なんとなく笛を吹いていただけだったんだ
脳裏に、風景が映しだされた。旅立ちの場面だった。旅立ちに際して、兄は散々世話を焼いてくれたが、父は渋い顔して黙ってケントの顔を眺めていただけだった。そしてとうとう、父と言葉を交わす事なく旅立ってしまったのだ。父は宮廷音楽家であった。いつも、家でも(あまり家にいないが)楽譜を見てフルートばかり吹いていた。そして、それが当然のごとく家庭の事を全然かまわなかった。ケントの家は三人家族であった。父と兄と二男のケントである。しかし、兄も音楽家として宮廷に出入りし忙しくあまりケントにかまってくれなかった。だからいつも一人であった。それでもケントは父が誇りであった。よく夜眠れない日があると窓を開けて父が演奏する音色を聞きながら眠ったのだった。いつか自分も、あんな風に吹ける日が来ると信じながら。
しかし、現実はそんなに甘く無かった。ケントが六歳になると毎晩遅くまで父親に習いフルートを吹いた。が、いつまでもうまくならなかった。父は落胆した。ケントは父の落胆した顔を見て焦った。(こんなはずじゃなかったのに)そんな日が続き、だんだん、まじめに練習をしなくなった。まじめに練習する事が怖くなった。もしも、まじめに練習してもできなったらどうしよう。そのことばかりが頭の片隅から離れなかった。そのうち本気で練習する事が面倒くさくなった。いつしか毎晩の練習は無くなった。ケントは本当に孤立した。そんな家の雰囲気に「諸国を巡って、精神修行しないか」という父の提案に救われ逃げるようにして家を飛び出してきたのだった。
すでに日が昇っていた。体を起こそうとすると、筋肉痛で起き上がれなかった。旅の疲れがドッと出たのだった。
「目~覚めたか」
声が右手の方から聞こえた。顔だけ向けてみるとがっしりした茶色い髪の男の子が椅子に座り足を机に投げ出していた。黄ばんだシャツに年期の入った青いズボンを履いていた。心配そうにケントを見ている。
「倒れてたんだぜ。感謝しな」
そういわれてみてはっとした。確か気を失った時は草原の真ん中であった。それが今では家の中の暖かいベッドに横たわっているのだ。服も取り換えられている。今は、泥一つついていない清潔なシャツを着ていた。あわてて声を出そうとしてもでなかった。
「なに、慌ててんだよ。別に捕って食いやしねえよ。ここは自由都市ルートムだよ」
ハックは不満そうに言った。
「それよか、礼の一つも無いのかよ」
ケントは口をもごもごさせてありがとうと言った。少年はポットからコーヒーを注いでケントに手渡した。なんとか体を起こしコーヒーを受け取った。
「熱いから我慢しな。そういや紹介遅れたな。俺はハック。樽職人の見習いさ。この町のレン親方の下で修業してるのさ。下っ端だけど」
ははっと笑った。つられてケントも笑った。緊張が少し解けた。
「僕はケント。出身はルーン国。僕もやっぱし見習。音楽家のね。一応……」
ケントはうつむく。ハックはへええ~って顔をした。しばらくケントの顔を見つめていたがやがて納得いったようにうんうん言った。
「そういや手持ちの袋の中に年代物のフルートが入ってたな」
脇に置いてある袋を見つけると引き寄せて中から笛を出した。
「この笛は六歳の時に父さんからもらったんだ。」
ケントは呟いた。(もう六年か……)
「この町でも音楽家いるぜ。けっこう有名らしいぜ。尋ねてみれば?」
そのまま話がはずんで、しばらくこの町に滞在することになった。いつしか夜になった。それでも話は尽きなかった。ハックが、ふとこんな事を言った。
「そうだ、ケント、一曲聞かせろよ。なんでもいいから」
ケントはその言葉を聞いて困る。笛吹き歴は、六年と長いがまじめに練習してこなかったのでまともに吹ける曲がほとんどないのだ。パニックになっていると、ハックは「さあ」と言って促す。仕方がないので笛を袋から取り出し覚悟を決めると吹き出した。中程まではうまくいったが、一回つっかえると、もうだめだった。むちゃくちゃだった。ハックは黙って最後まで聞くと感想はなにもいわず「明日早いからもう寝るか、おやすみ」と言って自分の明かりを消し寝てしまった。しかたないのでケントも笛を脇に置くと明かりを消し横になった。なんか釈然としない日になってしまった。
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