッドはそう言いながら、ズボンのポケットから煙草のパッケージを取り出す。そのまま中身を出そうとするが、横の総司に肘で小突かれると、近くに未成年者が二人いることに気づいたらしい。口惜しそうに、再びパッケージをポケットに仕舞った。

「とりあえず、場所を移そうか。こんな汗臭いところで、立ってする話じゃないしね」

 そう言ってベネッドは、スタスタと歩き出した。

 後に続こうとして、ふと純夏は、すぐ近くから刺すような視線を感じて立ち止まる。出どころは探すまでもなく、隣に立つ総司だと分かった。

 彼は何というか、嫌そうな顔をしていた。本気で疎ましく思うような表情ではなく、例えるなら香水の匂いが僅かに気になったくらいのものに見えたが。

「……あの、何?」

「いや……お前、背高いんだな」

 ぼそりと言い残して、総司はベネッドの後を追った。少し考えて、純夏は一つの事実を思い出す。

 総司には一つ、コンプレックスらしいコンプレックスがあった。それは同年代の男性と比べ、やや身長が低いということだ。

 極端に"チビ"という訳では無いのだが、低い方ではある。加えて純夏は女子の中では背が高い方なので、並んで立つと、目線の高さがほぼ同じになるのだ。

 もしかして、気にしているんだろうか。

 そんな風に首を傾げ、それから純夏は自分が置いて行かれていることに気付き、慌てて二人を追いかけた。


 そうして移動した先は、訓練場から三分ほど歩いた区画にあるベネッドの私室だった。ベッドや机などの生活必需品のほかには本棚が一つあるだけの、小ざっぱりとした部屋だ。

「――SFSがこの国に生まれてもう五十年だ。連中について、嬢ちゃんはどれくらい知ってるんだい?」

 ベネッドはベッドの上に足を組んで座ると、純夏にそう尋ねた。

「『多くの人の幸せの邪魔になる人間』を殺してしまうシステム、と言うくらいしか知らないです。あとは、手を下す"執行人"がいることとか……」

「そう、システムはみんなの幸せの邪魔になる人間を殺す。テロリストとか、空港の建設に反対する人間とかね。……本来は、の話だけど」

 ベネッドは憂鬱そうに溜息をつくと、純夏に一枚の書類を手渡してきた。

 それは、全国のSFSによる犠牲者の統計を、市区町村ごとに分けて可視化した円グラフだった。最も大きな割合を表す部分は、グラフ全体の面積の半分以上を占めている。そこには、小さく「背河内市」と書かれていた。

「三十年で、十万人以上……?」

 それがグラフにはっきりと示されていた数字だった。

「ゴッサムでもそこまで死にやしないだろう。ここ十年の分は調べたが、犠牲者の中で淘汰の対象になるような理由が見当たった者は一割もいなかった」

「それってつまり……」

「そう。この町では、システムによる無差別殺人が行われているんだ」

 いかにSFSの淘汰が理不尽なものでも、そこに確たる条件がある以上は対策も可能だろう。

 しかし背河内では、条件と呼べるものが存在しない。この町では真の意味で、いつ人が死んでもおかしくないのだ。それがどれだけ恐ろしいことかと想像して、純夏はごくりと生唾を呑んだ。

「過去に大規模な淘汰が行われたこともある。だからこの町は、『血塗られた町』なんて呼ばれている」

 執行人の恐怖に今も怯えながらね、とベネッドは憎々しげに付け加えた。

「執行人について説明する必要はないね?どこからか突然現れて、人を殺したら帰っていくバケモノどもだ。そんな連中が、この町ではほかの何十倍もの頻度で現れる。当然人は減る一方だし、代わりにガラの悪いならず者が増えていくのさ」

 実際の数字として、背河内市の犯罪率はかなり高い。システムと言う対処不能な暴力に晒されている以上、ただの人間の横暴はどうしても軽視される。おかげで治安も悪くなり、背河内市は住みたくない町ランキングにおいて、永遠の一位を記録していた。

 純夏に絡んだ挙句に執行人に殺されたあの男も、かなりガラの悪い様子だった。むしろ多少は理性的な絡み方をしてきた彼は、この町ではマシな方の人間だったのかもしれない。

「……それじゃあ、夜に出歩かない方が良いのもそのためですか?」

 数時間前の帰り際の忠告を思い出して、純夏はそう尋ねた。その質問に答えたのは総司だった。

「それもあるが、執行人は夜によく出現するんだ。理由はよく分かってないけどな」

「だから、この町のマトモな人間は日が落ちると出歩かない。……と言うか、親御さんに言われなかったのか?暗くなったら出歩いちゃいけません、って」

 確かにそんなことを言われた覚えがあるが、相手が高齢の祖父母ということもあって、それはありがちな「注意」だと思っていた。今にしてみれば、あれは孫娘の身を本気で案じた真剣な忠言だったのだろう。

「……ええと、それで。ここはいったいどういう施設なんですか?」

 目だけであたりをぐるりと見まわしながら、純夏はそう尋ねる。

 今のところ、それが一番知りたいことだった。この部屋の天井や壁もそうなのだが、どうもここには、様々な箇所に近未来趣味なデザインが見て取れる。機能美を追求しただけでこうはならないだろうというレベルで、だから純夏は、イマイチこの場所を現実として受け入れられないのだ。

「特殊防衛実務局――SFSの破壊を目的とした、一応は公的な組織。ここはその前哨基地だよ、嬢ちゃん」

「特殊防衛……えっと」

「一般的には『特務局』だ。正式名称に防衛と入ってるが、自衛隊じゃなく警察庁の下部組織」

 復唱しようとして言い淀んだ純夏に、総司がそう付け加える。

「特務局……で、総司くんもその一員なんだよね」

「ああ」

 総司は短く答えて、純夏に自分の装備の襟元が見えるように首を動かした。そこには、警察を象徴する桜のマークの上に蛇がデザインされたエンブレムが縫い付けられている。

「これが特務局のマークだ」

「とはいえ、この坊やとか私みたいなのは、特務局全体の意義から見れば"ついで"なんだけどね」

 ベネッドは総司の言葉をそう引き継いで、それから自嘲気味に笑った。

「特務局に求められてる主な役割は、SFSや執行人の研究なんだ。そもそも執行人なんて人知を超えた存在に正面切って立ち向かおうなんてのがナンセンスだ、ってのがお偉いさんの見解でね」

 それも仕方のない話なんだけどね、とベネッドは言う。

 広い見方をすれば、そもそも執行人を倒すこと意味はない。

 たとえ出現した執行人を倒したとしても、簡単に次の執行人が出現する。敵の数に限りがあるかも分からないのだから、そんなやり方ではエンドレスだ。

 だから倒そうとするべき対象は"手先"である執行人ではなく、"大脳"であるシステム本体の方なのだ。そのための近道は、今のところ地道な討伐ではなくシステムそのものの研究と考えられていた。

「……しかしシステムの正体。そんなものを探るヒントすら、現状存在しないからね。この世のどこかに執行人を動かしている黒幕がいるのか、それとも、あれはやっぱり超自然的な現象なのか。そもそも破壊できるものなのかも分からない」

「だから特務局の意義はあくまで、SFSの研究・調査にある。対システムの最前線であるこの町に基地が作られたのも、研究対象が豊富に出現するからだ」

 特務局の本質を語る総司の顔は、やりきれないような表情で覆われていた。

 純夏はついさっきの、執行人に銃を向けた彼の様子を思い出す。

 総司の動きは素人目から見ても明らかに訓練されたものだった。彼はずっと以前から、執行人と戦うために、鍛錬を積み上げてきているのだろう。それが、結局は無意味なことだと理解しながら。

「……じゃあ総司くんは、どうして執行人と戦うの?」

 容易に踏み込んではならない領域であることを薄々感じながらも、純夏は訊かずにはいられなかった。

 システムについて語る時の総司とベネッドの表情は終始、重く辛いものだった。彼らの過去には、純夏の平々凡々な人生とは比べ物にならないような何かがあったのだろう。それはきっと、放課後の教室で抽象的に感じ取った違和感にも繋がるものだ。

「……別に、大した理由じゃ無い。本質的にはただの研究機関でも、特務局に求められるイメージは『執行人と戦う』姿だからな。世間への建前として、俺みたいなのも、『警備課』って名目でごく少数雇われてるんだ」

「それだけ?じゃあ総司くんは、仕方なく戦ってるの?」

 政治的な事情で動かされているだけの人間が、倒すことに意味のない執行人を取り逃がしただけで、あんな悔しそうな表情を見せるとは思えない。だから純夏は、重ねて尋ねる。

 すると総司は、渋々という感じに口を開いた。

「……あんなもの、、、、、この世に存在しちゃいけないんだ」

「あんなもの、って……総司くんは、何を見たの?」

「何人も殺されるのをこの目で見た」

 人の命は無条件に重いという、現代の普遍的な価値観がある。だから人の幸せのために人の命を犠牲にすることは許されない。幸か不幸か、という問題を考えるときに、生死の概念を要素に含めること自体が非人道的なのだ。

 しかしそんな、人間が踏み越えられないモラルも、SFSの前には無意味だ。SFSに感情は存在しないし、執行人は淡々と役割をこなす機械と変わらない。

 そんな思想も正義も放棄した"システム"が、「正しい」はずがない——総司は淡々と、それこそ機械のように語った。

「この町は、いつも怯えてる。血を流して、痛みに悶えてる。でも、外の連中にとってそんなことはどうだって良いんだ。だから『システムは良いか悪いか?』なんて議論を、未だにやってられる」

「…………」

「この国の、『幸せ』を享受する連中は、この町で何万人死のうが大して気にやしない。だったら、俺が何かしなきゃ、、、、、、、、だろう?」

 そんな語りを聞いて純夏は、この基地は事情が入り組んでいると言う、総司のあの言葉の真意が理解できた気がした。

 執行人の恐怖に怯える町にありながら、この基地は執行人と戦うことを目的にしていない。この基地を作った政府の役人たちは、この町を守るつもりがない。この町はとうに、犠牲として見捨てられているのだ。

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