文集 ホントウノコドク

Kaede.M

少子化の源流(少子化問題の原因と対策を解説する)

これは私の人生経験に基づく話なので、私(男)が主語になる。

私は10代から天涯孤独なので、意見が合う人なんてどこにもいない。

虐待・いじめ・育児放棄・家族崩壊・牢屋暮らし・路上生活・精神病棟暮らし……と、まぁ、いろいろと経験したので、送ってきた人生が他の人とは全然違う。

それなのに、ネットだと勝手に共感して同調してきたり、自分の意見と違うからと言ってアホみたいに誹謗中傷してくるゴミばかりで、すぐに喧嘩になる。

だから、私は、誰の意見も求めていない!ただの独り言だ!と、前置きしておこう。


この国の人間は、「出会いがない」「出会えない」と、よく言うけど、実際には「出会いを探していない」が正解だ。


私の世代は、生きるために出会いを探す人がいない。

自分や家族にとって都合の良い使用人(奴隷)しか探さない。

なぜなら、男も女も、すでに親(家族)と結婚しているからだ。

だから、相手を探さないし、相手なんていようがいまいが関係ないし、困らない。

これは精神的にも経済的にも……、という意味だ。

精神的支柱は家族であり、相手ではない。

優先順位をつけると、1番は親、2番は祖父母、3番は兄弟姉妹で、相手は4番目以降である。

相手がいようがいまいが、精神的には何の影響もない。

経済的な理由としては、私の世代の親は、万人中流階級と呼ばれた世代なので、大半が、とても裕福である。

カネもあるし、家や土地もあるので、親子関係が破綻していない限り、いずれ、それを相続すれば食いはぐれることがないのである。

もう、その時点で相手のいない人生プランが描けてしまうのである。

つまり、小学生になった頃には、前の世代までは存在した「将来、結婚しなければならない」という強迫観念が頭から消えている。

私の世代で、結婚しない人が激増したのは、女性の社会進出や女性の学歴向上・年収向上が理由ではない。

そんなのは、一切、関係無い!

理由は、女性が嫁ぐのをやめて親と結婚するようになったからである。

(親と結婚というのは、同居だけでなく、関係性を保った一人暮らし・別居も含む)

ちなみに男性は、戦前から親と結婚していて、それは今も変わっていない。

だから、私のような人間関係ゼロの天涯孤独でない限り、「生きる」ために、命を懸けて相手を探すなんてことはしないのである。


よく男が、「年収が少ないから結婚できない」「貯金が無いから結婚できない」などと抜かしているけど、全く関係ない。

カネさえあれば結婚できると思っている時点でゴミだ。

経済的に困っておらず、出会いを探していない女しかいないのに、カネの話なんかしても無意味だ。

カネさえあれば……というのは、男としての勝手な自尊心の問題であって相手は関係ない。

その話だけで相手を見つけようとするならば、億単位を持ってないとムリ。

もし、イケメンだったら……というのも同じくらい聞くけど、顔を整形してファッションモデルをやっていた私からしたら、それも、そいつが勝手に思い込んでいるだけで全く関係ない。

他方、女性も、「男性が終身雇用で働き、女性が相手の家庭に入る」という概念が無い今の時代に、「年収はいくら?」と当たりまえのように聞いてくるゴミしかおらず、うんざりする。

親と結婚していて、精神的にも経済的にも困っていない女が相手の年収なんか聞いてどうする?

こういうことを言う女は、経験上、信じられないレベルのクソゴミしかおらず、絶対に関わってはいけない。


結局、今の時代、男女ともにカネの話をする奴はゴミしかいない。

こいつらは「カネがないと生活できない」とほざくけど、生まれ育った環境を底辺に設定し、それと同等、または、それ以上の生活水準を勝手に求めているだけである。

元路上生活者の私からしたら、生活なんかいくらでもできる。

私の世代からは、時代が困窮に向かっているので、私の子供時代と同等、または、それ以上を求めるのは、そもそも不可能なのである。

私と同学年は、給料が一番高かったのが、新入社員の年(90年代前半~半ば)である。

それ以降は、横ばいか、下がっているかのどちらかしかない。

そもそも出会いの動機はカネではない。

路上生活時代に女性の姿を見ていない時点で、カネ(生活するためのカネ)なんか関係ないことくらい実感としてわかる。


私は、10代後半から47歳まで、約30年間、命を懸けて出会いを探した。

恋活・婚活を含め、延べ2000人以上の女性とやりとりをした。

会ったのは何十人だが、3時間以上、会話が続いた人は1人もいなかった。

送ってきた人生があまりにも違いすぎて、会話が成立しない。

何もかもがどうにもならなかった。

日本中を30年も探したけど、出会いを探してる女性は1人もいなかった。

全員がその状態(親と結婚していて、そもそも出会いを探していない前提)で、自分や家族にとって都合の良い使用人(奴隷)しか探していなかった。

私と同年代とそれ以降は、恵まれた環境でヌクヌクと生きてきただけの被害妄想ゴミ女しかいない。

しかも、そういう場に顔を出す男女比率は、年齢によって違うが、私の感覚では平均で男50に対し女性1……。

見つかるわけがない。

生きた時代が前に30年ズレていたら、私の場合は、どうにでもなったと思っている。


10代から独りで生きてきて、その間、ずっと会話の相手とメールの相手が1人もいなかった人間の知識としては、人間は誰もが「本当の孤独」に陥ったら、生きる意味・目的・気力・希望を失ってしまうということだ。

そうならない人は、持って生まれた才能(外見・性格・身体的能力・知能指数(IQ))に恵まれた人だけである。

運も一つの要素だが、運は、宝くじみたいに一瞬で結果が出るものはよいが、人間関係みたいに継続が前提となるものは、やはり、才能がないと続かない。

会話の相手1人いない天涯孤独でも、まだ若くて、出たトコ勝負を繰り返しているうちは大丈夫だけど、ずっとその状態では、ある瞬間に、突然、何もできなくなり、絶望と無気力に包まれてしまう。

わかりやすく言うと、もう、そうなった後では「正社員」や「取締役(起業)」という肩書が絶対に付かない世界に突入してしまう。

そうなると絶望と無気力だけでなく、極度の人間不信(人との関わりを避けるような状態)に陥り、仕事と私生活の両方が破壊されてしまう。

私と同じように、牢屋暮らし・路上生活・精神病棟生活を余儀なくされる。

この国の大半は、あまりにも恵まれた環境で生きているから、独りで生きるという現実を「(煩わしい人間関係から解放されている)楽な生き方」と捉えてしまう。

本当に独りになったら真っすぐ生きるのは無理だと言っておこう。

生きるために相手を探すという感覚も、自分がそこに陥らない限り、わからないと思う。


出会いに関しては、男女で、天と地ほど違う。

男が「出会えない」というのは、本当に出会えない。

女で「出会えない」と文句を言っている奴は、そもそも出会いなんか探していない。

自分や家族にとって都合の良い使用人(奴隷)が見つからないだけ……。

相手の人生なんか、初めから全く興味がない。

男女差は凄まじく、男は20代まで……、それを過ぎたらもう絶対に見つからない。

女は50代後半まで余裕で見つかる……、本気で探しているならね。

その年齢でも、ブ男ではなくて、普通の人と出会える。

私の経験では、男性は20代前半までに何とかしないと、もう求めている人は見つからない……、20代後半までいってしまうと厳しくなる。

私はモデルだったので、多少長くまで会えたけど、結局、恵まれた環境でヌクヌクと生きてきた(親と結婚している)被害妄想ゴミ女以外は1人もいなかった。


仮に、こういうゴミと結婚すると、子供ができた瞬間に捨てられる。

親と結婚しているから、子供はほしくても、相手はいらないのである。

だから、「シンママ」がブランド化して、みんな「シンママ」になりたがるのである。

親と結婚していて、ただ楽に生きてきただけのゴミなのに、「女手一つで子育て」という言葉とともに、世間一般から「苦労をして生きている」と認識され、承認欲求まで満たされるのだから、まさに一石二鳥で、被害妄想ゴミ女が大半を占めるこの国では、その流れは加速度的に進んでいくだろう。

「子供のために……」と言いつつ、結局は、自分のことしか考えていない。

こいつらは、結婚相手である親が死んだら、今度は自分の子供と結婚して、こなきジジイのように死ぬまで纏わりつくのだろう。

子供も相手と同じで、自分が生きるための道具でしかない。


「幸せ」という言葉は新たに手に入れるものではなく、その家に生まれ育つという運でのみ得られるもので、生まれた瞬間にあるか・ないか、だけである。

私は家族崩壊したので家族観が無い。

家族主義国家日本では、これは致命傷だった。

この話は他人には伝わりづらいが、(家族観が無い)天涯孤独になると、自分の武器は、持って生まれた才能のみとなってしまう。

仕事と私生活、双方において、競争に勝ち抜けるだけのそれが無い場合、詰んでしまう。

仕事は、自分の才能だけを頼りにして出たトコ勝負を繰り返すしかないし、私生活は、駆け落ち前提の恋愛はできても結婚前提の恋愛はできないので、出会い以前の問題として門前払いされてしまう。

「家」と「家」が結婚するという概念が私には無いし、それに対して、受け入れられないレベルの抵抗がある。

親と結婚している被害妄想ゴミ女しかいないこの国で、私のような人生では、相手を見つけるのは最初から不可能だったということだ。

30年やって、わかったのはそれだけ……。


出会いは、被害妄想ゴミ女を受け入れることができるか・できないかだけである。

それができるのは、そういう女性と同様、恵まれた環境でヌクヌクと生きてきた人たちだけである。

被害妄想ゴミ女とは、わかりやすく言うと、「私の話(被害妄想話)を聞いてほしい、私の言うことに従ってほしい、私を好きになってほしい、私を愛してほしい、私を支えてほしい、私を理解してほしい、私を育ててくれた私の家族を大切にしてほしい……、その代わり、私はあなたの人生には全く興味がありません。何か負担を負わされるのは、まっぴらごめんです」という女を指し、この国で出会えるか・出会えないかは、これを受け入れることができるか・できないかだけである。


出会いを30年やって痛烈に感じたのは、とにかく、自分や家族にとって都合の良い使用人(奴隷)しか探さないし、相手の人生には全く興味がない!

会話も自分の話しかしないので続かない。

命を懸けて探した私ですら最後は疲れ果てて、探すのをやめても苦痛じゃなくなってしまうレベル……。

そのかわり「1回きりの人生を棒に振った」という絶望は残ったけどね。


少子化対策は、1つしかなく、親子の縁を切る法律を作ることだ。

成人したら死ぬまで2度と、親は子供と、子供は親と、会ってはいけないし、話してもいけない……、こういう法律を作らない限り無理だろう。

精神的支柱を家族から相手に向けないと、そもそも探そうとしない。

探した相手と人生を歩むという概念すら生まれない。

これは私の人生経験で得た答えである。

政府がやっている子供のいる家庭だけにカネをバラまくなんて、的外れもいいとこである。

度々、少子化問題で、ネットニュースや紙面に掲載されるマスコミ・大学教授・政治家・著名人のコメントも全て的外れである。

私と同じような一般人のコメントも、残念ながら、全て的外れである。

改めて、みんな、本当に良い人生を送っているんだなぁと痛感してしまう(実際には被害妄想者しかいないので、私は日本で1番不幸な人生を送っていると思って生きているのでしょうけど……)。

法律上、子供の誕生は、結婚したあとに予定されているので、出会えない以上、子供の数は減り続けるのである。

第1次ベビーブーム(1947~49)は単年で約270万人の出生数だった。

その子供の世代である第2次ベビーブーム(1971~74)は単年で約210万人の出生数だった。

第3次ベビーブームが起きなかったのは、第2次世代の私が説明した通りだ。

ここ数年は、ついに、単年で100万人を切った。

いずれ50万も切るだろう。


私にとっては、最近、気になったニュースがある。

「ウクライナ戦争で、ウクライナ国内の結婚が急に増加」というニュースだ。

これは第二次世界大戦中のデータを見ても同じ結果で、しかも、それまでの2倍3倍どころか8倍10倍という数字である。

こういう状況だと、私と同じ探し方をしている人が激増する気がする。

生きるために相手を探すという探し方をね。

日本もミサイルが飛んでくるレベルの戦争が起きれば、そうなるのではないだろうか……。

まぁ、すでに恋愛ができる年齢ではなくなってしまった私にとっては、どうでもいい話だけど……。

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