第4話

 その逼迫した緊張を破ったのは、不意に響き渡った乾いた爆音だった。

 足元のアスファルトの表面から、カン、と何が石でも投げ落とされたような音がする。純夏は思わず視線をそちらに引き付けられ、怪物は反対に、爆音のした方を向いていた。

「——いたぞ!」

 人の声がしたことで、純夏もそちらに目を向けた。

 そして同時に驚愕する。道路のすぐ脇、空き家らしい建物の屋根の上――そこ立っている、特殊部隊のような装備に身を包んだ若い男が立っていたからだ。

 まるでアクション映画のワンシーンのような風景だが、これが紛れも無い現実である事は確かだった。

「ヘイデンだ。ああ、間違いない」

 彼は、耳元に装着した通信機の向こうの相手と何やら話している。

 彼が着用している装備の隙間からは肌色の部分が見え隠れしていた。そしてその口から聞こえるのは、純夏にも理解できる人の言葉だった。

 屋根の上に立つ男からいくらかの人間らしい雰囲気を感じ、純夏はほんの少しだけ安心を懐く。

 ――しかしそんな一息の安堵もつかの間、次の瞬間に非日常の闘争は再開する。

 男は耳元の通信機から手を離したかと思うと、迷うことなく屋根から跳躍し、純夏のすぐ隣に着地した。

 五メートル以上の高さから飛び降りたというのに、彼は身体のどこも痛めたような様子は見せず、その動作の流れのままに身を捻り、怪物に銃口を向ける。

 間髪入れずに銃口から二発の弾丸が撃ちだされ、夜の住宅街に爆音が轟いた。その人間離れした動作を、純夏はただ見ていることしか出来ない。

 ——しかし真に驚くべきは、その直後の怪物の動きだった。

 怪物は、まるで熟練の師範代が武術の演武をするように身体を跳ねる。そうして滑らかかつ無駄のない動作で、超速の弾丸をいとも容易く回避した。

 明らかに人間どころか動物の範疇を超えた動きだった。

「くそッ!」

 標的を見失った二つの鉛玉がそのまま虚空に姿を消したのを見て、青年はそう吐き捨てる。

 そんな中、怪物に異変が起こっていた。

 どういう物理法則が働いているのか、その体からバチバチと稲妻のようなものが放出されている。それらは瞬く間に数と大きさを増し、ひときわ大きな音とともに、純夏の視界を白く覆いつくす。

 思わず純夏は目を閉じた。そして、彼女がが次に周囲の景色を正確に視認した時、彼女の目の前から怪物は完全に姿を消していた。

 一連の現象は、ありきたりな言葉を使えば、テレポーテーションとしか表現出来ないものだった。

「っ、はぁ……」

 その不可思議さは一先ずさて置き、怪物が消えたことで途端に恐怖の重圧から解放された純夏は、大きく息を吸い込んだ。

 そんな彼女の前で、男は銃を下ろす。と、その時、彼の耳元の通信機から小さな電子音が鳴り響く。青年は左手の先を耳元に当て、応答した。

「……ああ、逃げられた。死者一名だが、多分ほかにもいるだろうな」

『そっちの捜索は別働隊がやる。坊やはさっさと戻って、報告をしな』

 通信機からは若干ながらに音が漏れていて、純夏にも相手の声が聞こえた。大人らしい女性の声だ。

「分かった。それと、目撃者が一人――」

 そう話しながら男は、いつの間にか地面に座り込んでしまっていた純夏の方に目を向けて、唐突にぴくりとその動きを硬直させた。同時に純夏の目にも、彼の素顔がはっきりと映る。というか、目が合った。

「……お前っ、狩宮純夏?」

 名前を呼ばれて、いよいよ純夏は自分の目がおかしくなっていないことを確信する。目の前の、目元が前髪で隠れた顔には見覚えがあった。

 怪物から純夏を救ったのは、他でもない——神村総司だったのである。

「なんで、お前が……」

 そう漏らす彼の表情は、驚愕というよりむしろ、焦りのようなもので満ちていた。例えるなら煙草でも吸っているところを同級生に目撃されたような、そんな顔だ。

「……どういう事だ、おい、何でこうなる……!?」

「あ、あの、神村くん……」

 学校とは随分と違った様子で感情を露わにする総司に、純夏は困惑しつつも尋ねる。

「一体……何が起こってるの?」

 その質問が、今純夏が抱いている疑問を一言で説明していた。

「神村くんが映画みたいな恰好をして、映画みたいに屋根から飛び降りて……あのサイボーグみたいな人は何なの?」

 総司は答えない。返す言葉を選びあぐねているという感じだ。あるいは彼も、自らの中に渦巻く様々な感情を御し切れていないのか。

 しかし純夏は、問わずにはいられなかった。

 異様な質を抱えた宵闇の最中の、"バケモノ"の出現。そして、そのバケモノに銃を向けるクラスメイト。あまりに非現実的でありながら、その実、何故か純夏は今まで一度も「これが夢かもしれない」とは思わなかった。さっきまでの光景はそれほどまでに、迫真のリアリティを孕んでいた。

「あのバケモノ、人を……」

 言おうとして、純夏の脳裏についさっきまでの情景が浮かび上がる。吐き気を堪えながら、彼女はもう一度口を動かした。

「人を、殺してた」

「……アレは、システムの執行人だ」

 癇癪を抑えるように頭を抱えながら、総司は答えた。

 それを聞いて純夏は、もう一度質問を重ねる。今朝に高倉の言葉を聞いてから、そして先程、教室で総司の忠告を聞いてから、頭を離れない予感を確かめるために。

「システムって……SFS、、、のことなの?」

 総司はコクリと頷いた。

 それで純夏は、ようやく自分がこの世界の闇の渦中にいるのだと理解した。

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